南沢氷川神社 / 東京都東久留米市

東久留米市

概要

東久留米総鎮守の氷川神社

東京都東久留米市南沢に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧南沢村の鎮守で、現在は東久留米総鎮守。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別のため「南沢氷川神社」とさせて頂く。
南沢緑地保全地域の湧水地に鎮座し、湧水守護神として創建されたと伝わる。
一帯は「落合川と南沢湧水群」として平成の名水百選に選定。
緑と湧水の里の鎮守として崇敬を集めている。

神社情報

南沢氷川神社(みなみさわひかわじんじゃ)

御祭神:素戔鳴命・櫛稲田姫命・大己貴命
社格等:村社
例大祭:4月8日(春季大祭)・10月15日(秋季大祭)
所在地:東京都東久留米市南沢3-5-8
最寄駅:東久留米駅
公式サイト:http://www.hikawa-jinja.jp/

御由緒

 当社は東久留米市中央部に位置し、黒目川の支流である落合川上流「南沢緑地保全地域」の湧水地に鎮座し、境内の前後を川に囲まれた高台に位置しています。古来より湧水守護神として奉斎され、出雲「斐伊川」の故事にならい、氷川神社を創立したものと伝えられています。
 近くから土器、やじり等多く出土し、古くから人が住み、また崇拝対象の場所としていたと思われます。建立年月日は定かではありませんが、当地に伝わる伝承に在原業平の古伝があります。現存する古文書には業平が東下りの折りに当地南沢に宿を求め、社前に立ち寄る旨記述されております。
 当社社宝である上棟札によれば、承応三年(1654年)甲午二月十五日、徳川家重臣 久世大和守、地頭神谷与七郎、蜂屋半之丞等の助力を得て、南沢村、田無村、入間村、下新井村の総氏子中によって再建がなされたことが記されております。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2020/09/28

御朱印

初穂料:300円より志納
社務所にて。

受付時間:9時-12時/13時-14時半
※平日は不定期で休みや不在の場合あり。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

御朱印帳を用意。
赤・黒・紺の3色。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:300円
社務所にて。

歴史考察

南沢湧水群の湧水守護神として創建

社伝によると、創建年代は不詳。
南沢湧水群の湧水守護神として祀られたと伝えられている。

南沢湧水群(みなみさわわきみずぐん)
東久留米市南沢に湧く湧水群。
黒目川の支流である落合川上流に位置する。
湧水量は1日約1万トンで、多摩地区最大の水量とされる。
「南沢緑地」として東京の名湧水57選に選定されている他、「落合川と南沢湧水群」として東京都で唯一の平成の名水百選にも選定。

湧水を出雲国(島根県)の斐伊川の故事に倣い「氷川神社」を創建したと云う。

東久留米市からは縄文時代の遺跡が多く出土していて、付近からも土器・やじり等多く出土している事から、古くから聖地とされていた地に、後の村人が神社を創建したと思われる。
氷川信仰(ひかわしんこう)
武蔵一宮氷川神社」(埼玉県さいたま市大宮区)を総本社とし、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を御祭神とする信仰。
その数200社以上と言われているが、全国的に見ると東京・埼玉といった旧武蔵国以外ではほぼ見ることができない信仰となっている。
様々な側面を持つが、開拓の神(出雲族が開拓したため出雲の神・素盞鳴尊が祀られている)として信仰を集める事が多かった。
武蔵一宮氷川神社 / 埼玉県さいたま市
武蔵国一之宮。氷川神社総本社。氷川の由来・大宮の地名由来。埼玉や東京に点在する氷川信仰。見沼の水神を祀る太古の信仰。出雲族の移住と出雲の神。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築・楼門や社殿。限定御朱印。御朱印帳。

湧水守護神「氷川神社」として信仰を集めた。

在原業平が立ち寄った伝承

当地の伝承には在原業平の古伝が伝わる。
業平が東下りの際に当地(南沢)に宿を求め、当社の社前に立ち寄ったと云う。

「現存する古文書に記されている」と御由緒にある。
在原業平(ありわらのなりひら)
平安時代の貴族・歌人。
第51代天皇・平城天皇の孫。
「六歌仙」「三十六歌仙」の1人に挙げられる平安時代の代表的な歌人。
平安時代に成立した『伊勢物語』は、古くから主人公のいわゆる「昔男」と同一視され、業平が主人公の物語であるとされてきた。

