本牧神社 / 神奈川県横浜市

横浜市

神社情報

本牧神社(ほんもくじんじゃ)

御祭神:大日靈女命
相殿神:建速須佐能男命・木花咲耶姫命・大山咋命
社格等:村社
例大祭:9月初旬(お馬流し)
所在地:神奈川県横浜市中区本牧和田山19
最寄駅:山手駅
公式サイト:http://www.honmoku.or.jp/

御由緒

 本牧神社は、旧くは「本牧十二天社」と称し、本牧岬の先端の出島に鎮座し、境内は玉樟を始めとする巨古木が蒼然と杜をなし、鳥居際には波が打ち寄せる風光明媚な社でした。その様子は、江戸名所圖絵にも「本牧塙 十二天社」として描かれています。
 御創建は、建久3年(1192年)源頼朝公が鎌倉に幕府を開くに当たり、幕府鬼門の守護として平安期から奉祀されていた社殿に朱塗の厨子を奉納したとも、また弘長3年(1263年)の元朝、里人が海中より輝く大日霊女命(=天照大神)の像を拾い上げ、社を設け村の総鎮守としたとも伝えられるなど、幾つかの説があります。
 往古より朝野の崇敬篤く、鎌倉時代には将軍より、室町時代には関東管領より社領の寄進があり、徳川家康公の江戸入府以降は、徳川将軍家からも代々社領寄進の御朱印が下されていました。神仏習合の時代には、本地垂迹また仏説により護法の「十二天」を神前に祀っており、これが江戸末までの社名「十二天社」の謂れとなっています。
 明治以降は、神仏分離令により「本牧神社」と称し、政府の政策により村内の各神社を合祀。本牧一帯の総鎮守として村社に列せられ、公から幣帛供進使参向の指定も受けていました。
 昭和20年(1945年)5月の横浜大空襲では氏子町とともに大きな被害を受け、翌21年からは進駐軍の接収により創建以来の社地を奪われ、以後47年間仮遷座を余儀なくされました。
 接収解除、境内地の換地返還、氏子崇敬者の赤誠を結集した新社殿の竣功を受けて、平成5年10月23日現鎮座地への本殿遷座祭が斎行され、今日に至っています。(お馬流し展示館の掲示より)

参拝情報

参拝日:2019/08/29

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:1,200円
社務所にて。

オリジナル御朱印帳を用意。
横浜の海と空をイメージした明るい水色を基調としたもの。
「お馬さま」のロゴと、船舶信号旗を配したデザイン。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

歴史考察

本牧十二天社と呼ばれた本牧総鎮守

神奈川県横浜市中区本牧和田に鎮座する神社。
旧社格は村社で、本牧一帯の総鎮守。
かつて江戸湾(東京湾)に突き出した崖上(本牧十二天の丘)に鎮座し、十二天の像を祀っていた事から「本牧十二天社」と称され、大いに崇敬を集めた。
戦後は本牧地区が米軍の住宅地区として接収され、当社の旧社地も接収、仮遷座を余儀なくされた。
米軍から本牧地区が返還され、平成になってから現在地へ遷座した歴史を持つ。
例大祭には「お馬流し」と呼ばれる神事が行われ「ハマの奇祭」と知られていて、境内には「お馬流し展示館」が設けられている。

諸説ある創建由来・源頼朝による奉納など

社伝によると、創建由来や創建年代については諸説ある。

1つは平安時代以前より創建し、源頼朝による奉納説。

創建年代は不詳ながら、平安時代以前より社殿が設けられていたと云う。

建久三年(1192)、源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開く。
その際に、鎌倉幕府鬼門の守護として当社に朱塗の厨子を奉納したと伝わる。

鬼門(きもん)
艮(うしとら)の方角であり、すなわち北東の方角。
鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角とされる。
もう1つは鎌倉時代に村人が海中より御神体を拾い上げた説で、こちらは旧別当寺「多聞院」に伝わる社伝。

