日枝神社・水天宮 / 東京都清瀬市

清瀬市

概要

清瀬の氏神様「日枝神社」と安産の神様「水天宮」

東京都清瀬市中清戸に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の鎮守。
「日枝神社」には日本武尊の伝承が残り、その際の故事が「清戸」の地名由来となり、清戸や清瀬の地名由来の神社となっている。
現在は清瀬の総鎮守である「日枝神社」と、安産の神様「水天宮」が並んで鎮座。
そのため「日枝神社・水天宮」と2社を並んで表記する事が多い。
鳥居や参道、社殿なども別々に整備されているのが特徴的。

神社情報

日枝神社・水天宮(ひえじんじゃ・すいてんぐう)

御祭神:大山咋神・大己貴神/安徳天皇・底筒男神・表筒男神・中筒男神
社格等:村社
例大祭:4月15日(春季例祭)・10月5日(秋季祭)
所在地:東京都清瀬市中清戸2-616
最寄駅:清瀬駅
公式サイト:http://hiejinja.jp/

御由緒

 日枝神社は天正七年(1579)、中島筑後守信尚が社殿を造営し、鎮祭したと伝えられます。また、境内に柊(ヒイラギ)の老樹あり、景行天皇の御代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、柊の根本で一休みされ、「清キ土ナリ」とおっしゃられたと伝えられます。以来、この村は清土(きよど)と呼ばれるようになり、いつの頃か、清戸と改められました。当時の柊は枯れ、その根株より蘖(ひこばえ)を生じ今日に至っております。
 日枝神社の主祭神・大山咋神は猿を愛されたので、眷属(けんぞく)となされました。古来より「見ざる」「聞ざる」「言ざる」三猿と称して、福徳円満をもたらし、「魔さる」「勝さる」にも通じることから、あらゆる悪事災難を除き、日々明るい暮らしをもたらし、家庭円満と健康の恩恵を授かると言われます。
 日枝神社と並んで鎮座する水天宮は、福岡県久留米市瀬下町に鎮座まします水天宮御本社より、御分霊を勧請した社であります。創建年代は詳らかではありませんが、安産守護・水難除・寿命長久の御神徳から信仰を集めております。特に、戌の日(十二日ごとに訪れる)には、いぬのお産が軽いことから、安産祈願の吉日として多くの方が訪れます。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2020/09/28

御朱印

初穂料:500円
授与所にて。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
日枝神社・水天宮の2社の社紋入り。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

日本武尊の伝承・清戸の地名由来

社伝によると、天正七年(1579)に創建したと伝えられている。
中島筑後守信尚と云う武士によって創建されたと云う。

古くから清戸と呼ばれた当地周辺には日本武尊の伝承が残っている。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
第12代景行天皇皇子。
東国征討や熊襲征討を行った伝説的な英雄として『日本書紀』『古事記』などに載る。
清戸(きよと)の地名由来
日本武尊が東征の際、当地の柊の根元で休息をし「清き土なり」(何と清々しい土地なのだろう)と言ったと云う。
この故事に因み当地は「清土(きよど)」と呼ぶようになり、いつしか「清戸(きとよ)」に転訛したと伝わっている。

境内には日本武尊が休息したと伝わる柊の老樹があったものの、昭和の初めに枯れている。
現在はその根株からひこばえが育っている。

当社はそうした地名由来の伝承が残る聖地に創建されたと云えるだろう。

山王信仰の「日枝神社」と三猿

当社は上清戸村・中清戸村・下清戸村の鎮守「山王社(現・日枝神社)」として崇敬を集めた。

山王信仰(さんのうしんこう)
比叡山麓の「日吉大社」(滋賀県大津市)を総本社とする信仰。
山王とは「日吉大社」で祀られる神の別名で、比叡山に鎮まる神を指している。
神仏習合の時代は「山王権現」と称される事が多く、現在も「山王さん」「山王さま」と親しまれている。
山王信仰の神使は猿。
日吉大社 | 平安京の表鬼門鎮座 方除・厄除の大社 神仏霊場 滋賀県17番

