下丸子六所神社 / 東京都大田区

大田区

神社情報

下丸子六所神社(しもまるころくしょじんじゃ)

御祭神:大己貴命・伊邪那岐命・伊邪那美命・素盞嗚命・大宮比売命・瓊々杵命・布留大神
社格等:村社
例大祭:8月8日(3年ごと8月第1日曜日)
所在地:東京都大田区下丸子4-16-5
最寄駅:下丸子駅・千鳥町駅
公式サイト:─

御由緒

鎌倉時代、四條天皇の御宇の文暦元年(1234)に、荏原左衛門義宗が多摩川下流のこの下丸子の地に、六柱の神々を奉斎したのが当社の創祀であると伝えられている。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/05/24

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

下丸子六所神社

歴史考察

下丸子の鎮守

東京都大田区下丸子にある神社。
旧社格は村社で、旧下丸子村の鎮守。
六柱の神をお祀りした事で「六所神社」とされる。
正式名称は「六所神社」であるが、他との区別から「下丸子六所神社」とさせて頂く。

六柱の神をお祀りして創建

社伝によると、文暦元年(1234)に、荏原左衛門義宗が多摩川の下流に六柱の神を祀ったのが始まりと伝えられている。

六柱の神は、現在の御祭神である「大己貴命、伊邪那岐命、素盞嗚命、大宮比売命、瓊々杵命、布留大神」の六柱である。
これは府中にある武蔵国総社「大國魂神社(六所宮)」の古い御祭神と一致する。

大國魂神社」は明治になると、南北朝時代の「神道集」に記載される「武州六大明神」を基にして御祭神をお祀りするようになり、それ以降、現在も武蔵国の一之宮から六之宮をお祀りするようになっている。
しかし、江戸時代の史料を見ると、「素盞嗚命・大己貴尊・布留太神、共に一殿、是を中殿とす、瓊瓊杵尊・伊弉册尊・大宮女命共に一殿、是を西殿とす、外に瀬織津比咩・天下春命・稲倉魂太神共に一殿、是を東殿とす、三殿合せて一社とす」との記述がある。
中殿と西殿にお祀りされている御祭神が、当社の六柱と一致している事が分かる。
なお、東殿に記述されているのは一之宮「小野神社」の御祭神。

この事から、御由緒にはないものの、当社は武蔵国総社「大國魂神社」から勧請されたと見る事ができるであろう。
全国的にも「六所神社」の社号を持つ神社はいくつか見られるが、その多くが総社や総社から勧請された神社であるため、当社もそういった経緯があるものと思われる。

大國魂神社 / 東京都府中市
武蔵国総社の六所宮。武蔵国そのものを神格化・大國魂大神。武蔵国府が設置・武蔵国総社。一之宮から六之宮を祀る。鎌倉幕府や江戸幕府からの庇護。GWに開催・関東三大奇祭・くらやみ祭り。すもも祭。馬場大門のケヤキ並木。御朱印。全国総社会御朱印帳。

なお、荏原左衛門義宗という人物は旗の台にある「旗岡八幡神社」などの御由緒に見られる人物。
源氏の庶流であり武蔵国荏原郡の領主となった人物とされている。

旗岡八幡神社 / 東京都品川区
旧中延村鎮守。源氏ゆかりの八幡さま。桜が美しい境内。国登録有形文化財の絵馬殿。源頼信によって創建・旗の台の地名由来。領主荏原氏による社殿造営。武家や大奥からの崇敬・弓の競射と甘酒。江戸時代の狛犬や石灯籠。朱色の大鳥居。八幡造の本殿。御朱印。

江戸時代の史料から見る当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(下丸子村)
六所明神社
除地4畝20歩、村の中央にあり此地の鎮守なり。社3間半四方、前に石の鳥居あり。柱間9尺許、村内蓮光院持。
末社。天神社。稲荷社。此二祠本社の傍にあり。三峰社、本社の後にあり。

下丸子村の鎮守だった事が記されている。
現在もすぐ近くにある「蓮光院」が別当寺であった。

当時の下丸子村は一面が田畑の純農村であり、多摩川の水害に幾度も被災していた地でもあった。
そんな下丸子村の鎮守として、村民から崇敬を集めたのは想像に難くない。
武蔵国総社「大國魂神社」の御祭神をお祀りする事で、土地の開拓と農業の繁栄を願ってのであろう。

神仏分離と現在

明治になり神仏分離し、別当寺とは袂を分かつ。
当社は下丸子村鎮守として村社に列した。

大正十三年(1924)には、目蒲線(元・多摩川線)下丸子駅が開業。
下丸子の交通の便もよくなり人口も増えたようだ。

昭和十三年(1938)に本殿を再造営。
同年、拝殿も改築されている。
これらが第二次世界大戦の戦災を免れて現存している。
戦時中は、下丸子地区の出征兵士は当社で出征式を行った。

平成二十六年(2014)に社殿を改修。
現在も下丸子の氏神様として崇敬を集めている。

戦災を免れた社殿・多くの境内社

下丸子の住宅街に鎮座する当社。
正に地域の鎮守といった佇まいとなっている。
image鳥居は一の鳥居・二の鳥居とあり、右手に新しい社号碑、左手に古い社号碑が建つ。
imageこちらには「村社六所神社」の文字。
鳥居を潜ると左手に手水舎があるのだが、この日は水が出ていなかった。

社殿は戦火を免れたものが現存している。
image本殿は昭和十三年(1938)に造られたもの。
拝殿は江戸後期の嘉永五年(1852)に造られたもので、本殿が造られた同年に改修され現存している。
歴史を感じるのは向拝の彫刻であろう。
image江戸後期から明治にかけての神社建築に見られる彫刻であり、中々お見事な造り。
平成二十六年(2014)にも社殿を改修を行っており、社殿維持への努力が見える。

境内社は社殿の右手と左手に複数ある。
上述した『新編武蔵風土記稿』には、天神社・稲荷社・三峰社の文字が見えるのだが、現在はほとんどが稲荷社で、あとは三峰社が残るだけだという。
imageこちらが三峰社で、他は稲荷社となるようだ。
近くの稲荷社がこちらに遷座したという形だろう。

御朱印は社務所にて。
筆者の都合で、お昼時のお忙しい時間帯にお邪魔してしまったのだが、対応して頂き有りがたかった。

所感

下丸子の鎮守として地域の崇敬を集めている当社。
境内は綺麗に整備されていて、古い建築物、多くの境内社、新しい社号碑や案内板など、歴史と現在もなお地域の崇敬を感じさせてくれる。
六柱を祀った「六所神社」という名は、全国的に総社と関わりのある神社が多く、当社も御由緒には書いていないものの、武蔵国総社「大國魂神社」からの勧請だろうと推測ができる。
下丸子という多摩川沿いの土地において、こうした神をお祀りし鎮守にした事は、多摩川の水害も多い農村であった当地の人々の思いが込められているように感じる。
正に地域の鎮守といった雰囲気のある神社である。

神社画像

[ 一の鳥居・社号碑 ]
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[ 旧社号碑 ]
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[ 一の鳥居 ]
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[ 二の鳥居 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿・拝殿 ]
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[ 向拝彫刻 ]
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[ 本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 社務所 ]
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[ 石碑 ]
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[ 三峰社 ]
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[ 境内社(稲荷社) ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 力石? ]
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[ 案内板 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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