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概要
旧上蛇窪村の鎮守・蛇窪大明神
東京都品川区二葉に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧地名である上蛇窪村の鎮守。
現在は荏原七福神の弁財天を担っている。
最近では当社で祀られている全ての神様の総称「蛇窪大明神」として知られた事もあり、「蛇窪神社」とも称される事も多かったため、令和元年5月1日より別称であった「蛇窪神社」を通称に変更。
現在は「上神明天祖神社」よりも旧地名を冠した「蛇窪神社」を前面に出して活動を行っている。
カラフルな御朱印や限定御朱印など、御朱印を集印する人々から知名度の高い神社。
神社情報
蛇窪神社(へびくぼじんじゃ)
上神明天祖神社(かみしんめいてんそじんじゃ)
御祭神:天照大神・天児屋根命・応神天皇
社格等:村社
例大祭:9月15・16日に近い土・日曜(蛇窪祭)
所在地:東京都品川区二葉4-4-42
最寄駅:西大井駅・中延駅
公式サイト:https://hebikubo.jp/
御由緒
文永8年(鎌倉時代・1272年)11月10日、北条四朗左近大夫陸奥守重時は、五男の時千代に多数の家臣を与え蛇窪(現在の品川区二葉四丁目付近)に残って当地域を開くよう諭して、自らはこの地を去りました。
その後、時千代は法圓上人と称して大森(大田区)に厳正寺を開山し、家臣の多くは蛇窪付近に移住させました。現在、厳正寺の壇徒がこの地域に多いのは、こうした理由によるものです。
文永8年の秋から五十年ほど経た元亨二年(1322年)、武蔵の国(現在の東京・埼玉)一帯が大旱魃となり、飢饉の到来は必至と見られました。このとき、厳正寺の当主、法圓の甥の第二世法密上人は、この危機を救うため、厳正寺の戌亥(北西)の方向にあたる森林の古池のほとりにある龍神社に雨乞いの断食祈願をしました。上人の赤誠(偽りや飾りのない心。まごころ。)と神霊の冥助により、大雨が沛然と降り注ぎ、ついに大危機を免れることができました。
これに感激した時千代の旧家臣たちは、蛇窪に神社を勧請し、神恩にこたえて祀りました。これが現在の天祖神社の縁起とされています。
なお一説には、鎌倉時代に、この地の豪農、森屋氏(現姓森谷氏等の先祖)が建立したものとも伝えられています。
当社の旧社名は神明社です。現在の下神名天祖神社は、正保年間(1644年)、今から約375年前、蛇窪村が上蛇窪村と下蛇窪村に分立の際に、当神社から現在の所在地に分社されたと言われています。その後、昭和7年10月に東京市内編入の際、氏神である神明社に因んで町名が上神明町・下神明町に改名されました。したがって、これ以後に現在の社名、天祖神社に改名されました。(荏原区史)(頒布のリーフレットより)
歴史考察
龍神へ雨乞い祈願し創建した伝説
創建に関しては不詳な部分も多い。
社伝によると、文永八年(1271)に、北条重時の五男・時千代が仏門に入る。
法圓上人となり、大森に「厳正寺(ごんしょうじ)」を開山。
鎌倉時代前期の武将で、鎌倉幕府二代執権・北条義時の三男。(北条政子の甥)
六波羅探題北方・鎌倉幕府連署など幕府の要職を歴任、引退後は「極楽寺」(現・鎌倉市極楽寺)に隠居したため極楽寺重時とも称される。
時千代の家臣が蛇窪(現在の当地周辺)に住み着き、当地を開墾したと伝わる。
元亨二年(1323)、大旱魃(かんばつ)が発生。
「厳正寺」の僧・第二世法密上人が北西にある古池のほとりにある「龍神社」の龍神へ雨乞いの断食祈願したところ、大雨が降ったため、村民たちは飢饉を逃れる事ができたと云う。
これに感激した時千代の旧臣らが当地に「神明社」を創建したのが当社の始まりと伝わる。
鎌倉時代にこの地の豪農である森屋氏が当社を建立したものとも伝えられている。
以後、蛇窪一帯の鎮守として地域より崇敬を集めた。
蛇窪村が上下に分村・神明社も分立
正保年間(1644年-1647年)、蛇窪村が上蛇窪村・下蛇窪村に分村。
蛇窪村鎮守であった「神明社」も、両村に分社。
上蛇窪村鎮守として当社、下蛇窪村鎮守として現「下神明天祖神社」に分かれたとされる。
