武州柿生琴平神社 / 神奈川県川崎市

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神社情報

武州柿生琴平神社(ぶしゅうかきおことひらじんじゃ)

御祭神:天照大御神・大物主神
旧社格:─
例大祭:10月10日
所在地:神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5-46-15
最寄駅:柿生駅・新百合ヶ丘駅・たまプラーザ駅(いずれも駅からバス推奨)
公式サイト:http://kotohirajinja.com/

御由緒

 元亀元年(1570年)から祀られていると伝えられており、志村家に代々伝わる古文書によると、1711年以前に伊勢山の地に神明社があった事が記されています。
 その文によると「崇源院様(徳川二代将軍秀忠の正室)ご繁栄の砌、祈祷所として当村鎮守大神宮を勧請致し、これまで年々伊勢踊、神事祭礼、湯立、神楽等仕え来たり当村の鎮守に御座候」と記されています。その後、文政九年(1826年)、伊勢山の地に志村文之丞によって四国金刀比羅宮の祭神をこの地に勧請し、神明社・琴平社の合社が再建されました。これが琴平神社の起こりであります。
 昭和55年、崇敬者による金刀比羅神の崇敬の思潮が強く打出され、社名を琴平神社と改称。神明社と琴平社の合社相殿のお宮であったため右側に天照皇大御神を左側に琴平大神をお祀り申し上げました。神座は別々の神座となった珍しいものです。
 本殿の境内の手水舎を担った山伏姿の石像は「がまんさん」と呼ばれ地域の人々の信仰をあつめています。 昭和47年以降、王禅寺東5丁目に参集殿、琴平社奥社、御札授与所、社務所、儀式殿、東屋等が次々に築かれ、大黒様戎様の石像物も建造され、 庭内は四季折々の花や樹木が配属されていて、参拝者の憩の場所ともなっています。また、境内には弁財天社(銭洗い弁天)、稲荷社がございます。
 しかしながら平成十九年六月二十六日、残念なことに放火により拝殿が焼失、本殿は蔵造りであったため御神体・御神宝は守られ、儀式殿に仮遷座いたしました。拝殿天井には渡辺崋山筆と伝えられる六十三枚の花鳥山水を描いた板絵がありましたが焼失してしまい、本殿再建に当たって宮司自ら筆をとり復元致しました。そして平成二十三年、皆様からの御奉賛、ご協力により本殿再建が進められ、完成の運びとなりました。六月十二日に本殿遷座祭、六月二十六日に本殿竣功奉告祭を斎行し、神様が再び元の地に戻られました。公式サイトより)

参拝情報

参拝日:2016/06/22

御朱印

初穂料:300円
儀式殿社務所にて。

※兼務社(計十三社)の御朱印も拝受できる。

武州柿生琴平神社

御朱印帳

初穂料:各1,500円
儀式殿社務所にて。

取り外してしまったが透明の防水カバーも一緒についてくる。
四獣(四神)がデザインされたオリジナルの御朱印帳。
黒を貴重にしたものと、白を貴重にしたものの2種類がある。
汎用の御朱印帳も用意されていた。

[ 表面 ]
武州柿生琴平神社御朱印帳1

[ 裏面 ]
武州柿生琴平神社御朱印帳2
[ 御朱印帳 ]
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授与品・頒布品

交通安全ステッカー(小)
初穂料:300円
儀式殿社務所にて。

武州柿生琴平神社ステッカー

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考察

柿生のこんぴらさん

神奈川県川崎市麻生区王禅寺東に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、王禅寺村の鎮守。
現在は近隣十三社の本務社であり、この地域の中心的な役割を果たしている神社。
本殿と儀式殿がやや離れた場所に鎮座している珍しい形の境内が特徴的となっている。
神明社と琴平社の相殿という形ではあるが、金毘羅信仰の色合いが強いため「柿生のこんぴらさん」として地域の方々に親しまれている。

当社の創建と徳川将軍家と繋がりの深い王禅寺村の歴史

社伝によると、元亀元年(1570)に創建とされている。
元々は「神明社」として伊勢信仰の神社であったと伝えられている。
当社が鎮座する場所は「伊勢山」と呼ばれていた事からも、その事がよく分かる。

徳川家康が関東鎮護、国土泰平の祈禱所としてしばしば参詣したという社伝がある。
さらに二代将軍・徳川秀忠の正室である崇源院(江という名で有名)が祈祷所として当社を勧請したとも記されている。
このように当時は徳川将軍家との繋がりも深かったとされる。

これは王禅寺村という土地柄であろう。
そもそもこの地一帯の地名にもなっている「王禅寺」は、真言宗豊山派の寺院で「東の高野山」とも呼ばれるほど力を誇った寺院であり、江戸時代には、歴代将軍の位牌を奉り将軍家より葵の御紋の使用を与えられた程、徳川将軍家との繋がりが深い寺院であった。

ちなみに日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が発見された寺としても有名で、「柿生」という地名も、禅寺丸柿の産地である事に由来している。

