本郷氷川神社 / 東京都中野区

中野区

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概要

旧本郷村鎮守・太田道灌創建の氷川さま

東京都中野区本町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧本郷村鎮守。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別から「本郷氷川神社」とさせて頂く。
江戸城を築城した太田道灌による創建の伝承を有する神社。
境内には江戸時代奉納の授乳中の姿をした狛犬がいて子授り・安産・子育ての御神徳としても知られる。

神社情報

本郷氷川神社(ほんごうひかわじんじゃ)

御祭神:素盞嗚尊
社格等:村社
例大祭:9月第1日曜
所在地:東京都中野区本町4-10-3
最寄駅:中野新橋駅・新中野駅
公式サイト:https://hongo-hikawa.jp/

御由緒

当社は人皇百三代後土御門天皇の文明元年(1469年)に太田道灌が江戸城を工築するにあたりその鎮護の為、武蔵一宮氷川神社より勧請し当地に奉斎された事に起因します。太田家の神徳を仰ぎ慕う心は強く、毎年の例祭には幣帛の寄進がありました。文明九年(1477年)四月十三日、道灌が石神井、練馬両城を攻略するに際し、戦勝祈願として自ら社頭に杉一株を献植しました。その杉は繁茂し神社の象徴となりましたが残念な事に落雷の為、枯死してしまいます。
道灌の凱陣後、戦勝を祝い社殿の修復が施され長きに渡り本郷村の鎮守として崇敬を受けてきましたが、昭和二十年(1945年)五月、戦火を被り社殿並びに建造物は全て焼失してしまいました。その後しばらくは荒れ地と化したものの、氏子の皆様の復興への熱意と努力により昭和三十年(1955年)九月に本殿、昭和三十三年(1958年)九月に神楽殿及び社務所が再築され今日に至っています。また令和五年(2023年)には社殿屋根の銅板張り替え及び修繕工事が執り行われました。一年のうち最も重要な祭祀である本郷氷川神社例大祭は毎年九月の第一日曜日に斎行されています。公式サイトより)

歴史考察

室町時代に太田道灌によって創建

社伝によると、文明元年(1469)に創建したと云う。
太田道灌が江戸城を築城する際、江戸城鎮護のため「武蔵一宮氷川神社」(埼玉県さいたま市大宮区)より勧請したと伝わる。

太田道灌(おおたどうかん)
武蔵守護代・扇谷上杉家の下で活躍した武将。
江戸城を築城した事で広く知られ、江戸城の城主であり、江戸周辺の領主でもあった。
武将としても学者としても一流と評されるが、道灌の絶大なる力を恐れた扇谷上杉家や山内家によって暗殺されてしまったため、悲劇の武将としても知られる。
氷川信仰(ひかわしんこう)
武蔵国一之宮とされる「武蔵一宮氷川神社」(埼玉県さいたま市大宮区)を総本社とし、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神とする信仰。
その数200社以上と言われているが、全国的に見ると東京・埼玉といった旧武蔵国以外ではほぼ見ることができない信仰なのが特徴。
様々な側面を持つが、開拓の神(出雲族が開拓したため出雲の神・素盞鳴尊が祀られている)として信仰を集める事が多かった。
武蔵一宮氷川神社 / 埼玉県さいたま市
武蔵国一之宮。氷川神社総本社。氷川の由来・大宮の地名由来。埼玉や東京に点在する氷川信仰。見沼の水神を祀る太古の信仰。出雲族の移住と出雲の神。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築・楼門や社殿。限定御朱印。御朱印帳。

道灌は当社が鎮座する本郷村、更に隣接する雑色村に氷川神社を2社創建。
本郷村に祀られたのが当社で、雑色村に祀られたのが「神明氷川神社」。

神明氷川神社 / 東京都中野区
太田道灌創建の氷川さま。旧雑色村(弥生町・南台)鎮守の1社・雑色の地名由来。氷川神明合社。弥生町に鎮座・緑溢れる鎮守の杜。戦後に再建された東向き社殿。和合の御神徳・磐座形式の三光鱗神社。津島神社など境内社。社紋や干支を記した見開きの御朱印。
2社を「二簸川社」と総称したと云う。

