金王八幡宮 / 東京都渋谷区

御由緒

 当八幡宮は、第七十三代堀川天皇の寛治六年正月十五日(1092)鎮座。
桓武天皇の曾孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗のうち日月二旒を持って秩父妙見山に納め八幡宮と崇め奉った。武基の子武綱は、嫡子重家とともに後三年の役(1087)の源義家の軍に三百余騎を従え一番で参向し、仙北金沢の柵を攻略した。その大功により名を河原土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜った。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請した。
重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀川天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とした。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されている。当八幡宮は、「八幡宮」又は「渋谷八幡宮」と称していたが、金王丸の名声にちなみ、後に「金王八幡宮」と称されるようになった。渋谷氏が武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井等)を領したので、当八幡宮は鎌倉街道(現 八幡通り)大山道(現 青山通り、道玄坂)を中心とする青山、渋谷の総鎮守として現在も数多くの崇敬を集めている。

(※頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/02/08

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※兼務社の「豊栄稲荷神社」の御朱印もあり。

金王八幡宮

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意している。
当社の御由緒にもある金王丸を描いたもの。
裏面は金王桜となっている。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。


考察

渋谷と青山の鎮守

渋谷区渋谷に鎮座する神社。
旧社格は郷社で、渋谷・青山の鎮守。
江戸時代には江戸八所八幡宮の一社に数えられた。
金王丸の伝説が社名の由来となっている。

渋谷氏と渋谷城

社伝によれば、寛治六年(1092)に河崎基家によって創建されたとされる。
河崎基家とは渋谷氏の祖とされる人物。

後三年の役(1087)で、源義家(通称:八幡太郎)の軍に従い武功をあげ、武蔵国豊島郡谷盛庄(現在の渋谷)が与えられており、この地に渋谷城という平城を築いている。
当社は城内の一角に創建されたと推定される。
現に当社の境内には渋谷城の石垣に使われた石1点が保存されている。(渋谷城は室町時代に焼失)

御由緒には秩父妙見山(現在の「秩父神社」)との繋がりで八幡神を勧請したとも記されているのだが、河崎基家が従った源義家が八幡太郎を名乗り八幡神を信仰していた事から、家来であった基家も当地に八幡神を勧請したと考えるのが自然であろう。

渋谷の地名由来

この河崎基家の子に重家という人物がおり、彼が後に渋谷重家を名乗ったため、渋谷氏と呼ばれるようになる。

彼らは相模渋谷氏とも言われる一族で、実は相模国高座郡渋谷荘(現在の神奈川県大和市周辺)を領地としていた一族である。
上述の通り、親の世代に武蔵国豊島郡谷盛庄(現在の渋谷)も報奨として与えられたため、当地にも渋谷氏が居を構える事となり、当地も渋谷と言われるようになるという由来を持っている。

相模国高座郡渋谷荘(高座渋谷駅といった駅名で地名が保存されている)が、現在の東京都渋谷の由来というのは意外と知られていない。
渋谷地名由来には他にもいくつか説があるのだが、筆者は歴史的観点からこの説を推したい。

渋谷金王丸の伝説

この渋谷重家はしばらく子がなく跡継ぎでできなかった。
当社に祈願したところ常光という嫡男を授かる事になる。
常光は金剛夜叉明王の化身として生まれたとされ、金王丸と称したという。

この金王丸は謎の多い人物。
金王丸として「平治物語」という平治の乱の顛末を描いた書物に登場し、源義朝の愛妾である常盤御前にその死を伝えた義朝の郎党金王丸として描かれている。
また『吾妻鏡』「平家物語」といった書物に描かれる源頼朝の御家人・土佐坊昌俊という人物ではないかと伝わる事もあり、頼朝との伝説も残っている。
頼朝に従い武勲をあげ、義経を討つようにと命令され、義経の館に討ち入りその際に討たれたとされている。

いずれにせよ、当社の「金王」の社名由来は、この金王丸によるものとなっている。

青山の地名由来・将軍家からの庇護

江戸時代になると、徳川家康の信任厚い家臣である青山忠成によって崇敬される。
青山忠成は、家康が関東に移封されると江戸町奉行に任命された人物。
原宿村を中心に赤坂の一部から上渋谷村にかけての広い屋敷地を賜っており、現在の青山の地名は、この青山忠成の屋敷があった事から。
渋谷の氏神でもあった当社を崇敬していたと伝わる。

