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概要
築地鎮守の波除稲荷
東京都中央区築地に鎮座する神社。
旧社格は村社で、かつての築地市場を含む築地の鎮守。
正式名称は「波除稲荷神社」だが、当社では「波除神社」の通称を使用する事が多い。
「波除」の社号から「災難を除き、波を乗り切る」神社として崇敬を集める。
境内に置かれた巨大な獅子頭や、例大祭の「つきじ獅子祭」で知られる。
築地場外市場より近いため、外国人観光客からも人気が高い。
神社情報
波除神社(なみよけじんじゃ)
波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)
御祭神:倉稲魂命
社格等:村社
例大祭:6月10日と近い金・土・日曜(つきじ獅子祭)
所在地:東京都中央区築地6-20-37
最寄駅:築地駅・築地市場駅
公式サイト:http://www.namiyoke.or.jp/
御由緒
今から350年程前の江戸時代初期、この築地一帯は一面の海でした。
江戸城増築と供に始められた江戸の埋め立ての際に、4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事で困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激しい波にさらわれてしまうのです。
萬治2年(1659)の或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思い船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、盛大なお祭りをしましたところ波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。
人々は、御神徳のあらたかさから稲荷大神に『波除』の尊称を奉り、雲を従える『龍』、風を従える『虎』そして一声で『龍虎』を威伏させる『獅子』の巨大な頭が数体奉納され、それにあわせて当時裕福な方は個人で、お金にゆとりのない方は数人で「請」をつくりお金を出し合い一対の獅子頭を持ち、江戸時代から明治にかけまして築地一帯では数十対の獅子頭を持ち、これを担いでまわったのが当社の夏の祭礼『つきじ獅子祭』の始まりです。
創建当時に奉納された巨大な獅子頭は江戸時代に焼失し、築地一帯にあった多くの獅子頭も関東大震災でほぼ焼失し、この時に修理に出されていた寛永元年(1848)作の獅子頭一対のみが難を免れ残り、この獅子頭は区の文化財に指定されました。
江戸時代に焼失した巨大な獅子頭は雄獅子(天井大獅子)が平成2年に、雌獅子(弁財天お歯黒獅子)が平成14年に再興され、境内の獅子殿・弁財天社に安置されております。本殿には江戸時代に焼失し平成24年に再興された『龍虎』の頭を見下ろす形で、焼失を免れた文化財の獅子頭が安置されております。(頒布のリーフレットより)
歴史考察
開府以前の江戸と幕府による埋め立て
社伝によると、万治二年(1659)に創建と伝わる。
天正十八年(1590)、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
当時の江戸には「日比谷入江」と呼ばれる入江があり、入江は現在の皇居前まで食い込むほどで、今とは随分と地形が違っていた。
当時の入江の様子をGoogle Mapsに重ねてみると以下のようになる。
現在の東京駅と皇居の間まで海が食い込んでいたとされる。
半島のように伸びていたのが「江戸前島」と呼ばれた一画で、この先端が現在の銀座。
家康が江戸入りすると、江戸の大改造に着手する。
江戸の土地を拡張するために大規模な埋立工事を行った。
神田山を切り崩したり、江戸城の堀を造る際に出た揚げ土を使い、日比谷入江を埋め立てていく。
天下普請と呼ばれる埋め立てが進み、三代将軍・徳川家光の時代には江戸の基礎が形作られた。
江戸幕府が全国の諸大名に命令し行わせた土木工事。
江戸城など城郭普請が知られる。