道灌による篤い崇敬・奉納された杉の木

文明九年(1477)、太田道灌と豊島泰経の間で「江古田・沼袋原の戦い」が勃発。

江古田・沼袋原の戦い(えこだぬまぶくろのたたかい)
通称「江古田原合戦」。
江戸城主・太田道灌と石神井城主・豊島泰経の戦い。
この戦いの結果、勝利した道観は絶大な名声を高めた一方で、敗れた豊島は没落していく事となる。

道観は石神井城・練馬城を攻略する際、当社に戦勝祈願。
自ら社頭に杉一株を献植したと伝わる。

凱旋後、道観は当社の社殿を修復。
その後も当社の例祭になると太田氏より幣帛の寄進があったと云う。

太田道灌手植えの杉は当社の象徴となる。しかしその杉は大正三年(1914)に落雷のため枯死している。

中野郷で最初に開拓された本郷村

当社が鎮座していた地は、かつては本郷村(ほんごうむら)と呼ばれた地であった。

現在の中野区本町1-5丁目あたり。現在は本郷の名を残す地は殆どない。

中野郷最初の開拓地といわれる。

本郷(ほんごう)の地名由来
一般的に本郷と云う名が付く各地のち名は郷で最初に開拓された土地を意味する。
本郷=本村の意味。
すなわち中野郷と呼ばれた一帯で最初に開拓された地域。
なかの物語 其の三 いつから中野と呼ばれたのか?

当社はその本郷村の鎮守とされた。

新編武蔵風土記稿に記された氷川社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(本郷村)
氷川社
除地。八百二十坪。村の北の方にあり。村の鎮守なり。二尺四面の石を神体とす。拝殿二間に三間。鳥居をたつ。例祭九月十五日。福寿院持。

本郷村の「氷川社」と記されているのが当社。
「村の鎮守なり」とあるように本郷村の鎮守であった。

別当寺は「福寿院」が担った。

福寿院(ふくじゅいん)
中野区本町にある真言宗豊山派の寺院。
「南光山医王寺」と号し元応元年(1319)に創建。

明治以降の歩み・戦災と戦後の再建

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制によって中野村・本郷村・雑色村が合併し、中野村が成立。
当地は中野村本郷となり当社は一帯の鎮守を担った。

明治二十六年(1893)、社殿を改築。

明治三十年(1897)、町制施行して中野町となる。

現在の中野区は明治以降の中野町と野方町の区域が昭和七年(1932)に合併して成立。

明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
緑円で囲った箇所は旧別当寺の「福寿院」。
中野町と本郷の地名も見ることができる。

大正三年(1914)、太田道灌手植えの杉が落雷のため枯死。

昭和二十年(1945)、東京大空襲により社殿を焼失。
社殿の他、多くの建築物を焼失している。

昭和三十年(1955)、社殿を再建。
昭和三十三年(1958)、神楽殿や社務所も再建。

昭和四十二年(1967)、住居表示が実施され旧本郷は本町となる。

令和五年(2023)、社殿屋根の銅板張替え・修繕工事が行われる。
その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

中野新橋駅近くの高台に鎮座

最寄り駅は中野新橋駅で北側の高台に鎮座。
現在は住宅街の一画であるがかつては神田川を見下ろす立地であったと云う。
昭和三十九年(1964)奉納の社号碑。
東京五輪(1964年)を記念して奉納されたもの。

鳥居左横にあるのは桜の木。
参拝時は既に葉桜であったが桜の季節になると綺麗だと云う。

参道の左手に手水舎。
身を清めることができる。

江戸時代奉納・授乳中の珍しい狛犬・子授りや子育ての御神徳

参道途中に一対の狛犬。
天保四年(1833)奉納と古い狛犬。
この狛犬の造形が特徴的。

右の阿形の子持ち狛犬。
子を抱きかかえるようにして授乳中の姿。
乳を与える狛犬は幾つかあるが、ここまではっきりとその姿を造形しているのは大変珍しい。
そのため子授り・安産・子育ての御神徳があるとされ信仰を集める。

