神社情報
天沼八幡神社(あまぬまはちまんじんじゃ)
御祭神:応神天皇・市杵島姫命
社格等:村社
例大祭:8月26日
所在地:東京都杉並区天沼2-18-5
最寄駅:荻窪駅
公式サイト:https://amanumahachiman.jp/
御由緒
この神社は、『新編武蔵風土記稿』多摩郡天沼村の条に記載されている八幡社で、「除地、百五十坪、コレモ中谷戸ニアリ此所ノ鎮守ナリ本社ハ三尺四方ニテ覆屋二間ニ三間南向例祭九月ニテ下ノ稲荷十二所権現ト交ル々々行ヘリト云フ」とあるように、旧天沼村字中谷戸の鎮守で天正年間(1573-1591)の創建と伝えられています。
主祭神は第十五代応神天皇(誉田別命)で、地元からは武運の神として崇敬を集めました。そして、明治四十年(1907)九月には、字四面道の鎮守であった厳嶋神社(祭神市杵嶋比売命)が合祀されました。市杵嶋比売命は合祀以来、水神・安産の神として深く信仰され、雨乞いの行事なども古くから伝えられています。昭和二年(1927)四月には村社となりました。
現在の本殿は昭和五十二年(1977)に、神楽殿は平成十六年(2004)に改築が行われました。
江戸時代に天沼村が麹町日枝神社(現、赤坂日枝神社)の社領であったため、日枝神社は古くから末社としてこの地に奉斎されました。日枝神社の他に、須賀神社・金山彦神社(以上合殿)があります。境内末社として他に、稲荷神社(三殿)、境内摂社として大鳥神社があります。
大鳥神社(祭神日本武尊)は、商売繁盛の神社として信仰され、毎年十一月の酉の日を祭日として熊手市がたち、当社では開運熊手守・福枡等を授与しています。社殿は平成二十八年(2016)に改築されました。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2019/06/12
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
※御朱印を頂くと氏子さん特製の栞も頂いた。
御朱印帳
初穂料:1,000円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳用意。
美しい刺繍が施されていて、裏面には当社の社号。
紫と白の2色展開。
(公式サイトより)
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
授与品・頒布品
栞
初穂料:─
社務所にて。
※氏子さん特製の栞で、御朱印を拝受した際に頂いた。
歴史考察
旧天沼村中谷戸鎮守の八幡さま
東京都杉並区天沼に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧天沼村中谷戸の鎮守。
「武運の神」として崇敬を集めた八幡さまで、明治になり旧天沼村四面道の鎮守「厳嶋神社」(弁天様)が合祀された事で「安産の神」「水神」としても崇敬を集めている。
境内社に「大鳥神社」があり毎年11月酉の日には酉の市も開催される事で知られる。
天正年間に創建・天沼の地名由来
社伝によると、天正年間(1573年-1593年)の創建と伝えられる。
天沼村に「八幡社」として創建され、武運の神として信仰された。
天沼村の中でも中谷戸と呼ばれた地域の鎮守であった。
かつて当社の境内地には「天沼弁天池」(現・天沼弁天池公園)があり、こんこんと水の湧き出る池で、大正時代までは雨乞いの行事なども行われていたと伝わる。
桃園川の水源のひとつでもあり、天沼の地名の起こりになったと云う。
寛永十二年(1635)、天沼村が「山王日枝神社」(現・千代田区永田町)の社領となる。
この事から当社境内にも境内社として「日枝神社」が勧請された。
平安時代に江戸郷を開拓した江戸氏によって「山王宮」として創建。
太田道灌が江戸城を築城した際に江戸城の鎮守とされた。
徳川家康が江戸入りすると、「山王日枝神社」は「城内鎮守の社」とされ、徳川将軍家からは「徳川歴朝の産土神」として崇敬を集めた。
旧社格は准勅祭社、その後、官幣大社まで昇格、現在は神社庁の別表神社で、東京十社のうちの一社、東京五社の一社にも数えられる。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(天沼村)
八幡社
除地百五十坪。これも中谷戸にあり。此所の鎮守なり。本社は三尺四方にて覆屋二間に三間南向。例祭九月にて下の稲荷十二所権現と交る々々行へりと云ふ。
辨天社
小名中谷戸にある池のほとりにあり。小祠。村内蓮華院の持なり。
天沼村の「八幡社」として記されているのが当社。
「これも中谷戸にあり。此所の鎮守なり。」とあるように、天沼村中谷戸の鎮守であった。
「例祭九月にて下の稲荷十二所権現と交る々々行へり」とあり、例祭は村内の「稲荷(現・本天沼稲荷神社)」(杉並区本天沼2)と「十二所権現(現・天沼熊野神社)」(杉並区天沼2)と交代で行っていたと云う。