築地本願寺再建のために行われた築地の埋め立て
明暦三年(1657)、明暦の大火が発生。
江戸の大半を焼失させた大火事で、振袖火事・丸山火事とも呼ばれる。
江戸三大火の1つで、その中でも江戸時代最大の延焼面積・死者が発生。
江戸城の天守閣を含む、江戸市中の大半が焼失し、この明暦の大火を機に、江戸の都市改造が行われる事となった。
この大火で京都「西本願寺」の別院として浅草御門南の横山町にあった「浜町御坊」(現・築地本願寺)が焼失。
焼失以前の旧地は幕府による区画整理のため再建が許されず、代替地として八丁堀沖(現・築地)の海上が与えられ、佃島(現・中央区佃)の門徒が中心となり、「築地本願寺」本堂の再建のため海を埋め立て土地を築いた。
築地の地名由来はこの埋め立てによるもの。
「人の手で築かれた地」と云う意味になる。
しかしながら築地の埋め立ては困難を極めたと云う。
荒波によって堤防を築けども築けども、その度に破壊され難航していく。
波除稲荷の創建・「災難を除き、波を乗り切る」御神徳
万治二年(1659)、ある晩に海面を光り漂うものを発見。
船を出して引き上げると、稲荷大神の御神体であったため、現在地に社殿を造営してお祀りした。
これが当社の創祀とされる。
すると波風がピタリと止み、難航し続けた埋め立ても完了する事ができた。
この御神徳を称え当社を「波除稲荷」と称し崇敬を集めた。
現在に至るまで「災難を除き、波を乗り切る」御神徳として、多くの信仰を集めている。
地域の人々は、この波切の御神徳のあらたかさに驚き、雲を従える「龍」、風を従える「虎」、そして一声で万物を威伏させる「獅子」の巨大な頭が数体奉納。
これを担いでまわったのが現在も続く「つきじ獅子祭」の始まりとされる。
江戸切絵図から見る当社と築地周辺
当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。
こちらは江戸後期の築地八町堀日本橋周辺の切絵図。
右が北の切絵図となっており、当社は図の中央左に描かれている。
赤円で囲った箇所が当社で、小さいながら赤く寺社の敷地で表されている。
近くには築地を埋め立てするに至った「西本願寺」(現・築地本願寺)。
武家屋敷や町家が立ち並ぶ中、当社が鎮座する一画は「小田原町」と呼ばれていた。
当社は小田原町(現・築地)の鎮守として崇敬を集めた。
明治以降の歩み・関東大震災からの再建と築地市場の形成
明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、当時も現在も当社の鎮座地は変わらない。
現在の築地市場はまだなく、青円で囲ったように海軍関係の学校や施設が多く建築されている。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
築地一帯は焼け野原となり、当社も殆どが焼失。
帝都復興計画に基づいて築地一帯に大規模な道路の建設と区画整理が行われる。
昭和十年(1935)、日本橋の魚河岸が築地の海軍関係の施設に移転。
場外にも市場が形成され「築地市場」が完成した。
昭和十二年(1937)、現在の社殿を再建。
当社は築地の鎮守として崇敬を集めた。
戦後になり境内整備が進む。
平成二年(1990)、雄の天井獅子を再興。
平成十四年(2002)、雌のお歯黒獅子が完成し、弁財天社として整備。
平成二十四年(2012)、青龍・白虎の頭も再興している。
平成三十年(2018)、築地市場の代替施設として建設された豊洲市場が開場。
築地市場は83年の使用に幕を閉じた。
その後も当社は築地の鎮守として崇敬を集め続けている。
境内案内
外国人観光客で賑わう築地と境内
築地場外市場、波除通りのほぼ突き当りに鎮座。
近年、外国人観光客から人気の高い築地において、当社も外国人の参拝者が非常に多い。
社頭には存在感ある大鳥居。
大鳥居は平成八年(1996)に建立されたもの。
多くの奉納提灯が掲げられ崇敬の篤さを伝える。
社号碑には「波除神社」の文字。
手水舎も兼ねた弁財天社・巨大なお歯黒獅子
鳥居を潜ると左手に摂社・弁財天社。
