新井天神北野神社 / 東京都中野区

神社情報

新井天神北野神社(あらいてんじんきたのじんじゃ)

御祭神:菅原道真公・保食神
社格等:村社
例大祭:9月25日に近い土・日曜
所在地:東京都中野区新井4-14-3
最寄駅:新井薬師前駅・沼袋駅
公式サイト:http://araitenjin.com/

御由緒

残存する梅照院縁起に「開基の行春より数代後の住持玄鏡が、天和年間に手植の梅一株を北野天満宮に献じた」とあります。 当社は天満宮として天正・天和(十六世紀)の頃には新井の里の鎮守であったと思われます。豊かな水に恵まれた新井の村は、 妙正寺川の水害からの守護を天神様に祈り、すべての食物の御親である保食神に豊作を祈願しました。
天神様として祀られた菅原道真公は世に優れた学者であり右大臣にまで出世されたことから、後には学問の神として尊崇を集め、 学業成就・子の成育・家内安全・家門隆盛・事業繁栄・工事安全・交通安全・厄除など祈願する人が多くなりました。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2017/06/20

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※境内社の「大鳥神社」「稲荷神社」の御朱印も用意されている。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

東京の天神様特製の御朱印帳で、都内の一部の天神様で頒布している御朱印帳。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

歴史考察

旧新井村鎮守の天神様

東京都中野区新井に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧新井村の鎮守。
正式名称は「北野神社」で、「新井天神」は通称。
合わせて「新井天神北野神社」と称される事も多い。
新井薬師の通称で知られる「梅照院」が旧別当寺で縁が深い。

新井薬師の開基と共に創建の伝承

社伝によると、創建年代は不詳。
一説によると、「梅照院」(通称・新井薬師)を開基した僧・行春が創始したと伝わる。

「梅照院」は、新井山梅照薬王寺と号し「新井薬師」と通称される。
天正十四年(1586)に僧・行春が開基したとされ、江戸時代には「眼病治癒」や「子育薬師」として人気を集めた。
新井薬師・新井薬師・新井薬師前駅・眼病平癒・厄除け・お守り・梅照院(ばいしょういん)東京都中野区、真言宗豊山派の寺院です。

この事から、当社も「梅照院」と同時期の天正年間(1573年-1592年)の創建とされる。

「梅照院」には、梅の古木が光り梅の木を調べると薬師如来が現れた、という伝承が残る事から、梅を愛して梅と結びつきの強い菅原道真公を御祭神とした当社が創建されたのであろう。

他説として、それ以前より当地の鎮守として鎮座していたとする説も残る。

当地は新井村と呼び、村の鎮守として崇敬を集めた。

新井村の地名は、当地が開墾され新しく井戸が造られた事が由来とされ、村の成立時期は戦国時代と推測される。

江戸時代に当社へ梅を献じた記録

「梅照院」(新井薬師)の縁起には、天和三年(1683)に「梅照院」の住職が境内に梅を植えた際、当社にも梅を1株献じたと記してある。
当社のことを「北野天満宮」と記してあり、当時はそう呼ばれていた事が分かる。

別当寺の「梅照院」にも梅の文字が見られるように、梅との関わりが深い。

「梅照院」には、梅の古木が光り梅の木を調べると薬師如来が現れた、という伝承が残る。

梅を愛し梅と結びつきの強い、菅原道真公を御祭神とした当社が創建されたのであろう。
当社の社紋も「梅照院」の寺紋も、梅紋である事からも伺える。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(新井村)
天満宮
除地二段二畝十六歩。村の中ほどにあり。本社は一間四方、拝殿二間に三間、南に向ふ。前に木の鳥居をたつ。松の並木ありて物ふりたる社地也。梅照院の持なり。

新井村の「天満宮」と記されているのが当社。
「新井薬師」こと「梅照院」が別当寺だった事も記されている。

村の中ほどにあり、中々に立派な社殿を有していたようだ。
当時は松並木の社地で、大変古びた様子の境内であったとされる。

明治以降の歩みと戦後の再建

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、新井村・上沼袋村・下沼袋村・上鷺宮村、下鷺宮村、江古田村、上高田村の7村が合併して野方村が成立。
当地は、野方村新井となり、当社はその鎮守であった。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
橙円が旧別当寺の「梅照院」で、当時は「梅照院薬師」として記されている。
当地一帯が新井という地名で、この一帯の鎮守を担った。

