柏諏訪神社 / 千葉県柏市

神社情報

柏諏訪神社(かしわすわじんじゃ)

御祭神:建御名方命
社格等:村社
例大祭:7月20日(夏季例祭)・9月20日(秋季例祭)
所在地:千葉県柏市柏5-7-7
最寄駅:柏駅
公式サイト:http://jinjya.wixsite.com/kashiwa

御由緒

 当、諏訪神社の創祀については定かではないが、遠く鎌倉時代諏訪神社が関東、東北全般に奉祀された史実から考察すれば、狩猟神、農業神、武神として其の淵源する処は遠いものを思わせる。
 古来、沼台地に集落を形成した人々は、江戸開幕の初、水戸街道が整備されると共に、下根郷台地から生活の本拠を街道沿に移し、ここ一里塚の前を良き所として社を奉遷したものと思われる。
 以来、郷土の安穏、五穀豊穣、子孫の繁栄を祈って、我々の先人は心の故郷、一村の象徴として稽首崇拝の誠を捧げた。
 緩かな時世の推移の中にも、人々の敬神と勤労は、柏下区の力強い歩みとなって発展し六十二戸の氏子は、明治四十年九月山林墾畝に散財した、山王、香取、天神、八幡、雷神、琴平の六社を本社に合祀し、神域の森厳を造成した。
 更に、戦後三十有余年、我国の発展と共に人々の生活の様も整い、一部社有地の売却と氏子崇敬者569名からのご寄付に依り、御社殿・社務所の改新築を行うと共に、創建以来末社として奉斎している三峯神社、阿夫利神社、白山神社、鹿島神社、道祖神、疱瘡大神、侍道大権現、壱百余体からなる青面金剛(庚申塚)を整備し壮厳さを加えた。
 玆に天皇陛下御在位六十年の吉年に、社殿改築十周年を記念し是を建立する。
 昭和六十年九月二十日(境内の記念碑より)

参拝情報

参拝日:2018/02/08

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※暫くの間、御朱印の授与をやめていたが2018年より再開。
※書き置きのみの授与となる。

歴史考察

柏鎮守のお諏訪さま

千葉県柏市柏に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧柏村の鎮守。
正式名称は「諏訪神社」であるが、流山市にある「駒木諏訪神社」など、他の「諏訪神社」との区別から「柏諏訪神社」とさせて頂く。
「柏神社」を始め多くの兼務社を抱える地域の中核神社であり、柏総鎮護とされる一社。
境内には大変多くの庚申塔(青面金剛)が整備されており、地域の信仰の一端を伝える。

鎌倉時代に広がりを見せた諏訪信仰

創建年代は不詳。
当社では江戸時代の創建と推測している。
諏訪信仰の神社として創建された。

諏訪信仰は、長野県の諏訪湖周辺に鎮座する「諏訪大社」を総本社とする信仰。
諏訪大明神とも称される建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)を祀る神社が多い。
主に山神としての狩猟神や、武神、農耕神として信仰を集めた。
源頼朝の保護を契機にして、諏訪信仰は鎌倉時代に全国に広がりを見せる事になる。
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。

鎌倉時代に広がった諏訪信仰であるが、当時はまだ当地周辺に集落が殆ど見られなかったと推測され、現在の柏駅周辺に集落が出来たのは、江戸時代になってからと見られている。

江戸時代に水戸街道が整備・一里塚の前に創建

江戸時代になると水戸街道が整備。
柏には宿場町は設けられなかったが、街道沿いに集落ができ「柏村」と呼ばれた。

水戸街道は、江戸川の千住宿と水戸藩の城下町である水戸を繋いだ街道で、五街道と同様に道中奉行の管轄に置かれた。千住宿の後は、新宿・松戸宿・小金宿・我孫子宿・取手宿〜と続く。柏村は小金宿と我孫子宿の間に位置していた。

現在の当社前に一里塚が置かれ、一里塚の前を良い所として当社が創建されたとしている。

一里塚は、旅行者の目印として街道の側に一里(約3.927km)ごとに設置した塚。全国に整備されるようになったのは江戸時代で、慶長九年(1604)に徳川家康が設置を命じている。

