太田神社 / 東京都大田区

神社情報

太田神社(おおたじんじゃ)

御祭神:誉田別命
相殿神:澳津彦神・澳津姫神・宇迦之御魂神・高龗神
旧社格:─
例大祭:5月15日直前の金・土・日曜
所在地:東京都大田区中央6-3-24
最寄駅:西馬込駅・池上駅
公式サイト:http://yoichi.tokyo.jp/

御由緒

那須与一公の守本尊を御神体としてお祀りする当社は「太田神社」と称す。古くは「家運八幡宮」とも呼ばれ、那須与一公にあやかり勝負事をはじめ、良縁成就、家運興隆など願えば叶わぬことなしと、氏子をはじめ多くの人々に厚く信仰されている。
当社の鎮座年は古記録が戦災により失われたため不詳だが、文化文政期に編纂された武蔵風土記に当社の記載があること、明治初年の神仏分離令以前は近くにある長勝寺が別当職についていたこと等から少なくとも300年以上の歳月を経ているものと推察される。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2016/12/20

御朱印

初穂料:300円
氏子会館にて。

※種類は神紋の色が金色タイプと朱色タイプの2種類。
※セルフ御朱印になっていて自分で押す形。(詳しくは後述)
※例大祭の日のみ限定御朱印を用意している。

例大祭限定御朱印(全2種)
2017年5月12日 10:00-20:00
2017年5月13日 10:00-18:00
2017年5月14日 10:00-18:00
詳細は公式Twitterにて。
神仏別當御朱印
「太田神社」には八幡大菩薩と記し、旧別当寺「長勝寺」には妙法に旧別當寺と記された御朱印。
詳細は公式Twitterにて。

[ セルフ御朱印 ]

御朱印帳

初穂料:1,000円
氏子会館にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
那須与一を可愛く描いたものに、矢と扇の的が記されたデザイン。
ピンク色と薄緑色の2種類。

公式サイトより)

新御朱印帳情報
2017年5月12日より新しい御朱印帳が頒布。
初回は600冊で初穂料は1,500円。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

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歴史考察

旧市野倉村の鎮守・那須与一ゆかりの神社

東京都大田区中央に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、旧市野倉村の鎮守。
元は八幡信仰の神社で「家運八幡宮」と称された。
那須与一の守本尊を御神体としているという伝承があり、那須与一ゆかりの神社とされる。
現在は「上神明天祖神社」の兼務社となっている。

八幡社として創建・家運八幡宮と称される

創建年代は古記録が戦災により失われたため不詳。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』に当社が記されている事や、「長勝寺」(大田区中央6丁目)が別当寺であった事、戦後に枯死した老松が樹齢300年以上と推定されていた事から、遅くとも江戸中期頃には創建していたと見られている。

八幡信仰の神社として「家運八幡宮」とも「正八幡宮」とも称されていた。
市野倉村(市之倉/市ノ倉)の鎮守であったとされる。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(市ノ倉村)
八幡社
見捨地五畝二十六歩。村の東の方にあり。本社二間四方。神体は木像にて長五六寸はかり座像なり。拝殿二間に三間、前に石階四五十級ありて、其下に石の鳥居を立、両柱の間七尺。家運八幡宮の五字を扁す。家運と号する故を詳にせず。村の鎮守なり。祭礼年々八月二十五日。村内長勝寺持。
貴船社
見捨地六歩村の西の方にあり。小祠なり。村内の驗恵観院の持なりしか今は長勝寺に替れり。
稲荷社
見捨地九歩。是も小祠。長勝寺の持なり。

市ノ倉村の「八幡社」として記されているのが当社。
市ノ倉村の鎮守であった事が分かり、別当寺は「長勝寺」であった。
「家運八幡宮」と称され扁額もあったようだが、「家運」の由来は不詳とある。
社号から分かるように、家運隆昌・武運長久の神として崇敬を集めていたものと思われる。
御神体についても木像の坐像と記されている。

同村にあった貴船社、稲荷社も長勝寺が管理しており、これらは後に当社に合祀される事となる。

明治に太田神社へ改称・戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、「太田神社」と改称された。

「太田神社」に改称された理由は諸説ある。

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・太田康資(太田新六郎)が、当地周辺を所領していて、氏神としていたため改称されたという説。
太田道灌が江戸城築城の際、この地を候補地とし検分したので改称したという説。

