大井蔵王権現神社 / 東京都品川区

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神社情報

大井蔵王権現神社(おおいざおうごんげんじんじゃ)

御祭神:建速須佐男命・金山毘売命・金山毘古命
旧社格:─
例大祭:4月中旬(天狗祭り)
所在地:東京都品川区大井1-14-8
最寄駅:大井町駅
公式サイト:─

御由緒

 江戸時代、江戸の町に火事や疫病が流行ったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗のおかげで無事だった。その後、人々は天狗に感謝して権現神社のお祭りには太鼓を叩いたり、天狗を祀った神輿をかついだりしてきました。今ある、「大井権現太鼓」の発祥はその時の名残です。毎年8月下旬の土・日に大井町駅前で行われる(大井どんたく祭り)でも披露される。しながわ観光協会より)

参拝情報

参拝日:2016/08/24(ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/01/06(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※荏原七福神・福禄寿の御朱印もあり。
※社務所は普段は無人だが、正月や例祭日などに開かれる。(それ以外は要連絡)

御朱印

授与品・頒布品

交通安全祈願最高級ステッカー
初穂料:200円
社務所にて。

交通安全

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考察

大井町にある小さな神社

東京都品川区大井に鎮座する神社。
旧社格は無格社。
現在は荏原七福神の福禄寿を祀る。
蔵王権現という修験道の本尊の名が付いた社号で、神仏習合・修験道との混淆が見られる神社。

光福寺に残る縁起

創建については不詳とされているが、平安時代には鎮座していたという伝承が残る。

大井の地名の由来となった井戸が伝えられる「光福寺」(品川区大井6丁目)の縁起には、当社について記載したと見られる縁起が残っている。

それによると、東国に流された鳥羽天皇の子孫が、子息のないことを嘆いて蔵王権現に祈願。
その後、子を授かったことから感謝をし、蔵王権現を祀った社を創建したとある。

大井周辺に蔵王権現の名を見る事ができるのが古くから当社のみしか見当たらないため、恐らくこれが当社ではないかと推定できる。

蔵王権現は修験道の本尊

蔵王権現とは、正式名称は金剛蔵王権現という。
修験道の本尊であり、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊が合体したものとされ、インドなどに起源をもたない日本独自の本尊である。
特に奈良県吉野町の「金峯山寺」の本尊として知られている。

奈良県吉野町。総本山。役行者と修験道の紹介、修行・入門体験情報。

余談になるが、現在では観光地として有名な山形県と宮城県の県境にある「蔵王山」は、修験道や山岳信仰がある地に吉野から蔵王権現が勧請されたため、蔵王山と呼ばれるようになった。

そもそもが日本独自の本尊であるが、神仏習合で神道とも習合するようになる。
主に大己貴命・少彦名命・国常立尊・日本武尊・金山毘古命などと習合し、同一視される事が多い。

当社も御祭神に金山毘古命がおり神仏習合した様子が分かる。
そして明治以降の神仏分離によって蔵王権現の名は御祭神から外されたのであろう。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(大井村)
蔵王権現社
除地8畝10歩。村の北の方にあり。祭礼毎年9月3日神酒を供す。此社あるにより此あたりを權現台と呼べり。

当社がある地を権現台と呼んだと書いている。
現在の品川区広町二丁目付近で、JR東日本の東京総合車両センターがあるあたり。
この辺は旧地名、権現台とされており、当社が由来とされている。
このように以前の鎮座地は権現台(品川区広町2丁目)に鎮座していた。

天狗祭りの起源となる天狗伝説

江戸時代には大井村にこんな天狗伝説が残っている。

江戸にて火事や疫病が流行った時、大井村周辺は蔵王権現の天狗のおかげで無事であった。
そこで、天狗に感謝をし、当社の例祭には太鼓を叩いたり天狗を祀った神輿を担いだりしたという。

