高円寺氷川神社 / 東京都杉並区

img_1538

神社情報

高円寺氷川神社(こうえんじひかわじんじゃ)

御祭神:素盞鳴命
旧社格:村社
例大祭:8月下旬
所在地:東京都杉並区高円寺南4-44-19
最寄駅:高円寺駅
公式サイト:http://www.kisyoujinjya.jp/(気象神社)

御由緒

氷川神社について
江戸名所図会によれば、その昔源頼朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に当高円寺村にとどまり終に農民となる者あり……と記されている。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥松杉桐茂し遠く水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。御祭神は素盞嗚尊で国土開発、災難除けの信仰がある。氷川神社の御分社は約一千社あり関東地方が大部分を占めている。当社の創建された時期は不詳であるが、口碑によれば天文年間曹洞宗高円寺の創建と同時に剏祀されたといわれている。末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。
昭和四十六年十月十四日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が新しく御造営され、今日に至っている。
例大祭は毎年八月二十七、二十八日に行われる。
気象神社由緒
この気象神社は、旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和19年4月10日造営、奉祀され、途中空襲による焼失、再建されたが太平洋戦争の終結に依り気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日遷宮祭を執行し、移設されたものである。
以来気象部隊関係者を始め多くの方々のご参拝、奉仕を受けて参りましたが月日の経過と共に社殿の腐蝕が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/10/13(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/09/13(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※境内社「気象神社」の御朱印も一緒に拝受できる。

[2016/10/13拝受]

[2015/09/13]

スポンサーリンク

考察

高円寺鎮守の氷川さま

東京都杉並区高円寺南に鎮座する神社。
旧社格は村社で、高円寺の鎮守。
境内社に日本で唯一の「気象神社」が存在している。
正式名称は「氷川神社」だが、他との区別のため「高円寺氷川神社」とさせて頂く。

諸説ある創建の御由緒

創建については史料などが火災により焼失しており不詳となっている。

社伝によると、文治五年(1189)源頼朝が奥州征伐の際に当地に立ち寄った際に、随伴していた村田兵部某が当地で帰農し、「武蔵一宮氷川神社(大宮氷川神社)」より勧請して社殿を建てたといわれる。

また口碑によれば、曹洞宗宿鳳山「高円寺」と同時期に創建されたとも伝わる。

「高円寺」は、弘治元年(1555)に「中野成願寺」三世建室宗正により開山された寺院。
当社の別当寺を担っており、この言い伝えが確かなら、当社も弘治元年(1555)頃に創建と見られるため、社伝とはかなりの違いが出てきてしまう。

いずれにせよ、資料が焼失しているため実際のところは分からないが、地域の鎮守として崇敬を集めたようだ。

徳川家光によって改称された高円寺村

江戸時代初期までの当地は「小沢村」と称されていた。
「高円寺村」と呼ばれるようになるのは、当社の別当寺であった「高円寺」が、第5世耕岳益道の時に、家光の知遇を得ていた事による。

家光が鷹狩りで小沢村を度々訪れた際に、村内にある「高円寺」に立ち寄り休息したとされ、家光はこの「高円寺」を大変気に入ったという。
「高円寺」境内に仮御殿や茶室までが作られたと伝わる事からも、家光から多大な庇護を受けた事が窺い知れる。
こうして「高円寺」は広くその名を知られるようになっていく。

正保年間(1645年-1648年)、当地の地名が「小沢村」から寺の名前に因み「高円寺村」に変更される事となり、これは第5世耕岳益道に感銘を受けた家光の命によって改めさせたとも云われる。

現在の「高円寺」という地名の由来は、寺と家光によってもたらされたと云えるだろう。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(高円寺村)
氷川社
除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝。小名原にあり是も鎮守なり。本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居をたつ。村内高円寺の持。

「氷川社」として、高円寺村の鎮守であった事が記されている。
「是も鎮守なり」の一文があるように、実は当社にはもう一社鎮守と記されている神社がある。
それが現在の東高円寺駅側の「高円寺天祖神社」(高円寺南1丁目)であり、共に高円寺村の鎮守とされていたようだ。
当社は「高円寺」が別当寺であり、高円寺村の中心近くに鎮座し崇敬を集めた。

神仏分離と戦後の復興

明治になり神仏分離で、別当寺の「高円寺」と分離。
明治七年(1874)、村社に列している。

明治二十二年(1889)、町村制が施行され高円寺村・馬橋村・阿佐ケ谷村・天沼村・成宗村・田端村の6か村が合併し、杉並村が成立。
高円寺村は杉並村大字高円寺となり、当社は高円寺の鎮守となった。

これらが現在の高円寺南・高円寺北といった住所となっていく。

大正十一年(1922)、鉄道省の駅として高円寺駅が開業。
同年発生した関東大震災以後は、都心や下町から多くの文人が移り住み、荻窪や阿佐ヶ谷などと共に阿佐ケ谷文士村と云われていく事になる。
こうして当社は人口が爆発的に増えていく高円寺の鎮守として、多くの崇敬を集めていく。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿などが焼失。
高円寺駅も駅舎が焼失していたりと、当社周辺はかなり焼け野原となったようだ。