弘長三年(1263)、村人が海中より輝く大日霊女命(天照大神)の像を拾い上げた。
御神体を祀るために社殿を建立して、村の総鎮守とした。

他にも諸説あるものの、鎌倉時代には鎌倉幕府七代将軍・惟康親王(これやすしんおう)から、室町時代には関東管領から社領の寄進があったと云う。
関東管領(かんとうかんれい)
室町幕府が関東における出先機関として設置した鎌倉府の長官を「鎌倉公方(かまくらくぼう)」と云い、その鎌倉公方を補佐するための役職が関東管領。

江戸湾に突き出した高さ30mほどの崖の麓に鎮座

当時は江戸湾(東京湾)に突き出した高さ30mほどの崖の麓に鎮座。
現在は埋め立てられているが、この崖の先が全て海であった。
崖は「本牧岬」「本牧の鼻」「本牧十二天の丘」等と称され、戦前までは景勝地としても知られた。

現在の本牧十二天緑地(横浜市中区本牧十二天)が旧鎮座地となる。
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十二天を祀り本牧十二天社と称された神仏習合時代

いつの頃から、当社は御神体の前に十二天を祀った事から「十二天社」と称されるようになる。
神仏習合の中で、多くの人々から崇敬を集めた。

十二天(じゅうにてん)
仏教における「天部」(天界に住む者の総称)の諸尊12種の総称。
仏法および仏教徒を守護する護法善神(ごほうぜんじん)。
日天・月天・火天・水天・風天・地天・梵天・毘沙門天・大日財天・閻魔天・帝釈天・羅刹天の十二天。

旧別当寺「多聞院」の僧が、本地垂迹の説から当社に十二天を祀ったと云う。

http://www.tamon-in.com/
本地垂迹(ほんじすいじゃく)
日本の八百万の神々は、様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるという思想。
神の正体とされる仏を本地仏(ほんじぶつ)と呼んだ。

神仏習合の中、「本牧十二天社」と称され崇敬を集めた。

永禄九年(1566)頃より現在も伝わる神事「お馬流し神事」が開始されたと伝わる。

徳川将軍家より朱印地を賜る・厄除けの神として信仰

天正十八年(1590)、徳川家康が関東移封によって江戸入り。
天正十九年(1591)、家康より12石の朱印地を賜る。

朱印地(しゅいんち)
幕府より寺社領として安堵された土地。
朱印が押された朱印状によって安堵された事から朱印地と呼んだ。

以後、歴代の徳川将軍家より朱印地を賜り庇護された。

方除け、厄除けの神として、武家や庶民から篤く崇敬を集めた。
さらに江戸湾に突き出した崖の麓に鎮座していた事から、江戸湾を往来する廻船からは航海安全の神として信仰された。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社について記してある。

(本郷村)
十二天社
丑の方にて村の惣鎮守なり。相傳ふ神體は、永禄年中今神主豊後が先祖、松本次郎左衛門と云もの當所海面にて漁網中に得たり。依て爰に社を建て祀る小田原役帳に十八天領二十貫文奈古谷に伏とあり。豊後が話に昔小名間門に第六天鎮座す。故に今も其跡を第六天山とも後彼第六天を移し合祀て十八天と云ひしにやといへり。御朱印社領十二石は天正十九年十一月當所に於て賜へり。本社三間四方。幣殿二間四方。拝殿二間に四間。前に鳥居二基たてり。
末社。
天神社。本社に向て右にあり。下並に同。
稲荷社。
天照大神熊野龍王権現合社。
若宮八幡社。この社は、いまの本社より舊く鎮座すといへり。北方村の鎮守なり。元禄五年再建の棟札存す。

(新編武蔵風土記稿)

本郷村の「十二天社」と記されているのが当社。
「村の惣鎮守」と記してあり本牧郷の中心であった本郷村の総鎮守であった事が分かる。
別途、境内も描かれていて地域のシンボル的な扱いであった事も窺える。

目の前が海で崖の麓に鎮座していた事が窺える。

『新編武蔵風土記稿』では、永禄年間(1558年-1570年)に当時の神主の先祖・松本次郎左衛門と云う人物が漁をしていた際に網にかかった御神体を祀ったとあり、その後の経緯も記されている。