古くから蛇窪村の鎮守「神明社」は当地に祀られており、分村に合わせて当社から「下神明天祖神社」に勧請(分立)したと推測できる。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(上蛇窪村)
神明社
除地二段二畝。村西の方にあり。社二間に二間半。村の鎮守なり。勧請の年暦を詳かにせず。馬込村長遠寺の持。
末社。稲荷社。本社の側にあり。
上蛇窪村の「神明社」として記されているのが当社。
「村の鎮守なり」とあり、上蛇窪村鎮守であった事が分かる。
末社の稲荷社は、現在も境内社として鎮座している稲荷神社であろう。
当社同様に古くから当地に祀られていた神社であった。
別当寺は「長遠寺」(現・大田区南馬込5)。
天仁元年(1108)草創、文亀二年(1502)現在の南馬込に移転。
元禄年間(1688年-1704年)に中興されたと云う。
神仏分離までは当社を含む12社の別当寺を担った。
明治以降の歩み・蛇窪の地名が消滅
明治になり神仏分離。
上蛇窪村の鎮守として村社に列した。
明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、中延村・戸越村・小山村・上蛇窪村・下蛇窪村と谷山村飛地が合併し、平塚村(後の荏原町)が誕生。
当地は平塚村上蛇窪となる。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲ったのが当社で、今も昔も変わらない。
平塚村、さらには上蛇窪・下蛇窪と云うように、蛇窪の名が残っている。
当地一帯が古くから「蛇窪」と呼ばれ、それが昭和初期までは続いていた。
当社からも近い現在の戸越公園駅は、昭和二年(1927)の開業時には蛇窪駅という名で開業。
昭和十一年(1936)には現在の「戸越公園駅」に改称されたものの、当地が蛇窪として浸透していた事がよく分かるエピソード。
昭和七年(1932)、荏原区が成立する際に、上蛇窪・下蛇窪はそれぞれ上神明町・下神明町へ改称され、当地は上神明町となる。
同年、町会議員が以下のような建議書を提出している。
荏原町大字『上蛇窪』『下蛇窪』と公称せる字名称を改称せんとす。
蛇窪のような都市には相応しくない地名は、蛇を嫌う国民性から不適当のため、東京市に編入される機会に改名を希望する。
結果、町議会によって蛇窪の地名は消滅し町名が変更された。
神明の町名はそれぞれに「天祖神社(旧・神明社)」があったため、縁起のよい名前をつけたという事になるのだろう。
氏子地域一帯の蛇の街活動・蛇窪神社を通称へ
昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿等が焼失。
昭和三十六年(1961)、社殿などが再建。
その後も境内整備が進む。
平成三十年(2018)、大鳥居を老朽化のため撤去。
令和元年(2019)、大鳥居を再建。
近年は限定御朱印や荏原七福神など様々な事を積極的に活動をされている。
またSNSなどネットを活用した展開の影響もあって人気の高い神社となっている。
また現在は当社や氏子地域の住民によって「蛇窪」を押し出した展開をしている。
「スネークタウンマップ」としてスネークタウン事務局による展開も開始。
さらに「くぼっち」というゆるキャラを作ったりと色々な展開を見る事ができる。
昭和の初期に「蛇窪」という地名を嫌い地名変更のあった当地であるが、こうして当社を中心に旧地名に対する拘りや旧地名を保存しようという試みが行われている。
以前は商店街のいたるところに「蛇の街」といった幟旗が置かれており、氏子地域で一帯となり盛り上げているのが伝わってきた。
現在は(2020年より)三間通りから当社にかけての街灯が白蛇仕様に変更し、蛇窪・当社の白蛇縁起と「蛇の街」として、地域を挙げて活動を続けている。
令和元年(2019)5月1日、これまで別称であった「蛇窪神社」を通称に変更。
現在は「上神明天祖神社」よりも旧地名を冠した「蛇窪神社」を前面に出して活動を行っている。
令和元年(2019)、大鳥居を建立。
令和三年(2021)、境内社「白蛇辨財天社」を大改修・整備。