業平が主人公とされる『伊勢物語』には東国へ流離する「東下り」の章段がある。

そのため真偽は定かではないものの、東京を始め東国とされた各地には業平の伝承が残る地が幾つか見られる。

古伝通りであるのならば平安時代以前の古社であったのだろう。

徳川家の重臣や地頭・周辺村の総氏子中によって再建

承応三年(1654)、社殿を再建。
徳川家重臣の久世大和守(久世広之)、地頭の神谷与七郎、蜂屋半之丞の助力を得て、南沢村・田無村・入間村・下新井村の総氏子中によって再建されたと云う。

久世広之(くぜひろゆき)
江戸時代前期の大名、下総国関宿藩主。
承応二年(1653)に四代将軍・徳川家綱の側衆となる。
その後出世を続け若年寄・老中にまで上りつめた。
寛文九年(1669)には下総関宿5万石を領し、下総国関宿藩主となる。
官位は従五位下・大和守。
これらは当社に社宝として残る上棟札に記載。東久留米市の有形文化財となっている。
東久留米市指定文化財一覧
東久留米市公式ホームページ

当社は南沢村の鎮守とされ崇敬を集めた。

再建にあたり南沢村だけでなく田無村・入間村・下新井村といった周辺村の総氏子中の尽力もあった事から地域一帯からの信仰が篤かったのであろう。

新編武蔵風土記稿に記された当社・南沢村の鎮守

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(南沢村)
太神宮氷川稲荷合社
除地。二段五畝。西の方にあり。上屋三間半に二間。中に一間四方の祠を置。南向。社内に長き石あり。是を神体とす。前に鳥居をたつ。村内の鎮守。例祭九月十五日。承応三年の棟札あり。裏に寄進蜂屋半之丞、神谷與七郎、久世大和守をよび、武州多摩郡南沢村田無村入間村下新井村総氏子中云々とあり。

南沢村の「太神宮氷川稲荷合社」と記されているのが当社。
「村内の鎮守」とあるように南沢村の鎮守であった。

記載されている社号から、当時は伊勢信仰の「太神宮」、氷川信仰の「氷川」、稲荷信仰の「稲荷」が合祀された合社であったと事が窺える。

「承応三年の棟札あり」とあり、これが現在も社宝として残る棟札。
長い石が置かれていてこれが御神体だったと云う。

「例祭9月15日」とあり、現在は10月15日に行われている。

江戸時代初期から「南沢獅子舞」と云う郷土芸能が奉納されていて現在は4年に1度行われる。「東久留米市指定無形民俗文化財 第1号」に指定。
無形民俗文化財
東久留米市公式ホームページ

明治以降の歩み・戦後の火災と再建・東久留米の由来

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

その後「神饌幣帛料指定神社」にも指定。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され南沢村・門前村・神山村・落合村・小山村・前沢村・下里村・柳窪村・柳窪新田・栗原新田の10ヶ村と、田無町の飛地を編入して久留米村が誕生。
当時は神奈川県北多摩郡に属していて、明治二十六年(1893)に東京府へ移管された。
当社は旧南沢村一帯の鎮守として崇敬を集めた。

東久留米(ひがしくるめ)の由来
諸説あるが市内を流れる黒目川(くろめがわ)が転じて「くるめ」になった説が有力。
当社が鎮座する南沢湧水群も黒目川の支流である落合川上流に位置する。
久留米村が後に久留米町となったが、東久留米となったのは戦後の昭和四十五年に東久留米市が成立する際、既に福岡県久留米市が存在したため混同を避けるために、東久留米駅の駅名から採用された。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
久留米村の村名や、南沢といった地名も見る事ができる。
大変のどかな農村だった事が窺える。

東久留米駅が開業したのは大正四年(1915)のこと。久留米村の東側にあると云う意味になるが、市になるにあたり慣れ親しまれた駅名から東久留米市が成立している。

昭和十二年(1934)、社殿の老朽化に伴い改築計画が立てられたが戦争によって中止。

戦後に入り境内整備が進む。

昭和二十五年(1950)、氏子の尽力もあり社殿を竣工。
昭和四十四年(1969)、火災によって社殿を焼失。
昭和四十六年(1971)、社殿を再建。
これが現在の社殿となっている。