現在、当社の御由緒として残る説とはかなり違う説。

また境内社の若宮八幡社は、十二天社より古くから鎮座していた神社だったと云う。
本郷村の北にあった北方村の鎮守を担っていた。

別当寺は「多聞院」が担った。

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江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「本牧塙 十二天社」として描かれているのが当社。
「本牧岬」「本牧の鼻」「本牧十二天の丘」等と称された崖が目印。
航海の目印になった他、景勝地としても知られていた。

(江戸名所図会)

当社の社殿を中心に拡大したのが上図。

崖の麓に立派な茅葺屋根による拝殿と本殿。
目の前は海岸と海であり、風光明媚な景色だった事が窺える。

後にペリーが黒船で来航した際、当社がある崖を「マンダリン・ブラフ」(みかん色の崖)と名付けている。

明治の神仏分離で本牧十二天社から本牧神社へ改称

明治になり神仏分離。
「本牧十二天社」と称された当社は「本牧神社」へ改称。

神仏分離で仏教色の強い十二天は分離し、本体の大日霊女命を祀った神社となった。

当社は村社に列し、本牧一帯の総鎮守を担った。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

橙円で囲った箇所が創建当時からの鎮座地。
当時は海に面した崖の麓に鎮座しており、これは現在の本牧十二天緑地にあたる。
赤円で囲った箇所が現在の鎮座地で、当時はなにもない高台であった。

明治四十二年(1909)、本牧台「八王子神社」、宮原「八坂神社」、間門「浅間神社」を合祀。
大正七年(1918)、本牧台「日枝神社」を合祀。

これらは当時の政府が推し進めた合祀政策によるもの。

大正十五年(1926)、神饌幣帛料供進神社に指定。

(神奈川県神社写真帖)

昭和十三年(1938)に万朝報横浜支局が発行した『神奈川県神社写真帖』。

「村社 本牧神社」として紹介されているのが当社。
かなり黒つぶれしてしまってはいるが、戦前の社殿の様子が分かる。

戦後は米軍により社地を接収・平成になり現在地へ遷座

昭和二十年(1945)、5月29日に横浜大空襲が発生。
甚大な被害を受け、再び社殿が焼失、戦後になり仮社殿にて再建。

戦後、米軍は横浜に進駐する事となり本牧一帯に大きな変化が訪れる。

昭和二十一年(1946)、本牧地区が米軍の住宅地区として接収。
当社を含む本牧十二天と呼ばれた当地周辺も接収され遷座を余儀なくされる。

昭和二十九年(1954)、本牧神社復興奉讃会による寄付が行われ本牧町へ仮遷座。

昭和五十一年(1976)測図の地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

橙円で囲った箇所が創建当時からの鎮座地。
既に一帯は埋め立てられ米軍宿舎になっている事が分かり、当社の社地は接収されていた。
青円で囲った箇所が接収された後の仮遷座地。
米軍に接収されたエリアからギリギリ北側に面した本牧町に鎮座していた。

赤円で囲った箇所が現在の鎮座地で、当時は米軍宿舎の範囲内であった。

昭和五十七年(1982)、米軍から本牧地区が返還。
横浜市による区画整理事業が始まる。

平成五年(1993)、本牧和田(現在の鎮座地)に遷座。
立派な社殿が造営され境内整備が行われた。

平成二十五年(2013)、「本牧十二天社」と称された創建時の旧鎮座地が「本牧十二天緑地」として整備。
国と横浜市による管理となっている。

平成三十年(2018)、御遷座二十五年記念大祭を斎行。
その後も境内整備が進み現在に至る。

境内案内

新本牧公園の先に鎮座・マイカル本牧奉納の大鳥居

最寄駅は山手駅となるが距離がある。
公共交通機関を利用の場合は、根岸駅や元町中華街駅などからバスで「三の谷」のバス停で下車するのが好ましい。

三の谷(さんのたに) 系統一覧/バス停時刻表検索 | 横浜市交通局
三の谷の系統・行き先一覧が確認できます。また、各路線の時刻表、のりば地図、バス運行情報・バス接近情報も併せて閲覧できます。