このように「王禅寺」があった事で、徳川将軍家との繋がりが深かった王禅寺村は、二代将軍・徳川秀忠の時代、御台所(崇源院)の御化粧料の領地となっていた歴史がある。
崇源院との繋がりが大変深く、年々伊勢踊り神事(神楽舞)祭礼等盛大にとり行なわれていたとされる。

崇源院が他界した後の王禅寺村は、芝の「増上寺」に寄進され、御仏殿料の地となった。
徳川家の菩提寺と云える「増上寺」に寄進された事からも、当地が徳川家と繋がりが深かった事が伝わってくる。

このように元は伊勢信仰の「神明社」として創建した当社は、徳川将軍家との繋がり「増上寺」の社領として、崇敬を集めた事になる。

江戸時代の当社

金毘羅信仰である琴平社が合祀されたのは江戸後期の事。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(王禅寺村)
神明社
除地、二畝二十歩、村の中ほどにあり、小祠なり、東向、まへに小なる鳥居をたつ、村持。

王禅寺村の「神明社」として記された当社。
創建当時と同様にこの頃はまだ「神明社」であり、金毘羅信仰との関わりがなかったようだ。
小さな祠であったのと小さな鳥居があったと記されている事から、規模はかなり小さかったのだろう。
王禅寺の村持の小さな社として崇敬を集めていた事が分かる。

この『新編武蔵風土記稿』が記された直後に、当社に金毘羅信仰の琴平社が合祀される事となる。

名主の金毘羅信仰により琴平社が合祀

文政九年(1826)、王禅寺村の名主であり神主でもあった志村文之丞が、讃岐(香川県)「金刀比羅宮」の分霊を勧請。
元々あった「神明社」と合祀して合社相殿の形となり、現在の「琴平神社」の基礎が出来上がる。

この志村文之丞は、讃岐「金刀比羅宮」への崇敬が大変篤かった人物とされる。
記録によると16歳の頃から18度も「金刀比羅宮」へ参詣の後、当社に勧請し社殿などを寄進したとある。

江戸時代後期になると、「象頭山松尾寺金光院」(明治の神仏分離で廃寺に追い込まれ「金刀比羅宮」へ強制的に改組)や「金刀比羅宮」に詣でる「金毘羅参り」が盛んとなった背景がある。
一般的に当時の江戸庶民は金毘羅講という講を結成し、講金を積み立て交代で選出された講員が積立金を使って讃岐まで参詣し、海上交通安全などを祈願して帰郷した。

講員であっても一生に一度参詣できればよい、そういった金毘羅講が一般的だった中、志村文之丞は18度も参詣した記録がある事から、経済的にも裕福な名主であり、金毘羅信仰の篤かった人物だったのが分かる。

神仏分離・戦後の整備・放火からの再建

明治になり神仏分離。
金毘羅信仰は神仏習合の色合いが強かったため、当社も多少なりとも影響を受けたと思われる。

戦後になり境内整備が進むようになる。
昭和四十七年(1972)以降、参集殿、琴平社奥社、御札授与所、社務所、儀式殿、東屋等が次々に築かれ、地域の当社に対する崇敬の篤さを感じさせる。

昭和五十五年(1980)には、崇敬者による金毘羅信仰が強く打ち出され、社名を現在の「琴平神社」と改称。
これまでは「神明社」と「琴平社」の合社相殿であったため、右側に天照皇大御神を左側に琴平大神を祀るという形となっている。

文政九年(1826)に造営された社殿は平成の世も残っていたものの、平成十九年(2007)に放火によって拝殿が焼失という大変残念な事が起きてしまう。
この拝殿には天井絵として渡辺崋山が描いたと伝えられる六十三枚の花鳥山水を描いた板絵があったものの焼失、現在は宮司自ら筆をとって復元された。
本殿は蔵造りであったため、御神体などは守られたとされ、儀式殿に仮遷座。

平成二十三年(2011)、崇敬者からの奉賛などもあり社殿が再建。
現在は儀式殿と本殿でやや離れたところに鎮座する形となっている。
また多くの兼務社(十三社)を担う、地域の中心的な神社であり、崇敬を集めている。

急な石段の上に鎮座する再建された本殿・手水鉢を支えるがまんさん

当社は近い距離ではあるが、本殿側と儀式殿側で別れているのが特徴的である。
本殿はかつて「伊勢山」と呼ばれた高台の上に鎮座し、創建の地となっている。
imageこの本殿にある鳥居の上段には、かつて僧上坊と鴉天狗が安座していたという。
かつての神仏習合時代の金毘羅信仰を伝える鳥居だったのだが、残念ながら破損しており現在はその姿を見る事ができない。

急な石段の上に本殿が鎮座している。
image中々急な傾斜であり、この本殿へ参詣する事が難しい方のために、平地にバリアフリー化された儀式殿が用意されたものと思われる。

