香取神宮(かとりじんぐう)
御祭神:経津主大神
社格等:延喜式内社(名神大社)・下総国一之宮・官幣大社・別表神社・勅祭社
例大祭:4月15〜16日(12年に1度)(式年神幸祭)・4月15日(神幸祭)
所在地:千葉県香取市香取1697
最寄駅:香取駅・佐原駅
公式サイト:http://www.katori-jingu.or.jp/
御由緒
御事歴大神は天照大御神の御神意を奉じて、鹿島の大神と共に出雲国の大国主命と御交渉の結果、円満裡に国土を皇孫に捧げ奉らしめ、さらに国内を御幸して荒振る神々を御平定され、日本建国の基を御築きになり、又東国開拓の大業を完遂せられて、平和国家の建設と民生の安定福祉に偉大なる御神威を顕わされた。御神徳古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、特に「神宮」の御称号を持って奉祀され、名神大社として下総国の一の宮である。明治以後の社格制では官幣大社に列せられ、その後勅祭社に治定せられて今日に至っている。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地に及んでおり、昔からの伊勢の上参宮に対し下参宮と云われ、広く上下の尊崇をあつめて居る。又、一般からは産業(農業・商工業)指導の神、海上守護の神或は心願成就、縁結、安産の神として深く信仰されている。尚その武徳は平和、外交の祖神と敬われ、勝運の神、交通安全の神、災難除けの神として有名である。御社殿
宮柱の創建は神武天皇御字十八年なる由香取古文書に記されている。去る昭和三十三年四月御鎮座二千六百年祭が盛儀を以って斎行せられた。古くは伊勢神宮と同様式年御造営の制度により、御本殿を二十年毎に造替されたのであるが現在の御社殿(本殿・楼門・祈祷殿)は元禄十三年(1700年)徳川綱吉の造営に依るものである。昭和十五年国費により拝殿の改築と共に御本殿以下各社殿を御修営し、その後昭和五十二年から三年の歳月を懸けて御屋根葺替・漆塗替が行われた。構造は本殿(重要文化財)、中殿、拝殿相連れる所御謂権現造である。
境内
香取の神域は大槻郷亀甲山と呼ばれ県の天然記念物に指定され、その面積は123,000平方米(約三万七千余坪)で他に境外社有地がある。神域内は老杉欝蒼として森厳の気自ら襟を正さしめる。
(※頒布のリーフレットより)
参拝情報
参拝日:2015/12/01
参拝日:2015/05/21
御朱印
初穂料:300円
授与所にて。
授与所にて。
※2015/12/01拝受
※2015/05/21拝受
※2015/05/03拝受
御朱印帳
初穂料:1,000円
授与所にて。
オリジナルの御朱印帳は濃紺を基調とし、神紋「五七の桐」がデザインされたもの。
全国一の宮御朱印帳(小)も頒布有り。
全国一の宮御朱印帳(小)も頒布有り。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
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歴史考察
香取神社の総本社・下総国一之宮
香取市香取に鎮座する神社。
下総国の一之宮であり、東国随一の古社。
下総国の一之宮であり、東国随一の古社。
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神としており、全国に約400社ある「香取神社」の総本社。
古くから茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」とは深い関係にあり、「鹿島・香取」と並び称される一対の存在とも言える。
例えば、世界遺産である奈良の「春日大社」では、鹿島神が第一殿、香取神が第二殿に勧請されてお祀りされている。
下総国の一之宮とされ、延喜式神名帳では名神大社、旧社格では官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社かつ勅令社と、古来から現在に至るまで途切れる事なく格式高い崇敬を受け続けている。
宮中の四方拝で遥拝される一社でもある。
古来、朝廷からの崇敬が大変篤く、東国に置いて大変に重要な役割を果たしてきた。
「鹿島・香取」の二社は朝廷の東国進出の重要拠点となっていたことからも窺える。
現在は、茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」、茨城県神栖市の「息栖神社」と共に「東国三社」の一社とされる。
これは江戸時代に「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したそうで、現在では「東国三社参り」と呼ばれる。
これは江戸時代に「下三宮参り」と称して、関東以北の人々が伊勢神宮参拝後にこれら三社を巡拝する慣習が存在したそうで、現在では「東国三社参り」と呼ばれる。
鹿島神宮と対・藤原氏の氏神
社伝によると初代神武天皇十八年(紀元前642年)の創建と伝える。