令和四年(2022)、境内社「伏見稲荷社」を改修・「法密稲荷社」へ改称。
その後も境内整備が進み現在に至る。
境内案内
令和元年に建立された大鳥居
最寄駅は西大井駅か中延駅でやや距離があり、品川区二葉の住宅街に鎮座。
ほぼ隣が上神明小学校になっていて地域に密着した鎮守。
社号碑には「村社 天祖神社」と記されている。
大鳥居は令和元年(2019)12月に竣工式を斎行。
真新しい木製鳥居。
扁額には令和元年(2019)より別称から通称へ変更した「蛇窪神社」の文字。
当社の旧鳥居はシンボルの1つであったが平成三十年(2018)8月下旬に老朽化で撤去され、こうして令和の新しい時代に生まれ変わった。
こちらは2021年9月の巳の日に撮影したもので「白蛇辨財天社巳祭」の旗幟。
下記の画像は撤去される前の2017年2月に撮影した大鳥居の画像。鳥居は大正初期に建てられたもので、境内は昭和二十年(1945)の空襲でほとんど焼失したが、この鳥居だけは無事であったと云う。
こちらは2018年7月の夏詣や七夕の飾りがされた社頭。
昭和四十九年(1974)に銅にて修復され、当社のシンボルの1つとして大切にされていた。
一粒万倍石像・大正時代の狛犬・花手水
鳥居を潜ると真っ直ぐ伸びた参道。
参道途中に一対の石像。
一粒万倍石像として2024年4月に奉納。
個性的な造形。
「一粒の籾が万倍にも実り立派な稲穂になる」事に由来する吉日。
何事を始めるにも良い開運日とされる。
参道途中に一対の狛犬。
大正五年(1916)に奉納された狛犬で阿形が子持ち。
吽形が玉持ちでいずれもよい表情。
戦後再建の神明造り社殿
社殿は昭和三十六年(1961)に再建されたもの。
社殿等の境内の殆どは、昭和二十年(1945)の空襲で焼失したため再建。
最近は参拝者が多いため拝殿扉が開いている事が殆どだが、かつては拝殿の扉が閉まっている事も多かった。
閉まっている場合は自ら引き戸を開けると中に賽銭箱があるため、引き戸を開けてから参拝する形。
旧地名である蛇窪の名と社紋の提灯が掛かり、令和元年より「蛇窪神社」を通称に変更。
再建後も綺麗に維持されていて地域からの崇敬の篤さを感じる。
美しい白蛇辨財天社と蛇窪龍神社・撫で白蛇
社殿の右手には白蛇辨財天社(旧・厳島弁天社)。
白蛇を身体を模した参道。
まだ新しさを感じる鳥居。
白蛇辨財天社の参道途中には2016年9月に奉納された撫で白蛇。
白蛇縁起に因む白蛇で、当社や地域を盛り上げようと云う氏子崇敬者の気持ちが伝わる奉納物。
その先、参道の右手には蛇窪龍神社。
こちらには以前より当社へ参拝していた人ならお馴染みの氏子・眞鍋勝氏による龍神像。
当社の元宮と云う扱いになるので、まずは先にこちらから参拝するのがよい。
当社や蛇窪村に伝わった龍神伝説からきた龍神を祀る神社として、御鎮座700年事業の一環として元宮の扱いで蛇窪龍神社が新たに建立された形。
その近くには蛇を模した蛇松。
正面には白蛇辨財天社。
2020年より長らく御鎮座700年事業の一環で改修工事が行われていたが2021年4月に竣工。
以前は厳島弁天社と称されていたが、改修を機に白蛇辨財天社に改められた。
美しく整備された一画。
弁天橋と白蛇の像が参拝者を出迎える。
可愛らしい白蛇。
昇り龍ならぬ昇り蛇と下り蛇。
社殿にも白蛇の彫刻。
弁天池には滝が整備されこちらは神職の禊の場としても使われる。
滝と龍神の玉。
白蛇辨財天社が竣工するまでの様子を記録として残す。
2020年6月の様子。(解体作業)
2020年9月の様子。(更地)
2020年12月の様子。(弁天池建造)
2021年2月の様子。(土台完成)
2021年3月の様子。(社殿造営)
改修以前の厳島弁天社も記録として残す。(2019年撮影)
弁天社らしく小さな弁天池が整備され鯉の姿も。
細い橋が架かっていて1人ずつ渡る形。
眞鍋勝氏による造形物が置かれている。
龍神伝説からきた龍神の姿。(こちらは改修後は蛇窪龍神社に移された)
白蛇縁起からくる白蛇が多く置かれているのが特徴的。
こうした造形物の多い境内社も当社の特徴であり個性的。
白蛇種銭を使った銭洗い弁天
白蛇辨財天社の前には銭洗い所も整備。
色々考えられ面白い銭洗い所となっている。