清戸周辺の氏神として崇敬を集めた当社には、古い奉納物が現在も残る。
山王信仰の神使がさるである事から奉納された三猿の石灯籠。
寛文四(1664)と宝永七年(1710)の石灯籠が現存していて、山王信仰として信仰を集めた歴史を伝える。

灯籠に刻まれた銘文には「「山王開闢天正七天中嶋筑後守信尚開之(天正七年に中嶋筑後守信尚が開いた)」旨が記されている。現在は清瀬市の有形文化財に指定。
三猿の石燈籠(日枝神社)|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ
三猿(さんざる)
3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠し「見ざる、言わざる、聞かざる」と呼ばれる。
特に「日光東照宮」の三猿が有名。
猿を神使とする山王信仰の奉納物や、山王信仰と習合した庚申信仰(庚申塔)に掘られている事が多い。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(中清戸村)
山王社
除地。七石。本社七尺四方。拝殿三間に二間半南に向ふ。神体木の立像にて長二尺許。前に鳥居をたつ。上中下清戸の鎮守なり。例祭六月十五日、九月十九日なり。社邊杉樹鬱蒼たり。
神楽堂。六尺に九尺。本社に向て右にあり。
末社。天王祠。本社に向て右の方にあり。稲荷社。本社に向て左にあり。
別当正覚寺
本社の東に並べり。天台宗同郡深大寺の末。岳王山と号す。本堂七間に五間南に向ふ。本堂七間に五間南に向ふ。本尊不動木の立像にて長二尺許。開山詳ならず。

中清戸村の「山王社」と記されているのが当社。
「上中下清戸の鎮守なり」とあるように上清戸村・中清戸村・下清戸村の鎮守であった。
例祭は6月と9月に開催していた事も記されている。
「本社七尺四方」とあり、この本殿が現存。

宝暦五年(1755)建立の本殿で、市の有形文化財となっている。
日枝神社本殿|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

別当寺は「正覚寺」(現・廃寺)であった。
「不動木の立像」が御本尊となっていて、こちらは明治維新後は当社の社宝となっている。

不動明王立像(日枝神社)|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

明治以降の歩み・水天宮を勧請

明治になり神仏分離。
「山王社」から「日枝神社」へ改称。
当社は村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され上清戸村・中清戸村・下清戸村・清戸下宿村・中里村・野塩村・野火止村(一部)が合併して北多摩郡清瀬村が成立。
当社がある中清戸に村役場が置かれ、当社は地域一帯の鎮守とされた。

清瀬(きよせ)の由来
当社が鎮守する中心地であった清戸と、地域を流れる柳瀬川から一字ずつ取ったもの。
清瀬村は戦後になり清瀬町へ昇格。
昭和四十五年(1970)には市へ昇格して清瀬市となった。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
清瀬村の村名や、中清戸・上清戸といった地名も見る事ができる。
大変のどかな農村であったが当社の社頭にある志木街道沿いは比較的発展したエリアであった。

明治になって水天宮が勧請される
詳しい年代は不詳であるものの明治になり「水天宮」を勧請。
福岡県久留米市に鎮座する「水天宮」の御分霊を勧請したと云う。
全国総本宮水天宮(ぜんこくそうほんぐうすいてんぐう)
福岡県久留米市に鎮座する神社で、正式には「水天宮」。
全国にある「水天宮」の総本宮。
壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が、安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てた事が創建由来とされている。
江戸時代になると久留米藩二代藩主・有馬忠頼によって現在地に遷座して以後、歴代久留米藩主からから篤い崇敬を受けた。
水(水難除け・漁業・海運・水商売)と子供を守護(安産・子授け)する神様として信仰を集めている。
全国総本宮 水天宮