現在は一里塚の面影は残っていないが、古くは当社の向かいに一里塚があり、「一里塚の家」と呼ばれた金子家があったと云う。

柏駅近くの「柏神社」(柏市柏3丁目)には寛文元年(1661)に創建した御由緒があり、また柏市内にある「長全寺」には延宝三年(1675)の銘がある観音像に「柏村」と彫られている事から、江戸時代前期には柏村があった事が分かっており、当社の創建もそのあたりではないかと推測される。

当時の柏村は大変小さな集落であり、当社は「天王様」と称された現在の「柏神社」と共に柏村の鎮守とされた。
明治時代に入っても旧富勢村史に「見るも苦しき寒村」と書かれる程の村落であった。

明治以降の歩み・鉄道と共に発展した柏

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、柏村・戸張村・篠籠田村・松ヶ崎村・高田村などが合併し千代田村が成立、千代田村・豊四季村組合を結成。

明治二十九年(1896)、柏駅が開業。
明治三十九年(1906)、鉄道が国有化され柏駅周辺は鉄道と共に発展を遂げていく。

当時は村の合併により千代田村という村名であったが、千代田は千代田城(皇居)と同じ名のため畏れ多いとして、旧村名である柏村の名を取り、柏駅が採用された。

明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
「諏訪社」と記してあるように、当地の目印になるような地域の鎮守であった。
千代田村という当時の村名、柏という地名、既に開業している柏駅を見る事ができる。
橙色で囲ってある「八坂社」は現在の「柏神社」になる。

明治四十年(1907)、周辺の山王社、香取社、天神社、八幡社、雷神社、琴平社の六社を合祀。

この頃の氏子は六十二戸だったと云う。

大正十五年(1926)、町制を施行し千代田村は柏町に改称。(これが柏市の基礎となる)

柏駅を中心として市街地が形成されたため、駅名にもなった「柏」が新町の名称となった。旧柏村の鎮守であった当社は地域の中核神社として崇敬を集める事となる。

戦時中は、陸軍の軍都としての色彩を強め、市内には陸軍関連施設が多く建設されている。

昭和五十年(1975)、社殿と社務所が改築・新築。
末社の整備など境内整備も行われ現在に至る。

現在は「柏神社」を始め、多くの兼務社を抱える地域の中核神社として崇敬を集めている。

境内案内

柏市役所の裏手に鎮座するお諏訪さま

最寄駅の柏駅から徒歩10分程の距離。
柏市役所の裏手(南側)に鎮座しており、東側には柏市立図書館がある。

柏市立図書館ホームページ

南向きに黒い鳥居が立つ。
平成二十三年(2011)に築かれた鳥居でまだ新しさが残る。
玉垣も綺麗に整備されており、氏子からの崇敬が伝わる。

鳥居を潜ると左手に手水舎。
撮影を失念してしまって申し訳ないが、手水石には文正十一年(1828)の銘が残る。

参道には一対の狛犬。
獅子山に乗る形の狛犬。
昭和三十四年(1959)に奉納されたもの。

戦後に造営された朱色の社殿や境内社

社殿は昭和五十年(1975)に造営されたもの。
天皇陛下御在位五十年を記念した新築されたと云う。
鉄筋コンクリート造による社殿。
提灯などに三葉の梶に柄5本の御神紋を見る事ができる。
状態もよく綺麗に維持。

社殿の裏手には境内社。
創建から末社として祀られている神社が多く並ぶ。
こちらは琴平神社・天神社。
三峯神社、阿夫利神社、八幡宮など、何れも社殿と共に再整備された。

他にも稲荷神社の小祠。
鹿島大神宮の碑。
古くからの当地周辺の信仰を伝える。

多くの庚申塔(青面金剛)が並ぶ百庚申

境内には大変多くの庚申塔(青面金剛)が並ぶ。
多くが駒形の同型で、「青面金剛」の文字。
文字塔が80程、像塔が10塔程ある事から「百庚申」と云えるだろう。
天保三年(1832)から嘉永六年(1853)のものが多く、当地の庚申信仰を伝える。
像塔は青面金剛と三猿が彫られている。