当社の創建と同時に祀られていた弁天様で平成十四年(2002)に現在の形に整備。
存在感たっぷりのお歯黒獅子は雌と云う扱いで、総重量700kgで総漆塗りの一木造、頭の宝珠の中に弁財天(市杵嶋姫命)の御神像が納められていると云う。
戦前に再建された神明造社殿が現存
参道の正面に社殿。
関東大震災にて焼け野原となった築地周辺。
当社の社殿は昭和十二年(1937)に再建され修復されつつ現存。
神明造の社殿は国産檜で再建され、戦前では東日本で最後に造営された社殿だと云う。
多くの千社札が貼られているが、状態よく維持されている。
獅子殿には日本一の厄除天井大獅子
参道の右手には獅子殿。
中には平成二年(1990)に御鎮座330年を記念して再興された厄除天井大獅子(雄)。
江戸時代に厄除・災難除の象徴として「つきじ獅子祭」の名称の元にもなった厄除天井大獅子を再興したものとなっていて、神楽殿を改築する形で獅子殿として整備。
樹齢約3,000年の黒檜の原木を用いて造られたと云い、日本一の厄除天井大獅子。
当社で授与される「願い串」を、この天井大獅子の舌の上に収め籠に納め念じると、願い事を叶えてくれるとされている。
現在は、通年で受け付けており、1ヶ月分を翌月1日の獅子殿月次祭にて神職の手によって行われる。
毎月7日の七福神参りに使用される七福殿・境内社
拝殿手前左手に七福殿。
七福神が置かれた場所で、通常時は祓所として使用。
毎月7日の七福神参りの際に、その月の七福神の御神像が安置される。
当社には摂社・末社や獅子殿に七福神が祀られている。
七福神の「七」にちなみ毎月7日にそれぞれ1体のみ御神像の御開帳、その月に御開帳された神様の姿(絵)を入れた御朱印の授与を行っている。
7体の御朱印を全て集めた人には12月に神社特製の開運七福神記念品を授与。
参道の左手に境内社の合祀殿。
天照大神・大国主命・少彦名命・天日鷲命の4柱を祀る。
その前に手水舎。
獅子殿の近くにはおきつね様。
御由緒は定かではないが「おきつね様」と称され親しまれている。
築地市場関係者から奉納された多くの石碑・吉野家碑
社殿の左手には多くの石碑が並ぶ。
東京鶏卵加工業組合が奉納した玉子塚。
その隣に上述の合祀殿。
東京都鮨商環境衛生同業組合から奉納されたすし塚。
築地らしい石碑。
その奥には東天会てんぷら料理協同組合によって奉納の海老塚。
左には「海老の大丸」によって奉納された海老塚も。
更に奥には珍しい鮟鱇(あんこう)塚。
その隣に東京築地魚市場活物組合による活魚塚。
その横に蛤石(はまぐりいし)。
男女和合の象徴、蛤女房といった意味合いを込めて奉納。
更に平成二十八年(2016)に奉納された昆布塚。
中でもユニークなのが鳥居を潜って右手にある吉野家碑。
牛丼チェーンとして有名な「吉野家」によって平成二十八年(2016)に奉納。
このように築地市場関係者による奉納の石碑が多く、多大な崇敬を集めている様子が伝わる。
限定御朱印・毎月7日の七福神参り
当社の御朱印は「波除神社」の朱印と獅子頭の印。
弁財天社の御朱印は「波除弁財天」の朱印とお歯黒獅子の印。
こちらは2023年に頂いた通常御朱印で干支の印付き。
限定御朱印も祭事などに合わせて授与。
こちらは夏詣御朱印。
2021年の新春特別御朱印として頂いた木製御朱印と「疫病除為朝公特別御朱印」。
平安時代の武将で、源頼朝・義経の叔父。
身長2mを超える巨体で気性が荒く剛勇無双とされた人物。
手がつけられない程の乱暴者で九州に追放されたが、そこでも暴れまわり一帯を制覇して「鎮西八郎」を名乗った程であった。
保元の乱の後に伊豆大島へ流されたが、そこでも国司に従わず暴れまわり伊豆諸島を事実上支配したが、追討軍を送られ自害。
剛勇のあまり各地に伝説が残されている。
江戸時代には疫病流行の際には、門口に「為朝の宿」「為朝ここにあり」などと書いた紙を貼ると、為朝を恐れ疫病神が退散すると云う民間信仰が広まった程。
当社でもその流れを継ぎ「夏越の大祓」で為朝公神符を出していて、今回は新型コロナウイルス蔓延に伴い2021年限定で「疫病除為朝公特別御朱印」と云う形で授与された。
