移動全面解禁。今後も対策をした上で参拝していきましょう。依然として各神社も御朱印対応が変更の可能性有。

田無神社 / 東京都西東京市

5.0
西東京市

神社情報

田無神社(たなしじんじゃ)

御祭神:尉殿大権現(級津彦命・級戸辺命)・大国主命
相殿神:須佐之男命・猿田彦命・八街比古命・八街比売命・日本武尊・大鳥大神・応神天皇・八百万の神々
社格等:村社
例大祭:10月第2土・日曜
所在地:東京都西東京市田無町3-7-4
最寄駅:田無駅
公式サイト:http://tanashijinja.or.jp/

御由緒

尉殿大権現
田無神社 由緒記
 田無神社の創立は遠く不詳です。本宮はすでに正応年間(鎌倉期、十三世紀)に谷戸の宮山に鎮座し、尉殿大権現(尉殿権現社)と呼ばれていました。時代は下り、徳川家康が江戸幕府を開くにおよび、当神社は元和八年(1622年)に上保谷に分祀し(尉殿神社)、さらに寛文十年(1670年)に現在の地に遷座したのです。当神社は明治五年(1872年)に田無神社と改称し、現在に至っております。
 御祭神の尉殿大権現(級津彦命、級戸辺命)はすべての命の源である水と、よろずの災いを祓う風を司る豊穣と除災の守護神でその御姿は金龍神として顕現いたします。金龍神は境内の東西南北にお祀りされている青龍神、白龍神、赤龍神、黒龍神の中心となり、五龍神として、その御神威をいや高めに高め、あらゆる災難、悪しき方位の障りを祓い除けて下さいます。
 田無神社には大国主命も主祭神としてお祀りされております。大国主命は、厄除、商売繁盛、学業成就、病気平癒、縁結び、国土開発の神様で、世に福の神と呼ばれ、その御神徳の高さ、ご慈愛の深さは計り知れません。
 また田無神社本殿には、須佐之男命(厄除、病気平癒、子育ての神)、猿田彦命、八街比古命、八街比売命(交通安全の神様)、日本武尊命、大鳥大神(開運、商売繁昌の神様)、応神天皇(外国文化を導く神様)さらに御神徳の高いすべての神様をお祀りしてあります。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/12/20

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※季節や祭事などに応じて限定御朱印あり。

最新の御朱印情報
1月1日-12月31日まで「御遷座350年特別御朱印」
7月は「夏詣書体御朱印」
7月1日・15日は「月参り書体御朱印」
6月-8月は「夏限定御朱印」
通年で「春夏秋冬」「五龍神」
※新型コロナウイルスのため社務所が閉所になる場合もあり。

[2019/12/20拝受]
(五龍神)

[2019/12/20拝受]
(通常)

御朱印帳

初穂料:1,600円(緋袴仕様/浅葱仕様/紫袴仕様)・2,000円(着せ替え千早柄仕様/御朱印代込)
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
神職や巫女の衣装をデザインした個性的で人気の高い御朱印帳。
緋袴仕様、浅葱仕様、紫袴仕様の3種類。
御朱印透明カバー、挟み紙、栞が付属。
特別バージョンの「着せ替え千早柄仕様」もあり。

最新の御朱印帳情報
1月6日から「御遷座350年記念紋付紫袴仕様」「御遷座350年記念狩衣仕様」を授与。
※画像は授与所の展示品。

[ 表面 ]

[ 裏面 ]

[ 着せ替え千早柄仕様 ]

[ 付属品の栞と挟み紙 ]

[ 授与所掲示 ]

