中野氷川神社 / 東京都中野区

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中野区

神社情報

中野氷川神社(なかのひかわじんじゃ)

御祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
社格等:村社
例大祭:9月中旬
所在地:東京都中野区東中野1-11-1
最寄駅:東中野駅・中野坂上駅
公式サイト:─

御由緒

中野の氷川神社
 この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元三年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したものと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。
 祭神は須佐之男命・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で、例祭は九月十四・十五日ですが、もとは二十六・二十七日の両日でした。
 江戸時代には総護摩行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の巡行はいまも語り草になっています。
 拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/03/06(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/10/26(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:50円
社務所にて。

※印刷した別紙のみの授与で日付は自分で記入式。

[2019/03/27拝受]

[2018/04/20拝受]

歴史考察

中野総鎮守のおひかわさま

東京都中野区東中野に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧中野村の総鎮守。
地域の方からは「おひかわさま」と称され崇敬を集めている。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別のため「中野氷川神社」とさせて頂く。
9月中旬に行われる例大祭は各町会の神輿が練り歩き、区内最大規模として知られる。

源頼信が平忠常の乱を平定する際に創建

社伝によると、長元三年(1030)に創建と伝わる。
源頼信が平忠常の乱を平定に向かった際、当地に氷川神を祀った祠を建てたと云う。

平忠常の乱(たいらのただつねのらん)
長元元年(1028)に房総三ヵ国(上総国・下総国・安房国)で起きた反乱。
平将門(たいらのまさかど)の叔父・平良文(たいらのよしふみ)の子孫に当たる平忠常が乱を起こしたもので、3年以上に渡り平定される事なく乱は続いた。
長元三年(1030)源頼信が「平忠常の乱」平定の追討使に任じられ、長元四年(1031)に忠常は降伏した。
源頼信(みなもとのよりのぶ)
河内源氏の祖とされる平安時代中期の武将。
平忠常の乱を平定し、河内源氏が東国進出するきっかけとなった。
武勇に優れ「道長四天王」の1人にも数えられた。
3年以上反乱を続けた平忠常が戦わずして降伏したのは、反乱が起こる以前に頼信との間で主従関係があったためと推測されている。

頼信は「武蔵一宮氷川神社」から御分霊を勧請。
当地一帯(中野村)の鎮護として創建された。

武蔵一宮氷川神社
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町に鎮座。
武蔵国の一之宮。
東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社。
武蔵一宮氷川神社 / 埼玉県さいたま市
武蔵国一之宮。氷川神社の総本社。氷川の由来。大宮の地名由来。東京・埼玉に点在する氷川信仰。江戸時代に描かれた当社。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築された楼門や社殿。明治天皇御親祭150年祭。御朱印。御朱印帳。

中野長者と呼ばれた鈴木九郎による中野の開拓

応永年間(1394年-1428年)、「宝仙寺」(現・中野区中央)の僧・聖永が社殿を改築。
「宝仙寺」が当社の別当寺を担った。

宝仙寺(ほうせんじ)
源義家が阿佐ヶ谷に創建したと伝わり、古くは「大宮八幡宮」の別当寺も担った。
後に中野に移転し聖永によって中興開山。
江戸時代には朱印地を賜り中本寺格の寺院として発展した。
宝仙寺|真言宗豊山派(明王山 聖無動院)
宝仙寺は、東京都中野区(中野坂上)にある真&#3532...

同時期に中野長者と呼ばれた鈴木九郎によって中野が開拓。
中野の開拓に合わせるように当社の社殿が「宝仙寺」の僧・聖永によって改築された事になる。

鈴木九郎
室町時代の商人であり僧侶。
代々、紀伊国(現・和歌山県)で「熊野神社」の祭祀を務め、熊野地方で勢力を誇った熊野三党(榎本・宇井・鈴木)とも呼ばれた鈴木氏の末裔とされている。
応永年間(1394年-1428年)に、武蔵国多摩郡中野邑(現・東京都中野区)に移り住んだと伝わりる。
鈴木九郎は、馬の売買や未開墾地であった中野付近の開拓を行い、商売で大成功したため「中野長者」と呼ばれるようになる。現在の西新宿から中野にかけてを開拓し、発展の基礎を作ったと人物と云える。