石段を上ると右手に手水舎があるのだが、この手水舎の手水鉢が特徴的。
image手水鉢を支える4つの山伏像が置かれており、地域の方に「がまんさん」と呼ばれ親しまれている。
これは我慢することによって物事の貫徹を願うもので、法悦の世界を意味していると伝えられており、これらも神仏習合の名残を思わせてくれる。
なお、神奈川県には横浜市港北区菊名にある「菊名神社」にも「がまんさま」と呼ばれる手水舎を支える像があり、そちらとの関連も気になるところである。

社殿前には二対の狛犬。
image一対は天保九戌年(1838)の奉納であり、金毘羅信仰の神社となってから奉納されたもの。

社殿は大変真新しさを感じさせる。
image文政九年(1826)に造営された旧社殿が、平成十九年(2007)に放火によって焼失。
拝殿には天井絵として渡辺崋山が描いたと伝えられる六十三枚の花鳥山水を描いた板絵があったものの焼失しており、現在は宮司自ら筆をとって天井絵が復元されているとの事。
image平成二十三年(2011)、崇敬者からの奉賛などもあり社殿が再建。
放火という憂き目に合ったものの、見事な社殿で再建されており、氏子や崇敬者による崇敬の篤さを感じさせてくれる。

なお、この本殿の参拝は8時-16時の間に限られるので注意したい。
放火があったため夜間の時間帯は閉じられている。

この本殿側の奥には琴平霊廟と呼ばれる、神道専用墓所も整備されている。

バリアフリー化された儀式殿

上述の本殿からやや離れた場所に儀式殿が鎮座している。
社務所や境内社などはこちらにあり、こちらは24時間参拝可能となっている。

朱塗りの立派な大鳥居は平成三年(1991)に造営されたもの。
image大きさは横約14m、高さは約13mと立派で、鳥居に掲げられている扁額は金毘羅信仰の総本社である香川県「金刀比羅宮」の宮司によるものとなっている。

大鳥居を潜ると左手に手水舎があり、参道にはこの日は茅の輪が置かれていた。
image夏越の大祓の前という事で茅の輪が置かれており、茅の輪を潜ると右手に儀式殿となっている。

儀式殿はバリアフリー化されているのが特徴的。
image参道までもスロープになっている箇所がありよく考えられた造りとなっている。
元々儀式殿が出来た経緯が、上述のように急な石段がある本殿への参拝が困難な人でも、容易に参拝ができるようにと建設されたものであり、参拝者の事を考えた境内となっているのが素晴らしい。

境内社は儀式殿左手に「銭洗弁天」。
image文化元年(1804)の創建で、元々は「王禅寺」内に鎮座していたとの事。
小さいながら弁天池も整備されている。

さらにその左手には大黒様・戎様の石像。
image先代宮司によって建てられたもので、大黒様は大国主命と同一神とされており、当社の御祭神である大物主神とも同一と見られる神様であるので、こうして置かれたのであろう。

その奥には「福寿稲荷/お多賀さん」と呼ばれる境内社。
image御祭神は稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神であり、総称として「お多賀さん」とも呼ばれる。
群馬県の「嬬恋稲荷総社」から、文政七年(1824)に勧請されたとある。
奥には古い祠なども置かれており、当地の信仰の歴史を感じさせてくれる。

境内は大変綺麗に整備されており、東屋と呼ばれる休憩所もある。
image藤棚などもあるのだが、東屋は喫煙所にもなっており、こうした整備が行き届いている。

儀式殿に隣接するように右手が参集殿、左手が社務所となっている。
image御朱印はこちらの社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意していた。
兼務社(計十三社)の御朱印もこちらで拝受できる。

所感

王禅寺の鎮守だけでなく、多くの兼務社を担うこの地域の中心的神社。
元々は伊勢信仰の神明社として創建し、その後の琴平社の合祀という歴史を持っている。
崇敬者には金毘羅信仰を崇敬する方が多いようで、今では金毘羅信仰を前に出した「琴平神社」になっており、地域からの崇敬を大いに集めている。
戦後の境内整備によって、とても素晴らしい境内となっているのが特徴的。
惜しくも放火で焼失してしまった旧社殿ではあるが、無事再建されたのが喜ばしい。
本殿は急勾配の石段の上にあるため、誰でも気軽に参拝できるように平地に儀式殿を造りバリアフリー化していたりと、参拝者の事を考えた境内となっているのが素晴らしい。
当地の古き信仰を残しつつ、こうして再整備される姿はとても良い事だと思うし、他の神社のお手本にもなるような良社ではないだろうか。

神社画像

– 本殿側 –

[ 鳥居・石段 ]
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[ 手水舎 ]
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[ がまんさん・手水石 ]
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[ 参道 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 拝殿・本殿 ]
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[ 記念碑 ]
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[ 琴平霊廟入口・金子稲荷大明神 ]
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– 儀式殿側 –

[ 大鳥居 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 茅の輪(夏越の大祓) ]
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[ 儀式殿 ]
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[ 銭洗弁天 ]
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[ 大黒様・戎様 ]
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[ 多賀社・塩釜社・稲荷社(福寿稲荷・お多賀さん)]
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[ 東屋 ]
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[ 社務所 ]
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[ 参集殿 ]
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[ 案内板 ]
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