日本神話の時代の話になってしまうが、8世紀初頭の「常陸国風土記」には既に記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされており、「鹿島神宮」と対になる土着の神として崇敬されていたのが分かる。
古来、藤原氏(中臣氏)の氏神として「鹿島神宮」と共に当宮が崇敬されていた事もあり、藤原氏が力をつけるにつれ、朝廷や貴族の信仰を受けた歴史があり(上述した「春日大社」もその流れから)、さらに武神であることから武家の崇敬も受けていた。
以後、その時代の権力者より崇敬を集めている。
江戸時代には江戸幕府より手厚い庇護を受けており、現在の社殿などのその流れから来るものである。
元禄十三年(1700)に、五代将軍・徳川綱吉により社殿などの整備が行われており、それらが現存している。
2つある参道と一の鳥居
当宮への参道は2つあり、それぞれに鳥居が設けられている。
境内前の二の鳥居までの道のりは約1.6kmあるが、県道にあるので車の往来も多い。
通称「津宮浜鳥居」と称され、祭神がここから上陸したことに由来すると伝えられ、この鳥居からの道がかつての表参道であったそうだ。
現在も12年に1度開催される「式年神幸祭」では、ここから神輿をのせた御座船が出発する。
近くには昔の舟運繁栄を窺わせてくれる常夜燈もあり、こちらは香取市指定文化財。
津宮浜鳥居から境内前の二の鳥居までの道のりは約2.5kmと距離があるが、できれば見ておきたい。
雄大な境内・歴史的建造物
当宮が鎮座する地は「亀甲山」と称され、千葉県指定天然記念物に指定。
神域とされ手付かずの自然が多く残されているので、当宮の境内は自然を残した形になっており、厳かな雰囲気を現代にも伝えている。
神域とされ手付かずの自然が多く残されているので、当宮の境内は自然を残した形になっており、厳かな雰囲気を現代にも伝えている。
大鳥居を潜ってすぐ左手に道が分岐しているのだが、そちらには要石や護国神社がある。(奥宮にも行ける)
この楼門は元禄十三年(1700)造営。
丹塗で、左右に「左大臣・右大臣」の随身像が安置されており、額は東郷平八郎の筆によるもの。
極彩色が施され本殿と釣り合いの取れた意匠となっている。
本殿は楼門と同様に元禄十三年(1700)造営で、徳川第五代将軍・徳川綱吉の命によるもの。
実に見事で個人的にはとても好きな造形。
本殿と楼門は国の重要文化財に指定されている。
社殿から向かって右手には祈祷殿があり、これは当宮の旧拝殿。
本殿と同様に元禄十三年(1700)の造営で、拝殿として使用されていたが、上述した昭和の大修築により現在の場所へ移された。
現在の拝殿とは結構造りが違うので比べてみると面白い。
こちらは千葉県指定文化財に指定。
こちらは千葉県指定文化財に指定。
大杉で樹齢は1000年と云われている。
社殿の裏手には「鹿島神宮」同様に「鹿園」が存在。
あまりこちらまで人が来る事がないようだが、現在はボランティアの方が管理されている。
給餌を手伝わせて下さったりと色々有難かった。
御朱印は拝殿向かって右手にある授与所にて頂ける。
御朱印をお受けした際に「東国三社参りをされていたので」と言われ、上述した「御守」も一緒に頂いた。
東国三社参りをした証としても大変嬉しい心遣いだと思う。
オリジナルの御朱印帳は、濃紺を貴重とし神紋「五七の桐」がデザインされたもの。
全国一の宮御朱印帳も頒布されていた。
要石・奥宮・境外摂社
大鳥居を潜ってすぐ左手に分岐すると「要石」がある場所まで坂が続く。
地震は地中に棲む大鯰が起こすものと考えられていたため、要石はその大鯰を押さえつける地震からの守り神との事で、見た目は小さいが決して抜くことはできないと言い伝えられている。
水戸藩主徳川光圀(水戸黄門)が7日7晩要石の周りを掘らせたが、翌朝には穴が元に戻ってしまい根元には届かなかったという逸話も伝えられている。
なお、「鹿島神宮」には凹型の要石があり、同様の説話が伝えられている事から、対をなすものと推測できる。
奥宮社殿は、昭和四十八年(1973)の伊勢神宮遷宮の際の古材を使用したもの。
かなり空気感が変わり凛とした場所なので、是非こちらまで足を伸ばしたい。
境外摂社の扱いで、一度境内から出て行かないといけないため、事前に場所をチェックしておいたほうがよいだろう。
境内摂社や末社、境外摂社の数も多い。
境外摂社として注目したいのは、香取市大倉にある「側高神社」。
こちらは当宮の第一摂社として、深い関係のある神社なので一緒に参詣するのもよいと思う。
所感
由緒と格式のある当宮。
古来、「鹿島・香取」として対をなす東国において大変重要な存在。
「東国三社参り」として鹿島神宮・息栖神社・香取神宮を参詣する方も多い。
神域を感じ人の手をあまり加えていない自然を残した境内となっており、大変厳かな空気を感じる事ができる古社。
個人的には東国三社の中でも一番好きな空間である。
個人的には東国三社の中でも一番好きな空間である。
神社画像
※2015/05/21参拝時の画像
[ 津宮浜鳥居 ]
[ 参道 ]
[ 三本杉 ]
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