いずれも確証のある話ではないものの、太田氏から社号を付けられたようだ。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、池上・石川・雪ヶ谷・市野倉・桐ヶ谷・堤方・下池上・徳持・久ヶ原・道々橋の10村が合併し、池上村が成立。
当地は池上村市野倉となり、その後に市野倉町となっていく。

明治以降に、近隣の竃神社、稲荷神社、貴船神社が当社に合祀されている。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿や舞殿が焼失。
御神体は神仏分離後に旧別当寺「長勝寺」に安置されていたため焼失を免れている。

昭和二十八年(1953)、現在の拝殿が再建。
再建に伴い「長勝寺」に安置されていた御神体が社殿内に遷座された。
その後も境内整備が行われている。

昭和四十二年(1967)、住居表示が実施され、市野倉町の多くは大田区中央・池上という表記に改められる。
そのため、旧地名の市野倉は公式には消滅するに至っている。

但し、当社氏子は市野倉北町会・市野倉南町会という町会名であり、こうした町会名や交番の名前、さらには店舗の屋号など、現在も市野倉の名は地域に残っている。
こうした旧地名の保存は素晴らしい事で、これからも残り続けて欲しい。

平成六年(1994)、鉄筋コンクリート造にて本殿も再建。
現在は「上神明天祖神社」の兼務社となっている。

旧上蛇窪村鎮守。東京の白蛇さま。カラフルな御朱印・限定御朱印・白蛇御朱印帳。蛇窪村分離の歴史。旧地名の保存とスネークタウン展開。龍神へ雨乞い祈願の伝説・当社に伝わる白蛇縁起。個性的で独特な造形物。荏原七福神の弁財天。御朱印。御朱印帳。

御神体は那須与一の守本尊と伝わる

『新編武蔵風土記稿』に「神体は木像にて長五六寸はかり座像なり」と記されている御神体は、明治以降に那須与一の守本尊であると伝えられるようになった。

この御神体が当社に祀られる事になったのには、こうした経緯が伝えられている。

当地に川島百太郎という旧家があり、江戸時代にこの家の女人が将軍家大奥に奥女中として奉公し、役目を終えて帰宅する際に、局から労をねぎらって八幡大菩薩像を下賜された。
民家に祀るのを恐れて当社に奉納したという。
明治になり神仏分離によって、旧別当寺「長勝寺」は別当職を退き、八幡大菩薩像を同寺に安置。
先年、八幡大菩薩像があまり古くなったので、ある塗師に塗り替えを依頼。
塗師が旧箔を落とし始めると、急に気分が悪くなったため、像を寺に返還。
住職が不思議に思って像を調べると、背部に「那須與市宗高守本尊」と記されていたという。
那須与一は軍記物である「平家物語」や「源平盛衰記」にその名を見る事ができる。
源平合戦とも呼ばれる治承・寿永の乱(1180年-1185年)で、源頼朝に与しその弟の源義経軍に従軍し、特に元暦二年(1185)の屋島の戦いにおいて、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とす逸話が有名。
那須氏は主に下野国(現・栃木県)に勢力を有していて、栃木県大田原市にはゆかりの深い地が多い。

公式サイトより)

当社の御神体が守本尊であるのならば、那須与一が屋島の戦や壇の浦の戦に、この御神体を身に付け戦いに挑んだ事になる。

当社の創建は江戸中期と見られており、那須与一が活躍した時代とは約500年近くもの隔たりがあるため直接的な関連性は薄いものの、後にこうした話を聞いた那須家から寄進もあり、空襲で焼失するまではその扁額が社殿内に掲げられていたという。

こうした話が広まったため、戦時中には多くの出征軍人が参詣し武運長久を祈願。
境内にかつての道標が残っている。
「那須宗高 南無妙法蓮華経 家運正八幡宮道 是より一丁 御守本尊」と刻まれており、当社への道標として使われていたもので、ここにも那須与一の守本尊であった事が記されている。

