根津神社(根津権現) / 東京都文京区

神社情報

根津神社(ねづじんじゃ)
根津権現(ねづごんげん)

御祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命
相殿神:大国主命・菅原道真公
社格等:准勅祭社・府社
例大祭:9月21日
所在地:東京都文京区根津1-28-9
最寄駅:根津駅・千駄木駅・東大前駅
公式サイト:http://www.nedujinja.or.jp/

御由緒

当神社は今から千九百余年の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。
「根津権現」は当社の古称。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/04/28(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/01/25(御朱印拝受)
参拝日:2015/04/27(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※境内社の「乙女稲荷神社」「駒込稲荷神社」の御朱印も頂ける。
※2017年に参拝時は社名部分が印判(有栖川宮幟仁親王揮毫の神号額)となった。

[2017/04/28拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2016/01/25拝受]
(東京十社めぐり御朱印帳)

[2015/04/27拝受]

御朱印帳

初穂料:1,200円
授与所にて。

オリジナルの御朱印帳を2種類用意。
白・銀を基調として境内をデザインした美しいもの。
黒を基調として神紋をデザインしたもの。
東京十社めぐり御朱印帳(紫色)も用意されていた。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

無事御守護
初穂料:300円
授与所にて。


歴史考察

文化人に愛された根津権現

東京都文京区根津に鎮座する神社。
旧社格は准勅祭社、郷社の後に府社。
現在は東京十社のうちの一社。
古くは「根津権現」と称され、現在もその呼称を使用される方も多い。
森鴎外や夏目漱石などの文豪や、落語家など数々の著名人にも愛され、その作品や噺などにも「根津権現」として登場する。
重要文化財の社殿などの建造物や、春の「つつじまつり」が有名。

日本武尊が千駄木に創建の伝承

社伝によると、1900年近く前に日本武尊(やまとたけるのみこと)によって千駄木に創建したとされる。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は、日本古代史上の伝説的英雄とされる皇族。東征によって関東には日本武尊の伝承が残る地が多い。景行天皇四十三年(113)に逝去と伝わるので、社伝の通りならそれ以前の創建となる。

文明年間(1469年-1486年)、太田道灌により社殿が造営。
当社再興の年代と云えるであろう。

太田道灌(おおたどうかん)は、江戸城を築城した武将として有名。江戸周辺の多くの寺社を創建、遷座、造営など行っていて、神仏に崇敬が篤かった人物としても知られる。

万治年間(1658年-1661年)、千駄木の地が太田氏の屋敷地となったため少し東へ遷座。
その後、さらに東の団子坂上に遷座している。

現・文京区千駄木の団子坂あたりを古くは「元根津」と呼んだ。団子坂の坂上あたりに当社が鎮座していた事によるものである。

徳川家宣の生誕地・徳川将軍家からの庇護

宝永三年(1706)、徳川綱重の江戸屋敷があった現在の鎮座地に遷座。

徳川綱重(とくがわつなしげ)は、三代将軍・徳川家光の三男で、四代将軍・徳川家綱の弟であり、五代将軍・徳川綱吉の兄である。甲府藩主を担った大名で、甲府宰相の異名で呼ばれた。

当社が綱重の江戸屋敷に遷座したのには、徳川将軍家からの崇敬が深く関わってくる。

徳川綱重は甲府城を与えられ甲府藩主となったが、甲府藩へ赴いた事はなく、日頃から江戸屋敷(現在の当社鎮座地)で生活をしていた。
寛文二年(1662)、江戸屋敷にて綱重の長男・綱豊(つなとよ)が誕生。
これが後の六代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)であり、当地は家宣生誕地という事になり、根津や千駄木を鎮守していた当社は産土神という事になる。