まず白蛇辨財天社の参道途中にある一画で白蛇種銭を頂く。
初穂料は100円からお気持ちで納める形で、5円玉より大きなサイズの専用の白蛇種銭。
白蛇種銭を頂いたら石臼が置かれた一画に行き、石臼の上に白蛇種銭を置く。
社会が良い方向に動きお金が巡るように心を込めて右回りに3回石臼を廻す。
ゆっくりと心を込めて3回廻す。
隣に置かれたザルを受け取り、白蛇種銭と自分の種銭(お金)をザルの上へ。
銭洗い所の水盤の水で浸して清める。
清めた後は白蛇辨財天社でお参り。
清めた白蛇種銭は自分の財布へ、自分の種銭(お金)は自宅で保管。
再び参拝した際はお礼参りとして古い白蛇種銭を納め棒へ繋ぎ、新しい白蛇種銭を頂いて同様に参拝する。
詳しい説明は案内板が設けられているので確認しつつお参りするのがよいだろう。
推奨の参拝順路はこちら。
白蛇のしーちゃんとみーくん
2022年春より白蛇辨財天社の横に白蛇展示用のケージを用意。
巳の日など特別な日に白蛇の展示が行われる。
雄のみーくんと雌のしーちゃん。
この日展示されていたのは雌のしーちゃん。
まだとても小さく可愛らしい。
白蛇縁起・己巳(つちのとみ)の日は弁財天縁日
当社には古くから白蛇縁起があるとされ上述の白蛇辨財天社(旧・厳島弁天社)を建立している。
改修工事以前に掲示されていた縁起についての案内板。
白蛇縁起
鎌倉時代、天祖神社の社殿の左横(現在の消防団詰所付近)に清水が湧き出る洗い場があり、そこに白蛇が住んでいました。
時移り、いつのまにか洗い場がなくなり、やむなく白蛇は現在の戸越公園の池に移り住むようになりました。
あるとき、土地の旧家森谷友吉氏の夢枕に白蛇が現れ「一日も早くもとの住みかに帰してほしい」と懇願しました。
森谷氏はこの話を宮司に伝えて、白蛇をもとにもどすよう願い出ました。宮司は弁天社【琵琶を奏でる姿から音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、安芸の宮島厳島弁天社の御分霊である弁財天を祀る】を建立することに決め、現在の駐車場地に池を掘り、池の中央に小島を設け、その中の石窟に石祠を造って白蛇を祠ることにしました。
古老の話によれば白蛇を迎える日の夜、いよいよお迎えの祝詞を奉上しようとしたとき、それまでの輝くばかりの星空が一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに大風が立ち起こり、そのさまは身のすくむ思いだったということです。
戦後昭和29年に櫻井昌利氏(鳶頭)をはじめ有志の方々の御浄財により、お社は現在地に移され、上屋や弁天池なども造営されました。
また、弁天社の白蛇は真鍋勝氏の手造りにより奉納されたものです。
当地名がかつて蛇窪と言われた由来から考えてみても、天祖神社は弁天さまと蛇との密接な因縁があることが理解されます。私達はこの白蛇にあやかって、平素清浄な心と優しさを持って生活して行きたいものです。(境内の掲示より)
以上が当社にまつわる白蛇縁起。
奇しくも旧地名が「蛇窪村」という名からも、蛇との縁起を感じる。
現在は「東京の白蛇さま」として白蛇縁起を前に出して積極的に活動。
後述の「しろへびサミット」では、白蛇縁起のある全国各地の神社ともコラボを行っている。
特に60日に1度訪れる「己巳(つちのとみ)の日」は、弁才天の縁日であるため当社でも2016年より限定御朱印の授与を開始。
大変人気で数時間待ちの大混雑になるため注意したい。
こちらは2021年11月17日の己巳の日の様子。
境外まで大行列。
己巳の日や例祭などで披露される白蛇舞。
とてもユニークで参拝者を盛り上げてくれる。
通りに並ぶしろへび土産の出店。
各商店による様々な限定アイテムも。
1月6日・3月6日・5月5日・7月4日・9月2日・11月1日・12月31日
12日に1回訪れる「巳の日」では、限定で「巳くじ」(初穂料:500円)が授与。
凶を引いた場合は社務所に申し出ると身代わりに「お守り白蛇」を頂ける。
可愛らしい白蛇のおみくじで、撫で白蛇が置かれた納所に願いを込めて納めると良いと云う。
予約制の「白蛇祈願」
12日に一度めぐる巳の日、60日に一度めぐる己巳の日のみ「巳の日祈願」