なお、新井という地名は後に新井薬師町となり、再び新井町に改称され現在は新井となっている。

昭和二十年(1945)、東京大空襲で社殿が焼失。

昭和二十三年(1948)、社殿の再建。
これが現在の社殿となっている。

昭和二十八年(1953)、境内社の「大鳥神社」が造られた。
毎年11月の酉の日に酉の市が開催されている。

その後も境内整備が進み現在に至っている。

境内案内

黒鳥居と珍しい形の手水舎

最寄駅の新井薬師駅もしくは沼袋駅から徒歩5分ほどの距離で、中野通り沿いに鎮座。
黒い鳥居が特徴的で、中野通りを挟んだ先には新井薬師公園、その先に新井薬師「梅照院」となる。

黒鳥居を潜ると整備された参道。
途中に一対の狛犬が置かれている。
大正十五年(1926)に奉納されたもの。

その先、左手に珍しい形をした手水舎。
コンクリート打ちっぱなしの手水舎になっていて珍しい。
手水石には梅紋で、近づくと龍の吐水口より水が出る形となっている。

菅公御神忌千百年祭で奉納された撫で牛

手水舎の隣に撫で牛が置かれている。
平成十五年(2003)、菅公御神忌千百年祭を記念して奉納された。
「ご自身の悪い所を撫でて下さい」と案内があり、神牛像を撫でていく参拝者が多い。

御祭神の菅原道真公と牛にまつわる由来で、梅と共に天神信仰では篤く崇敬されている。道真は乙丑の生まれで、牛を大層可愛がった事から、天神信仰の神使は牛とされている。

戦後に再建された社殿

参道を進むと正面に社殿。
旧社殿は東京大空襲せ焼失し、現在の社殿は昭和二十三年(1948)に再建されたもの。
3つの鈴緒や梅紋の提灯などが掲げられている。
扁額には旧字体で「北墅神社」の文字で、拝殿には多くの千社札が貼られている。

大鳥神社と酉の市・稲荷神社・力石など

社殿の左手には境内社の大鳥神社。
昭和二十八年(1953)、街の発展を願い「大鳥大社」(大阪府堺市)より勧請された。

現在は毎年11月の酉の日に「酉の市」が開催され賑わう。

その左手に神楽殿があり、さらに左手に稲荷神社。
中野刑務所内(現・平和の森公園)に祀られていた寶樹稲荷神社だと云う。

寶樹稲荷神社は、市ヶ谷の備中松山藩屋敷に祀られた邸内社であった。
屋敷跡が市ヶ谷囚獄となり、その後囚獄が中野に移された際にも一緒に遷座。
その後、豊多摩刑務所(後の中野刑務所)になった後も祀られていたと云う。
中野刑務所は昭和五十八年(1983)に閉鎖され、稲荷神社は当社に遷された。

その隣には御嶽神社。
小祠となっている。

参道の左手には力石が置かれている。
13個の力石が並べられ、中野区の指定有形文化財となっている。
村人たちが力比べをし奉納された力石には、重さも彫られている。

御朱印は社殿右手の社務所にて。
東京の天神様の一部で頒布されている御朱印帳も用意されていた。

案内はないが、境内社の「大鳥神社」「稲荷神社」の御朱印も拝受する事ができるそうなので、所望の方はお願いしてみるのが良いだろう。

所感

新井村の鎮守として崇敬を集めた当社。
都内でも有数の寺院である「新井薬師」こと「梅照院」が旧別当寺で、共に崇敬を集めていた事が伺える。
「梅照院」の縁起や名称・寺紋にも梅が使われているように、梅とゆかり深い菅原道真公を祀る当社が創建されたと推測する事ができ、古くから当地の鎮守として崇敬されたのであろう。
現在は撫で牛が整備され、梅紋の提灯など、天神信仰らしさを感じる事ができる境内。
学問の神として知られる天神様であるが、それ以外の祈願をされる方も多く、地域から大切にされているのが伝わる良い神社である。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]


[ 撫で牛 ]


[ 参道 ]

[ 社殿 ]





[ 狛犬 ]


[ 授与所 ]

[ 大鳥神社 ]

[ 神輿庫 ]

[ 稲荷神社 ]



[ 御嶽神社 ]

[ 神楽殿 ]

[ 力石 ]



[ 石碑・石塔 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 社務所 ]

[ 東参道・鳥居 ]

[ 神輿庫 ]

[ 石碑 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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