中目黒八幡神社 / 東京都目黒区

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神社情報

中目黒八幡神社(なかめぐろはちまんじんじゃ)

御祭神:誉田別命
相殿神:天照皇大神
旧社格:村社
例大祭:9月第4土曜・日曜
所在地:東京都目黒区中目黒3-10-5
最寄駅:中目黒駅
公式サイト:http://www.nakameguro-hachimannjinnja.com/

御由緒

神様と仏様が一体と考えられていた神仏習合の時代、当神社は上目黒にある寿福寺が管理しておりました。
しかし、寺が全焼したため、古い資料が焼失しています。
当時の村指出銘細帳には、宝歴十三年(1763年)と弘化二年(1845年)に、「上目黒村別当寿福寺の末に上目黒村鎮守八幡宮」の記載があり、氏子数400戸、中目黒村境内地539坪の宮有地があると記載されています。
また、文政八年(1825年)の『新編武蔵風土記稿』には、「中目黒八幡宮之五〇坪、村の西方小山の上に社あり、五尺四方にして、東北鳥居、村の総鎮守なり。祭礼九月十八日十二座の神楽を奏す。」と記載されています。
境内地の手水蜂には「文政十丁亥九月十八日」の刻印があり、江戸時代にはこの地で当社が氏子崇敬者の篤い信仰を受けたいたことが分かります。(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2016/09/02(ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/09/15(御朱印拝受)
ほぼ毎月

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※御朱印を拝受した際の挟み紙には御由緒などが記載されていた。(画像:Twitter

御朱印

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考察

中目黒の八幡さま

東京都目黒区中目黒に鎮座する神社。
旧社格は村社で、中目黒の総鎮守。
正式名称は「八幡神社」だが、他との区別のため「中目黒八幡神社」とさせて頂く。
「中目黒の八幡さま」として崇敬を集める。
境内末社には「三峯神社」があり、毎年秩父の「三峯神社」へ参拝団が赴いていたりと、八幡信仰の他に、三峰信仰にも篤い神社である。

中目黒村の総鎮守

社伝によると、火事により文献や史料などが焼失しているため、創建は不詳となっている。

宝暦十三年(1763)の『村指出銘細帳』には「上目黒村鎮守八幡宮」の記載を見られる事から、それ以前の創建であるのは間違いがない。
かつては上目黒村の鎮守であり、その後、中目黒村の総鎮守として崇敬を集めた。

『新編武蔵風土記稿』によると隣村の下目黒村に鎮座する「大鳥神社」の項目に、下目黒村・中目黒村の両村の鎮守だったという記述があり、元々は「大鳥神社」が中目黒村の鎮守も担っていたが、当社が創建に至った事で、いつしか中目黒村の総鎮守は当社になったと推測できる。

目黒大鳥神社 / 東京都目黒区
目黒総鎮守。目黒のお酉さま。江戸時代から続く酉の市。日本武尊の伝承・神宝の十握剣。目黒区最古の神社。江戸庶民の娯楽であった目黒詣で。目黒の古い歴史を伝える境内・珍しい切支丹灯篭。御朱印。

江戸時代の目黒には「目黒六か村」として、三田村・上目黒村・中目黒村・下目黒村・碑文谷村、衾村の6村が既に成立していたため、当社の創建や中目黒村鎮守となった年代は定かではない。

江戸時代より前に創建したのか、江戸時代になってから創建したのかは不詳であるが、いずれにせよ、江戸時代の頃には上目黒村の鎮守であり、その後中目黒村の鎮守として崇敬を集めていたのは間違いなく、中目黒村の発展を見守ってきたのであろう。

江戸時代の史料・当時から続く十二座神楽

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(中目黒村)
八幡神社
除地150坪、村の西の方字神明前と云所にあり。小山の上に社あり。5尺四方にして東北に向ふ。前に鳥居をたつ、村の総鎮守なり。勧請の年代詳ならず。祭礼年々9月18日十二座の神楽を奏す。上目黒村寿福寺の持。

現在同様に「八幡神社」として記載されている。
村の西側に位置した神明前と呼ばれた場所にあり、これが現在の鎮座地である。
「村の総鎮守なり」とあり、中目黒村の総鎮守であった事が分かる。
別当寺は「寿福寺」(目黒区上目黒5丁目)であった。

例大祭には十二座の神楽を奏すると記載されている。
これは現在も続く神楽で、今も例大祭になると奏される。
なお、神楽曲は1曲を1座と数えるため、十二座神楽とは12曲の神楽を奏することを基本とする場合の名称である。