巳年生まれ限定「巳年生まれの方の特別祈願」
など白蛇縁起にまつわる多くの祈願も行われている。
提灯が美しい法密稲荷社
参道途中の左手に境内社である法密稲荷社。
かつて伏見稲荷社と称されていたお稲荷様。
2022年11月1日には改修が終わり遷座祭が行われ、法密稲荷社に改称が行われた。
元亨二年(1323)に地域で大旱魃(かんばつ)が発生。
「厳正寺」の僧・第二世法密上人が北西にある古池のほとりにある「龍神社」の龍神へ雨乞いの断食祈願したところ、大雨が降ったため、村民たちは飢饉を逃れる事ができたと云う。
この故事にちなみ、御鎮座700年記念事業として法密上人の偉業を称えて改称となった。
朱色が連なる鳥居。
神使の狐像。
こちらは以前から置かれていた神狐像。
その奥には現代的で可愛らしい神狐像も。
水掛宝珠として整備。
鳥居を潜った右手に社殿。
特徴的なのは上屋に吊るされた多くの提灯。
祈願成就の証しである提灯111本。
幻想的な雰囲気で崇敬の篤さを伝える。
改修以前の伏見稲荷社(現・法密稲荷社)を記録として残す。(2022年撮影)
『新編武蔵風土記稿』に末社稲荷社と記されていたように古くから祀られていたお稲荷様。
稲倉魂神(いなくらたまのみこと)を祀り、稲荷神・宇迦之御魂神と同神。
こちらに置かれている神狐像が何とも個性的な造形。
氏子の眞鍋勝氏による手造りの個性的な神狐像。
ユニークな意匠で造形物の面白さを楽しめる。
表情もポーズも個性的。
おもかる狐石・運玉・土搗石・個性的な神狐像
法密稲荷社の一画には新しく整備された場所も。
こちらに置かれているのは、おもかる狐石。
いわゆるおもかる石。
さらに運玉投げも。
3つの運玉を満願岩に投げる。
見事入れば願いが叶う・運がつくと云う。
近くには土搗石(づつきいし)と云う現代では聞き慣れない石。
法密稲荷社が改修される前は手水舎の裏にひっそり置かれていた石。
江戸時代からある石と云い、村内で普請がある度に村人が交代で手伝い歌を歌いながら敷地を固めるための石で、大正七年(1918)頃まで使用されていた。
地搗石(じつきいし)とも呼ばれる。
家の建築の際などに土台を固めるための地搗き作業に使われるもので、全国各地では「土搗歌/地搗歌」と呼ばれる民謡が残っている場合があり、地搗き作業の最中に歌いながらリズムよく行う。
上蛇窪村にもそうした民謡が残っていたと思われる。
その奥には当社のお稲荷様の象徴だった神狐像。
氏子の眞鍋勝氏による手造りの個性的な神狐像はこうして残された。
巨大岩で整備された祓所
2021年8月には社殿左手に祓所を整備。
古くから当社の境内にあった巨大岩を利用した祓所。
巨大岩を福活岩・親子岩として整備。
日頃の清め払いとして、更に6月30日・12月30日の大祓の神事で使用される。
カラフルな御朱印・数多くの限定御朱印
御朱印は社務所にて。
御朱印を集印されている方には知名度が高い神社。
令和元年5月1日より別称であった「蛇窪神社」を通称に変更。
そのため通常御朱印も変更になっている。
「蛇窪大明神」の御朱印は色合いもカラフルで限定御朱印も用意。
「蛇窪大明神」の御朱印は1月・4月・9月で印の色が変わる。
他にも色々と祭事などに合わせて限定御朱印を用意。
同じ祭事でも年によってデザインが変わる事が多い。
令和元年(2019)には奉祝の御朱印を用意。
上画像は2019年5月限定の「御代替わり奉祝御朱印」。
2019年10月12日から頒布の「御即位御大典奉祝御朱印」で、即位の礼が行われる10月22日の日付入。
2019年11月9日から頒布の「大嘗祭奉祝祭御朱印」で、大嘗祭が行われた11月14日・15日の日付入。
令和二年(2020)には大鳥居建立記念の御朱印も用意。
右の御朱印が大鳥居建立記念で元日から6月30日まで授与された。
また時期によっては挟み紙も可愛らしいオリジナル仕様になる事も。
こちらは2021年の節分で頂いた際の挟み紙。
2022年4月に頂いた挟み紙。
令和三年(2021)4月からは白蛇辨財天社の改修と蛇窪龍神社の建立を記念した御朱印も。
金の箔押し付きで右に蛇窪龍神社建立記念、左に白蛇辨財天社改修記念とある。