2021年の例大祭・つきじ獅子祭りで頂いた御朱印。
波除神社の御朱印(右)と波除弁財天の御朱印(左)。
こちらは2023年のつきじ獅子祭御朱印。
2023年2月3日に頂いた節分祭追儺式限定御朱印。
現在は基本的に限定系は書き置きのみ。
2023年11月の酉の市限定の酉の市御朱印。
当社の酉の市は24時間開催。
さらに上述した毎月7日限定の「七福神参り」の御朱印も。
当社には摂社・末社や獅子殿に七福神が祀られている。
七福神の「七」にちなみ毎月7日にそれぞれ1体のみ御神像の御開帳、その月に御開帳された神様の姿(絵)を入れた御朱印の授与を行っている。
7体の御朱印を全て集めた人には12月に神社特製の開運七福神記念品を授与。
2016年7月からは都営浅草線沿線の八社によって「東京福めぐり 開運八社さんぽ」も開催。
人気の神社の中に当社も参加している。
敷き紙と合わせて立体感のある切り絵御朱印
2023年6月のつきじ獅子祭に合わせて当社初の切り絵御朱印の授与も。
当社らしい獅子頭の神輿をモチーフにした御朱印。
敷き紙と切り絵を重ねる事で立体的な仕上がりに。
躍動感を感じる切り絵御朱印。
つきじ獅子祭や夏越大祓で茅の輪が出ている期間は「夏越大祭・つきじ獅子祭」の文字入り。
2024年6月からは通年授与の切り絵御朱印を授与。
弁財天と白虎に青龍の御朱印。
切り絵御朱印と敷紙を重ねる形で完成。
通年授与だがなくなり次第終了の予定。
オリジナル御朱印帳・限定御朱印帳も用意
オリジナルの御朱印帳も用意。
左が当社限定御朱印帳で、右がオリジナル御朱印帳。(他にピンク色の御朱印帳も用意)
限定御朱印帳は、当社の限定御朱印専用の御朱印帳。
最初のページに専用の特別御朱印も授与される。
6月に行われる例大祭のつきじ獅子祭
毎年6月10日と近い金・土・日曜に行われる例大祭は「つきじ獅子祭」と呼ばれる。
築地界隈を盛り上げる随一の例大祭で、天井大獅子・お歯黒獅子が神輿渡御と共に練り歩く。
2020年・2021年のつきじ獅子祭は残念ながら新型コロナウイルス対策のため神輿渡御は中止。
参拝時にちょうど行われていた大祭式。
関係者のみの神事となりお邪魔にならぬようそっとお参りだけさせて頂いた。
大祭期間中は晴天時のみ社号旗と金旗も。
神事では江戸前握り寿司が奉納されるのが築地ならでは。
2023年は4年ぶりの通常開催。
千貫宮神輿が4年ぶりに渡御された。
江戸神輿の最高峰とも呼ばれる立派な宮神輿。
11月には酉の市を開催・24時間開催
また11月の酉の日には酉の市を開催。
当社の酉の市は24時間開催となっている。(画像は深夜4時頃撮影)
例年11月の酉の日に行われる祭。
日本武尊を御祭神とする大鳥信仰系の神社で行われる事が多い特殊神事。
「花畑大鷲神社」(足立区花畑)が発祥とされ、江戸時代から現在にかけては吉原遊廓に隣接していた「浅草鷲神社」の酉の市が日本最大の酉の市として知られる。
当社の「酉の市」は、天保六年(1835)、下目黒の造り酒屋・大国屋與兵衛が、「浅草鷲神社」から熊手を取り寄せたことに始まるという。
元々は目黒村の農民が野菜や実用品を売るために開かれていたと云う。
築地の酉の市でも熊手が並ぶ。
24時間開く熊手商と社務所。
日中や夜は熊手商による縁起熊手の購入を求める勢い有る掛け声が響く。
熊手商から熊手を購入する場合は、駆け引きを楽しむのが粋とされる。
威勢のよい掛け声の熊手商との値切りの駆け引き。
たっぷり値切って「まけたまけた」と言わせれば勝ち。
とは言え、値切った分だけ「ご祝儀」として熊手商に置いてくるのが、粋な買い方とされているので、あくまで駆け引きを楽しむもの。(もちろん値切った値段で購入しても構わない)
ある程度の金額以上の熊手を求めた場合は、最後に手締めとなる。
「家内安全・商売繁盛」と大勢で手を打ち、熊手を高く掲げて持ち帰る。
翌年の酉の市で、前年購入した熊手を納め、また新しいのを購入。
その際に前年より大きいのを購入するのが良いとされている。
毎年、同じ熊手商から購入し贔屓になると、入山(自分の名前を入れた札)を差してくれるようになる。
一の酉:11月5日(火)
