本郷氷川神社 / 東京都中野区

 神社情報


本郷氷川神社(ほんごうひかわじんじゃ)

御祭神:素盞鳴尊

旧社格:村社
例大祭:9月第1日曜

所在地:東京都中野区本町4-10-3
最寄駅:中野新橋駅・中野坂上駅
公式サイト:─

 御由緒

文明元年(1469年)太田道灌が江戸城を工築するにあたり、之が鎮護の為武州(埼玉県)大宮氷川神社より勸請し、当地に奉斎した。

(※東京都神社庁より)

 参拝情報

参拝日:2015/10/26

 御朱印

初穂料:300円

社務所にて。

本郷氷川神社




 考察

 旧本郷村の総鎮守

中野区本町に鎮座する神社。

旧本郷村の鎮守とされ、旧社格は村社。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別のため「本郷氷川神社」とさせて頂く。

 太田道灌による創建

社伝によると、文明元年(1469)に太田道灌が江戸城を築城するにあたり、鎮護のために「武蔵一宮 氷川神社(大宮氷川神社)」より勧請したと伝えられている。
以後、太田氏からの崇敬が篤く、例大祭には幣帛の寄進もあったとされる。
文明九年(1477)に、道灌が豊島氏を攻める途上、当社に戦勝を祈願し社頭に杉一株を献植、凱旋後に社殿を改修している。

この辺の太田道灌が豊島氏攻略(江古田原合戦)の際に戦勝祈願をし、凱旋後修復といった御由緒は同じ中野区にある「中野氷川神社」にも見られる共通項。
道灌が練馬城・石神井城を攻略する上で、現在の中野区周辺は正に通り道。

江戸城築城にあたり多くの神社などを勧請や遷座させており信仰の篤かった道灌が、こうして立ち寄ったのも自然な流れであろう。

 成木街道整備・本郷村の鎮守

江戸時代になると成木街道(現青梅街道)が整備され、この周辺には中野村・本郷村・本郷新田・雑色村の4村が存在している。(後に明治になり中野町となる)
当社はそのうち本郷村の鎮守とされていた。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

氷川社
除地、820坪。村の北の方にあり。村の鎮守なり。2尺四面の石を神体とす。拝殿2間に3間、鳥居をたつ。例祭9月15日、福寿院持。

以上の事から、本郷村の鎮守という事。
別当寺が現在もすぐ近くにある「福寿院」だった事が分かる。

明治になると神仏分離によって別当寺と分離。
村社に列している。

 子授り・安産の狛犬

昭和二十年(1945)に第二次世界大戦の戦禍により旧社殿が焼失。
現在の社殿は戦後の昭和三十年(1955)に再建されたもの。

神楽殿・社務所と繋がる形になっており、神楽殿などは昭和三十三年(1958)に新築されている。

境内社は稲荷神社が2社と御嶽神社。
西の隅にはかなり古い庚申塔もあったりと旧本郷村の信仰を伺わせてくれる。
また狛犬は天保四年(1833)奉納のものが現存しており、授乳中の姿をしているため、子授り・安産を祈願する参拝者もいるのだとか。

 鼠小僧奉納と噂される旧鳥居

鳥居をくぐってすぐ右手に気になる石柱。
これは旧鳥居の一部分と思われるが、「文政五年壬午五月吉日 京橋 願主 治郎吉」の文字が彫られている。

この次郎吉は、義賊として有名な鼠小僧(ねずみこぞう)ではないかと云われている。
鼠小僧の本名は次郎吉と云い、日本橋・京橋の有名人であった。
文政五年(1822)は正にねずみ小僧が生存している時期であり、(盗みに入ったのは文政六年以降とも言われているのでその辺の齟齬はあるが)、文政五年・京橋・次郎吉のワードから、鼠小僧の奉納と噂されるのも納得できなくもない。

御朱印は社務所にて。
インターホンを押すと快く対応して下さった。

 所感

境内は広くはなく、村の氏神神社といった形が強く出ている。
綺麗に整備されており、大きな神輿庫からも、氏子衆に大切にされているのが伝わってくる。
現在は旧本郷村の証である「本郷」という名は地名から消えてしまっているのだが、当社が「本郷氷川神社」として、旧地名の保全を担っているのも何だか嬉しい。
どこにでもあるようなそんな村の鎮守なのだが、素朴でいてどこか懐かしさを感じるような神社。

 Google Maps


 神社画像

[ 鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]

[ 本殿・記念碑 ]

[ 狛犬 ]

[ 神楽殿 ]

[ 稲荷神社 ]

[ 御嶽神社 ]

[ 神輿庫 ]

[ 社務所 ]

 Google Maps