文政七年(1824)には、社殿を造営した記録が残っている。

神仏分離と戦後の歩み

明治になり神仏分離。
中目黒村の鎮守として、村社に列した。

明治十九年(1886)、本殿を造営。
この頃の拝殿は文政七年(1824)の建造物が残っていたようだ。

昭和十一年(1936)、現在の社殿が完成。
同時に手水舎などの境内整備も行われている。
戦後の昭和三十一年(1956)には、玉垣の整備も行われた。
いずれも氏子崇敬者よりの寄進によって整備されており、崇敬の篤さが伝わる。

現在は中目黒という土地が、人気エリアになっている事もあり、著名人が氏子として住まれている事も多いため、例大祭の日になると、奉納者に木村拓哉氏など氏子地域にお住まいの著名人の名が連なるのも、中目黒という土地柄であろう。

お水取り可能な湧水・さざれ石

中目黒駅を南下し、住宅街に入った一角に鎮座している。
image緑が残る境内で中目黒にありながらとても清々しい。
比較的長い参道があり、玉垣は昭和三十一年(1956)に整備されたもの。
image参道はなだらかな上りとなっていて、いくつか石段が存在する。

参道の右手には神池が整備されていてよい空気。
image当地からは古くから湧水が出ており、現在もお水取りが可能なエリアがある。
image近所の方がお水取りに来られている事も多く、今も地域の鎮守となっているのがよく伝わる。

この向かいにはさざれ石が置かれている。
imageさざれ石は平成八年(1996)に、昭和造営六十周年を記念して置かれたもので、記念碑には秩父の「宝登山神社」宮司による文字。
後述するが当社の氏子は秩父との関係も深い。

さらに石段を上ると社殿が見えてくる。
image参道正面に手水舎があり、右手に社殿という配置。

戦禍を免れた社殿が現存

社殿は、昭和十一年(1936)に造られたものが現存。
image本殿・弊殿・拝殿で構成された権現造で中々に立派な構え。
image平成二十八年(2016)は、昭和の造営から80年という事で、昭和造営80年を奉祝しての記念事業が行われており、この後に、社殿も一部修復作業が行われるとの事。

社殿の向かい側には神楽殿。
image昭和四十年(1965)に造られた神楽殿で、例大祭には江戸時代から続く、十二座神楽が奏される。
現在は、昭和造営80年奉祝記念事業で、神楽殿屋根銅板葺き替えが行われたばかりで、とても綺麗な屋根になった。

境内社の三峯神社・旧手水舎

社殿の左手にはこのような案内板が置かれるようになった。
image当社の見どころを案内するもので、こうした配慮は参拝者としてはとても嬉しい。

社殿の左手奥には境内社の「三峯神社」。
image中目黒は、江戸で流行した三峯講(山犬信仰)が今も残っている氏子地域である。

三峯神社 / 埼玉県秩父市
秩父三社。狛狼(お犬様)。三峰信仰・山犬信仰(三峯講)。三ツ鳥居。朔日限定・白い氣守。パワースポット。御朱印。御朱印帳。

奥秩父の総本社「三峯神社」には、毎年当社氏子による参拝団が赴いているのが特徴。
また上述のさざれ石は秩父の「宝登山神社」宮司による文字があったりと、秩父との繋がりが深い事を伺う事ができる。
かつての講中のように毎年秩父まで参詣している事によるものであろう。

境内社の三峯神社の手前には古い手水石が置かれる。
image現在は使用する事はできないが、文政年間(1818年-1830年)に奉納されたものとの事で、文政七年(1824)に社殿を造営した記録が残っているので、その時に奉納されたものであろう。

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して頂ける。
image昭和造営80年奉祝記念事業で、この後に社務所の建て替えと参集殿建築が行われる予定。

所感

中目黒の総鎮守である当社。
現在では人気エリアの中目黒であるが、その発展と共に歩んできた神社であり、現在も氏子崇敬者からの崇敬が篤いのが伝わる。
湧水が出る小さな神池があり、緑が多い境内は、とても清々しいもの。
中目黒のエリアにおいてこうした境内を維持できているのも、そうした崇敬の証だろう。
例大祭になると著名人からの奉納も見る事ができるのが、中目黒という土地柄らしさでもある。
筆者の実家は下目黒「大鳥神社」の氏子地域なのだが、お隣地区である中目黒の友人も多く、幼い頃は当社の境内で遊んだり、例大祭に参加した記憶があり、この時期になると何だか懐かしい。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]
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[ 参道 ]
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[ 神池 ]
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[ お水取り ]
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[ さざれ石 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 案内板 ]
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[ 三峯神社 ]
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[ 旧手水石 ]
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[ 十二座神楽塚・記念碑 ]
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[ 百度石 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 社務所 ]
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[ 御神木 ]
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[ 案内板 ]
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