大宮八幡宮 / 東京都杉並区

神社情報

大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
社格等:府社・別表神社
例大祭:5月3日-5日(わかば祭り)/9月第3月曜の前の土・日曜(大宮八幡祭り)
所在地:東京都杉並区大宮2-3-1
最寄駅:西永福駅・永福町駅
公式サイト:http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/

御由緒

 当宮は、第七十代後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、征討の勅命をうけた鎮守府将軍源頼義公・義家公(父子)一行が、この地に差しかかると大空に八条の白雲が棚引き、いかにも源氏の氏神・八幡大神の白旗が翻ったように見え、奇瑞とした頼義公・義家公により兵乱鎮定後の帰途、康平六年(1063)、京都・石清水八幡宮のご分霊が勧請されて以来、平成二十五年(2013)、御鎮座九百五十年の式年を迎えました。
この大宮の地は太古より聖域としてご鎮座以前より崇められ、また広大な神域から武蔵国三大宮「多摩の大宮」或いは「武蔵国八幡一之宮」と称され、神々のおわします鎮守の杜として大切に護られ信仰されています。(頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2017/08/17(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/16(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※境内社「大宮天満宮」の御朱印も頂く事ができる。
※以前は社号の墨書きがされていたが、2017年は社号の墨書きはしなくなっている。

[2017/08/17拝受]

[2015/08/16拝受]

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
御鎮座九百五十年式年記念の御朱印帳で、神紋がデザインされたもの。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

だるまみくじ
初穂料:300円
社務所にて。

神塩
初穂料:志納
社務所にて。


歴史考察

東京のへそに鎮座・子育厄除け八幡さま

東京都杉並区大宮に鎮座する神社。
旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。
かつて「多摩の大宮」「武蔵国八幡一之宮」とも称され「武蔵国三大宮」の一社に数えられた大社で、現在でも15,000坪の規模を誇り都内で3番目の広さの境内を有している。
東京のほぼ中央に鎮座するため「東京のへそ」の異名を持ち、パワースポットとしても知られる。
近年では子育厄除け八幡さまとして多くの崇敬を集めている。

源頼義・義家(八幡太郎)父子による創建

社伝によると、康平六年(1063)に源頼義・義家(八幡太郎)父子によって創建と伝わる。

源頼義・義家(八幡太郎)父子は、前九年の役で征討の勅命を受け奥州に向かう途中、当地の空に八条の白雲が棚引いているのを見た。
源氏の白旗が翻ったかのように見えた頼義は、奇瑞であると喜び、戦勝の際には当地に源氏の氏神・八幡大神を奉斎する事を誓い、前九年の役に勝利。
凱旋後の康平六年(1063)、当地に源氏の氏神・八幡大神を「石清水八幡宮」(現・京都府八幡市)から勧請し、創建したと云う。

「前九年の役」は、奥州の陸奥守に任命された源頼義(みなもとのよりよし)が、奥州(陸奥国)で半独立的な勢力を形成していた有力豪族・安倍氏を滅亡させた戦い。

頼義の嫡男である義家(八幡太郎)も当宮を深く崇敬。
後三年の役の後、父に倣い当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。

源義家(みなもとのよしいえ)は、源頼義の長男で、「石清水八幡宮」(京都府八幡市)で元服したことから「八幡太郎」と称し、関東圏の八幡信仰の神社の伝承にその名を見る事も多く、新興武士勢力の象徴とみなされた。
義家の家系からは、鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏が出ており、武門の棟梁としての血脈として神話化されていく。
「後三年の役」は、1083年-1087年に奥州で発生した戦いで、奥州を実質支配していた清原氏の内紛に、源義家(八幡太郎)が介入した事で始まり、清原氏を滅亡に追いやった戦い。奥州藤原氏が登場するきっかけとなった。

源氏縁の神社として武将から崇敬を集め、源頼朝も社殿を整えたとされる。
「武蔵国八幡一之宮」とも称され、多くの崇敬を集めた。

古代より聖域とされた地

当宮の一帯は、源頼義・義家(八幡太郎)父子によって創建される以前より、地域の人々から聖域とされていた地と推測されている。
それは当宮の鎮座地や隣接する「和田堀公園」が「大宮遺跡」として遺跡指定されている事による。

昭和四十四年(1969)に杉並区教育委員会が実施した発掘調査によって、都内で初めて弥生時代終末期の方形周溝墓3基が発見され、他にも多数の土器や勾玉、ガラス玉などが発掘されており、当宮一帯は「大宮遺跡」として東京都指定遺跡に指定を受けた。