昭和五十二年(1977)、「清戸の獅子舞」が市の無形民俗文化財に指定。
戦国時代から伝わる獅子舞だと云う。

現在も7月15日前後の日曜日に奉納されている。
清戸の獅子舞|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

志木街道沿いに鎮座・山王鳥居と日枝神社

最寄駅の清瀬駅からは徒歩15分程の距離。

当社は境内に本社である日枝神社、水天宮、御嶽神社の3つの参道が整備。それぞれに鳥居や参道が設けられているのが特徴的。

清瀬の氏神様である日枝神社の参道は一番右手。
社頭には昭和六十年(1985)に建立された山王鳥居と、「日枝神社」の社号碑。
山王信仰の総本社「日吉大社」(滋賀県大津市)で発祥となった鳥居であり、主に山王信仰の神社に見る事ができる。

山王鳥居(さんのうとりい)
明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をした鳥居。
仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。
山王信仰の象徴であるため山王鳥居と呼ばれていて、山王信仰の神社にはこの鳥居を建立が置かれている場合もある。
404 Not Found

山王鳥居を潜ると真っ直ぐの参道。
途中に一対の狛犬。
子持ちの阿形。
玉持ちの吽形で彫りの深い造詣。

参道の左手に手水舎。
この手水舎は日枝神社と水天宮の中間に置かれていて、どちら側からも手水舎の役目を担っている。

日枝神社の社殿・御神木の杉の木

参道の先に朱色の社殿。
鉄筋コンクリート造の社殿。
朱色が特徴的。
境内の構造上、裏手を見ることはできないが本殿は宝暦五年(1755)建立で、市の有形文化財となっている。

日枝神社本殿|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

日枝神社の社殿の右手に立派な御神木。
樹齢約400年の御神木で、市の天然記念物に指定。

天然記念物スギ(日枝神社)|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

安産の神様・水天宮の社殿・2社が並ぶ境内

日枝神社が古くからの氏神様であるが、水天宮にも同規模の境内が用意されている。
山王鳥居の左手に水天宮用の鳥居と社号碑。
日枝神社とは別の参道が用意されている形。(境内で行き来は自由)

鳥居を潜ると真っ直ぐの参道。
日枝神社と水天宮の参道が2本真っ直ぐと並走する。
水天宮の参道にも一対の狛犬。
岡崎現代型の狛犬で子持ちと玉持ち。

その先に手水舎。
手水舎を横から見た写真だが、ご覧のように右に日枝神社の社殿、左に水天宮の社殿が並ぶよう鎮座しているのが分かる。
手水舎はどちらからも共通のものを使用できるようになっている。

参道の正面に立派な社殿。
日枝神社と同規模の水天宮の社殿。
立派な木造社殿で、清瀬の氏神である日枝神社と同格の扱いを受けている事が窺える。
安産の神様として崇敬が篤く、本社である日枝神社よりも参拝者が多いくらいである。

水天宮と安産の御神徳
関東圏では特に江戸の久留米藩有馬家上屋敷内に鎮座していた「水天宮」(現・東京都中央区日本橋蛎殻町)が広く信仰を集めていて、江戸の「水天宮」には以下のような伝承が残されている。
江戸時代に久留米藩有馬家上屋敷内に鎮座していた頃、鈴の緒(お参りする際に鳴らす鈴に下がる紐)に晒木綿が使用されていて、月に一度、鈴の緒を交換していたが、「水天宮」の鈴の緒のお下がりを譲り受けた妊婦が、その鈴の緒を腹帯として使ってみると、ことのほか安産だった事から、たちまちその評判が広まり、大勢の人々が安産を願って「水天宮」に参拝するようになったと云う。
水天宮 / 東京都中央区
安産子授けで信仰を集める水天宮。久留米藩主有馬氏が江戸藩邸内に水天宮を勧請。数多く用意された御朱印・限定御朱印。浮世絵にも描かれた火の見櫓と水天宮。境内全体に免震構造が採用された都市型神社。戌の日と御子守帯。日本橋七福神・弁財天。御朱印帳。
今では「水天宮=安産の神」と云われるように当社もそうした信仰を集めている。戌の日に安産腹帯・安産御守を頂ける。