現在は「一願必中」のキャッチコピーや、市野倉ご当地キャラクター「東京の与一くん」など、那須与一を題材にした展開で地域からの崇敬を集めている。

高台の上に鎮座・家運の文字の手水鉢

最寄駅は西馬込駅もしくは池上駅で、どちらからも徒歩15分以上と距離がある上に、坂の多いやや入り組んだ地形の住宅街の一角に鎮座している。
交通の便はあまりよくはないが地域の方がよく訪れる神社となっている。

鳥居は昭和七年(1932)に奉納されたもの。
鳥居を潜って参道途中左手に上述した道標などが置かれていて、その先はやや急な石段。
こちらは上った先から見下ろした様子だが、周囲を見るに武蔵野台地の端でこうした高低差がある事が分かる。

石段を上ると右手に手水舎。
手水石には「家運」の文字があり、かつて「家運八幡宮」と称された名残であろう。

戦後に再建された社殿・境内社など

拝殿は昭和二十八年(1953)に再建されたもの。
彫刻も深く屋根には小さな狛犬があったりと出来もよい。
再建に関わった氏子の思いが伝わるよい拝殿で、兼務社ながら綺麗に管理されている。
旗幟には那須与一から「一願必中」の文字。
本殿は平成六年(1994)に鉄筋コンクリート造にて再建されたもので、また新しさが残る。
なお、当社には八幡神社の他に、明治以降になって近隣の竃神社(澳津彦神・澳津姫神)、稲荷神社(宇迦之御魂神)、貴船神社(高龗神)が合祀されている。

社殿前に置かれた狛犬は明治三十四年(1901)奉納。
鳥居など石製の建造物はこうして戦火を免れ現存している。

境内社は手水舎の近くに稲荷社。
他にも神輿庫や神楽殿などが整備されている。

自分で押すのが楽しいセルフ御朱印

御朱印は左手に社務所があるのだが、右手の氏子会館にて頂ける。
神職が常駐していない兼務社であるが、社守の方がいらっしゃるのでお願いすると丁寧に対応して下さる。

セルフ御朱印となっているのが特徴で自ら押す形。
こうした台を用意して頂けるので、あとは社守の方が優しく丁寧に教えて下さる。
御朱印は神紋(一菊紋・三つ巴)が金色か朱色かの2種類で、いずれも印判・スタンプの形式になっている。
この見本のように押していき、最後に自ら日付を筆入れして完成。
あまり自ら御朱印を押す機会はないので、貴重で楽しい経験になると思う。

例大祭の期間中は限定御朱印も用意している。

例大祭限定御朱印(全2種)
2017年5月12日 10:00-20:00
2017年5月13日 10:00-18:00
2017年5月14日 10:00-18:00
詳細は公式Twitterにて。

神仏別當御朱印
「太田神社」には八幡大菩薩と記し、旧別当寺「長勝寺」には妙法に旧別當寺と記された御朱印。
詳細は公式Twitterにて。

オリジナルの御朱印帳も用意。

新御朱印帳情報
2017年5月12日より新しい御朱印帳が頒布。
初回は600冊で初穂料は1,500円。

こうした御朱印への積極的な対応は本務社「上神明天祖神社」の影響を感じる。
地域の鎮守がこうした御朱印で盛り上がるのは素敵な事であろう。

所感

市野倉村の鎮守として崇敬を集めた八幡さま。
かつては「家運八幡宮」とも称され、御神体が那須与一の守本尊であったと伝わる事からも、家運隆昌・武運長久の神として崇敬を集めた事が伺える。
現在は「一願必中」のキャッチコピーで「願えば叶わぬこと無し」と篤く信仰されている。
当地周辺は日蓮宗大本山「池上本門寺」も近いため、日蓮宗の檀信徒も多く旧別当寺「長勝寺」と共に今も地域から篤い信仰を集めている事が伝わる。
社守の方や氏子の方が境内を常に綺麗に維持しており、昼頃に訪れるとよく近くの保育園の子供達が境内で遊んでいる姿も見る事ができる。
地域の鎮守として親しまれているのがよく分かり、そうした雰囲気のある境内は、どこか暖かさを感じる良い神社である。

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神社画像

[ 鳥居 ]


[ 参道・石段 ]




[ 参道 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 稲荷社 ]

[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]


[ 氏子会館 ]

[ セルフ御朱印 ]

[ 絵馬掛・御籤掛 ]

[ 道標 ]

[ 石碑 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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