これらは弥生時代後期の墓域、祭祀遺跡と判明。
そのため創建以前より、この地はこの一帯の聖域とされていた事が分かる。

古代より神聖な地であった当地に、神社が創建する事になる。遺跡や古墳の上に神社が創建する事は比較的よくある事であり、当社もそうした古い信仰の中で誕生したものと思われる。

徳川家康による寄進・広大な社領を有し武蔵国三大宮とされる

天文年間(1532年-1555年)、長尾景虎の乱によって社殿など悉く焼失。
建物や宝物など殆どが灰燼と帰したと云う。

長尾景虎(ながおかげとら)は、一般的には上杉謙信の名で知られる。長尾景虎は上杉謙信の初名。

天正十八年(1590)、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
天正十九年(1591)、家康より朱印地30石を賜る。
家康の次男・結城秀康の側室である清涼院により社殿が造営。

以後、徳川将軍家や諸大名からも崇敬を集めた。
江戸時代の敷地は境内を除き60,000坪もの広大な規模だったと云う。

広大な境内を有する事から「多摩の大宮」とも称され、「足立の大宮(現・武蔵一宮氷川神社)」「秩父の大宮(現・秩父神社)」と共に「武蔵国三大宮」の一社とされた。

武蔵国一之宮。氷川神社の総本社。氷川の由来。大宮の地名由来。東京・埼玉に点在する氷川信仰。江戸時代に描かれた当社。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築された楼門や社殿。明治天皇御親祭150年祭。御朱印。御朱印帳。
知知夫国一之宮(新一の宮・総鎮守)。武蔵国四之宮。秩父夜祭。秩父三社。あの花。御朱印。御朱印帳。

また「江戸八所八幡宮」の一社にも数えられている。

新編武蔵風土記稿から見る当宮

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当宮についてこう書かれている。

(和田村)
八幡社
除地六萬坪。小名大宮にあり。社領御朱印三十石、天正十九年附せらるる。別当大宮寺神職中野右近社領の内十五石づつ配当せり。各當社の惣門より二町程を隔てをれり。縁起に云、当社は人王七十代後冷泉院の御宇天喜年中、奥州の夷賊蜂起せし時、鎮守府将軍源頼義勅を蒙り、奥州に向ひ給はんとて当所を過ぎ給ふ時空中に奇雲たなびき、さながら白幡の如くなりければ、将軍奇異の思をなし、是宇佐八幡の影向せるならんとて、則當社を勧請し給う。(中略)しかるに天文年中、長尾景虎の乱によりて兵火の為めに社檀ことごとく焼失し、什物等すべて烏有となり一物をものこさず。天正年中にいたり東照宮より神領を附せらると見えたり。此縁起天正十九年極月。(中略)
惣門。道の邊にあり。此道は古への鎌倉街道なりと云。
鳥居。惣門を入て正面にあり。木にて造れるもおなり。
中門。惣門を入て百五十間許にあり。一丈に五尺。
本社。二間に一間、高欄付。神體三軀木の立像にて各五寸許。作しれず。厨子三重にして其内に安す。外厨子高二尺、中は高さ一尺五寸、内は高さ一尺余、前立一軀木の立像にして衣冠せし形なり。春日の作と云。本地彌陀の立像を安す。長一尺脇士観音勢至、是も木の立像にて各七寸許。弘法の作と云傳え云。此三軀は応神天皇、仁徳天皇、武内宿禰なり。これを甲羅明神と云ふ。
拝殿。六間に二間。半向拝あり、二間に一間。
護摩所。(中略)鐘楼。(中略)。神楽堂。(中略)
東照宮。御社は本社の後にあり。
末社。山神社。天満社。太神宮。若宮社。稲荷社。三島社。右の六社は何れも本社の左右にあり小祠。
別當大宮寺。(以下略)

かなり長々と記されているため、一部を中略とさせて頂いた。

多摩郡和田村の「八幡社」と記されているのが当宮。
社殿に伝わる、源頼義・義家(八幡太郎)父子による創建の由緒が記されている。
その他、長尾景虎(上杉謙信)によっての社殿の焼失、東照宮(徳川家康)による寄進などが記されており、6万坪もの社地を有する大社であった事が分かる。

(新編武蔵風土記稿)

大社であった当宮は境内図のイラスト付きでも記されている。
「大宮八幡社地図」として描かれており、立派な社殿を有していたのが伺える。

本社には3体の御神体が祀られていて、応神天皇・仁徳天皇・武内宿禰であったと云う。

現在の御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后となっている。江戸時代にせよ現在にせよ八幡大神とされた応神天皇と繋がりの深い神となる。