二の酉:11月17日(日)
三の酉:11月29日(金)
所感
築地の鎮守である当社。
築地の埋め立て時に創建され「災難を除き、波を乗り切る」として崇敬を集めている。
当社の歴史は築地の歴史とも云え、小さいながらも崇敬の篤さが伝わる境内。
築地市場が開かれてからは、そうした市場関係者からの崇敬が篤く、多くの碑が奉納されている。
現在の築地は観光地として、外国人観光客から人気が高いという事もあり、当社にも多くの外国人参拝者が詰めかけ賑わっている事が多い。
特にお歯黒獅子と厄除天井大獅子は目を引くもので人気が高い。
近年は限定御朱印や七福神参りなどの展開を行い、様々な努力を感じる事ができる。
豊洲市場へ移転後でも築地は大賑わいであり、そうした築地の鎮守として歴史を伝える良い神社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※祭事や季節限定の限定御朱印を用意している。(最新情報は公式サイトにて)
※摂社・弁財天社の御朱印も用意。
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。
11月5日・17日・29日は「酉ノ市御朱印」
※酉の市当日限定の御朱印。当日は0時-24時まで授与。
11月7日・17日・27日は「七福神参り御朱印」
※毎月7が付く日限定の七福神参り御朱印。
通年で「特別切り絵御朱印」
※通年だが数量限定でなくなり次第終了。御朱印についての最新情報や詳細は公式サイトにて。
御朱印帳
オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を3種類用意。
紺色に青の水玉模様を下地に獅子をデザインしたもの。
ピンク色にふぐ・えび・かになどをデザインしたもの。
限定御朱印帳は当社の限定御朱印専用の御朱印帳で最初のページに専用の特別御朱印も授与。
いずれも詳細や画像は公式サイトにて。
※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。
授与品・頒布品
木の栞
初穂料:─
社務所にて。
御朱印を頂くと一緒に頂ける木の栞で季節によって柄が変わる。
参拝情報
参拝日:2024/11/05(御朱印拝受)
参拝日:2024/09/23(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2023/11/11(御朱印拝受)
参拝日:2023/06/09(御朱印拝受)
参拝日:2023/02/03(御朱印拝受)
参拝日:2021/06/10(御朱印拝受)
参拝日:2021/04/28(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2019/07/02(御朱印拝受)
参拝日:2017/04/13(御朱印拝受)
コメント
波除神社、、11月7 .17 .27日は7福神どなたも御朱印がいただけるというから17日に有給休暇とったのに、一月に1人って、、、早くいってよ、、、。
まぁ、相手が神社なんで仕方がないけど、、、残念です。しかも7日に来てみて初めて知ったからね。
■いくさわさん
元々、毎月7日のみ七福神の御朱印を頂けると形で、毎月1体の授与でした。
コロナ禍で7が付く日に頂けるようになりましたが、あくまで毎月1体というスタンスは崩していないようです。
公式サイトの御朱印のページにはあまり詳細が書かれていないのですが、
一応、公式サイトのトップページにはその旨(17日・27日も七福神の御朱印をお出ししますが、それぞれの日に別の神様の御朱印をお受けするのはお控えください。)を記していますのでご理解ください。
また来月頂いてみてくださいね。
ご返信ありがとうございます。文句を付けるつもるはもうとうありません。一応、コメントしておけば知らない人も見るか、、、位の気持ちでした。 ところ今月、先月頂いたものは来年頂いたものと合わせてとはいかないですよね。毎月頂くのは仕事があると、なかなか厳しいです。
すみません、ありがとうございました。また、伺います。