授与品・頒布品

一楽萬開札(一番札)
初穂料:1,000円
授与所にて。

※新嘗祭(11月23日)から節分祭(2月3日)に受けるが吉とされる。

交通安全ステッカー
初穂料:400円
授与所にて。

五龍神御神籤
初穂料:各300円
おみくじ処にて。

※令和2年1月より光沢仕様を開始予定。

歴史考察

五行思想に基づき五龍神を祀る田無神社

東京都西東京市田無町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、田無周辺の鎮守。
古くは「尉殿大権現」と称された龍神を祀る神社であった。
現在は五行思想に基づき本殿に金龍神、境内各所に黒龍神・白龍神・赤龍神・青龍神を配祀し、五龍神として信仰を集めている。
近年はありとあらゆる御利益を授かるパワースポットとして紹介される事も多い。
本殿や拝殿は東京都の有形文化財に指定されている他、大横綱・大鵬が寄進した土俵などがある事でも知られている。

鎌倉時代に谷戸の宮山に祀られた尉殿大権現

社伝によると、正応年間(1288年-1293年)に創建と伝わる。
「谷戸の宮山」に鎮座し「尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)」と称された。

「谷戸の宮山」は当社の北側、現在の田無第二中学校(西東京市北原町2)付近。
尉殿大権現(じょうどのだいごんげん)
級津彦命(しなつひこのみこと)・級戸辺命(しなとべのみこと)の二柱の総称。
男女一対の神とされ、風の神として信仰を集める。
元寇の際に神風を吹かせた神とも云われ、日本の国土を守ったとされ、「伊勢神宮」では、「内宮」別宮に「風日祈宮」、「外宮」別宮に「風宮」として祀られる。
但し、古来の尉殿大権現は水を司る水神であったと云う。
関東圏には水や井戸などの神様として「ずーどの」「じゅーどの」と呼ばれる神を祀る信仰があり、それらが転じて「尉殿」になったと見られる。
創建した谷戸の地は水が豊富であったと云う事からも、水の神として祀られていたと思われる。

水と風を司る神である事から「尉殿大権現」=「龍神」を祀る神社とされた。
古くは水が豊かな谷戸に人の定住があったため、それらの鎮守として信仰されたと見られる。

青梅街道の整備で田無宿が形成

江戸時代に入ると、江戸幕府によって五街道が整備される。

五街道とは、東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道の5つ。

慶長八年(1603)、幕府の命で大久保長安の指揮によって青梅街道が整備。

青梅街道(おうめかいどう)
江戸から甲斐国(山梨県)へ繋がる街道。
江戸城築城のために、青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として整備された街道。
五街道の1つ甲州街道から分かれ再び合流する事から「甲州裏街道」とも呼ばれた。

青梅街道が整備された事で、田無には田無宿と云う宿場が成立。

田無宿(たなしじゅく)
幕府の要請で谷戸地域から移住した人々によって成立した青梅街道の宿場。
成立当初の住民は、水が豊かだった谷戸まで毎日水を汲みに行く必要があり、大変不便だったと云う。
元禄九年(1696)になってようやく玉川上水から田無用水が分水され、その後は多くの人が集まり賑わった宿場であった。

こうした青梅街道の整備と、谷戸地域から移住した人々による田無宿の成立によって、谷戸の鎮守であった「尉殿大権現」が分祀されていく事となる。

上保谷と田無へ分祀・本宮が田無へと遷される

元和八年(1622)、谷戸の宮山に鎮座していた尉殿大権現が上保谷に分祀。

上保谷の尉殿権現
現在の「尉殿神社」(西東京市住吉町1)にあたる。
上保谷村の総鎮守として崇敬を集めた。
尉殿大権現のうち女神である級戸辺命(しなとべのみこと)を祀ったと伝わる。

正保三年(1646)、谷戸の宮山に鎮座していた尉殿大権現が田無に分祀。
または上保谷の尉殿権現から分祀されたとも云う。

田無の尉殿権現
現在の「田無神社」、すなわち当社にあたる。
田無村の総鎮守として崇敬を集めた。
尉殿大権現のうち男神である級津彦命(しなつひこのみこと)を祀ったと伝わる。(二柱共に祀ったともされる)

