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概要
美しい参道を有する旧馬橋村鎮守
東京都杉並区阿佐谷南に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧馬橋村の鎮守。
美しい境内を有し、綺麗に整備された境内は見どころが豊富。
双龍鳥居の二之鳥居は東京三鳥居の一つに数えられる。
随神門には都内最大の鈴(開運の鈴)があり、近年ではパワースポットとしても注目を集めている。
神社情報
馬橋稲荷神社(まばしいなりじんじゃ)
御祭神:宇迦之魂神・大麻等能豆神
相殿神:伊弉册神・美都波能賣神・菅原道真朝臣
社格等:村社
例大祭:9月第1土・日曜
所在地:東京都杉並区阿佐谷南2-4-4
最寄駅:高円寺駅・阿佐ヶ谷駅
公式サイト:https://www.mabashiinari.org/
御由緒
当社は旧馬橋村の鎮守で、『新編武蔵風土記稿』には「除地一畝十二歩小名西ノ久保にあり村の鎮守なり本社二間四方、拝殿四間に二間未申の方に向前鳥居をたつ鎮座の年代は詳ならす」とあり、祭神は宇迦之御魂神と大麻等能豆神です。天保二(1861)年、拝殿改築に際し氏子五十三人が拠金して、京都白川神祇伯家御役所(神社を司る役所)に上申し、翌年「正一位足穂稲荷大明神」の御神号を拝受したと伝わります。明治四十(1907)年、村内の御嶽神社・白山神社・天神社・水神社を相殿として合祀しました。
当社の創建年代は不明ですが、由緒書によると、鎌倉時代末期の創建と伝わります。また、「寛永十六年、中川八郎右エ門が幕府の命を受けて検地をなせる際、境内地を除地せらる」とあり、このことから、江戸時代初期から当地に祀られていたことがわかります。
昭和十三(1938)年、茅葺屋根の社殿を、総桧入母屋流造りの現在の社殿に改修しており、昭和四十(1965)年十月、住居表示の改正に伴い、馬橋の地名を保つため神社名を「馬橋稲荷神社」と改めました。
本殿前の朱塗りの随神門は、昭和五十(1975)年鎮座七百年記念事業として建立されたもので、左右の随神像に磐間戸神を祀り、中央天井に都内最大といわれる開運の大鈴(直径七十五センチメートル)が吊るされています。当社の神輿は、高さ2.5メートル、台幅1メートル、重さ1.5トンの白木造りの大神輿で、大正十一(1922)年の平和記念東京博覧会に出品されたものです。
正面の石造大鳥居は、高さ8メートルで昇龍・降龍が彫刻されており、東京三鳥居の一つといわれています。
境内には、江戸末期から大正初期頃に男性の間で盛んであった力くらべに使用された力石や、絵馬・奉納額などが多数保存されています。(境内の掲示より)
歴史考察
鎌倉時代末期の創建・馬橋の地名由来
社伝によると、鎌倉時代末期に創建されたと伝わる。
馬橋村の鎮守として創建されたと云う。
当地周辺は古くから馬橋村と云う村が成立。
村の成立時期も不詳ながら、当社近くの墓地に「文安四年丁卯閑二月五日」と刻んだ板碑が現存。
この事から室町時代の文安四年(1447)までには、当地周辺に人の定住があった事が分かり、村としての集落が形成されていた可能性が高い。
馬橋の地名由来は諸説あるが、当社の裏手にある桃園川の湿地帯を軍勢が通った時、「馬を橋代わりにして渡った」ので、「馬橋」の地名が生まれたという説が有力。
当社はこうした馬橋村の鎮守とされた。
正一位足穂稲荷大明神の神号を賜る
延宝二年(1674)、『武州多摩郡馬橋村寅御縄打帳』に「いなり明神社内福泉寺」の記述が残る。
「福泉寺」(現・廃寺)は当社の別当寺で、「いなり明神社」が当社にあたる。
いわゆる検地帳(けんちちょう)のこと。
検地の結果を村単位で集計して取りまとめた帳簿。
天保二年(1831)、氏子53人が拠金して京都に使者を送り、京都白川神祇伯家御役所に上申し、御神体及び神号の宣下を願い出たと云う。