左も吽形ではなく阿形。
こちらも子持ちで頭を撫でているかのよう。

戦後に再建された社殿

参道の正面に社殿。
旧社殿は昭和二十年(1945)の東京大空襲で焼失。
現在の社殿は昭和三十年(1955)に再建されたもの。
その後も改修されつつ現存。
令和五年(2023)には社殿屋根の銅板張替え・修繕工事が行われた。
石垣の上に鎮座する本殿。

稲荷神社や御嶽神社などの境内社

境内の左手には境内社が並ぶ。
左にある2社は稲荷神社。
雰囲気のある神狐像。
大小の神狐像が多数置かれている。
歴史と進行を伝える一画。
その右手には日本武尊を御祭神とした御嶽神社。

社殿裏手には石碑。
明治に行われた本郷道の改修を記念した石碑。

撮影を失念してしまったが境内隅に古い庚申塔が並んでいる。

鼠小僧奉納と噂される旧鳥居

鳥居を潜って右手には旧鳥居の柱。
文政五年(1822)奉納の銘が残り「文政五年壬午五月吉日 京橋 願主 治郎吉」の文字。
この治郎吉は義賊として有名な鼠小僧ではないかと云われいる。

鼠小僧(ねずみこぞう)
本名は次郎吉(じろきち)。
大名屋敷のみを狙って盗みに入った事から後世に義賊として伝説化された人物。
元吉原(現・日本橋人形町)に生まれ、日本橋・京橋を中心に盗人家業を行った。
文政八年(1825)に捕縛され入墨の上で江戸を追放、その後密かに江戸に戻り再び盗人家業を始めた。
天保三年(1832)に再び捕縛され、市中引き回しの上での獄門に処された。
牢屋敷のある伝馬町から日本橋・京橋のあたりまで鼠小僧を一目見ようと人々が大挙したと云う。

この旧鳥居が奉納された文政五年(1822)は鼠小僧が生存している期間。
京橋の治郎吉と云うワードから義賊・鼠小僧ではないかと噂されている。

鼠小僧が盗人家業を始めたのは文政六年(1823)以降と云われているため、仮に鼠小僧による奉納であるならば盗人家業を始める前だと思われる。

2ヶ月毎に変わる季節の御朱印

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して下さった

現在は2ヶ月毎に変わる季節の御朱印を授与。
こちらは桜の御朱印で中央に「本郷氷川神社」の朱印、左下に「宮司之印」の朱印。
基本的に書き置きでの授与になるが対応できる時間帯なら御朱印帳へ直接頂ける。

御朱印帳への直書き予定は公式X(Twitter)にて。
x.com
以前頂いた御朱印
こちらは2015年10月参拝時に頂いた御朱印。
朱印自体は現在と同じもの。

所感

旧本郷村鎮守として崇敬を集めた当社。
太田道灌によって「氷川神社」として創建、道観からの崇敬が篤かったと云う。
現在は地域の氏神神社といった昔懐かしい雰囲気の残る神社。
境内で特徴的なのはやはり授乳中の狛犬。
授乳中の子持ち狛犬は他でも見ることができるが、ここまではっきりとその姿を造形しているのはとても珍しく、この狛犬だけでも一見の価値あり。
また境内に置かれた旧鳥居の柱は鼠小僧による奉納の噂があったりとロマンが残る。
本郷村の歴史と信仰を伝える良い神社である。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:300円(書き置き)・500円(直書き)
社務所にて。

※以前は初穂料300円だったが現在は500円(直書き)に変更。

最新の御朱印情報
11月1日-12月31日まで「季節の御朱印 もみじ」
※基本は書き置き。タイミング次第では直書きも可。詳細は公式サイトにて。直書き予定は公式X(Twitter)にて。

参拝情報

参拝日:2024/04/23(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/10/26(御朱印拝受)

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