なお白蛇辨財天社については改修を機に御朱印も以前の厳島弁天社のものから変更になっている。
毎年7月には蛇窪龍神祭の限定御朱印も。
2019年より毎年同じデザインで7月に授与されている人気の御朱印。
2023年に頂いた龍神祭御朱印。
2022年11月1日からは法密稲荷社改修記念御朱印を授与。
御鎮座七百年記念事業の一環での改修と改称を伝える。
60日に1度訪れる「己巳(つちのとみ)の日」はでは、当日限定御朱印も授与。
大変人気で数時間待ちの大混雑になるため注意したい。(画像は2021年11月に頂いたもの)
挟み紙も可愛らしいものを用意。(画像は2022年9月に頂いたもの)
御鎮座七百年限定御朱印・指定日限定の墨書きも
令和五年(2023)に御鎮座七百年を迎えた当社では5月1日より奉祝した限定御朱印も授与。
左は金の箔押し仕様の限定御朱印で2024年12月まで授与される。
右は指定日時限定で授与される墨書きの御朱印。
当社の御朱印は印判の御朱印になるので、こうして墨書きで頂けるのはとても貴重。
10月に頂いた際はどことなく蛇っぽさのある崩した書体に。
こちらは2023年11月に頂いた御朱印。
白蛇御朱印帳・限定御朱印帳も
2016年元日からはオリジナルの御朱印帳も頒布。
その後も定期的に限定御朱印帳の頒布も行っている。
白蛇が施されたとても素敵なデザイン。
頒布当時は正月期間の早い時期に品切れになってしまい数ヶ月待ちだった事も。
2017年4月1日より弁天社例祭限定御朱印帳を頒布。(その後ピンク色など限定御朱印帳も頒布)
白地に白蛇さまと龍神さまが刺繍された御朱印帳で、2017年4月中の品切れまでの頒布であった。
2022年9月に頂いた黒御朱印帳。
初出は2016年9月の例大祭でその後も例大祭月に限定頒布されている。
アフタヌーンティーコラボ御朱印と御朱印帳
2024年10月20日よりアフタヌーンティーコラボ御朱印帳の販売開始。
2025年の巳年を控えてのコラボ御朱印帳。
アフタヌーンティーリビングの各店舗とアフタヌーンティー公式オンラインショップでの販売で、蛇窪神社での取り扱いはない。
蛇窪神社では数量限定でコラボ御朱印の授与が行われた。
蛇窪神社監修の御神籤付き。
例大祭の蛇窪祭など多くの祭事や催し
当社の例大祭は9月15・16日に近い土・日曜に開催され、通称「蛇窪祭」として賑わう。
inしながわスネークタウンとして街を挙げて賑わうお祭り。
品川区・しながわ観光協会が後援で地域を盛り上げる。
例大祭時以外にも様々な祭事やイベントが催され、大祓期間中は茅の輪も設置。
御朱印だけでなく、こうした季節や神事に応じた境内の手入れも努力の1つであろう。
端午の節句の時期には鯉のぼり。
七夕前には笹飾りも用意され、七夕当日には線香花火ナイトも開催。
2019年7月6日には「夏フェス・盆踊り」が開催。
LEDを使い最新の盆踊り。
石窯ピザを始め地域のお店が出店し、氏子と共に地域を盛り上げる活動が素晴らしい。
荏原七福神めぐりの弁財天・東京福めぐり
当社は荏原七福神めぐりの弁財天を担っている。
公募によって決まった萌えキャラ系の七福神など色々展開しているのも特徴的。
キャラクターコンテンストの公募で決まった二次元キャラ。
東京品川の荏原周辺を巡る七福神巡り。
通常の七福神巡りの他、2015年にはキャラクターコンテストが行われ、二次元キャラの七福神巡りも行っているのが特徴。
正月期間だけでなく通年で巡拝可能。
2016年7月からは都営浅草線沿線の八社によって「東京福めぐり 開運八社さんぽ」も開催され、人気の神社の中に当社も参加している。
所感
旧上蛇窪村の鎮守として崇敬を集めた当社。
最近の当社は色々と新しい事を積極的にやられているイメージが強い。
複数の御朱印や限定御朱印などを用意したり、商店街とゆるキャラを作ったりと、地域との交流や当社の宣伝にも積極的で、公式サイトだけでなくSNSもよく活用されている。
そうした新しい層を開拓すべく色々な活動もしながらも、しっかりと地域との交流も大事にしていて地域の方から崇敬篤く、氏子地域の街を盛り上げるためのスネークタウン活動や、蛇窪というかつて忌み嫌われた旧地名の保全に一役買っている要素など、神社側と氏子崇敬者が一体になって地域を盛り上げようという気持ちが伝わる。