いずれにせよ青梅街道の整備、田無宿の成立、谷戸地域の人々の移住など、地域が分村していくにつれ、一帯の総鎮守であった尉殿大権現が、各村の鎮守として分祀されたものと見られる。

上保谷と田無の尉殿権現は夫婦神とされたとも伝わっている。

寛文十年(1670)、谷戸の宮山に残っていた尉殿大権現の本宮が田無に遷された。
すなわち分祀された田無の地(現在地)に本宮が遷り、当社が本宮となったと云える。

令和二年は御遷座350年の節目
寛文十年(1670)に本宮が遷座したと云う伝承から、令和二年(2020)は御遷座350年となる。
同年、10月11日には田無神社御遷座350年大祭が斎行される。
田無神社 | 御遷座三五〇年大祭
田無神社 御遷座三五〇年大祭の特設ページはこちら

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(田無村)
尉殿権現社
除地五畝三歩。小名宿あり。小社にて上屋設ふく。二間四方南向。拝殿二間に三間。神体久利迦羅不動、木像にて長一尺二寸。前に鳥居をたつ。村内の鎮守。西光寺の持。当社古は今の地より十町許北の方にありしが元禄の比此地へ移せしと。今に古宮とて社地の跡その所にあり。

田無村の「尉殿権現社」と記されているのが当社。
「村内の鎮守」とあるように田無村の鎮守であった。

「当社古は今の地より十町許北の方にありしが元禄の比此地へ移せし」とあるように、古くは北の宮山にあったものが遷された旨が記されている。
また古宮として跡地があったと云う。

当社では御遷座を寛文十年(1670)としているが、『新編武蔵風土記稿』では元禄年間(1688年-1704年)の事と記してある。

御神体は倶利伽羅不動明王像(龍神)で神仏習合の元で信仰を集めた。

現在も近くにある「西光寺(現・総持寺)」が別当寺であった。
総持寺(そうじじ)
元和年間(1615年-1624年)に谷戸の地で「西光寺」として創建。
慶安年間(1648年-1651年)に現在地へ移転、当社の別当寺を担った。
明治の神仏分離後、明治八年(1875)に近隣の「西光寺」「密蔵院」「観音寺」の3寺が合併し「総持寺」と改称。
田無山総持寺 西東京市Web

安政五年(1858)、本殿を造営。
この本殿が覆殿の中に現存している。

明治以降の歩み・田無神社への改称

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治五年(1872)、熊野神社・八幡神社を合祀。
「尉殿大権現」「尉殿権現社」と称された当社は「田無神社」へ社号を変更。

その際、主祭神・大国主命、更に須佐之男命・猿田彦命・八街比古命・八街比売命・日本武尊・大鳥大神・応神天皇・八百万の神々も祀ったと云う。

明治八年(1875)、拝殿を造営。
この拝殿も改修されつつ現存。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され田無町が成立。
当社は田無町の鎮守として崇敬を集めた。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
すぐ近くにある「総持寺」が旧別当寺「西光寺」である。
青梅街道沿いが発展していて宿場としての名残を見る事ができる。

陸運が発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、昭和二年(1927)になってようやく西武鉄道の田無駅が開業する事となった。

昭和十年(1935)、参集殿を建造。
この参集殿も現存していて、近代和風建築として国の登録文化財に指定。

戦後に入り境内整備が進む。

昭和四十二年(1967)、市制施行で田無町は田無市となる。

明治以降は複数の村が合併して村や町を形成する場合が多かったが、田無は江戸時代の田無村がほぼそのまま田無市域となった。

平成十三年(2001)、保谷市と合併して、現在の西東京市が成立。
当社は江戸時代から田無一帯の鎮守として崇敬を集めている。

平成二十三年(2011)、東日本大震災によって一部の鳥居が倒壊、社殿の損壊など被害を受ける。
平成二十五年(2013)、東日本大震災によって受けた被害が復興。

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

青梅街道沿いに鎮座・龍神の道・開かれた神社

最寄駅の田無駅から北東へ徒歩数分の距離。
青梅街道沿いに鎮座しており、明治二十八年(1895)奉納の一之鳥居が出迎える。
青梅街道の整備と田無宿の成立によって、当社が北の谷戸の宮山から遷座してきた歴史を伝える。

