今泉八坂神社 / 栃木県宇都宮市

宇都宮市

今泉八阪神社(いまいずみやさかじんじゃ)

御祭神:須佐之男尊
相殿神:国常立尊・天照大神・菅原道真公
社格等:村社
例大祭:7月15日-19日(天王祭)
所在地:栃木県宇都宮市今泉4-16-28
最寄駅:宇都宮駅
公式サイト:http://www.yasakajinja.net/

御由緒

 康平六年(1063年)当時の宇都宮城主藤原宗円(宇都宮氏の祖)が御本丸に築城、その城のうしとらの方、鬼門除の鎮護として奥州街道の出入口に当たる今泉の地に神明宮を創始した。
明治四十三年四月、博労町の八坂神社と合祀、社号を八坂神社と改称した。
また平成十年、社殿の老朽により同年十一月より「平成の大改修」事業を行い、伊勢の神宮より御用材を賜り、平成十二年十月一日、古式にのっとり厳粛に遷座祭をさい齋行した。

(※境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2015/11/19

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。
今泉八坂神社


歴史考察

元は神明宮の神社

宇都宮市今泉に鎮座する神社。
宇都宮城の鬼門鎮護の神明宮として創建しており、八坂神社だが元は神明宮というご由緒を持つ。
旧社格では村社に列した。

宇都宮城の鬼門鎮護

社伝によると、康平六年(1063)に藤原宗円が宇都宮城を築城の際、宇都宮城の鬼門の鎮護として、奥州街道の出入口に当たる今泉郷に神明宮を建立したのが始まりとされている。

宇都宮城は、関東七名城の一つに数えられ、江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった旧史跡。
築城したとされる藤原宗円は前九年の役に際して源頼義・義家に伴われて奥州遠征に赴き、その功によって周辺一帯の支配権を与えられたため、藤原宗円が築城。
この地に築城したのは、元々この宇都宮には「宇都宮二荒山神社」が鎮座していたため、その南に藤原宗円が居館を構えた事から、居館を宇都宮城としたのだろう。
後に宇都宮氏の居城となり、北関東支配の拠点となった。

そんな宇都宮城から見て鬼門の位置が今泉郷という地になる。
鬼門というのは北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位であり、築城に際して鬼門守護の神社などを建立するのはよくある事であり、宇都宮城の鬼門守護として建立されたのが当社という事になる。
現在と同じ今泉の地ではあるが、今よりやや位置の違う場所(旧・博労町)に鎮座している。
御由緒にあるように、「神明宮」として創建された。
永らく当社は「神明様」として崇敬されていたようだ。

幾度もの荒廃・復興

創建から何度も荒廃や復興を経たり、幾度もの火事で再建された事が、境内掲示のご由緒書に記されている。

そちらによると、江戸時代には宇都宮市中を延焼した大火により、当社も3度焼失。
そこからは仮殿が再建されただけで、随分と荒廃していたようだ。
この御由緒書きなのだが、書かれた年代が古いようで、既に文字が掠れて読み取れない部分も多いのだが、現在公開されている御由緒よりも詳しい事が描かれており、大変貴重に思う。

明治に八坂神社を合祀・現在の形に

明治に入り神仏分離。
明治二十九年(1896)に有志によって本殿が建造。
江戸時代より仮殿のみだった当社が再建される事となる。

明治三十九年(1906)に、創建当時の博労町から現在地である(当時は今泉字七里川)に遷座。
旧鎮座地であった博労町(今は地名から消えている)も、現在の住所では今泉の住所区域になるので、かなり近い距離で遷座させたという事になる。

明治四十三年(1910)に、旧鎮座地でもあった博労町に鎮座する村社「八坂神社」を合祀。
同年、「八坂神社」という現在の社名に改称した。

ここが中々不思議なところ。
創建時の「神明宮」とは、天照大神をお祀りする伊勢信仰。
一方で「八坂神社」とは、須佐之男尊をお祀りする祇園信仰。
合祀という形なら元の「神明宮」の天照大神を主祭神とするのであるが、当社では須佐之男尊を主祭神としており、配神として天照大神もお祀りはしている。

古い資料には合祀よりも合併という文字を使っている事と、社名が「八坂神社」に改称された事から推測するに、博労町には「神明宮」「八坂神社」の二社以上が鎮座。
宇都宮城の鬼門鎮護という御由緒の古い「神明宮」は既に荒廃し、「八坂神社」は江戸中期から開催されていたという天王祭など、庶民の信仰が篤かったのだろう。
明治になってからも「八坂神社」が村社の扱いで、「神明宮」は無格社だったようだ。
その後、神社合祀政策の影響を受け、二社が合併する必要が出てきため、当時崇敬の篤かった「八坂神社」を主とし、「神明宮」の歴史ある御由緒を引き継いだのではないだろうか。
この辺は推測ではあるが、そうであれば納得のいく流れに思う。

いずれにせよ創建は「神明宮」という伊勢信仰。
現在は「八坂神社」という祇園信仰。
もちろん現在はいずれもお祀りしているのだが、この移り変わりが当社の歴史、そして明治以降の政策や信仰を考えさせてくれる。

境内にお水取りの神池・こま犬さん

平成十年(1998)から社殿の造営に着手。
平成十二年(2000)に完成し遷座式が行われた。

境内は広さはないものの、奉納された歴史を感じさせるものもいくつか残っている。
手水石に「天保十四癸卯年1843六月吉日・下中組連中」の文字。
「天明八年1788戊申十二月」石燈籠一対など。

また社殿左手には小さいながら神池が存在。

こちらではお水取りが出来、神明水と呼ばれる。
眼病に効能あると記載されていた。

平成十八年(2006)には、鳥居の左手に「こま犬さん」という石像が崇敬者により奉納。

犬の守り神として奉納され、犬の健康・長寿を祈願される方も増えており、隣の絵馬掛けには多くの愛犬の健康祈願が掛けられていた。
授与品としても犬への御守などが授与されるようになったようだ。
なお、この「こま犬さん」への賽銭は、盲導犬育成に寄付するとの事。

御朱印は社務所にて。
とても丁寧に対応して下さった。
社務所の奥に栃木県の神社の御朱印がずらりと並んだ壁掛けが掛けられていた。

所感

JR宇都宮駅からほど近い位置に鎮座する当社。
新幹線の線路も近く、鳥居前は比較的大きな道路となっているため、騒々しさを感じる境内ではあるのだが、こぢんまりとした境内は手入れが行き届いていて清々しい。
この日は近くの野良猫が愛想よく境内でくつろいでいた。
神職の方も色々とお話を聞かせてくれ、とてもにこやかな応対をして下さり有り難い。
宇都宮には下野国一之宮「宇都宮二荒山神社」がとても規模が大きく有名であるが、当社は村の鎮守としての歴史や信仰を感じさせてくれるよい神社だと思う。

神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 本殿・拝殿 ]
[ 狛犬 ]
[ 御神木 ]
[ 神楽殿 ]
[ 神明水・神池 ]
[ 天満宮・蔵 ]
[ 神明斎館 ]
[ 社務所 ]
[ こま犬さん ]
[ こま犬さん絵馬掛け ]
[ 案内板 ]

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