天保三年(1832)、「正一位足穂稲荷大明神(しょういちいたるほいなりだいみょうじん)」の御神号を賜った。
神社における神階の最高位。
白川伯王家(しらかわはくおうけ)は、花山天皇の孫の延信王から始まり神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家で、皇室の祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元。
しかしながら、江戸時代は吉田神道の吉田家が、神道本所として全国の神社・神職をその支配下に置いていて白川伯王家との立場が逆転していたため、吉田家ではなく白川伯王家から正一位を賜ったのは比較的珍しい。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(馬橋村)
稲荷社
除地、一畝十二歩。小名西ノ久保にあり。村の鎮守なり。本社二間四方、拝殿四間に二間、未申の方に向。前に鳥居をたつ。鎮座の年代は詳ならず。
御嶽社
除地、四段二十五歩。小名後原にあり。小祠にて上屋もわづかに六尺四方。鳥居をたつ。
天満宮
除地、四畝二十四歩。前の並にあり。小祠平地にして雑木生茂れり。例祭九月二十五日。右の三社いづれも村内福泉寺の持なり。
馬橋村の「稲荷社」とされているのが当社。
「村の鎮守なり」と記されていて、当社が馬橋村の鎮守であった事が分かる。
創建年代は不詳とされていた。
続いて記載されている「御嶽社」「天満宮」は、いずれも明治に入って当社に合祀。
当社含めてこれらの神社は、同じ村内にあった「福泉寺」(現・廃寺)が別当寺であった。
明治に村内の神社を合祀・馬橋の地名保存のため改称
明治になり神仏分離。
当社は無格社であったが後に村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、馬橋村・高円寺村・阿佐ケ谷村・天沼村・成宗村・田端村が合併し、杉並村が成立。
馬橋村は杉並村馬橋となる。
明治四十年(1907)、村内に点在していた「御嶽社」「天神社」「水神社」「白山社」を、村の中央に鎮座していた当社(稲荷社)に合祀。
そのため地域からは「五社神社」と称される事も多かったと云う。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、当時も現在も当社の鎮座地は変わらない。
杉並村の他に、馬橋や馬橋原と云う地名が残る。
旧馬橋村一帯の地名は後に公式地名から消滅する事となる。
昭和二年(1927)、村社に列する。
昭和十三年(1938)、拝殿を改築しこれが現存。
昭和二十五年(1950)、氏子中の戦没者の御魂と神社関係物故者の合わせて500余柱の御霊を祀る斎霊殿を新設。
昭和四十年(1965)、住居表示が実施。
かつての馬橋1-4丁目が廃止され、現在の阿佐谷北1-5、高円寺北3-4、高円寺南2-3、阿佐谷南1-2、梅里2などに分けられたため、長年続いた「馬橋」の地名が公式に消滅。
同年、馬橋村の鎮守であった当社が「馬橋」の地名が消滅する事を憂慮。
昭和五十年(1975)、鎮座700年記念行事として随神門が新築。
平成二十六年(2014)、本殿の覆殿を建立。
平成三十年(2018)、境内整備で社殿が石段の上に遷る。
その後も多くの境内整備が行われ現在に至る。
境内案内
立派な大鳥居・東京三鳥居の双龍鳥居
高円寺駅と阿佐ヶ谷駅のほぼ中間の位置の住宅街に鎮座。
一之鳥居を潜った先からは美しい参道が広がる。
美しい参道と水路・幻の蛍の姿も
二之鳥居の先には綺麗で長い参道が続く。
杉並区と中野区を流れる河川であったが、現在は全区間暗渠化されているため見る事はできない。
当社では告知を行っていないし、広く知られてはおらず、一部の氏子しか知らない事であるが、実は当社の境内では初夏になると蛍の姿を見る事ができる。