現在も当社の境内には家宣生誕地として「徳川家宣胞衣塚(えなづか)」が残る。
これは家宣の胞衣を埋めたと伝えられる塚。

胞衣(えな)とは、胎児を包んだ膜と胎盤の事で、古くから胞衣塚が築かれるなどの信仰があった。

延宝六年(1678)、綱重が逝去。
延宝八年(1680)、綱重の兄である四代将軍・徳川家綱が逝去。
同年、家綱と綱重の弟である綱吉が五代将軍となる。

宝永元年(1704)、綱吉には世継となる男子がいなかったため、兄・綱重の長男である綱豊を養子とし「家宣」と改名させ養嗣子(後継者)とし、家宣が六代将軍となる事が決まる。

宝永二年(1705)、養嗣子となった家宣は江戸城に移り住む。
綱吉は家宣の産土神であった当社に、家宣が住んでいた江戸屋敷(徳川綱重の江戸屋敷)を寄進。
これが現在の鎮座地である。

宝永三年(1706)、社殿を造営の上で現在の鎮座地に遷座。
「天下普請」とも云われた幕府による大工事によって社殿が造営されている。
これらの「天下普請」とも言われた当時の社殿など多くが現存している。

本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・楼門・透塀は大変貴重な文化財で、昭和六年(1931)には国宝(現在の重要文化財)に指定。現在も国指定の重要文化財となっている。

以後、幕府により大いに崇敬を集めた。
見事な境内は江戸町民にも愛され「根津権現」と呼ばれた。

正徳四年(1714)、家宣の命により、山王祭・神田祭と同格の天下祭が執り行われている。
この時奉納された三基の神輿が現存し、現在も例祭になると神輿渡御が行われる。

江戸切絵図から見る当社

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(本郷絵図)

こちらは江戸後期の本郷周辺の切絵図。
当社は図の右下に描かれている。

(本郷絵図)

北を上にして当社周辺を拡大したものが上図。
赤円で囲ったのが当社で「根津権現」として記されている。
別当寺は「昌仙院」と共に神仏習合の基で崇敬を集めた。

当社を中心に門前町が開かれており、根津門前町と呼ばれた。
近くの水戸殿のあたりが現在の東京大学弥生キャンパスになる。

江戸名所図会に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

(江戸名所図会)

「根津権現社」として3ページに渡り描かれている。
大変広大な社地を有していた事が分かり、実に見事な境内であった。

「当社の境内を世は曙の里といへり」と記されている。
境内には料理茶屋が並び「曙の里」と呼ばれる遊観の地として江戸庶民から愛された。

(江戸名所図会)

社殿を中心に境内を拡大したものが上図。
左手の楼門から唐門・透塀・社殿といずれも現存しているもの。
配置も変わらず当時の姿を現在に残している貴重な神社なのが分かる。
境内社などは現在よりも多かった事が伺える。

浮世絵に描かれた根津権現

徳川将軍家から庇護を受け、江戸の遊観の地として庶民からも親しまれた当社は、浮世絵の題材としても取り上げられている。

(歌川広重・江都名所)

こちらは二代・歌川広重による『江戸名勝図会』で、題名は「根津」とある。
雪景色と当社の透塀が描かれている。
現在の境内も見事であるが、当時は鬱蒼と木々が生い茂った境内だった事が伺える。

(小林清親・根津神社秋色)

こちらは明治になってから描かれた一枚。
小林清親が『根津神社秋色』として描いていて、現存する楼門を描いている。
秋の姿を描いているので、奥の赤は紅葉によるものであろう。
現在のつづじ苑の位置になり、現在は春に見事な景色を見せるが、明治の頃は秋にも美しい一角だった事が伺える。

小林清親(こばやしきよちか)は、月岡芳年、豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられる浮世絵師。「最後の浮世絵師」「明治の広重」と評された。

(笠松紫浪・月の出 根津権現)

こちらは更に時代が経ち昭和七年(1932)に描かれた一枚。
笠松紫浪による『月の出 根津権現』。
こちらは4月の様子を描いており、西門と桜、そして月を描いた一枚。

