目白豊坂稲荷神社 / 東京都豊島区

目白豊坂稲荷神社(めじろとよさかいなりじんじゃ)

御祭神:若宇賀女命・木花咲耶姫命
旧社格:─
例大祭:─
所在地:東京都豊島区目白3-2-12
最寄駅:目白駅
公式サイト:─

御由緒

 元々は学習院構内にありましたが、移転に伴い現在地に遷座。豊坂に面していることから豊坂稲荷とも言われています。また江戸時代、八兵衛という人が仕守りしていたことから、八兵衛稲荷という別名もあります。地元では商売繁盛・合格祈願・家内安全・祈願成就の御社として有名。目白駅を出て左手の階段を下りたところにあります。

参拝情報

参拝日:2016/02/25

御朱印

初穂料:300円
本務社である「高田總鎭守氷川神社」社務所にて。

※本務社の「高田總鎭守氷川神社」では、境内社「高田姫稲荷神社」、兼務社「目白豊坂稲荷神社(当社)」の御朱印をお受けできる。
※三社セットの場合1,000円。
※時期によって期間限定もあり。

目白豊坂稲荷神社
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考察

目白豊坂のお稲荷さん

豊島区目白に鎮座する神社。
旧社格は無格社。
現在は高田にある「高田總鎭守氷川神社」の兼務社となっている。

学習院構内にあった稲荷社

創建年代は不詳とされる。
元々は学習院構内にあったとされている。
江戸時代には、八兵衛という人が仕守りしていたことから「八兵衛稲荷」という別名もあったという。
そのため、学習院が誕生した幕末の創建と推定できる。

学習院の移転に伴い遷座

その後、明治四十一年(1908)に学習院の移転に伴い現在地に遷座。
豊坂という坂に面していることから「豊坂稲荷」と呼ばれるようになったとされている。

学習院が移転した簡単な年表を見ていくと下記のようになる。

弘化四年(1847)京都御所日御門前に学習院が開講。
明治十年(1877)神田錦町にて開業式挙行。
明治二十一年(1888)麹町区三年町の工部大学校跡に移転。
明治二十三年(1890)四谷区尾張町に移転。
明治四十一年(1908)東京府下高田村(現・目白)に移転。

江戸時代には京都御所の日御門前に公家の学習所として設立している事が分かる。
明治維新を経て、明治十年(1877)に華族学校「学習院」として東京の神田錦町に創立。
東京に移ってきたのは明治維新後。

当社には、江戸時代に八兵衛という人が仕守りしていたため「八兵衛稲荷」という別名もあったという言い伝えから、当社も学習院が誕生した幕末頃にはあった事が分かり、元は京都に鎮座していたのだろう。
学習院の移転と共に、当社も東京へ移り、その後の何度かの移転にも一緒に付いて回ったと思われる。

そして、明治四十一年(1908)に学習院が現在地である目白に移転。
それと共に当社も、目白の豊坂に面した地に遷座された。

豊坂の途中に鎮座

目白駅からほど近い場所に、豊坂稲荷神社と呼ばれる所以となった豊坂がある。
その坂の途中に当社は鎮座。

現在も小さい境内ながら、地元の方に大切に管理されている。

鳥居、社号碑、神狐像、社殿といったシンプルな構成。

社殿は覆殿になっている。

この内部に古い小さな社があり、それが遷座時の社殿という扱いになるのだろう。(内部のため未撮影)

他に石碑や百度石など。

百度石には大正二年(1913)の文字が彫られていた。
他に掲揚台と思われる遺構には、明治四十三年(1910)の文字が見られたりと、移転後のものが色々残っている。

当社の玉垣の横に「市来嶋神社」が鎮座。

一応、末社という形になるのだろうか。
「習い事・芸能の神様」という札が立っていたため、ご利益や読みから弁天様(厳島神社)系とも推測できる。
弁天様というと池と共にお祀りされる事が多いのだが、当社のある坂の途中に池というのは考え難い。
ひょっとしたら当社同様に学習院構内にあったものかもしれない。

御朱印は本務社である「高田總鎭守氷川神社」にて。

所感

目白駅近くにある小さな稲荷神社。
元は学習院の構内にあったというのが何とも面白い。
当社には、商売繁盛・合格祈願・家内安全・祈願成就のご利益があるという。
稲荷信仰なので商売繁盛はもちろんなのだが、合格祈願といったところは、学習院の構内社だった当社ならではでないだろうか。
小さいながらも手入れされているのが分かり、地域の方の崇敬篤く管理されているのが分かる。
こうした小さな社にも色々な歴史があり、興味深い。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 社殿(覆殿)・神狐像 ]

[ 扁額 ]

[ 百度石 ]

[ 玉垣・側面 ]

[ 市来嶋神社 ]

Google Maps