江戸名所図会に描かれた当宮

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「大宮八幡宮」として描かれているのが当宮。
境内は現在とかなり似た規模や配置になっているのが分かる。
総門があり、一之鳥居から長い参道、途中に二之鳥居、神門(中門)から社殿へと繋がっている。
右手に流れるのは善福寺川で、かつて湧出していた(現在はポンプで汲み上げている)御神水は「多摩乃大宮水」と称されていた。

(江戸名所図会)

社殿周辺を拡大したのが上図。
立派な社殿を有し、周囲には多くの境内社を配していた。
境内に鐘楼や護摩所があり、別当寺「大宮寺」(現・廃寺)と共に、神仏習合の中で崇敬を集めた事が伺える。
また、前ページには当地が和田村とされている事から「和田八幡宮」とも称されたと記されている。

現在の杉並区大宮の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来。余談だが、埼玉県の大宮も「武蔵一宮氷川神社」を「大いなる宮居」とした事から付けられた名であり、大宮という地名の近くには、こうした大社が鎮座している事が多い。

明治以降の歩み・大正時代の古写真

明治になり神仏分離。
別当寺の「大宮寺」は廃寺になり、広大な敷地の35,000坪が押収されている。

明治五年(1872)、郷社に列した。
明治十八年(1885)、府社に昇格。
「大宮八幡神社」と称され、地域一帯の鎮守として崇敬を集めた。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、和田村・堀之内村・和泉村・永福寺村が合併し、和田堀内村が成立。
当地は後に当宮を由来として大宮町、大宮となっていく。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当宮の鎮座地で、当宮の鎮座地は今も昔も変わらない。
社地が押収されたものの、その後も広大な社地を有していた事が伺える。
和田堀内村と云う地名と、大宮という地名を見る事ができ、当宮周辺は既に大宮と呼ばれていた。

戦前・関東大震災以前の当宮の古写真が残る。

(東京府史蹟)

大正八年(1919)に東京府が編纂した『東京府史』に掲載された当宮。
当時の正式名称は「八幡神社」であったが「大宮八幡神社」として紹介されている。
古い鳥居の先に神門、そして社殿と現在の境内に近い様子を伺える。

昭和四十年(1965)、御鎮座九百年を記念し社殿が造営。
これが現在の社殿となっている。

昭和四十一年(1966)、神社本庁の別表神社に指定。
昭和五十六年(1981)、「大宮八幡神社」から現在の「大宮八幡宮」へ改称。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

大鳥居のある表参道と南参道・その先の神門

最寄駅の西永福駅から東へ進み方南通りに出て、大宮八幡前の交差点から北へ向かうと表参道となる。
表参道には大変立派な朱色の一之鳥居。
昭和二十九年(1954)に再建されたもので、幾度化の改修を経ている。

一之鳥居を進むとすぐ二之鳥居。
幅の広い200m以上の参道が続く。
参道途中の両脇は駐車場も兼ねており、平成二十五年(2013)御鎮座九百五十年式年大祭では流鏑馬も行われた。
参道途中には「大宮の竹林」と呼ばれる竹林があり、大祓の茅の輪や七夕の竹はこちらのものが使われる。

大きな参道としては表参道の他に南参道が整備。
こちらも立派な大鳥居が用意されていて、車で侵入する際はこちらから入る事となる。

表参道と南参道が合流する地点に神門。
江戸時代には総門があり、その先の中門として描かれていた。古き境内配置を残している。
神門の手前右手に手水舎。
こちらで身を清め、神門を潜り神域となる。

夫婦銀杏・戦後に造営された立派な社殿

神門を潜ると左右に夫婦銀杏。
左手が女銀杏。
右手が男銀杏となり、夫婦和合のシンボルとして親しまれている。

夫婦銀杏を過ぎると立派な社殿。
昭和四十年(1965)に御鎮座九百年を記念し造営されたもの。
総檜造りの社殿で大社らしい重厚感のある造り。

多摩清水社・大宮天満宮など多くの境内社

境内社は神門の手前、参道の右手に「多摩清水社」。
御神水を頂ける場所となっていて、江戸時代から「多摩乃大宮水」と言われていた湧き水。
現在はポンプ式で汲み上げているが、こちらの御神水を求めに参拝者が多く訪れる。

社殿の右手に大宮天満宮が鎮座。
学問の神・菅原道真公を祀り、社殿横には多くの合格祈願絵馬が掛けられている。
境内社として大宮天満宮の御朱印も用意されていて、境内社の中でもひときわ崇敬を集める一角。