神社の前には新本牧公園と云う綺麗に整備された公園。
この公園の先に当社の境内があり、当社の裏手には本牧山頂公園が広がる。

米軍に接収されていた地
この一帯は戦後は米軍宿舎として接収されていた地。
昭和五十七年(1982)に返還され横浜市による区画整理事業が行われ公園などとなった。

新本牧公園の先に立派な鳥居。
平成五年(1993)に当社が遷座した際に建立された大鳥居。
本牧の人なら懐かしい「マイカル本牧」による奉納。
旧マイカルが会社更生前に開発したマイカル本牧(現・イオン本牧)で、米軍から返還後の本牧の発展を支えた再開発商業施設であった。

大鳥居の先に石段。
その上にも細い鳥居。

石段を上るとその先が整備された境内となる。
右手に手水舎が置かれ、身を清める事ができる。

遷座した際に造営された社殿・大きな注連縄

石段を上り奥やや右手に社殿。
平成五年(1993)に当社が遷座した際に造営された社殿。
本牧総鎮守としての思いが伝わる立派な社殿。
かつては本牧十二天社として崇敬を集めたが、戦後に社地を米軍に接収された事で仮遷座を余儀なくされ、本牧返還後にこうして本牧和田の地に遷座し、本牧総鎮守として新たな一歩を踏み出した。
拝殿前に大きな注連縄。
堂々たる社殿で素晴らしい。

拝殿前に一対の狛犬。
社殿と同じく平成五年(1993)に奉納された狛犬。
招魂社系の阿吽の堂々たる狛犬。

稲荷社・天神社・水天宮などの境内社

境内の右手に境内社・宇氣の稲荷社。
御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、五穀豊穣の神として信仰を集めたお稲荷様。

その左手に本牧天神社と本牧水天宮。
学問の神である天神さまと、子授け・安産の神、さらに海上交通の神として信仰を集める水天宮。
水天宮の近くには母子安泰の鳥居。
安産祈願の人向けの参拝方法が描かれている。

これらの境内社は、明治に政府の政策によって周辺の神社が合祀され当社の境内摂社として鎮座。戦後に米軍に社地が接収された後は、本社の仮殿に合祀される形となっていたが、平成五年(1993)に当地に遷座したのを機会として氏子崇敬者の努力によって、それぞれの社殿を新たに構え、本殿から遷る事となった。

熊野速玉社・縁結びと縁切りの御神木・可愛い狛犬

社殿の右手に熊野速玉社。
古くは熊野龍王権現として祀られていた神社で熊野三山の神が祀られている。

その熊野速玉社の手前に榎の木。
木の周りを右回りに三度回れば良縁に恵まれ、逆さに三度回ると悪縁を断ち切ると云う。
廻る順番で縁結びと縁切りができると云う不思議な御神木。

この近くに東鳥居。
この鳥居の近くに小さく可愛らしい狛犬。
明治二十三年(1890)奉納の可愛らしい狛犬。
当社は歴史的に遷座後の新しい境内となっているが、こうして古い奉納物が残っているのが貴重。

地元出身ゆず・北川悠仁氏による奉納物も多数

ちなみにこうした境内社の社号碑の多くは奉納者が特徴的。
稲荷社の社号碑には横にゆず・北川悠仁氏の名前。
熊野速玉社の社号碑には「ゆず」のロゴイラストとゆず・北川悠仁氏の名前。

フォークデュオゆずの北川悠仁氏の出身地と云う事で多くの奉納が行われた。地元を大切にする姿勢はとても素晴らしいと思う。
ゆずオフィシャルサイト
北川悠仁、岩沢厚治の2人からなる、ゆずのオフィシャルサイト。1996年3月結成。横浜・伊勢佐木町での路上ライブからスタートし、現在も第一線で活動中!ゆずの最新ニュースやライブ情報などはこちら。