こうした浮世絵・錦絵からも当社が江戸庶民、さらには明治以降の東京の人々に愛され「根津権現」と呼ばれ続けていた事が伺える。

明治以降の歩み・古写真で見る当社

明治になり神仏分離。
明治元年(1868)、准勅祭社に列する。

准勅祭社に指定された十二社のうち、東京23区内の神社十社が現在の「東京十社」となる。

明治三年(1870)、准勅祭社が廃止。
明治五年(1873)、郷社に列した。
大正三年(1914)、府社に昇格している。

「根津権現」と呼ばれていた当社だが、神仏分離の影響で「権現」を使う事ができなくなったため、「根津神社」に改称されている。しかしながら、上述した浮世絵を始め、森鴎外や夏目漱石といった明治期に活躍する文豪の作品には「根津権現」として登場する事が多く、庶民には「根津権現」で親しまれ続けた事が分かる。

(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖)

こちらは大正十一年(1922)に東京市公園課が出版した『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』。
当時の社殿の様子を見る事ができ、現存する社殿としてほぼ変わる事がない見事な社殿。

昭和六年(1931)、本殿・幣殿・拝殿・唐門が国宝(現在の重要文化財)に指定。
現在も当時の記念看板が残る。

境内の多くは江戸時代のものが残る。
戦後に境内整備も行われ現在に至っている。

森鴎外や夏目漱石といった明治期に活躍する文豪の作品に登場する他、最近ではアニメ聖地としても登場している。神社を舞台にした「ぎんぎつね」という漫画・アニメで登場する「神尾神社」という架空の神社は、当社をモデルとしているそうだ。盛り上がってはいないが、以前は絵馬の中に稀にそういったイラストを見かける事ができた。

境内案内

重要文化財の楼門・美しい境内

最寄駅の根津駅からは徒歩数分で、根津神社入口の交差点を左折すると店が並ぶ参道となる。
当社への入口はいくつかあるが、朱色の大鳥居が表参道で、社号碑には「元准勅祭」の文字。
大鳥居を潜ると参道が続き、正面に「つづじ苑」が見えてくる。
広々とした境内となっていて、その先に神橋。
神橋を渡ると見事な楼門となる。

楼門は宝永(1706)に造営されたものが現存。
重厚で存在感のある楼門は浮世絵の題材にもなったもの。
状態もよく維持されていて、江戸時代当時の姿を残す。
国の重要文化財に指定されている。

楼門を潜ると左手に手水舎。
正面に唐門となる。

重要文化財の唐門や素晴らしい社殿

唐門も宝永(1706)に造営されたもの。
社殿を囲む透塀も当時のものが現存。
いずれも国の重要文化財に指定されている。

楼門を潜ると正面に実に見事な社殿が立つ。
宝永(1706)に徳川将軍家による天下普請で造営された社殿。
総漆塗りの権現造で江戸の神社建築としては最大の規模。
拝殿には実に美しい彫刻や極彩色が施され、徳川将軍家の威信が伝わる。
拝殿・幣殿・本殿共に国の重要文化財に指定。
神仏習合の歴史をそのまま伝える社殿であり、至る所に「卍」が残っているのも特徴。

「卍」(まんじ)は仏教で用いられる吉祥の印であり、現在の日本では仏教を象徴する記号としてよく知られる。明治の神仏分離で神社に卍を使う事が殆どなくなったが、当社は戦前は国宝に指定された社殿であり、当時の姿をそのまま残す必要があるため、今もこうして神仏習合の「根津権現」の姿を留めている。

透塀の隙間からは本殿を見る事もできる。
境内社「乙女稲荷神社」の方角からは社殿の全景を望む事も可能。
本殿・幣殿・拝殿による権現造となっている。

社殿前には一対の青銅灯籠。
伊勢国津藩の第五代藩主・藤堂高敏による奉納で、こちらも国の重要文化財に指定。

透塀の左手にある西門。
こちらも当時のものが現存していて、国の重要文化財となっている。

鳥居が連なる乙女稲荷や駒込稲荷

社殿の左手には境内社の「乙女稲荷神社」。
いくつか参道があるが、特に人気なのが稲荷信仰らしい奉納鳥居が連なる参道。
写真撮影スポットとしても人気で多くの人で溢れる。
鳥居の奉納は常に受け付けており、1基10万円の奉納で設置できる。
鳥居を潜ると社殿となる。