地域の鎮守として氏子や崇敬者と共に歩んできた当社は、その上で新しい活動をし、限定御朱印などではちょっとしたブームも起こしており、これらは全て神社側や氏子の努力であり、地域一体となった活動はとても素晴らしいものに感じる。
こうした現代のニーズに合った活動は個人的には面白い試みだと思うし、応援したくなるよい神社だと思う。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:300円(通常)・500円(一部限定)・600円(一部限定)・1,000円(一部限定)・1,500円(一部限定)
社務所にて。
※通常は蛇窪大明神、弁財天、蛇窪神社の3種あり。
※蛇窪大明神は1月中、4月中、9月中でそれぞれ期間限定特別御朱印あり。
※60日に1度の己巳の日に限定御朱印あり。
※他にも色々と限定御朱印を用意する事があるので詳細は随時公式X(Twitter)(巫女へび/蛇窪神社)を参照。
12月31日-2025年内は「巳年御朱印」
※手漉き和紙に立体的な造形と金の箔押しの豪華仕様。
12月31日は「己巳の日御朱印」「白蛇辨財天社御開帳切り絵御朱印」(60日に1度)
12月7日・19日は「巳の日御朱印」
12月1日-30日まで「年越大祓御朱印」
11月20日-数量限定で「アフタヌーンティーコラボ御朱印」
※同日よりアフタヌーンティー店舗でコラボ御朱印帳を頒布。(蛇窪神社では頒布なし)蛇窪神社ではコラボ御朱印を授与。詳細はアフタヌーンティー公式サイトにて。
12月指定日は「御鎮座七百年記念浄書御朱印」
※指定日の10時-16時のみ帳面に直接頂ける。スケジュール詳細は公式サイトや公式X(Twitter)にて。
2023年5月1日-2024年12月30日まで「御鎮座七百年奉祝金箔御朱印」
※書き置きのみ。
1月6日・3月6日・5月5日・7月4日・9月2日・11月1日・12月31日
御朱印帳
アフタヌーンティーコラボ御朱印帳
価格:3,300円
アフタヌーンティーリビング店舗やオンラインショップにて。
(蛇窪神社での頒布は行っていない)
2024年10月20日より販売開始のアフタヌーンティーコラボ御朱印帳。
2025年の巳年を控えてのコラボ御朱印帳。
アフタヌーンティーリビングの各店舗とアフタヌーンティー公式オンラインショップでの販売で、蛇窪神社での取り扱いはない。
蛇窪神社では数量限定でコラボ御朱印の授与が行われた。
蛇窪神社監修の御神籤付き。
例大祭限定黒御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。
2022年9月限定で頂いた黒御朱印帳。
黒地に白蛇さまと龍神さまが刺繍されたもの。
初出は2016年9月に頒布となった例大祭限定御朱印帳。
その後も定期的に例大祭月に限定頒布。
透明の防水カバーも一緒についてくる。
通常御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。
当社の白蛇縁起にちなみ白蛇がデザインされた秀逸なもの。
透明の防水カバーも一緒についてくる。
2016年元日より授与を開始した。
※筆者が頂いた2016年は初穂料1,200円だったが現在は1,500円に変更。
限定御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。
2017年4月1日より頒布の弁天社例祭限定御朱印帳。
白地に白蛇さまと龍神さまが刺繍されたもの。
2016年9月に頒布となった例大祭限定御朱印帳の色違い版。
取り外してしまったが透明の防水カバーも一緒についてくる。
4月中の品切れまで頒布された。
その後も定期的に限定頒布。
授与品・頒布品
巳くじ
初穂料:500円
授与所にて。
※巳の日限定のおみくじ。
白蛇置物
初穂料:1,500円
社務所にて。
※筆者が頂いた2015年は初穂料1,000円だったが2021年現在は1,500円に変更。
ステッカー御守
初穂料:500円
社務所にて。
参拝情報
参拝日:2024/12/16(御朱印拝受)
参拝日:2024/11/20(御朱印拝受)