戦後の昭和二十二年(1947)、仮殿で復興。
昭和二十三年(1948)、「気象神社」が当社境内に境内社として遷された。
昭和四十六年(1971)、現在の社殿が造営され再建に至った。

高円寺阿波おどりは当社の例大祭に併せて開催

高円寺の夏の風物詩となっている「東京高円寺阿波おどり」。

これは高円寺の商店街(現在のパル商店街)の青年部が町おこしとして、当社の例大祭に併せて始めたものである。

現在も「東京高円寺阿波おどり」が開催される日は、当社の例大祭の日。

今では東京を代表する夏祭りの1つとなっている「東京高円寺阿波おどり」は、当社と深く結びついているものであり、こうしたエピソードからも今もなお当社が、高円寺の鎮守として親しまれているのが伝わる。

NPO法人 東京高円寺阿波おどり振興協会公式サイト。2017年の本大会は、8月26日(土)、27日(日)です。

黒い鳥居と戦後に再建された社殿

高円寺駅から近い商店の立ち並ぶ好立地に鎮座する。
img_1537まだ新しさを感じる黒い鳥居が特徴的。

鳥居を潜ると右手に手水舎。
img_1540そして正面に社殿となる。

社殿は昭和四十六年(1971)に再建されたもの。
img_1547鉄筋コンクリート造で再建されてどことなく無骨な印象を受ける。
img_1561全体的な色合いが少し個性的でやや黒系にまとまっており、黒い鳥居と共に不思議とシックでモダンな印象を受ける。

社殿の右手には神輿庫。
img_1560ガラス張りになっていていつでも神輿の姿を見る事ができるのは嬉しい。

日本唯一の気象神社

境内社には日本で唯一とされる「気象神社」という珍しい神社が鎮座。
img_1550元々この「気象神社」というのは、現在の高円寺北4丁目にあった大日本帝国陸軍の「陸軍気象部」の構内に、昭和十九年(1944)に造営されたものである。
陸軍気象部にあったから事から「気象神社」と称された。
気象観測員が気象予報の的中を祈願したという。

戦後、撤去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存。
昭和二十三年(1948)に当社境内に遷座する事となった。
img_1552現在の社殿などは平成十五年(2003)に再建されたものとなっている。
例大祭は6月1日の気象記念日に行われる。
なお、気象神社には御嶽神社・日枝神社も合祀されている。

「気象神社」の御祭神は八意志兼命(やごころおおもいかねのみこと)。
知恵を司る神とされ、有名な「岩戸隠れ」の際に、天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けた神として知られており、このような神話から、暗闇を明るくする知恵を持った神として、気象神社の御祭神とされたのだろう。

また「氷川神社」の御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)であり、上述の「岩戸隠れ」の原因となった神でもある。
そういった縁もあって、当社に遷座されたのかもしれない。

気象神社の鳥居前には絵馬掛があり、ここに掛けられる絵馬が中々面白い。
img_1546下駄の形をした絵馬になっていて、いわゆる「明日天気になーれ」でお馴染みの下駄飛ばし「お天気占い」から来るものなのだろう。
当社らしい独自性のある絵馬になっていて、天候に関する願い事が多く掲げられていた。

気象神社の後方には稲荷神社が並ぶ。
img_1556この左手の隅には力石も多数置かれている。
img_1557東京大空襲によって境内の多くが焼失してしまったが、こうして歴史を感じさせるものが残っているのは素晴らしい。

御朱印は社務所にて。
img_1559気象神社の御朱印も併せて拝受する事ができる。
なお、平時の夜間は閉門しているため、境内に入る事はできないので注意したい。

所感

高円寺の鎮守である当社。
「高円寺」が別当寺を担い、江戸時代の頃より地域の人々から崇敬を集めたのであろう。
大正以降に高円寺駅ができ、関東大震災の影響で人口が大幅に増加、そして戦後の復興によって、今では若者から人気のある街となっている高円寺において、当社は今もなお崇敬を集める存在であるのは間違いない。
また、境内社の「気象神社」は日本唯一という事で、中々に興味深い。
高円寺の一大イベントである「東京高円寺阿波踊り」は当社の例大祭に併せて開催されるものであり、町おこしと鎮守が一帯となって大成功したイベントとも云え、こうした事からも当社が高円寺にとって大切な存在なのが伝わる神社である。

スポンサーリンク

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]
img_1537
img_1538
[ 手水舎 ]
img_1540
[ 拝殿 ]
img_1545
img_1544
img_1547
img_1543
[ 拝殿・本殿 ]
img_1561
[ 狛犬 ]
img_1548
img_1549
[ 境内社鳥居 ]
img_1541
[ 絵馬掛 ]
img_1546
[ 気象神社 ]
img_1550
img_1552
img_1555
[ 狛犬 ]
img_1553
img_1554
[ 稲荷神社 ]
img_1556
[ 力石 ]
img_1557
[ 社務所 ]
img_1559
[ 神楽殿 ]
img_1562
[ 神輿庫 ]
img_1560
[ 案内板 ]
img_1539
img_1551

Google Maps