江戸時代に築山された御嶽神社

日枝神社・水天宮と2社が並び立つ当社であるが、実は3つ目の参道も整備されている。
一番左手にあるのが「御嶽神社」と記された社号碑と、御嶽神社の参道。

この先にあるのが御嶽神社。
石段の手前に一対の狛犬。
台座だけ新しく狛犬は中々古いものと思われる。
かつては獅子岩に置かれていたかと思えるような動きのある狛犬。

その先には石段が設けられている。
慶長年間(1596年-1614年)に築山されたと云い「御岳山」と呼ばれる。
木曽御嶽山を御神体とする御嶽信仰によるもの。
木曽御嶽山への講が組まれていて石碑なども置かれている。

その他の境内社・文化財の三猿燈籠

水天宮の参道左手に境内社が並ぶ。
一番手前に御霊社。
その奥に白山社。
金刀比羅神社。
かつて牛頭天王を祀り「天王さん」と呼ばれる祇園信仰の八雲神社。

山王神社参道の右手に三猿燈籠。
かつては参道の両側に設置されていたが、風化が進んだため保護を兼ねて移された。
山王信仰の神使である猿を三猿として彫った石灯籠。
右が寛文四年(1664)、左が宝永七年(1710)奉納と古く、市の有形文化財に指定。

三猿の石燈籠(日枝神社)|清瀬市公式ホームページ
清瀬市公式ホームページ

その他、日枝神社の参道には多くの燈籠。
古いものも多い。
こちらは新しめの燈籠と常夜灯。

他に駐車場側に置かれた西鳥居が古い。
弘化四年(1847)の鳥居。
一部改修されているが現存。

御朱印には日枝神社と水天宮の印

御朱印は授与所にて。
日枝神社と水天宮の社殿の間に授与所が設けられている。

御朱印は「日枝神社」「水天宮印」の2つの朱印が押印されているのが特徴。
墨書きで「日枝神社」「水天宮」。

右はイベント期間中に頂けたTAMA☆ろくと巡礼物語!の御朱印。
TAMA☆ろくと巡礼物語!
2020年9月20日-11月29日に開催。
北多摩5市内25カ所の観光施設・文化施設・寺社などのスポットを巡るスタンプラリー。
スタンプを集めた参加者にはオリジナルグッズを進呈。
各市に1箇所ずつ等身大パネルが設置されパネルのQRコードを読み込むと人気声優5人のオリジナルボイスを聞くことができる。(画像のパネルは上は南沢氷川神社、下は田無神社
5市の対象神社(田無神社小平神明宮・日枝神社水天宮・南沢氷川神社東村山八坂神社)ではオリジナルの御朱印紙を用意。
筆者は2020年9月28日に全て巡拝したが、神社によって初穂料や御朱印を頂ける日が違う(当社は平日のみ)ので注意が必要。
TAMAろくと「巡礼物語」北多摩TOKYOアニメスタンプラリー
オリジナルアニメスタンプを集めて景品をGETしよう!

所感

旧清戸村の鎮守として崇敬を集めた当社。
日本武尊の伝承が残り「清き土なり」が清戸の地名由来になったと云う。
現在は清瀬の氏神様として市の中核神社として崇敬を集めている。
氏神様である「日枝神社」に、明治に勧請された「水天宮」。
この2社が別々の鳥居や参道、社殿を有してほぼ同格で祀られているのが特徴的。
「水天宮」は安産の神様として信仰を集め、特に戌の日には多くの参拝者が訪れる。
市の文化財も多く有し、まさに清戸・清瀬の歴史を伝える良い神社である。

Google Maps

コメント

タイトルとURLをコピーしました