鹿島神宮 / 茨城県鹿嶋市

鹿嶋市

鹿島神宮(かしまじんぐう)

御祭神:武甕槌大神
社格等:延喜式内社(名神大社)・常陸国一之宮・官幣大社・別表神社・勅祭社
例大祭:9月1日(12年に1度)(御船祭)・3月9日(祭頭祭)
所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1
最寄駅:鹿島神宮駅
公式サイト:http://kashimajingu.jp/

御由緒

鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。
鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。
現在の社殿は徳川第二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。
鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます。

参拝情報

参拝日:2015/12/01
参拝日:2015/05/21

御朱印

初穂料:各300円
祈祷殿・社務所にて。
(この日は楼門潜ってすぐの授与所ではなく、祈祷殿・社務所でお受けできた)

※御朱印は鹿島神宮のものと奥宮のものの2種類を用意している。

※2015/12/01拝受
鹿島神宮5
(鹿島神宮)
鹿島神宮6
(奥宮)
※2015/05/21拝受
鹿島神宮
(鹿島神宮)
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(奥宮)

※2015/05/03拝受
鹿島神宮2

(鹿島神宮)

鹿島神宮奥宮2
(奥宮)

御朱印帳

初穂料:1,000円
祈祷殿・社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を2種類用意している。
今回お受けした御朱印帳が基本の頒布品で、新たな御朱印帳が度々用意されている。
2015年5月に参詣した時はピンクを基調としたもの、同年12月に参詣した時は鷹がデザインされたものが用意。
正月に限定100部で木製御朱印帳も存在。
[ 表面 ]
鹿島神宮御朱印帳1
[ 裏面 ]
鹿島神宮御朱印帳2

全国一の宮御朱印帳(小)
初穂料:1,000円
祈祷殿・社務所にて。

一部の一之宮で頒布している「全国一の宮会」発行の御朱印帳。
サイズは通常の小サイズと同じだが枚数が多く非常に厚みがある。(片面で60ページ)
紙質は通常の御朱印帳より薄めなので裏写りし易い。

[ 表面 ]
全国一の宮御朱印帳
[ 裏面 ]
全国一の宮御朱印帳2
[ 厚み ]
全国一の宮御朱印帳3
[ 中 ]
全国一の宮御朱印帳4
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歴史考察

鹿島信仰総本社・常陸国一之宮

茨城県鹿嶋市宮中に鎮座する神社。
常陸国の一之宮であり、東国随一の古社。
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(タケミカヅチ)を祭神としており、全国に約600社ある「鹿島神社」の総本社。

古くから千葉県香取市の「香取神宮」とは深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在とも言える。
例えば世界遺産である奈良の「春日大社」では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に勧請されて祀られいる。

常陸国の一之宮とされ、延喜式神名帳では名神大社、旧社格では官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社かつ勅令社と、古来から現在に至るまで途切れる事なく格式高い崇敬を受け続けている。

宮中の四方拝で遥拝される一社でもある。
古来、朝廷からの崇敬が大変篤く、東国に置いて大変に重要な役割を果たしてきた。
「鹿島・香取」の二社は朝廷の東国進出の重要拠点となっていたことからも窺える。

現在は、千葉県香取市の「香取神宮」、茨城県神栖市の「息栖神社」と共に「東国三社」の一社とされる。
これは江戸時代に「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したそうで、現在では「東国三社参り」と呼ばれる。

祭神である武甕槌神は、日本神話で大国主の国譲りの際に活躍した神として有名。
古来、藤原氏(中臣氏)の氏神として当神宮が崇敬されていた事もあり、藤原氏が力をつけるにつれ、朝廷や貴族の信仰を受けた歴史があり(上述した「春日大社」もその流れから)、さらに武神であることから武家の崇敬も受け全国に広まった。
これらは鹿島信仰とも言われ、その総本社として大変重要な位置付けを持っている。

藤原氏の氏神として広まる

創建は鹿島神宮の由緒「鹿島宮社例伝記」や古文書によると神武天皇元年(紀元前660年)に初めて宮柱を建てたといい、当宮ではこの神武天皇元年(紀元前660年)を創建年としている。
神話の時代の話だが、歴史的にも大変古く土着の神として信仰されていたのは間違いない。