蔵王権現は修験道の本尊であり、修験道と天狗は深く結びついているため、そこから天狗が登場したと推測できる。

これが現在も続く大井町の「天狗祭り」の起源とされ、毎年4月の例祭に斎行される。

さらに毎年8月下旬に大井町駅前で行われる「大井どんたく祭り」でも、大井権現太鼓が披露されている。
大井町で行われるお祭りは当社を起源とするものが多い。

明治以降に幾度も遷座

明治になり神仏分離。
蔵王権現という仏教色が強かった御祭神も、この頃に同一視された金山毘古命に改められた。
image それでも蔵王権現という社号が残っているのは、崇敬の篤さによるものに違いない。

明治四十三年(1910)、品川操車場埋め立て工事に伴って、権現台から東大井にある「来福寺」に遷座。
寺院に遷座したというのは、やはり仏教色が強かったからだろう。

大正十四年(1925)には日本理化工業の社有地に遷座している。
社有地に遷座の経緯は定かではないが、おそらく仏教色が強かった当社は、廃仏毀釈や合祀政策を受け廃社になるところを、地元に本社を置く日本理化工業の社有地に遷座する事で守ったものと思われる。
戦後までそういった形は続く。

昭和六十三年(1988)、現在の鎮座地に、小さいながらも新しい社殿を竣工し遷座。
江戸時代以前に鎮座していた権現台の地より、各遷座地でも守り通された「石堂」が今も奥殿に安置されている。
この石堂には「蔵王大権現」の文字が刻まれているという。

このように何度も遷座を繰り返し、神仏分離・廃仏毀釈の流れがありながらも、今もこうして現存しているのは地域の方々の崇敬や努力の賜物だろう。

小さな境内と荏原七福神・福禄寿

大井町駅の西側・商業施設が多く立ち並ぶ裏手の街路樹沿いに鎮座する。
image境内はとても狭く、鳥居、手水舎、そして社殿という最低限の境内。

鳥居の右手には小さな手水舎。
imageこのような小さな神社だが水が張られているのは嬉しい。

社殿は、昭和六十三年(1988)に遷座した際に新築されたもの。
image普段は見る事ができないが、江戸時代以前に鎮座していた権現台の地より、各遷座地でも守り通された「石堂」が今も奥殿に安置されている。
image石堂には「蔵王大権現」の文字が刻まれているという。

社殿の手前左手には「福禄寿」を祀る境内社。
image荏原七福神の福禄寿であり、七福神めぐりをされる方の姿を見る事もできる。

社殿の右手には御神木の銀杏の木。
image遷座した際に植樹されたようだが中々立派。

御朱印は社殿左手にある社務所にて。
image大井一丁目会館に併設して窓口がありそちらが社務所扱いとなる。
普段は無人の社務所なのだが、正月や例祭日などになると開く事が多い。
現在は荏原七福神の福禄寿を担っているため、福禄寿の御朱印もお受けできる。
普段は連絡先が書いてあるので要連絡。(対応して頂ける時もある)

所感

大井町にある小さな神社であるが崇敬の篤さを感じる、貴重な蔵王権現神社。
境内は鳥居の奥にすぐ社殿があり、あとは手水舎や御神木といったとても狭いもの。
それでも神社の形を有しており、七福神巡りや大井町を代表するお祭りなど、地域からの崇敬は篤い。
日頃からこの小さな社に参拝する方が多いし、大事に管理されているのが伝わる。
蔵王権現という修験道の本尊を起源とし、江戸時代から伝わる天狗の伝説、そして明治の神仏分離後の経緯。
廃仏毀釈など多くの困難があり、度重なる遷座を繰り返しつつも、こうして現在も維持できている事が素晴らしく、地域の方々による崇敬の篤さを感じさせてくれる。
小さな社にも多大な想いや歴史がある、そう思わせてくれる神社ではないだろうか。

神社画像

[ 社務所・社号碑・鳥居・社殿 ]
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[ 社号碑・鳥居・社殿 ]
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[ 拝殿扁額 ]
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[ 本殿 ]
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[ 福禄寿 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 石像 ]
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[ 御神木 ]
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[ 社務所(大井一丁目会館) ]
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