一之鳥居を潜ると綺麗に整備された参道。
当社の参道は「龍神の道」とも称される。

参道途中に一対の狛犬。
大正七年(1918)に奉納された狛犬。
子持ちの阿吽で中々に険しい表情。

参道途中、右手に手水舎。
手水舎にも彫刻が施されていてよい出来。
綺麗に整備され身を清める事ができる。
吐水口は白龍で、境内の地下深くより組み上げられた御神水。

その先に東日本大震災で倒壊したものの綺麗に復興された二之鳥居。
鳥居横には「開かれた神社」の看板が掲げられ、様々な祭事・イベントを通して、地域や参拝者と絆を深める試みを行っている。

開かれた神社 | 田無神社 公式ページ(東京都 西東京市)

田無用水を偲ぶ神橋と龍神池

その先に小さな神橋。
田無用水跡との事で、田無が発展するきっかけとなった田無用水を偲ぶ。

田無用水(たなしようすい)
幕府の要請で谷戸地域から移住した人々によって青梅街道の宿場として田無宿が成立。
しかし、当時は水に悩まされた地だったため、田無宿の住民は水が豊かだった谷戸まで毎日水を汲みに行く必要があり、大変不便だったと云う。
元禄九年(1696)になってようやく玉川上水から田無用水が分水され、その後は多くの人が集まり賑わったため、田無用水が生活を支えた事が伺える。

その左手に龍神池。
平成三十一年(2019)に整備されたばかりの一画。
田無用水跡を龍神池と名付けて、田無用水を偲ぶ。
ビオトープ(生物生息空間)として整備。
水神宮も祀られている。

神橋を渡ってすぐ一対の狛犬。
躍動感のある狛犬。
台座と年代は違うようで修復され置かれたのであろう。

東京都指定文化財の社殿・美しい彫刻

参道の先に趣のある社殿。
明治八年(1875)に造営された社殿が現存。
地元宮大工によって造営された拝殿。
美しい彫刻が施されていて、田無地域の宮大工の高い技術を伝える。
細かい龍の彫刻。
龍神を祀る当社らしく、木鼻にも龍の姿。
東京都指定文化財に登録されている他、「特に景観上重要な歴史的建築物等」に選定。

本殿は安政五年(1858)に造営されたものが現存。
覆殿の中で保護されているため通常は見る事ができないが、実に美しい彫刻を残す。
島村俊表による彫刻が見事で、拝殿と共に東京都指定文化財に登録されている他、「特に景観上重要な歴史的建築物等」に選定。

本殿は都の文化財ウィークと11月の酉の日に一般公開している。

五龍神を祀る・境内に置かれた五龍神と御神木

古くから「尉殿大権現」と称されれ龍神を祀る神社と知られた当社。
現在は五行思想に五龍神を祀る神社として知られている。

五行思想(ごぎょうしそう)
万物は「火・水・木・金・土」の5種類の元素からなると云う古代中国を起源とする説。
五行の互いの関係には「相生」「相剋」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与され、5種類の元素は互いに影響を与え合う。

五行思想に基づき本殿には金龍神を祀る。
さらに境内各所に黒龍神・白龍神・赤龍神・青龍神を配祀。

社殿の左手裏、北参道に黒龍。
石で積み上げられた台座の上に黒い龍の像。

手水舎の向かいに白龍。
奥に白い龍の像。
古くは白い岩を祀っていたが、現在はこうして白龍の像で整備。

一之鳥居を潜ってすぐ右手に赤龍。
奥には赤龍の像。
こちらも古くは赤い岩が置かれていたが、現在はこうして赤龍の像で整備。

境内の右手、大鵬土俵(後述)がある近くに青龍。
境内に五龍神の像が配祀され、五行思想に基づき崇敬を集める。

こうした五行思想に基づいた信仰は五龍像だけでなく、御神木にも表れている。
社殿左手にある銀杏の御神木。
市指定天然記念物で、パワースポットとして御神木に抱きつく方が多い。
この御神木は五行思想によって金龍木とされる。