2015年の初夏の夜、ふらりと当社に参詣した際、境内に蛍が飛んでいて驚いた。
実に幻想的な光景で2021年の初夏にも遭遇。
自然に繁殖したものではなく、数年前より神職の方や近隣大学の学生が育てた蛍を境内に放っているそうで、都内ではとても貴重な光景。
蛍が生息できるように、参拝者もこの綺麗な境内を維持できるよう協力したい。
馬橋稲荷神社と蛍。杉並区阿佐谷南。深夜にバイク移動をしていて近くを通ったのでふと参拝。水のせせらぎが聞こえる参道に蛍の姿。実は6年前の同じ頃にもふらりと参拝したら馬橋稲荷で蛍を見たのですがまたこの光景に出逢えました。※もし蛍を見かけてもそっと見守って下さい。 pic.twitter.com/A6NkzyMpAR
— 御朱印・神社メモ (@jinjamemo) June 10, 2021
三之鳥居。
地下水の手水舎・随神門の開運鈴はパワースポット
参道を進んだ左手に手水舎。
その先に見事な随神門。
拝殿前の三ツ鳥居・立派な社殿は石段の上に鎮座
随神門を潜ると正面に社殿。
三輪鳥居(みわとりい)とも称される。
1つの明神鳥居の両脇に小規模な2つの鳥居を組み合わせた鳥居。
三ツ鳥居は周囲を囲む瑞垣の役割も。
拝殿は昭和十三年(1938)に造営されたものが現存。
本殿は天保二年(1831)に建立されたものが現存。
斎霊殿・厳島神社などの境内社
社殿の左手に境内社が並ぶ。
その奥に厳島神社・水神社。
その隣に数多くの稲荷社。
古い水盤など・北鳥居・西鳥居・東鳥居
近くには古い水盤。
この近くに合祀碑。
参道の左手には神楽殿。
西側には西鳥居。
東側に東鳥居。
馬橋稲荷神社の御朱印
上は「馬橋稲荷神社」の朱印、下は「馬橋稲荷神社参拝章」の印。
昇龍降龍の御朱印帳・神狐の御朱印帳
オリジナルの御朱印帳も用意。
願かけ狐や開運双龍手拭い等の授与品
授与品も豊富に用意。
以前頂いた開運双龍手拭い。
所感
旧馬橋村の鎮守として地域からの崇敬を集める当社。
「馬橋稲荷神社」の社号は、公式地名からは消滅してしまった「馬橋」の旧地名を保存するための改称であり、こうして鎮守社が旧地名の保存に努力されているのは、とても素敵な事だと思うし、現代において大切にしたい部分だと思う。
境内はとても美しく、双龍鳥居や綺麗な参道、社殿など見どころも豊富。
神社側や氏子による努力が伝わってきて、地域に親しまれる鎮守なのが伝わる。
規模は小さいながら素晴らしい境内を堪能できる都内屈指の良社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※例大祭当日に例大祭印付きの限定御朱印あり。
※以前は初穂料300円より志納だったが現在は500円に変更。
御朱印帳
オリジナル御朱印帳
初穂料:2,000円(御朱印代込)
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を3種類用意。
朱色をメインに神使の狐をデザインしたものは通常サイズ。
双龍鳥居の昇龍・降龍をデザインしたものは大サイズ。
2024年5月より黒を基調として馬をデザインした御朱印帳も頒布開始。
※筆者が頂いた時は初穂料1,500円だったが2024年参拝時は2,000円に変更。
授与品・頒布品
開運双龍手拭い
初穂料:1,500円
社務所にて。
参拝情報
参拝日:2024/03/22(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2020/05/26(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2019/03/20(御朱印拝受)
参拝日:2015/04/05(御朱印拝受)
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