社殿の左手には境内社が並ぶ。
左にあるのが若宮八幡神社・白幡宮・御嶽榛名神社の合殿。

若宮八幡神社には、本社の応神天皇(八幡大神)の御子である仁徳天皇が祀られている。
白幡宮には、当宮を創建した源頼義・義家(八幡太郎)父子が祀られている。

その右手には大宮稲荷神社・三宝荒神社の合殿。
稲荷様と竈の神を祀り、朱色の鳥居が映える。

この近くには源義家(八幡太郎)が植えたという千本松の跡地が残る。
かつては巨松があったと云うが、現在は枯れて二代目の松が植えられている。

パワースポットとして知られ、小さなおじさんの都市伝説も

当宮は東京のほぼ中央に鎮座するため「東京のへそ」の異名を持つ。
そのためパワースポットとしても知られる。

特に都市伝説的に耳にするのが「小さなおじさん」や「妖精」といった話。
社殿左手の境内社が並ぶ一角で遭遇するとの噂。
近くにはかやの木に犬桜が寄生していることから「共生の木」と呼ばれる木が立つ。
「小さなおじさん」や「妖精」を見た人は幸せになるという都市伝説であり、そうした事を思い出して参拝してもるのも楽しいのかもしれない。

筆者はそうしたものを見た事はないが、パワースポットとして知られる事で、こうした都市伝説も生まれたのであろう。

この他、結婚式場清涼殿の近くにある「幸福撫でかえる石」も人気。
撮影などされる方も多く奥には多数の絵馬も掛けられる。

安産祈願や子育八幡・厄除八幡として人気

近年は戌の日の安産祈願が人気。
子育八幡さまとして知られ、戌の日まいりをされる方が多い。

現在の御祭神は八幡大神とされる応神天皇と、応神天皇の父である仲哀天皇、母である神功皇后の三柱を祀っており、御祭神の故事によるもの。

応神天皇は神功皇后の胎内にいる時から御神威を発揮され、胎中天皇と称され、親子三神を祀る事から縁結び・安産・子育ての信仰を集めている。
更に、神功皇后が御子(応神天皇)を宿されて三韓征伐へ出陣の際、腰の御帯に鎮懐石(ちんかいいし)を結び陣痛を和らげ出陣し凱旋し、無事に御子を出産したという伝承も伝わっている。

また、創建の御由緒にあるように大空に八条の白雲がたなびいて勝利に導いたという故事から、厄除け八幡さまとしても信仰を集めている。

近年ではTVドラマ『Doctor-X 外科医・大門未知子』でも、子育八幡さまとして当宮がロケ地として使用されている。
テレビ朝日「ドクターX ~外科医・大門未知子~」番組サイト。「私、失敗しないので。」米倉涼子主演の大ヒット・ドラマ『ドクターX』、世界へ!200カ国配信を背負って待望の新シリーズがこの秋、登場!!2017年10月スタート!

御朱印は社務所にて。
本社の他に境内社「大宮天満宮」の御朱印も用意。
オリジナルの御朱印も用意している。

所感

古くから当地周辺を代表する大社の一社として崇敬を集める当宮。
源頼義・義家(八幡太郎)父子による創建の八幡神社として崇敬を集めた事が伺える。
現在は「東京のへそ」の異名を持ちパワースポットとしても知られており、御祭神の故事から子育八幡さまとしても人気が高い。
今回紹介した以外にも見どころも多く、隣接する和田堀公園含めてゆっくりと散策できる地。
参拝者も多く、広大な境内など、東京を代表する一社であろう。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]

[ 一之鳥居 ]


[ 二之鳥居 ]



[ 参道 ]



[ 手水舎 ]

[ 神門 ]


[ 夫婦銀杏 ]


[ 拝殿 ]





[ 拝殿・本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 絵馬掛・御籤掛 ]



[ 大宮天満宮 ]



[ 宝物殿 ]

[ 神楽殿 ]

[ 大賀蓮 ]

[ 鶏小屋 ]

[ 力石 ]



[ 赤門(北神門) ]

[ 旧社号碑 ]


[ 振武殿 ]

[ 菩提樹 ]


[ 義家手植松跡 ]


[ 境内社 ]

[ 若宮八幡神社・白幡宮・御嶽榛名神社 ]





[ 大宮稲荷神社・三宝荒神社 ]



[ 共生の木 ]



[ 社務所 ]

[ 納札所 ]

[ 多摩清水社(御神水) ]




[ 歌碑 ]

[ 百度石 ]

[ 結婚式場清涼殿 ]

[ 幸福撫でかえる石 ]



[ 南参道鳥居 ]

[ 大宮幼稚園 ]

[ 案内板 ]





Google Maps