参道の右手には4本の御神木。
置くから黒龍木・白龍木・赤龍木・青龍木と名付けられ、御神木にもそれぞれ五龍神が関わっているのが伺える。

野分初稲荷神社など数多くの境内社

当社の境内には数多くの境内社が鎮座。
社殿の右手裏に鎮座するのは野分初稲荷神社(やぶそめいなりじんじゃ)。
安政五年(1858)に「田無神社」の本殿が造営されたが、それ以前の社殿がこの朱色の社殿と伝わる古くからのお稲荷様。

その左手に恵比寿・大黒社。
大黒様(大国主命)・恵比寿様(少彦名命)として福の神を祀る。

野分初稲荷の右手に煩大人社と鹽竈社。
鹽竈社は安産祈願の御利益があるとされ、安産祈願の旗幟が置かれている。

場所は変わって西参道側に津島神社。
茅の輪が設けれており素盞鳴尊を祀る。

隣に神楽殿(舞殿)。
その横に弁天社。
このように境内のあちらこちらに数多くの境内社が鎮座。

御神木の奥に少彦名神社。
当社の主祭神の一柱である大国主命と協力して日本の国土を造った少彦名命を祀る。

一之鳥居を潜った先、手水舎の近くには道祖神。
塞ノ神とも呼ばれ災い事が集落に入るのを防ぐ神、当社では良縁成就の御利益があるとされる。

白龍像の手前の横道に入ると賀陽屋敷稲荷神社。
当社では代々賀陽家が宮司を担っている。

参集殿・撫龍・楠木正成公像・子育て親子石など

二之鳥居を潜った先、左手に参集殿。
昭和十年(1935)に建造された近代和風建築で国の登録文化財に指定。

東参道の鳥居付近に撫龍。
平成二十六年(2014)に東参道を整備した際に建立された撫龍。
龍と玉を撫でると運気があがるパワースポットして親しまれている。

青龍像の隣に楠木正成公像。
南朝方の忠臣とされる楠木正成の子孫が、当社の分社「尉殿神社」の近辺に移住し、同社を守護したとの言い伝えから、石像が祀られるようになったと云う。
欠損部分が多いのは、戦時中に氏子の若者たちが石像の一部を砕き、それを御守として出征したからと伝わる。

楠木正成(くすのきまさしげ)
後醍醐天皇を奉じ鎌倉幕府打倒に貢献した武将。
建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに後醍醐天皇を助けたものの、尊氏が離反すると、新田義貞らと共に南朝方の主力として対立。
湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。
南北朝時代・戦国時代・江戸時代を通じて日本史上最大の軍事的天才との評価を受けた他、明治以降は戦死を覚悟で大義のために戦場に赴く姿が「忠臣の鑑」「日本人の鑑」として讃えられた。

西参道に子育て親子石。
子育てに関して縁起が良いとされ、撫でる参拝者も多い。
その左手には木彫りの子育て犬。
さらに烏骨鶏の飼育所があり、うこちゃんと名付けられている。

昭和の大横綱大鵬・大鵬土俵・大鵬石碑

社殿の右手に立派な土俵が整備。
平成五年(1993)、元横綱である故・大鵬親方によって五穀豊穣祭を記念して造られた土俵。
平成十一年(1999)には当社の崇敬会初代会長に就任、その後名誉会長となっているように当社を篤く崇敬した事で知られる。
現在は毎年5月に開催される青年会議所主催のわんぱく相撲の際に使用される。

