亀戸水神社(亀戸水神宮) / 東京都江東区

神社情報

亀戸水神社(かめいどすいじんしゃ)
亀戸水神社(かめいどすいじんぐう)

御祭神:弥津波能売神(罔象女神)
旧社格:─
例大祭:6月第1日曜
所在地:東京都江東区亀戸4-11-19
最寄駅:亀戸水神駅・亀戸駅
公式サイト:http://katorijinja.jp/shrine.html

御由緒

 日本國中水神さまと言はれているお社は、恐らく数百社の多さに達するであろう。この神は普通一口に水神さまと呼ばれているが、そのほんとうの神名を知っている人は少ないと思う。
 この神は「ミズハノメ神」であって、古事記には「弥津波能売神」と書き、日本書紀では「岡象女神」と書かれていて、伊装那岐・伊装那美二神の御子神で畏くも天照大神の御姉神に当らせられる。
 父母の神は、我大八洲國を造り給うた國土経営の神であって、あらゆる神徳を備えられているが、この中特に「水」に関する一切の御神徳を受けて居られるのが、この水神即ち、「ミズハノメ神」である。
 この水神宮は前記の御祭神を奉祠し、新田開墾の初め土民が堤上に水神を勧請して水害を逸れん為祈願したものでありその創立は亨禄年間(約440年前)であると思われる。
 昭和五拾参年六月 亀戸水神奉賛会(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/03/03

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※神職の常駐していない兼務社のため、本務社「亀戸香取神社」の社務所にて拝受可能。

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考察

亀戸に鎮座する水神さま

東京都江東区亀戸に鎮座する神社。
旧社格は無格社で、当地周辺の新田開墾と共に祀られた水神さま。
かつては「水神森」と呼ばれる鬱蒼と茂った境内だったと伝わる。
東武鉄道亀戸線の「亀戸水神駅」は当社に由来。
正式名称は「亀戸水神社」であるが、扁額などには「亀戸水神宮」も使われる。
現在は「亀戸香取神社」の兼務社になっている。

新田開墾の際に水害除けを祈願して創建

創建年代は不詳。

享禄年間(1528年-1532年)、当地周辺の新田開墾が行われた際に創建されたと推測される。
大和国吉野「丹生川上神社」(現・奈良県奈良県吉野郡)から、勧請されたと云う。

「丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)」は、式内社(名神大社)・二十二社(下八社)の一社に数えられる格式高い古社で、本殿に祀る罔象女神(ミヅハノメ)は、日本における代表的な水の女神(水神)とされ、当社にも水神さまとして祀られた。

当地は旧中川を始め河川が多い地域であり、そうした水害除けのために堤防を築き、その上に水神を祀ったと口伝されている。

当社周辺は亀戸村の中でも「水神耕地」と呼ばれるようになり、地域から崇敬を集めた。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(亀戸村)
水神社
寶蓮寺持。

亀戸村の「水神社」と記されているのが当社。
書かれている事は「寶蓮寺」(現・亀戸4-35-12)が別当寺を担っていたという事だけで、小さな社だった事が伺える。

(亀戸村)
小名。水神耕地。

一方で亀戸村の小名を見てみると「水神耕地」という記述を見る事ができる。

小名(こな)とは、村内をさらに小分けした名。地域の名。

この事から亀戸村に水神耕地という地域があり、当社周辺の地名であったと推測できる。
当社を水神として祀り、開墾された新田地域であったのだろう。
「水神耕地」と呼ばれた事からも、当社が地域にとって大切な存在だった事が伝わる。

明治以降の歩み・戦後の再建

明治になり神仏分離。
この頃に、別当寺であった「寶蓮寺」の手を離れ、亀戸村鎮守「亀戸香取神社」の兼務社になったと見られる。
当社は無格社であった。

亀戸香取神社 / 東京都江東区
亀戸鎮守。近年は「スポーツ振興の神」として崇敬を集める。勝守と勝運袋。亀島と呼ばれた島だった亀戸。藤原鎌足による創建の伝承。藤原秀郷の戦勝祈願と勝矢。江戸時代に描かれた当社。勝矢祭と武者行列パレード。亀戸七福神・恵比寿神・大国神。御朱印。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行が施行され、亀戸村は横十間川以西が東京市、以東が南葛飾郡とされ、亀戸村・大島村・吾嬬村に分けられ、そして東京市深川区・本所区へ編入された。
当社周辺は亀戸村の「下の図子」と呼ばれたと伝わる。

