【神社情報】
宝登山神社(ほどさんじんじゃ)
御祭神:神日本磐余彦尊・大山祗神・火産霊神
社格等:県社・別表神社
例大祭:4月3日
所在地:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
最寄駅:長瀞駅
公式サイト:http://www.hodosan-jinja.or.jp/
【御由緒】
第十二代景行天皇の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)は勅命により東北地方平定の後、御凱旋の途次当山にお登りになり、山頂にて御三柱をお祀り遊ばされましたのが、当神社のはじめと伝えられます。尊が登山に先だち身心をお浄めになられた「玉の泉」は今なお御本社後の玉垣内に遺されております。また御登山の途中山火事のため進退きわまったとき、多くの巨犬が現れ火を消し止めてお助け申し上げたと云われ、この巨犬は大口真神(おおくちまがみ)すなわち御眷属 (ごけんぞく)で、火災盗難除、諸難除の御守護として霊験あらたかであります。このゆえ「ホド山」は古くは「火止山」であったが、後世「宝登山」にあらためられたのであります。
【参拝情報】
参拝日:2015/07/08
【御朱印】
授与所にて。
※他に宝登山山頂の「奥宮」にて別御朱印有り。
【御朱印帳】
初穂料:1,000円
授与所にて。
可愛らしい花が描かれたもので、紺を基調にしたものとピンクを基調にしたものの2種類。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
【備考】
埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山山麓にある神社。
旧社格は県社で、現在は別表神社。
「秩父神社」「三峯神社」と共に「秩父三社」のうちの一社とされている。
宝登山山麓には本社が、宝登山山頂には奥宮が鎮座する。
社伝によると、景行天皇四十一年(111年)、日本武尊による東征の折に遥拝しようと山頂に向っていると、巨犬が出てきて道案内し、さらにはその途中で猛火に遭った窮地を助けたため、日本武尊は無事に遥拝することができた。
このことから「火止山」の名となり、のちに「宝登山」となったという。
その巨犬は大山祇神の神犬であったそうで、後に山麓に社殿を建て神日本磐余彦尊(神武天皇)、大山祗神 、火産霊神の三神をお祀りした、という伝承が残っており、これが当社の起源になるようだ。
上述の創建起源にまつわる伝承から、当社は「火災盗難除・諸難除」の御神徳あらたかだと伝えられており、多くの参拝者によって崇敬されている。
今なお、火伏せの信仰を集め、関東一円に宝登山講が分布している事からも分かるだろう。
上述の社伝にあるように、元は「火止山」と名付けられていた当山や当社だが、現在の「宝登山」に改められたのは、弘仁年間(810-824)に「宝珠の玉が光輝きながら山頂に飛翔する」という、吉祥事があったためとされており、おめでたい漢字が当てられたと推測できる。
一の鳥居は長瀞駅から向かう途中の参道に。
参道には多くのお店が立ち並び、シーズンになると有名なかき氷屋などもあり賑やかになるとの事。
そこから徒歩5分ちょいに佇む二の鳥居は白塗りの立派なもの。
社殿は江戸時代末から明治初頭に造り替えられた本殿、幣殿、拝殿より成る権現造り。
極彩色による彫刻がお見事な出来。
この色鮮やかな彫刻は「秩父神社」「三峯神社」といった他の「秩父三社」と共通している。
境内は広く境内社も多い。
境内には「玉泉寺」という寺院もあり、元々は当社の別当寺であった。
永久元年(1113)の開基と伝えられ地蔵菩薩を安置しているようだ。
明治の神仏分離により別当寺ではなくなるが、現在も当社の境内に鎮座している。
宝登山山頂にはロープウェイで登る事ができる。
この日は悪天候のため断念したのだが、山頂には奥宮が存在。
御朱印は授与所にて。
本社の御朱印の他に、山頂にある奥宮まで登ると、奥宮の御朱印も頂く事ができる。
オリジナル御朱印帳も用意しており、可愛らしいものだった。
「秩父三社」の一社でもあり秩父を代表する神社。
広く整備された境内に存在感のある社殿は、見ていて清々しい気持ちにさせてくれる。
2011年発行の「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では1つ星に選定もされたそうだ。
今回は悪天候のため奥宮まで登る事ができなかったのだが、次の機会にはぜひ山頂の奥宮も参拝したい。
【神社画像】
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