この青山忠成は、竹千代(後の三代将軍・德川家光)の教育役も担っていた。
そのため、青山忠成と家光の乳母である春日局は、将軍就任を当神社に祈願。
家光が三代将軍となり願いが成就したため、感謝し春日局により現在の社殿及び神門が寄進された。

以後、徳川将軍家からの庇護を受けている。

江戸時代の渋谷

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

金王八幡宮

この当時は「渋谷八幡社」とも呼ばれたようだが、「金王八幡社」と描かれており、金王丸伝説の事も記されている。
社殿などの位置の配置は現在とは違いがあるものの、金王桜の文字が見える。
これは現存している金王桜であり、源頼朝と金王丸の縁の桜とされているもの。
描かれている社殿や神門は現存している。
今では考えられない渋谷の田舎加減を確認もでき、貴重な資料だろう。

この頃は当社に隣接している「東福寺」が別当寺であった。
現在も隣接しており、渋谷区内最古の寺院。
渋谷氏や妙見山など当社の縁起と重なる部分も多い。

神仏分離で郷社に

明治になり神仏分離によって別当寺とは分離。
明治五年(1872)に村社に、明治十六年(1883)には郷社に昇格している。
発展する渋谷・青山エリアにおいて、鎮守として崇敬を集めた。

現存する社殿や神門

現在の社殿は、青山忠成と春日局による寄進によるものが現存しているとされる。
慶長十七年(1612)の造営とされ、幾度か改修などが行われている。

現在は渋谷区有形文化財の指定を受けている。
鮮やかな彩色による彫刻なども見事。

渋谷の地にありながら境内は中々に広い。
見処も多数。

参道には大鳥居がそびえ立っており中々のインパクト。

参道を進むと神門が建っている。

この神門の創建年代は明らかになっていないが、明和六年(1769)や享和元年(1801)の資料が残っており、江戸中期には建てられていたものと推定できる。
こちらも渋谷区有形文化財。

境内社も多数。
特に「金王丸影堂」は、社名の由来ともなった渋谷金王丸常光をお祀りした境内社。

毎年3月の最終週には金王丸の木造がご開帳されるという。

社殿の右手には「金王桜」という桜の木。

江戸の郊外三銘木のひとつに数えられたといい、上述の『江戸名所図会』にも描かれている。
源義朝に仕えた金王丸の忠節を偲び、源頼朝が当社にを寄附されたと伝えられている、頼朝縁の桜。
植継を経て現存している。

その社務所の建物には、宝物館が用意されている。
こちらは拝観料無料で、拝観自由となっており大変嬉しい場所。

渋谷区最古のお神輿や、江戸時代の扁額・書物・宝物などが公開されている。
江戸時代の算額なども展示されている。
渋谷と当社の歴史を知る事ができる貴重な場。

御朱印は社務所にて。
向かいにある兼務社の「豊栄稲荷神社」の御朱印もお受けできる。
オリジナルの御朱印帳も用意している。
ちなみに当社は外国人(オーストリア)の神職さんがいる事でも話題になった事がある。
その方が丁寧に御朱印を書いて下さる事もある様子。

所感

渋谷というエリアにありながらも中々の広い境内の当社。
この境内が維持できているのは現在も崇敬を集めているからこそ。
現在は境内が憩いの場となっており、ベンチなども多く置かれて、渋谷で働く人や学生などがよく座っており、こうした地域の方への開放も、渋谷にありながら地域の鎮守らしくてとてもよい。
渋谷・青山の鎮守として、当地の歴史を知る上で欠かせない存在。
繁華街・渋谷の地にある良社だと思う。

神社画像

[ 大鳥居 ]

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 鳥居・神門 ]

[ 神門 ]


[ 手水舎 ]

[ 境内 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿・拝殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 金王丸御蔭堂 ]


[ 玉造稲荷神社 ]

[ 御嶽神社 ]

[ 神楽殿 ]

[ 金王桜 ]


[ 芭蕉句碑 ]

[ 渋谷城 砦の石 ]
[ 石碑 ]

[ 御神木 ]

[ 社務所 ]

[ 寶物館 ]





[ 西側鳥居 ]

[ 神武天皇御陵遥拝所(紀元節) ]

[ 神輿庫 ]

[ 案内板 ]

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