開拓された地は中野郷と呼ばれ、当社は当地一帯の鎮守を担った。

太田道灌による戦勝祈願・社殿造営

文明九年(1477)、太田道灌と豊島氏の間で「江古田・沼袋原の戦い」が勃発。
太田道灌は当社に戦勝祈願をして、杉数株を植えたと云う。

太田道灌(おおたどうかん)
武蔵守護代・扇谷上杉家の下で活躍した武将。
江戸城を築城した事で広く知られ、江戸城の城主であり、江戸周辺の領主でもあった。
武将としても学者としても一流と評されるが、道灌の絶大なる力を恐れた扇谷上杉家や山内家によって暗殺されてしまったため、悲劇の武将としても知られる。
江古田原・沼袋の戦い(えごたはら・ぬまぶくろのたたかい)
文明九年(1477)に太田道灌と豊島泰経との間で行われた合戦。
豊島氏は惨敗を喫し、当主の泰経は石神井城へ敗走し、弟の泰明は戦死、豊島氏は没落した。
この戦いによって道灌の力は絶大なものとなるが、これが主君に恐れられ、後に道灌は暗殺される事となる。

戦いに勝利し凱旋した道灌によって、社殿が造営。
以来、太田道灌やその子孫である太田氏によって篤く崇敬され「氷川大明神」と称された。
中野郷の人々からも崇敬を集めたと云う。

中野村の総鎮守・新編武蔵風土記稿に記された当社

江戸時代に入ると、江戸近隣の郷が村単位で整備。
中野郷も分割され、当社は中野村の総鎮守として崇敬を集めた。

中野郷は11村に分割
中野村・本郷村・雑色村・江古田村・片山村・上高田村・新井村・上沼袋村・下沼袋村・上鷺宮村・下鷺宮村の11村に分割された。

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(中野村)
氷川社
除地一町二段八歩。村の中央よりは東南の方によりてあり。本社は一間に八尺。本地十一面観音の立像長一尺七寸五分なるを安ず。前立に素盞嗚尊・稲田姫・大己貴命の木像三軀を安す。各長一尺七寸二分。拝殿三間半に三間。鳥居二基あり。一基は木にて一基は石なり。左右に松檜並びたてり。鎮座の年代詳ならず。正五九月廿七日神酒を供す。村内宝仙寺の持。

中野村の「氷川社」と記されているのが当社。
この当時は創建年代は不詳で、別当寺は「宝仙寺」が担った事が記してある。

本地仏として十一面観音像を安置し、前立には現在の御祭神である須佐之男命・稲田姫命・大己貴命の木像を安置していた事が分かり、神仏習合の中で地域からの崇敬を集めた。

本地仏(ほんじぶつ)
日本の八百万の神々は、様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるという「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」の考えの中で、神の正体とされる仏を本地仏と呼んだ。

社殿の規模や鳥居が2基あった事などから、村の鎮守として中々の規模だった事が窺える。

明治以降の当社の歩み・戦後の社殿造営

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治十年(1877)、拝殿を改築。
明治十五年(1882)、本殿を改築。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行により、中野村・本郷村・雑色村が合併し、中野村が成立。
当社は中野村(後に中野町)の総鎮守とされた。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、当時も現在も鎮座地は変わらない。
中野町とあり、当地一帯の鎮守が当社であった。
「寶仙寺」とあるのが当社の旧別当寺。

まだ当時は山手通りは整備されておらず、周辺はのどかな農村だった。

明治四十四年(1911)、村内の三柱神社と荒沢神社を合祀。

当時の政府が推し進めた合祀政策による影響。

昭和四十四年(1969)、現在の社殿を造営。
明治百年を記念して造営された。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

南の表参道・鍋屋勘右衛門の寄進の三之鳥居

最寄駅の東中野駅からは徒歩5分ほどの距離。
山手通りを南下すると山手通り沿いに鳥居があるので分かりやすいが、表参道は山手通り沿いではなく南向きで、住宅街の一画に社号碑と一之鳥居。
社号碑の「氷川神社」の文字は元陸軍大将・本庄繁の書。
大正七年(1918)建立の一之鳥居。
一之鳥居を潜ると住宅街の中の参道。
大きな石燈籠や常夜灯があり、その先に二之鳥居。
二之鳥居の先に石段があり、その上に三之鳥居。

三之鳥居は幕末のものが現存。
文久二年(1862)に奉納されたもので、区の登録有形文化財。
奉納した人物は鍋屋横丁の由来となった鍋屋勘右衛門と云う商人。

鍋屋横丁(なべやよこちょう)
中野区の本町・中央を南北に走る横丁(商店街)。
渋谷の恋文横丁、品川の青物横丁とならび東京の三大横丁の1つとも称される。
由来となった鍋屋は、草餅などを出す茶屋として江戸時代に繁盛。
その主人が鍋屋勘右衛門であった。