土俵の近くに大鵬石碑。
平成十三年(2001)に大鵬親方より奉納された石碑で、石碑の高さは大鵬親方と同じ身長だと云う。

大鵬(たいほう)
大相撲の第48代横綱。
現役時代は幕内最高優勝32回や45連勝などの記録を誇り「昭和の大横綱」と称された。
ライバルとされた柏戸剛と「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる相撲黄金時代を築き、当時の子供達の好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれる程であった。
平成二十五年(2013)、心室頻拍のため死去。

おみくじ処・多数の有名人奉納絵馬や奉納品

境内の左手におみくじ処。
数多くの御神籤が置かれているのが特徴。
釣る!!鯛みくじ。
当社らしい五龍神おみくじ。
令和2年1月より光沢仕様も頒布予定。

おみくじ処の一画には数多くの奉納絵馬。
いずれも芸能人やスポーツ選手などの有名人によるもので、数多くの人々が訪れている事が窺える。

絵馬だけでなく境内にある旗幟にもそうした有名人の奉納を見る事ができる。
サッカー日本代表の原口元気氏による奉納。(奥様が田無神社の娘さんである事で知られ当社で結婚式を行っている)
プロ野球ロッテマリーンズの監督・井口資仁氏による奉納。

国の登録文化財である参集殿の内部には、立派な龍の彫刻。
重量挙げのメダリスト・三宅宏実氏と、同じくメダリストで父の三宅義信氏による奉納。

故・大鵬親方が崇敬会初代会長や名誉会長を務めていたように、スポーツ選手を始め多くの人々によって崇敬を集めているのがよく伝わる。

SNS向けパネル・レトロなキッチンカーの珈琲屋台

拝殿手前にはSNS向けのパネルが数多く置かれている。
神社の境内にこうしたパネルが多く置かれているのは珍しくユニーク。
まさに当社が掲げる「開かれた神社」の側面とも云え、こうした柔軟さも特徴的。

また境内にはオリジナルカスタムのレトロなキッチンカーがやってくる。
この日は午前参拝だったので営業前だったが珈琲屋台とのこと。
10月にオープンしたばかりのキッチンカー「風薫る神社なおきち」。

風薫る神社なおきち
営業日:月・金・土・日・祝/毎月1日・15日
営業時間:昼頃-日暮れ前まで
※季節により平日も営業。雨天休店。
風薫る 神社なおきち
田無神社の境内の珈琲屋台。「今ここ」と「これから」を紡いでいく旅のようなお店です。季節のおやつもご用意しています。風薫るひと時を、ごゆっくりどうぞ。

御朱印・季節や祭事による限定御朱印

御朱印は授与所にて。
とても丁寧に対応して下さる。

季節や祭事に応じて限定御朱印を用意。

御朱印は「田無神社」とオリジナル御朱印帳(後述)に合わせた朱印。
五龍神や方位除といった墨書きも入る。
こちらは通年で頂ける五龍神の御朱印。(別紙のみ)

最新の御朱印情報
1月1日-12月31日まで「御遷座350年特別御朱印」
7月は「夏詣書体御朱印」
7月1日・15日は「月参り書体御朱印」
6月-8月は「夏限定御朱印」
通年で「春夏秋冬」「五龍神」
※新型コロナウイルスのため社務所が閉所になる場合もあり。
田無神社謹製!特別な御朱印帳 | 田無神社 公式ページ(東京都 西東京市)

神職や巫女の衣装をデザインした人気の御朱印帳

オリジナルの御朱印帳も用意。
神職や巫女の衣装をデザインした個性的な御朱印帳で大変人気が高い。

御朱印透明カバー、挟み紙、栞が付属。

この御朱印帳をベースにした特別バージョンの「着せ替え千早柄仕様」。
御朱印帳カバーが千早仕様になっていて、御朱印帳カバーを被せる事で着せ替え風になる仕組み。
千早仕様のカバーを外すと、通常の緋袴仕様の御朱印帳となる。(挟み紙、栞は千早仕様)