庚申塔(こうしんとう)とは、庚申信仰に基づいて建てられた石塔。
60日に1度巡ってくる庚申の日に眠ると、人の体内にいると考えられていた三尸(さんし)という虫が、体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ寿命を縮めると言い伝えられていた事から、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われ、集まって行ったものを庚申講(こうしんこう)と呼んだ。
庚申講を3年18回続けた記念に庚申塔が建立されることが多いが、中でも100塔を目指し建てられたものを百庚申と呼ぶ。
仏教では庚申の本尊は青面金剛とされる事から青面金剛を彫ったもの、申は干支で猿に例えられるから「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿を彫ったものが多い。

最も古いもので境内の南側に無造作に置かれた庚申塔。
庚申供養尊像と彫られ、三猿の姿を見る事ができる。
元禄十二年(1699)のもので、柏村周辺では古くから民間信仰として篤く庚申信仰があった事が伺える。

利根川流域に見られる安産祈願の侍道講・侍道大権現

境内の右手には末社として侍道大権現(まちどうだいごんげん)が祀られている。
他ではあまり見る事が少ない安産祈願の民間信仰の神。
侍道講と云う利根川流域で見る事ができる民間信仰である。

侍道講(まちどうこう)とは、柏・我孫子・鎌ヶ谷・流山・野田・取手・松戸といった利根川流域に見られる女人講で、各地に小祠が残っており、当社の境内社もその一つ。
我孫子市岡発戸の「待道神社」が発祥と云われ、安産祈願の神として女性に信仰された民間信仰で、江戸時代中期に利根川流域に広まったものと見られる。

待道(まちどう)の名には以下のような伝承が伝えられている。

ある夫婦がいて、妊娠してお腹が大きい嫁と、その旦那が待ち合わせをしたものの、どこでどう間違えたか別々の場所で待ち続けてしまう。
妊娠した嫁は待っている間に産気づき道端で子供を生んで死んでしまった。
それで道で待ということから、待道と云われるようになり、祀られたと云う。

2018年より御朱印の授与を再開

御朱印は社務所にて頂ける。
社務所が不在の場合は、お隣にある宮司宅を尋ねると社務所まで出向いて下さる。

当社や兼務している「柏神社」は、暫くの間、御朱印の授与を停止しており、社務所窓には「御朱印はお断りしています!!」といった掲示があった程であったが、当社と「柏神社」は共に、2018年より御朱印の授与(書き置きのみ)を再開。
暮れより御朱印を用意致しました。お正月にはこちら諏訪神社と柏神社の御朱印ニュースが、ネット上で話題になったとか。社務都合上どちらの神社も書置きとなりますが、是…

書き置きのみの授与となるが、再開して頂けた事は有り難い。

所感

柏総鎮護とされ信仰を集める当社。
江戸時代の柏はまだ大変小さな集落であったが、一里塚の前に当社が創建されたと見られている。
明治に入り柏駅が開業した事で、市街地が形成され、その後は駅周辺を中心に発展を遂げ、当社はそうした柏周辺の中核神社の一社として崇敬を集めるに至っている。
境内には、百庚申とも云える多くの庚申塔や、利根川流域で見る事ができる侍道講など、当地の民間信仰を伝えるものが多く残り、大変興味深い。
柏駅周辺を含めた旧柏村の歴史を伝える良い神社である。

神社画像

[ 鳥居 ]

[ 玉垣 ]

[ 拝殿 ]





[ 本殿 ]

[ 狛犬(獅子山) ]


[ 境内社 ]



[ 庚申塔 ]







[ 境内社 ]


[ 墓所 ]

[ 待道大権現 ]


[ 社務所 ]

[ 境内 ]

[ 記念碑 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
スポンサーリンク
御朱印ブログランキング
投票する

にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ

フォローする

オススメ記事 by Google