飛鳥時代になると大化改新後の新政による朝廷の東国経営強化が考えられ、改新を契機として朝廷は当宮とつながりを深めたとされる。
これには当時の権力者であった中臣氏の存在が背景にあったと指摘される。
奈良時代になると中臣氏を祖とする藤原氏が当宮を氏神とした事からも分かるだろう。
その影響で、奈良の「春日大社」では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に勧請されてお祀りされている。
延長五年(927)に編纂された『延喜式神名帳』では、「神宮」と表記されたのは「大神宮(伊勢神宮内宮)」「鹿島神宮」「香取神宮」の三社のみであり、それほどの格があった事が分かる。

奈良の鹿の発祥

当社境内には「鹿園」が存在。

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神宮の社名は古来は「香島」であったのだが、現在の「鹿島」に変化しといわれており、この事からも鹿が神の使いとして重要な役割を担っていたのが推測できる。
奈良県にある世界遺産の「春日大社」の創建に際しては、神護景雲元年(767)に白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて出発し、1年かけて奈良まで行ったと伝えられている。
そのため全国的に有名な「奈良の鹿」も鹿島神宮の発祥とされている。

武神が御祭神・武家からの崇敬

以後、時代時代の権力者達から庇護される事となる。
当宮は武神を祀るため、中世の武家の世にも神威は維持され、歴代の武家政権や大名から崇敬を受けた。
源頼朝から多くの社領が寄せられたように、神宮には武家からの奉幣や所領の寄進が多く確認される。

慶長十年(1605)には徳川家康により本殿(現在の奥宮の社殿)が造営。
元和五年(1619)には二代将軍・徳川秀忠により現在の社殿一式が造営。
寛永十一年(1634)には常陸水戸藩初代藩主・徳川頼房により楼門等が造営された。

明治になると明治四年(1871)に最高位の官幣大社に列している。
戦後は神社本庁の別表神社に列している。

三基存在する一の鳥居

鹿島神宮には「一の鳥居」が3基存在する。
古くは東西南北に4基存在していたそうだが、現在は東西南の3基である。

特に西の一の鳥居は、平成二十六年(2013)に再建されたもので、鰐川(北浦)の中に立つ巨大なもので、大変見た目も映える。

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御船祭(12年に1度・2014年に行われたので次は2026年)の際にはここから御座船が出発する。
鹿島神宮の境内からは1km以上離れている場所にあるのだが、ぜひこちらも見ておきたい。
なお、東の一の鳥居は鹿嶋市神光寺の太平洋に面して、南の一の鳥居は神栖市息栖の「息栖神社」の一の鳥居を代用している。

境内には重要文化財が多数

古くからそして現在もいつの時代にとっても権力者や庶民から崇敬を集めた東国にとって重要な位置づけの当宮。
そのため境内も大変広く見どころも多数存在する。
香取神宮が鎮座する地は「三笠山」と称され、国の史跡に指定されている。

境内入口に立つ大鳥居(二の鳥居)は、東日本大震災により倒壊。
その後、平成二十六年(2014)に、境内から4本の杉を使い再建したもの。

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まだ新しい大鳥居なので見どころの一つとなっている。

楼門は「日本三大楼門」の一つとも言われ、寛永十一年(1634)、初代水戸藩主徳川頼房による造営。
扁額「鹿島鳥居」は東郷平八郎の書。

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この楼門は国の重要文化財となっている。

社殿は元和五年(1619)、二代将軍徳川秀忠による造営が現存。

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幕府棟梁であった鈴木長次の手によるものだそうで、実に見事な複合社殿となっている。
ちなみに社殿は北面しているのだが、これは北方蝦夷を意識した配置と言われている。
本殿は檜皮葺で極彩色が施され実に美しい。


この社殿(本殿・石の間・幣殿・拝殿)も国の重要文化財に指定されている。
拝殿の右手前方には「仮殿(かりどの)」が建っており、こちらも国の重要文化財。

御朱印は宝物館の角を左手に曲がった祈祷殿・社務所にて頂ける。
案内が出ているのですぐ分かると思う。
筆者は、本宮の社殿で参拝したら、御朱印帳を預けて奥宮などを回らせてもらった。
近くの宝物館(入場料有り)で国宝の直刀など色々見て回るのもよいかもしれない。