この参道の途中に上述した「徳川家宣胞衣塚(えなづか)」が残る。

「乙女稲荷神社」はやや高台に鎮座。
あちらから社殿側を見ると社殿の全景を伺う事ができる。
前には小川が流れ趣のある境内として人気スポット。

「乙女稲荷神社」を過ぎて、さらに奥に向かうと「駒込稲荷神社」。
もとは当地に屋敷を構えていた徳川綱重の邸内社。
狐塚が設置され、手水舎の屋根には三葉葵の紋が残っている。
かつて「駒込稲荷神社」の前、上述の写真の石段手前には天保十一年(1840)建立の石鳥居が残っていたのだが、東日本大震災によって倒壊してしまい現存していない。

「つづじまつり」などの期間になると、こちら側に多くの露店が開かれる。

御朱印は社殿右手にある授与所にて。
境内社「乙女稲荷神社」「駒込稲荷神社」の御朱印も頂ける。
オリジナル御朱印帳も用意している。

4月-5月上旬が見頃の「つつじまつり」

当社の境内で名勝とも云えるのが「つづじ苑」である。
つづじ苑は、かつて「つつじヶ岡」と呼ばれた一角で、当地が徳川綱重の江戸屋敷であった時代、綱重が庭につつじを植えたことに始まる。

つづじの季節になると「つつじまつり」が開催。
文京区の名勝として今も親しまれ、大勢の人々で賑わう。

2017年「文京つつじまつり」日程
4月8日-5月5日 9:00-17:30まで
つづじ苑の入苑は200円

2017年のつづじは日照関係や天候面でかなり控えめな咲き具合。
例年だと4月下旬に見頃を迎える事が多いが、2017年はこの状況でほぼ見頃となっている。
そのため不作と呼ばれる事もあるようだが、これもまた一興。

2015年4月下旬に参拝した時は見事な咲き具合であった。
その年によって咲き具合が違うのも趣というものであろう。

「つつじまつり」期間中は境内に甘酒茶屋が出る。
奥の神池を眺めながら休む事ができる一角となる。
他にも露店などが多く出て、境内は多くの人で賑わう。

所感

江戸時代に六代将軍・徳川家宣の産土神として崇敬され、家宣生誕地である屋敷を寄進され遷座し、以後は徳川将軍家より篤く庇護され、江戸庶民からも「根津権現」として親しまれた当社。
天下普請で造営された江戸時代の社殿など、多くの建造物が今も現存しているのが素晴らしい。
江戸時代の多くの火災、関東大震災、東京大空襲など多くの災難を受けた東京において、これだけ当時の建造物が状態良く残っているのは大変貴重な事であり、徳川将軍家の威光と神仏習合の歴史を伝える見事な社殿は傑作とも云えるであろう。
「つづじまつり」で賑わう時期の境内も見事であるが、当社はどの時期でも素晴らしく、歴史と信仰を伝える素晴らしい良社であり、東京を代表する一社である。

神社画像

[ 社号碑・大鳥居 ]

[ 大鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 楼門・神橋 ]


[ 神橋 ]

[ 楼門 ]




[ 手水舎 ]

[ 唐門 ]



[ 透塀 ]

[ 拝殿 ]










[ 本殿・幣殿・拝殿 ]

[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 銅燈籠 ]

[ 授与所 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 納蒔舎 ]

[ 西門 ]

[ 神楽殿 ]

[ 乙女稲荷神社鳥居 ]





[ 徳川家宣胞衣塚 ]


[ 乙女稲荷神社鳥居 ]

[ 百度石 ]

[ 乙女稲荷神社 ]






[ 賽大神碑 ]


[ 庚申塔・力石 ]


[ 鳥居 ]

[ 駒込稲荷神社 ]


[ 狐塚 ]


[ 裏参道鳥居 ]

[ つつじ苑 ]





[ 案内板 ]


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