参拝日:2024/09/06(御朱印拝受)
参拝日:2024/07/29(御朱印拝受)
参拝日:2024/06/19(御朱印拝受)
参拝日:2024/04/26(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2024/03/05(御朱印拝受)
参拝日:2023/12/25(御朱印拝受)
参拝日:2023/11/14(御朱印拝受)
参拝日:2023/10/24(御朱印拝受)
参拝日:2023/09/05(御朱印拝受)
参拝日:2023/07/20(御朱印拝受)
参拝日:2023/05/02(御朱印拝受)
参拝日:2023/04/02(御朱印拝受)
参拝日:2023/03/05(御朱印拝受)
参拝日:2023/02/02(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/12/05(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/09/13(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2022/07/09(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2022/06/09(御朱印拝受)
参拝日:2022/04/08(御朱印拝受)
参拝日:2022/03/05(御朱印拝受)
参拝日:2022/02/11(御朱印拝受)
参拝日:2022/01/04(御朱印拝受)
参拝日:2021/12/21(御朱印拝受)
参拝日:2021/11/17(御朱印拝受)
参拝日:2021/09/06(御朱印拝受)
参拝日:2021/06/22(御朱印拝受)
参拝日:2021/05/07(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2021/04/01(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2021/03/03(御朱印拝受)
参拝日:2021/02/02(御朱印拝受)
参拝日:2021/01/09(御朱印拝受)
参拝日:2020/12/15(御朱印拝受)
参拝日:2020/11/04(御朱印拝受)
参拝日:2020/09/10(御朱印拝受)
参拝日:2020/06/02(御朱印拝受)
参拝日:2020/02/03(御朱印拝受)
参拝日:2020/01/03(御朱印拝受)
参拝日:2019/12/24(御朱印拝受)
参拝日:2019/11/12(御朱印拝受)
参拝日:2019/11/12(御朱印拝受)
参拝日:2019/10/15(御朱印拝受)
参拝日:2019/09/02(御朱印拝受)
参拝日:2019/07/16(御朱印拝受)
参拝日:2019/07/07(御朱印拝受)
参拝日:2019/06/25(御朱印拝受)
参拝日:2019/05/07(御朱印拝受)
参拝日:2019/02/11(御朱印拝受)
参拝日:2019/01/08(御朱印拝受)
参拝日:2018/11/22(御朱印拝受)
参拝日:2018/09/05(御朱印拝受)
参拝日:2018/07/05(御朱印拝受)
参拝日:2018/01/05(御朱印拝受)
参拝日:2017/06/26(御朱印拝受)
参拝日:2017/04/04(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2017/02/12(御朱印拝受)
参拝日:2016/12/20(御朱印拝受)
参拝日:2016/11/17(御朱印拝受)
参拝日:2016/09/16(御朱印拝受)
参拝日:2016/06/16(御朱印拝受)
参拝日:2016/01/12(御朱印拝受)
参拝日:2016/01/01(御朱印帳拝受)
参拝日:2015/09/16(御朱印拝受)
参拝日:2015/04/30(御朱印拝受)
参拝日:2015/03/30(御朱印拝受)
ほぼ毎月
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