古い台座と新しい狛犬・文化財の供養塔

三之鳥居の先に一対の狛犬。
古い台座に新しい狛犬が乗る形。
台座には安政四年(1857)の銘が残る。
但し、上に乗る狛犬は大変新しい。
当時の狛犬は破損したため、平成十九年(2007)に奉納された新しい狛犬が乗せられている。
彫りが個性的で現代的なデフォルメされた狛犬。

狛犬の奥にある一対の石灯籠も万延元年(1860)奉納と古い。

この狛犬の右手に手水舎。
吐水口も個性的なデザイン。
狛犬と同様の石工と思われるが、なんとも云えぬ表情の龍となっている。

この手水舎の右手一画に古い供養塔。
敷石供養碑が区の登録有形文化財で、石橋供養碑が区の指定有形文化財。

敷石供養碑は安政六年(1859)に「慈眼寺」の覚順が敷石を補修したときのもの。石橋供養碑はかつて南を流れていた桃園川(現在は全面暗渠)に氏子たちが石橋を架けた際に安産祈願したもの。

山手通り沿いの西参道・戦前の狛犬

一方で山手通り沿いにも西参道。
西参道にも鳥居と社号碑。
参道を進むと二之鳥居。
二之鳥居を潜ると表参道と合流する。

二之鳥居の先に一対の狛犬。
昭和十六年(1941)奉納。
やや細身でスマートな体躯が特徴的。

戦後に造営された朱色の社殿

表参道の正面に社殿。
昭和四十四年(1969)に造営された社殿。
旧社殿は明治のものであったが、明治百年を記念して現在の社殿を造営。
鉄筋コンクリート造で朱色が特徴的。
状態もよくとても立派な社殿。
拝殿に掲げられた扁額の「氷川神社」は勝海舟の書。
本殿も同様に鉄筋コンクリート造。

拝殿前に一対の狛犬。
昭和五十年(1975)奉納。
多く見られる岡崎現代型。

境内社・力石・庚申塔など中野の歴史を伝える境内

三之鳥居を潜った左手に境内社。
塩竃神社と稲荷神社。
御嶽神社。
北野神社。

この一画に庚申塔。
寛文九年(1669)のもので中野区最古の庚申塔として区の登録有形文化財に指定。
三猿が施されている。

庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰に基づいて建てられた石塔。
60日に1度巡ってくる庚申の日に眠ると、人の体内にいると考えられていた三尸(さんし)と云う虫が、体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ寿命を縮めると言い伝えられていた事から、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われ、集まって行ったものを庚申講(こうしんこう)と呼んだ。
庚申講を3年18回続けた記念に庚申塔が建立されることが多いが、中でも100塔を目指し建てられたものを百庚申と呼ぶ。
仏教では庚申の本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)とされる事から青面金剛を彫ったもの、申は干支で猿に例えられるから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を彫ったものが多い。

表参道の左手に力石。ベンチ裏にあるので目立たないが、当地の村民が力比べに使ったもの。

表参道の石段の左手に、機雷と石碑。
陸軍大臣・寺内正毅から、日露戦争の戦利品として下附された廃兵器。
元海軍大将・井出謙治の筆による忠孝の碑。

西参道側には古い石灯籠が並ぶ。
宝暦十一年(1760)に奉納された大きな石灯籠。

その近くに狸像。
地域の方に愛されているおたぬき様。

御朱印は印刷のみ・初穂料は50円

御朱印は社務所にて。
現在の御朱印は別紙のみの用意となっている。

文字は印刷となっているが、朱印部分は押印されたもの。
日付は自分で記入式。

初穂料は50円。

所感

旧中野村の総鎮守として崇敬を集めた当社。
大通り沿いにありながらも広い境内を有し、静けさを感じる境内。
社殿裏手の氷川公園も古くは当社の社地であり、合わせて鎮守の杜を形成している。
地域の方からの崇敬も篤く、日頃から参拝に訪れる方が多い。
例大祭も区内最大級の規模のお祭りとして盛り上がるのも、当社が地域の鎮守として親しまれているからこそ。
境内には古いものも多数残り、中野周辺の歴史を伝える良い神社である。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]




[ 参道 ]


[ 二之鳥居 ]

[ 三之鳥居 ]



[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]


[ 供養塔 ]

[ 西参道一之鳥居 ]


[ 西参道 ]


[ 西参道二之鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 参道 ]


[ 拝殿 ]









[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 石碑 ]



[ 神楽殿 ]

[ 塩竃神社 ]

[ 稲荷神社 ]

[ 北野神社 ]

[ 御嶽神社 ]

[ 庚申塔 ]



[ 神輿庫 ]


[ 石碑 ]

[ 機雷 ]

[ 石碑 ]

[ 境内風景 ]


[ 力石 ]


[ 石灯籠 ]


[ 狸像 ]

[ 御籤掛 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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