天沼村の「辨天社」として記されているのが、「天沼弁天池」にあった弁天様であろう。
天沼の由来にもなったと伝わる池に祀られていた弁天様で、後に当社に合祀される事になる。
明治以降の歩み・厳嶋神社を合祀
明治になり神仏分離。
当社は無格社(後に村社に昇格)であった。
明治二十二年(1889)、市制町村制によって田端村・馬橋村・高円寺村・成宗村・阿佐ヶ谷村・天沼村が合併し、杉並村が成立。
当地は杉並村天沼となり、当社は中谷戸と呼ばれた一画の鎮守を担った。
明治四十年(1907)、旧天沼村の四面道と呼ばれた地域の鎮守「厳嶋神社」を合祀。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
荻窪駅の北側に中谷戸の地名が残っており、当社は一帯の鎮守とされた。
当社の西側に四面道の地名も見ることができ、その鎮守であった「厳嶋神社」神社を合祀したため、当社は四面道一帯の鎮守でもあった。
昭和二年(1927)、村社に昇格。
戦後になり境内整備が進む。
当社の飛地境内であった「天沼弁天池」は、周辺の都市化が進んだ事で水脈が枯渇。
昭和四十年代には暗渠化され、昭和五十年(1975)に西武鉄道に売却。
平成十九年(2007)に杉並区が取得して「天沼弁天池公園」として整備されている。
昭和五十二年(1977)、社殿を造営。
この社殿が改修されつつ現存。
昭和六十一年(1986)、創建四百年祭を斎行。
当社の朱色の大鳥居が建立された。
その後も境内整備が進み現在に至る。
境内案内
荻窪駅の北側・通称八幡通りの先に鎮座
最寄駅の荻窪駅からは徒歩10分以内の距離に鎮座。
駅の北側から荻窪駅前入口の交差点を北上すると、通称八幡通りと呼ばれる通りに出るので真っ直ぐ進むと社頭。「八幡神社」と記された石垣が社号碑を兼ねる。
その先に白色の一之鳥居。
一之鳥居を潜ると朱色の二之鳥居。
昭和六十一年(1986)に建立された鳥居。
創建四百年を記念して建立された。
二之鳥居を潜ってすぐ右手に手水舎。
綺麗に整備され身を清める事ができる。
なお、西側にも西鳥居が設けられている。
こちらは大正七年(1918)建立の鳥居でやや古い。
戦後に造営・白系の鉄筋コンクリート造社殿
参道の正面に社殿。
昭和五十二年(1977)に造営された社殿。
鉄筋コンクリート造で、全体的に白系の塗装が特徴的。
平成二十二年(2010)には屋根の修復が行われた。
白系の社殿が美しいまま維持されているのも地域からの崇敬の賜物であろう。
本殿も同様で綺麗な白系を保っている。
さらに拝殿前に一対の狛犬。
吽は玉持ちで、阿は背中に子獅子が戯れていて可愛らしい。
昭和二十八年(1953)に奉納された戦後の狛犬。
境内社の大鳥神社では酉の市も・稲荷社・合殿など
社殿の右手に境内社が並ぶ。
日枝神社・金山彦神社・須賀神社の合殿。
日枝神社は江戸時代に天沼村が「山王日枝神社」(千代田区永田町)の社領となっていた事から、古くから境内社として勧請されていたと云う。
その左に大鳥神社。
昭和二十四年(1949)に「浅草鷲神社」を勧請したもので、平成二十八年(2016)に社殿も改築された。
例年11月の酉の日に行われる祭。
日本武尊を御祭神とする大鳥信仰系の神社で行われる事が多い特殊神事。
「花畑大鷲神社」(足立区花畑)が発祥とされ、江戸時代から現在にかけては吉原遊廓に隣接していた「浅草鷲神社」の酉の市が日本最大の酉の市として知られる。
社務所に隣接するように神楽殿。
平成十六年(2004)に改築が行われた。
御朱印・美しい刺繍の御朱印帳
御朱印は「天沼八幡神社印」の朱印、左下は「八幡神社社務所之印」。
右上に挟んであるのが御朱印を拝受した際に頂いた栞。
氏子さん特製の栞だと云い、氏子さんと神社の心遣いが有り難い。
オリジナルの御朱印帳も用意。
美しい刺繍が施されていて、裏面には当社の社号、紫と白の2色展開。
所感
杉並区天沼に鎮座する当社。
古くは天沼村の中谷戸の鎮守として創建され、武運の神の八幡さまとして崇敬を集めた。
明治になり天沼の地名由来ともされる天沼弁天池の厳嶋神社(弁天社)が合祀された事で、安産の神としても信仰を集めている。
朱色の鳥居と白系の社殿の組み合わせも美しく清々しい境内。
綺麗に整備された境内からも地域の崇敬の篤さが伝わる良い神社である。
神社画像
[ 鳥居・玉垣 ]
[ 二之鳥居 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 御神籤販売機 ]
[ 狛犬 ]
[ 境内社 ]
[ 合殿 ]
[ 大鳥神社 ]
[ 稲荷社 ]
[ 神楽殿 ]
[ 社務所 ]
[ 神輿庫 ]
[ 石碑 ]
[ 斎田 ]
[ 御籤掛 ]
[ ポンプ ]
[ 西鳥居 ]
[ 案内板 ]
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