オリジナルの御朱印帳はこの日は2つ用意されていた。
楼門が描かれているものが基本の頒布品で、新たな御朱印帳が度々用意されている。
2015年5月に参詣した時はピンクを基調としたもの、同年12月に参詣した時は鷹がデザインされたものが用意。
全国一の宮御朱印帳も頒布されていた。

奥宮・要石・御手洗池

境内から奥の参道を進むと途中に「鹿園」の姿が見えてくる。
神使として日本鹿が飼育されており、その姿を見ることができる。
全国的に有名な「奈良の鹿」も鹿島神宮の発祥とされている。

さらに奥に進むと「奥宮」が鎮座している。

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現在の奥宮社殿は、江戸時代初期の慶長十年(1605)に徳川家康により関ヶ原戦勝時の御礼として建てられた本宮の旧本殿であり、上述したように本宮の社殿が元和五年(1619)に造営された際に、旧本殿だったこちらが現在地に移され奥宮本殿とされた。
境内の社殿では最も古く、こちらも国の重要文化財に指定されている。

奥宮より奥は「要石」方面と、「御手洗池」方面で分岐。
「要石」は直径30cmほどで凹型の小さなもの。

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地震は地中に棲む大鯰が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神との事で、見た目は小さいが決して抜くことはできないと言い伝えられている。

水戸藩主徳川光圀(水戸黄門)が7日7晩要石の周りを掘らせたが、翌朝には穴が元に戻ってしまい根元には届かなかったという逸話も伝えられている。
なお、「香取神宮」には凸型の要石があり、同様の説話が伝えられている事から、対をなすものと推測できる。

「御手洗池」は古くは西の一の鳥居がある大船津から舟でこの地まで進めたそうで、この御手洗池で禊ぎをしてから神宮に参拝したと伝えられている。
現在は近くが公園になっており、境内にも茶屋&土産屋の「一休(ひとやすみ)」が営業している。

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団子や蕎麦が名物で、ここまで来るには結構歩く必要があるため、ここで足休めをされる方も多い。

境内社も多い。
上述した奥宮も祭神は武甕槌大神荒魂という事になっており、摂社の一つと言える。
さらに境外摂社もあり、東国三社の一つ「息栖神社」は当神宮の境外摂社と考えられている。

所感

古くから現在まで由緒と格式のある当神宮。
今もなお篤い崇敬を受けており、平日でも観光バスなどで参拝する方の姿も多く見られた。
全国の神社好きな方なら「鹿島・香取」の両社は一生に一度は参拝したいと思うに違いない。
「東国三社参り」として鹿島神宮・息栖神社・香取神宮を参詣する方も多い。
現在では観光地としての要素も若干感じられるが、その格式と厳かな雰囲気もしっかりと感じさせてくれる、関東を代表する古社である。

神社画像

※2015/05/21参拝時の画像

[ 西の一の鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 二の鳥居(大鳥居)・社号碑 ]
[ 参道 ]
[ 手水舎 ]

[ 楼門 ]

[ 拝殿 ]
[ 本殿 ]
[ 仮殿 ]
[ 高房社 ]
[ 絵馬掛]
[ 授与所 ]
[ 宝物館 ]
[ 祈祷殿・社務所 ]
[ 御厨社・祖霊社 ]
[ 奥参道 ]
[ 石灯籠 ]
[ さざれ石 ]
[ 鹿園 ]

[ 奥宮 ]

[ 要石への奥参道石碑 ]
[ 要石への奥参道 ]
[ 要石 ]
[ 御手洗池への奥参道 ]
[ 御手洗池 ]
[ 御神水 ]
[ 投句箱 ]
[ 大黒社 ]
[ 売店(一休) ]
[ 境内社 ]
[ 稲荷社 ]
[ 境内案内図 ]

※2015/12/01参拝時の画像

[ 二の鳥居(大鳥居)・社号碑 ]
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[ 楼門 ]
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[ 社殿 ]
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[ 奥参道 ]
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[ 奥宮 ]
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[ 御手洗池 ]
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Google Maps

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