ハマの奇祭「お馬流し」・お馬流し展示館は拝観無料

当社の例大祭では「お馬流し」と呼ばれる神事が行われる。
永禄九年(1566)頃より行われていると云う、当社の特殊神事。

神奈川県無形民俗文化財、神奈川県民俗芸能五十選に指定。
お馬流し神事
茅で作ったお馬さまと呼ばれる馬首亀体(=首から上は馬で胴体は亀)を使用。
お馬さまにあらゆる厄災を託して、本牧の沖合い数kmの海上に流し去る。
旧本牧六ヶ村(間門・牛込・原・宮原・箕輪、台)に1つずつ、計6体が「やぶ」と云う屋号をもつ氏子によって製作され、例祭初日のお馬迎え式で奉納される。
当社のみの特殊神事である事から「ハマの奇祭」とも称される。
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お馬流しに使用される茅(かや)は、社殿右手に茅場が用意。
お馬さま奉製のために育成されている茅場。

こうした特殊神事である「お馬流し」について、当社の境内には「お馬流し展示館」を設置。
社務所にて声をかけると無料で拝観させて頂ける。
「本牧十二天社」と呼ばれていた時代、戦前、戦後に米軍接収された時代などの貴重な資料の展示。
お馬流しで使用されるお馬板。
そしてお馬さまの展示まであって、特殊神事の様子を窺い知る事ができる。(写真なども多く展示)
興味深い資料や写真が多く展示されているので、ぜひこちらも見て回りたい。

上述したゆずのサイン色紙もこちらに展示されている。

御朱印・お馬さまと船舶信号旗の御朱印帳

御朱印は社務所にて頂ける。
丁寧に対応して頂いた。

お馬流し展示館を拝観希望の際もこちらで声をかけること。

御朱印は「本牧神社」の朱印。
令和元年に頂いた御朱印には「奉祝天皇陛下御即位」の金スタンプも押されていた。

オリジナルの御朱印帳も用意。
横浜の海と空をイメージした明るい水色を基調としたもので、「お馬さま」のロゴと、船舶信号旗を配した本牧らしいオリジナルなデザイン。

旧鎮座地は本牧十二天緑地として整備

当社から北東へ800mほどの距離に「本牧十二天緑地」として整備された地がある。
これがかつての当社の創建の地であり、戦前までの鎮座地。
かつての当社や当地の歴史を伝える展示などがされている一画。
現在は当社の境内ではなく、国と横浜市が管理する地であるが当時を偲ぶ。
古くはこの先は全て海岸、海であった。

何より特徴的なのが「本牧岬」「本牧の鼻」「本牧十二天の丘」などと称された崖。
現在もその姿を偲ぶ事ができる。
『江戸名所図会』に描かれているのを見るとよく分かる。
かつてペリーが黒船で来航した際、当社がある崖を「マンダリン・ブラフ」(みかん色の崖)と名付けている。

当社が「本牧十二天社」と称されて崇敬を集めた時代を偲ぶ事ができるので、ぜひこちらにも足を伸ばして欲しい。

所感

本牧総鎮守として崇敬を集める当社。
かつては江戸湾に突き出た崖の麓に鎮座していて、風光明媚な社として知られていた。
神仏習合時代に十二天を神前に祀った事で「本牧十二天社」として大いに崇敬を集めた。
神仏分離によって「本牧神社」となるが、その後も本牧総鎮守として地域を見守った。
横浜大空襲による焼失、戦後に米軍による接収と、戦災によって大きな転換を余儀なくされる。
仮遷座で続いていた当社も、米軍からの本牧返還の後、平成になってから当地へ正式に遷座。
現在はとても立派な境内として再建されており、本牧総鎮守への地域の人々の思いが伝わる。
紆余曲折あった本牧地域の歴史を伝えるとてもよい神社である。

神社画像

[ 大鳥居・社号碑 ]



[ 二之鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 手水舎 ]


[ 拝殿 ]







[ 本殿 ]

[ 御籤掛・絵馬掛 ]


[ 狛犬 ]


[ 宇氣の稲荷社 ]





[ 石碑 ]

[ 百度石 ]

[ 本牧水天宮・本牧天神社 ]





[ 石碑 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 東鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 熊野速玉社 ]





[ 茅場 ]

[ 社務所 ]

[ お馬流し展示館 ]

[ 境内風景 ]


[ 本牧十二天緑地 ]








Google Maps

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