当社が再建される前年の昭和四十五年(1970)に市制施行によって東久留米市が成立。当社は東久留米の総鎮守として再建された。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

平成の名水百選・南沢湧水群に鎮座

最寄駅の東久留米駅からは徒歩15分程の距離。
南沢湧水群と呼ばれる湧水地に鎮座。
社前は南沢緑地保全地域となっていて緑と湧水の里になっている。

南沢湧水群(みなみさわわきみずぐん)
東久留米市南沢に湧く湧水群で、黒目川の支流である落合川上流に位置する。
湧水量は1日約1万トン、多摩地区最大の水量とされる。
「南沢緑地」として東京の名湧水57選に選定されている他、「落合川と南沢湧水群」として東京都で唯一の平成の名水百選にも選定。
平成の名水百選
東久留米市公式ホームページ

南沢湧水群の一画に鳥居。
社号碑には「氷川神社」。
鳥居の扁額には「氷川大明神」と記されている。

鳥居を潜ると参道の途中に神橋。
参拝時は水が流れてはいなかったが湧水の守護神として祀られた当社らしい姿。
その先に石段。

石段を上った先に一対の狛犬。
昭和四十三年に奉納された狛犬。
岡崎現代型の子持ちと玉持ち。

石段を上って左手に手水舎
綺麗に整備され身を清める事ができる。

火災から再建された朱色の社殿

参道の正面に社殿。
朱色が特徴的な社殿。
戦後の昭和二十五年(1950)に旧社殿は竣工したものの、昭和四十四年(1969)の火災で焼失。
現在の社殿は昭和四十六年(1971)に鉄筋コンクリート造にて再建を果たした。
塗装の状態もよく綺麗に維持管理。
本殿も同様に良い状態。

境内社の八雲神社・大神宮社・稲荷神社

境内社は社殿の左右に並ぶ。
社殿の左手に八雲神社。
中には太鼓や社殿があり、かつては牛頭天王を祀った八坂信仰の境内社。

その奥に大神宮社。
『新編武蔵風土記』では当社は「太神宮氷川稲荷合社」と記してあり、そのうちの「太神宮」がこちらにあたると思われ、本社の社殿が再建する際にはこの社殿が仮殿として使用されたと云う。

社殿の右手には稲荷神社が2社。
「太神宮氷川稲荷合社」のうちの稲荷神社がこちらであったのだろう。

湧水の里の南沢氷川神社の御朱印

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

御朱印は「氷川神社」の朱印。
墨書きで「湧水の里 東久留米 南沢」の文字、「平成の名水百選 落合川と南沢湧水群」の印も押印。

左はイベント期間中に頂けた2020年のTAMA☆ろくと巡礼物語!の御朱印。
2022年は10月1日-11月30日に開催。
TAMA☆ろくと巡礼物語!
2020年9月20日-11月29日に開催。
北多摩5市内25カ所の観光施設・文化施設・寺社などのスポットを巡るスタンプラリー。
スタンプを集めた参加者にはオリジナルグッズを進呈。
各市に1箇所ずつ等身大パネルが設置されパネルのQRコードを読み込むと人気声優5人のオリジナルボイスを聞くことができる。(画像のパネルは上は当社、下は田無神社
5市の対象神社(田無神社小平神明宮日枝神社水天宮・南沢氷川神社・東村山八坂神社)ではオリジナルの御朱印紙を用意。
筆者は2020年9月28日に全て巡拝したが、神社によって初穂料や御朱印を頂ける日が違うので注意が必要。
TAMAろくと「巡礼物語」北多摩TOKYOアニメスタンプラリー
オリジナルアニメスタンプを集めて景品をGETしよう!

所感

旧南沢村の鎮守として崇敬を集めた当社。
現在は東久留米の総鎮守として信仰を集めている。
縄文時代の遺跡などが出土し、古くから人の定住のあった地の聖地に、豊富な湧水で「平成の名水百選」にも選定された南沢湧水群の守護神として創建された当社は、古くから生活の必需品であった水の神として大切にされた事が窺える。
東久留米は比較的のどかな光景が残り、当社付近の南沢緑地保全地域は散策するのも楽しいエリア。
そうした南沢一帯の歴史と環境を残した良い神社である。

Google Maps

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