現在の亀戸は、この時に成立した南葛飾郡亀戸村が基になっている。

明治三十三年(1900)、町制施行によって亀戸村が亀戸町となる。
当社周辺を「下の組」と呼び、志茂陸会を結成して当社の維持と経営に当たった。

明治四十二年(1909)の古地図がある。
当時の当地周辺の地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲ったのが当社で、明治の古地図には神社の記号が記されていないが、当時と鎮座地が変わらないのであれば、あの一角に鎮座していたのであろう。
明治の地図には「上水神」「下水神」というように、「水神」の地名が残っている。

江戸時代に「水神耕地」と呼ばれていた地域であり、当社が由来となった「水神」の地名を使っている事からも、当社が地域から大切にされていた事が伝わる。
「上水神」「下水神」の地名は昭和初期まで見る事ができる。

また、この頃にはモスリン製造所など、亀戸周辺に工場が増えている事が分かる。
江戸時代ののどかな様相とは一変し、亀戸周辺は発展していく事となる。

明治の終わりまでは、当社周辺は巨木が鬱蒼と茂る森であったと云い、「水神森」と呼ばれていたと云うが、近隣に工場が出来、人の住まいも多くなった事で枯れていったと伝わる。
現在も境内には昭和十三年(1938)に奉納された「水神森」の碑が残る。

昭和三年(1928)、東武鉄道亀戸線の「亀戸水神駅」が開業。
駅名は当社に由来している。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。
当社だけでなく亀戸一帯は壊滅的なまでの被害を受け大部分が焼失している。

昭和三十四年(1959)、地元有志の発起により亀戸水神宮再建奉賛会が結成。
会長は本務社である「亀戸香取神社」の宮司が担い、各町会長や自治会長、水神請講元などが就任した。

昭和三十五年(1960)、亀戸水神宮再建奉賛会の尽力により社殿が再建。
水神奉賛会により維持され、現在に至っている。

水神奉賛会によって維持される小さな神社

最寄駅の亀戸水神駅から北西へ数分歩いたところで、交番の隣に鎮座。
社号碑には「亀戸水神宮」の文字。
当社の左手の通りは「水神通り」と呼ばれ、今も当社への崇敬を感じさせる。

鳥居を潜ると右手に手水鉢。
簡易な形ではあるが、蛇口から水が出て手を清める事ができる。

正面には小さな社殿。
昭和三十五年(1960)に再建された社殿。
状態はそこまでよいものではないが、大切に維持されている。
扁額には「亀戸水神宮」の文字。

社号碑や扁額には「亀戸水神宮」の文字が残り、崇敬者からはそう呼ばれていたようだが、本務社「亀戸香取神社」によると正式名称は「亀戸水神社」となる。

社殿の前には一対の狛犬。
現在の岡崎型狛犬。

社殿の左手に記念碑と歌碑。
いずれも昭和三十五年(1960)の再建時に奉納されたもの。
他に、右手に神輿庫、鳥居左に上述した「水神森」碑などが置かれている。

当社は無人の神社であるため、御朱印は本務社である「亀戸香取神社」でお受けできる。

亀戸香取神社 / 東京都江東区
亀戸鎮守。近年は「スポーツ振興の神」として崇敬を集める。勝守と勝運袋。亀島と呼ばれた島だった亀戸。藤原鎌足による創建の伝承。藤原秀郷の戦勝祈願と勝矢。江戸時代に描かれた当社。勝矢祭と武者行列パレード。亀戸七福神・恵比寿神・大国神。御朱印。

所感

亀戸村の新田開墾にあたって祀られた水神さま。
当地は亀戸の中でも、土着の古い農家の流れを汲む人々が住んでおり、それ故に当地を開墾する際に水害からの守り神として創建された当社を大切にしている事が伝わる。
江戸時代には当地周辺を「水神耕地」と呼び、明治になっても昭和初期までは「上水神」「下水神」といった地名に残っていたのもその証拠であり、現在も「亀戸水神駅」の駅名や水神通り、小学校の校名などに、その名残を見る事ができる。
こうした小さな神社にも、大切に信仰し続け維持に尽力される方がいるのはとても素敵な事であり、当地の歴史の一端を知る事ができる神社である。

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神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 鳥居 ]

[ 手水鉢 ]

[ 社殿 ]




[ 狛犬 ]


[ 石碑 ]

[ 神輿庫 ]

[ 舞台 ]

[ 水神森碑 ]

[ 境内 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

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