将門神社(日秀) / 千葉県我孫子市

【神社情報】

将門神社(まさかどじんじゃ)

御祭神:平将門公
社格等:村社
例大祭:6月6日


所在地:千葉県我孫子市日秀131
最寄駅:湖北駅・新木駅
公式サイト:http://masakadojinjya.jimdo.com/

【御由緒】

 旧日秀(ひびり)村の村社将門神社は字上宮前、手賀沼を眼下に望む丘陵の南端に鎮座している。
 祭神は平将門。明治四十一年(1908)に字掘込(ほつこめ)にあった無格社水神社(祭神は水波賣命)を合祀して将門社から将門神社となった。
 この日秀の地は平将門に関する伝承を今に伝える我孫子市内でも特記すべき所である。
 
 神社の由来は、天慶三年(940)将門が戦没するや、その霊は遺臣等と対岸手賀沼村明神下より手賀沼を騎馬にて乗り切り、湖畔の岡陵に登り朝日の昇天するを拝したということから、村人がその地に一字を奉祀したのが将門神社の起こりであるという。
 日秀(ひびり)の地名についても、将門の霊位が日の出を拝したからとも、またその遺臣である日出弾正なる者がこの地に隠栖(いんせい)したことから、日出(ひいで)村と呼ぶようになったとも伝えられているが、日出村の呼び方は元禄十五年(1702)の水神社の石祠(現在境内鳥居脇に遷されている)にも認められるが、寛文十二年(1672)の庚申塔には「日秀村」と刻まれている。江戸初期には両様に用いられていたことがわかる。
 また将門は幼少のころをこの地で過ごしたとの伝承、日秀では桔梗を植えても花が咲かないしまた植えない(愛妾桔梗御前の裏切りによって将門が討たれたとの伝説にちなんだもの)。さらに胡瓜(きゅうり)は輪切りにしない(将門の紋所である九曜紋が胡瓜を輪切りにした状態に似ていることから)、成田不動尊へは参拝しない等、将門とのかかわりを色濃くのこしている地である。
 最近になって、神社西方の日秀西遺跡が発掘調査され、古代郡衙(ぐんが)跡と考えられるに及び、この将門神社及び東方低地にある将門の井戸とのかかわり等、古代から中世への史実と伝承の谷間も鮮明されることであろう。
 祭礼は正月六日のおびしゃと七月十四日の例祭を祇園(ぎおん)祭りと称し、初日の鎮守氏神における幟立から始まり三日間にも及び、また収穫を祝う秋祭りも行われていたが、現在は七月十四日の例祭のみとなっている。この日は「みやなぎ」と称し神社を清掃後、神主、氏子総代等の役員当番により神前にて玉串を上げ、当屋において直会の宴がある。その時当番の家の門口へ「奉納将門大明神」(天保六年正月奉納)の幟を立てるのでそれとわかる静かな祭りとなっている。
【参拝情報】

参拝日:2015/05/07

【御朱印】
小さなお社で社務所などもなく兼務社なのでないと思われる。
【備考】
千葉県我孫子市日秀にある平将門公を祀る神社。
この周辺には将門伝説が残る地域が色々と存在する。
手賀沼を挟んで柏市側にも「将門神社」があり、将門公の縁を感じさせてくれる。
将門公の母の出身地が相馬郡。
相馬郡は現在の茨城県南西部から、千葉県の我孫子市、柏市の一部になる。
そのため将門公も「相馬小次郎」を称していた事もあったという言い伝えがあり、柏市の北部側や我孫子市など手賀沼周辺に、将門伝説が残る地が点在している。
こちらは元々「将門社」と称していたようだが、明治四十一年(1908)に近くの水神社を合祀して現在の「将門神社」となったとの由来がある。
御由緒の通りだと創建は将門が没した天慶三年(940年)となる。
この地方には「成田山新勝寺には参詣」しない(将門討伐のために建立された寺院のため)、といった禁忌も伝わっているようで、これは「神田明神」を始め、同じ千葉県でも市川市の大野町周辺など、将門伝説が残る地に浸透している将門伝説に纏わる禁忌である。
そこからも将門公との縁を知る事ができる。
旧社格は村社であり、歴史などを見るに、過去はもう少し社殿など整備されていた気もするのだが、残念ながら今はその姿は全くなく、小さな祠(石殿)があるだけとなっている。
明神鳥居の神額には「平親王 将門大明神」文字。
あとは短い参道の奥に石祠があるだけの簡素な造り。
周囲に灯籠や石碑が置かれている。
資料を見るに、昔は江戸後期作の狛犬が一対、手水鉢などもあったようなのだが、現在はそちらもなくなっていた。
石祠の裏側を見ると「昭和五十年四月」の文字。
この時期に再建という形で見るのが自然かもしれない。
ここからは推測になるのだが、翌年の昭和五十一年(1976)には平将門が主人公となったNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」が放送され将門人気が高まる事になる。(神田明神の本社祭神に復帰したのもこれ以降の復帰機運によるもの)
そのため、タイミング的に大河ドラマに合わせて再建させたのかな、と感じている。
将門公は江戸幕府の庇護、そして明治維新での逆賊視扱いと、時代によって評価が別れるため、特に明治以降ではそれまで大っぴらにお祀りできなかった、といった経緯もあるように思える。
なお、近くには「将門の井戸」と呼ばれる将門伝説に纏わるところも。
合わせて寄ってみるのもよいかもしれない。
かなり小さな石祠があるだけなので、将門公巡りをしている方以外には見向きもされないかもしれないが、この地の将門伝説を知る事ができた小さなお社。
小さくてもこの地に根付いた伝説があるのなら、それはとても興味深い事だと思う。

神社画像

[ 鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 石殿 ]

【Google Maps】

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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