最新の御朱印帳情報
1月6日から「御遷座350年記念紋付紫袴仕様」「御遷座350年記念狩衣仕様」を授与。
※画像は授与所の展示品。

一楽萬開札(一番札)は11月23日から節分に受けるが吉

授与品も豊富に用意されており、特に当社オリジナルで御利益が頂けると云われる一楽萬開札。
田無神社一番札とされる札。
新嘗祭(11月23日)から節分祭(2月3日)までに受けるのが吉と呼ばれ、その期間中に毎日授与される。

一楽萬開(いちらくまんかい)
楽とは身や心が楽しくなること、すなわち生活や心身が豊かに健やかになること。
龍神様より頂く最初の楽を一楽と呼ぶ。
一つの楽が次の楽を呼び次々に楽が集まり「萬の道」人生が開かれることを一楽萬開と云う。

五行思想による五龍神を祀る当社らしい正五角形の木札。
表面には五龍神が描かれ「一楽萬開」の文字。
裏面には「運気大隆昌」「五龍神方位除」の文字。

一楽萬開札の祀り方
本年吉方か玄関内に祀るが大吉を招く。
令和二年の吉方は「西」で、家の西側に祀るか、玄関に祀るのがよいとされる。
※吉報でもお手洗いは避ける事。

所感

田無の鎮守として崇敬を集める当社。
古くは「尉殿大権現」と称され、水や風を司る龍神として祀られていたとみられる。
江戸時代になり青梅街道の整備、田無宿の成立にあたって、青梅街道沿いの当地に分祀され、その後、本宮も当社に遷された歴史を持つ。
現在は五行思想によって五龍神を祀り、境内もそのように整備されている。
かなり久しぶりに参拝すると境内の多くが更に整備されていて、今も多くの崇敬者によって支えられているのが伝わる。
近年はありとあらゆる御利益を授かるパワースポットとして紹介される事も多く人気を博す。
田無と共に歩んだ歴史を持ち、田無の信仰と歴史を伝える良い神社である。

個人的な話になるが、筆者は神社への参拝であまり御利益を求めてはおらず、神様への日頃の感謝と報告、あとは郷土史など知的好奇心を満たすために参拝している面が強い。しかし田無神社に参拝直後から立て続けに吉事があり、こんな筆者でも運気上昇を感じてしまう程であった。近い内にお礼参りに伺いたい。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]




[ 参道 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]



[ 二之鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 神橋 ]

[ 龍神池・水神宮 ]




[ 狛犬 ]


[ 拝殿 ]












[ 本殿(覆殿) ]

[ 金龍 ]

[ 黒龍 ]

[ 白龍 ]


[ 青龍 ]


[ 赤龍 ]


[ 御神木(金龍木) ]



[ 黒龍木・白龍木・赤龍木・青龍木 ]


[ 恵比寿・大黒社 ]

[ 野分初稲荷神社 ]


[ 煩大人社・鹽竈社 ]


[ 大鵬碑 ]


[ 大鵬土俵 ]




[ 楠木正成公像 ]



[ 戦役記念碑 ]




[ 東鳥居 ]

[ 撫龍 ]



[ 特別授与所 ]

[ 神輿庫 ]





[ 子育て親子石 ]

[ 子育て犬 ]

[ 烏骨鶏飼育所 ]


[ 津島神社 ]


[ 神楽殿(舞殿) ]


[ 弁天社 ]

[ 少彦名神社 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 御籤掛 ]

[ 参集殿 ]



[ 授与所・社務所 ]

[ 道祖神 ]



[ 石碑 ]

[ 賀陽家屋敷稲荷神社 ]


[ SNS向けパネル ]

[ キッチンカー ]

[ 西鳥居 ]

[ 石碑 ]

[ 北鳥居 ]


[ 案内板 ]









Google Maps

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