将門神社(岩井) / 千葉県柏市

【神社情報】

将門神社(まさかどじんじゃ)

御祭神:平将門公
社格等:─
例大祭:10月16日


所在地:千葉県柏市岩井425
最寄駅:東我孫子駅(距離有り)
公式サイト:http://yuukantei.com/masakado.html(隣接する「龍光院」のサイト内)

【御由緒】

将門大明神
祭神 平新皇将門

桓武天皇を祖先として父平良将と共に下総の国相馬郡岩井村に住居し、下総の国の開発と共に住民の生活安定に心血をそそぎ信望を集めたり。
父良将は陸奥鎮守将軍と下総介であった。
将門公は相馬の御厨の下司職を父と共に世襲す。
風早村大井将門山に出城を置き、布瀬高野に高野御殿を築き、土塁跡は今も保存されている。
律令制から荘園制への改変過程で、領土問題より上総の国日立の国と爭いを起す。
京都朝廷より将門追討の命を受け藤原秀郷、関東に下る。
田原藤太秀郷戦勝祈願の為、成田に不動明王を祭る。
日立の国主平貞盛と協力して将門公と戦う。
天慶三年二月十四日春一番の突風に遭い戦斗困窮せる時、羽鳴り鋭く飛んで来た鏑矢、右眼を射抜き砂塵の中に落馬す。
時に午後三時、相馬小次郎将門公再び立たず。
之を承平天慶の乱と云う。
第三女の如蔵尼、父将門居住の此の地に祠を立て、その霊を弔う。
社殿は幾度か新築改造されたり。

一、将門大明神拝殿 一宇 正徳二年
二、新造立花表 一宇 享保七年
三、新造立平親王将門宮 一宇 延亨元年
四、新造立花表 一宇 明和三年
五、造立閉植 一宇 寛政二年
六、彩色将門大明神雨屋 一宇 文化三年
七、再建将門大明神 一宇 安政六年 霜月

現在の本殿は江戸末期安政六年の建立にして記念の木札七枚を保存す。
五尺宮社流総檬破風造り屋根は寄棟造り茅葺鉄板で覆ってある。
千葉氏五代常胤、祖先将門公を偲び社殿を復興したとの伝説もある。
基壇の部分に放れ駒や隻眼の人物像がある、放れ駒は九旺星と共に将門公の用いた紋とされている。
茨城県岩井市にある國王神社には共通する伝説がある。
将門神社の社名は日本中唯一にして当社のみ。
区民一同信仰尊敬し霊験あらたかな産土神。
我等の幸を守らせ給へ。
昭和六十年己丑年 区民一同拍手再拝
(※境内の掲示より)

※掲示物の状態が悪く文字が掠れたり消えかけているため、筆者が補填しつつ引用致しました。間違いがありましたら申し訳ありません。

【参拝情報】

参拝日:2015/05/07

【御朱印】

小さなお社で社務所などもなく兼務社なのでないと思われる。

【備考】
千葉県柏市岩井にある平将門公を祀る神社。
この周辺には将門伝説が残る地域が色々と存在する。
手賀沼を挟んで我孫子市側にも「将門神社」があり、将門公の縁を感じさせてくれる。

色々と資料を調べるに、将門公の母の出身地が相馬郡。
相馬郡は現在の茨城県南西部から、千葉県の我孫子市、柏市の一部になる。
そのため将門公も「相馬小次郎」を称していた事もあったという言い伝えがあり、柏市の北部側や我孫子市など手賀沼周辺に、将門伝説が残る地が点在している。
平将門の子孫を称する氏族として、下総国相馬郡相馬厨の相馬氏の存在があり、その関係で社殿など建てられたという御由緒となっている。

掲示による御由緒によると、将門の三女如蔵尼がこの地に祠を建てたのが創建とある。
この御由緒は茨城県坂東市、将門終焉の地にある「國王神社」と同じ言い伝え。
少し前に「國王神社」にも参拝していたので、何とも面白い縁を感じる。
この地名の「岩井」というのも、将門公が本拠とした岩井(現・茨城県坂東市)と何らかの関係があるのだろうか。

いずれにせよ古い歴史があるのは確かなようで、社殿の記録としても正徳二年(1712)に将門大明神拝殿と残っている。
現在の社殿(本殿)は、安政6年(1859)に再建されたものが現存していると考えられている。
幕末のものが残っているだけでも実に素晴らしい。

何より見事なのが社殿の彫刻。
素晴らしい彫刻が施されており、これは一見の価値あり。
向拝には龍の彫刻。

見るに将門公に関わる彫刻が多く施されているようだ。
「放駒」の彫刻は、将門公が紋としていた事もあるし、戦いで不本意にも流れ矢に右目を射抜かれ即死した将門に倣い右目が未完成の「隻眼の姫君」の彫刻、さらに「高砂」「鶴亀」といった彫刻を見る事ができた。
他にも興味深い彫刻があり、圧巻の出来。

しかし、残念なのがあまり手入れされていないと思われる事。
お社自体がかなり小さく、鳥居の奥の短い参道も岩井青年館の下を通るような形。
そして長年放置されているのか、朽ちていく碑や狛犬など。
あちこちに蜘蛛の巣が張っており、状態はよいとは言えない。
彫刻の素晴らしい社殿も痛みが激しい。

歴史もあり、素晴らしい彫刻の本殿を持つ当社なだけに、もう少し大切にして頂けたらと思ってしまうのだが、こればかりは仕方ないのだろうか。
同じ敷地内に位置するお隣の龍光院が実に綺麗に維持されているだけに、その対比で少し寂しい気持ちになってしまう。
ちなみに龍光院は一説によれば、将門公の死後、その次女・春姫がこの地に隠れ住み、名を如春尼に改め、一族の菩提を弔ったともされている。

当社への移動方法は車やバイクがオススメ。
最寄駅は東我孫子駅になるのだろうが、かなり距離があり、場所もかなり分かりにくい。
近くには将門通りと名付けられた小坂も。

小さいながらも歴史を感じさせてくれる神社。
特に社殿(本殿)を手が触れれそうな間近で見る事ができるのは貴重。
その精巧で素晴らしい彫刻は、将門公を崇敬する方や自分のように色々調べている人にとっては必見。
アクセスの不便なこちらまで足を伸ばす価値はあると思う。
しかしながら、状態が悪く、あまり手入れされていない感じがするのが難でもあり、今後が心配でもある。
現在はあまり崇敬されていないのかな、と寂しい気持ちにもなってしまうが、貴重な神社だと思う。

余談だが、柏市には同じく手賀沼周辺、ここより少し西側の大井一帯にも将門伝説が残る地が多い。
「王城の地」なんて呼ばれる場所もあったり、福満寺も将門伝説の残る地。
さらに大井交差点一帯には、平将門の影武者「大井七人衆」が住んでいたなんていう伝承がある。
坂巻、石原、石戸、吉野、富瀬、久寺家、座間家の七家で、このうち五家が今でも大井で住んでいるという。
将門公に興味がある方は合わせて寄ってみるのもよいだろう。
香取神社なども近くにあったが、こちらも中々に辺鄙な場所であった。

神社画像

[ 鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 手水舎(使用できず) ]

[ 社殿 ]


081

[ 案内板 ]


[ 狛犬 ]

[ 境内社・石碑 ]

[ 以下、同じ敷地内(横)に位置する龍光院 ]

【Google Maps】


    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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