和樂備神社 / 埼玉県蕨市

蕨市

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概要

日本一小さい市・蕨市の総鎮守

埼玉県蕨市中央に鎮座する神社
旧社格は村社で、蕨市の総鎮守。
蕨市は日本一面積の狭い市であるため、日本一小さい市の総鎮守として知られる。
江戸時代に蕨宿が整備され上の宮「八幡社(蕨八幡)」・中の宮「氷川社」・下の宮「氷川社」の3社は蕨宿鎮守三社として崇敬を集め、明治になると「八幡社」が村社に列し、明治の合祀政策で蕨の各社が合祀される事となり、殆どの神社(計18社)が「八幡社」へ合祀される形で「和樂備神社(わらびじんじゃ)」が成立。
新字体の「和楽備神社」と表記される事もあるが「和樂備神社」が正式な社号。
蕨城址公園に隣接し広い社地と綺麗に整備された境内が特徴的。

神社情報

和樂備神社(わらびじんじゃ)

御祭神:誉田別尊
相殿神:素盞嗚尊・天照大神・木花咲耶姫命・天津児屋根命・猿田彦之命・大山咋命・大山祗命・蕨城主渋川公・菅原道真・倉稲魂命
社格等:村社
例大祭:10月15日
所在地:埼玉県蕨市中央4-20-9
最寄駅:蕨駅
公式サイト:http://www.warabi.ne.jp/~jinja/

御由緒

 当社は、明治四十四年(1911)に蕨町の村社八幡社に町内の無格社十八社を合併して、社号を「和樂備神社」と改称した。
 八幡社の創建は明らかでないが、社伝によると蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、八幡大神を奉斎したことがはじまりであるという。「渋川直頼譲状写」(賀上家文書)には観応三年(1352)渋川直頼から嫡子金王丸に譲られた所領として「武蔵国蕨郷上下」と記され、「鎌倉大草紙」には長禄元年(1457)曽祖父渋川義行が蕨を居城とした関係で、孫の義鏡が室町幕府から関東下向を命じられた旨の記述があるうこと、当社境内南の隣接地は、蕨城跡として埼玉県の旧跡に指定されていることからも蕨と渋川氏の結びつきを知ることができる。また当社の御神像である「僧形八幡立像」(蕨市指定文化財第十二号)にも天正十一年(1583)の墨書銘があって、当社の成り立ちとの関連をうかがわせる。
 江戸時代に八幡社は、「上の宮」と呼ばれ、三学院末の成就院が別当として祭祀を掌り「中の宮」(氷川社)、「下の宮」(氷川社)とともに蕨宿鎮守三社として最も重きをなした。
 明治となって八幡社は、同六年に蕨宿の村社に列せられ、同四十四年の合併によって社名社号を和樂備神社に改称した後、第二代蕨町々長岡田健次郎氏を中心に蕨にふさわしい神社にするべく整備を進めた。特に植樹については、東京帝国大学教授の本多静六林学博士を当地に招き、指導を受けた。和樂備神社が八幡社から継承した時点の境内地は、付属山林も含めて三百八十二坪であったが、町長自らも土地を手当てするなどして千百十一坪に拡張し、前庭など六百七十八坪を合わせると千七百八十九坪を誇る景観が姿をあらわした。
 大正十二年には埼玉県より「神社境内拡張」の許可を受け、内玉垣内を境内地に編入して前庭などと合わせて今日の境内にあたる風致景観の原型が完成をみて、翌十三年には埼玉県より「神饌幣帛料共進神社」の指定を受けることとなった。
 この後、昭和二十一年(1946)に国の管理を離れ、同二十八年に宗教法人法に基づき「和楽備神社」と登記され、平成三十一年に「和樂備神社」と改称された。(頒布のリーフレットより)

歴史考察

蕨城の守護神として創建された八幡社(蕨八幡)

社伝によると、「八幡社(蕨八幡)」の創建年代は不詳。

室町時代(南北朝時代)の創建と推測される。

蕨を所領とした足利将軍家の一族・渋川氏が蕨城を築城。
蕨城の守護神として八幡大神を奉斎した事が始まりであると云う。

蕨城(わらびじょう)
当社周辺に築城された平城。
室町時代に足利将軍家の一族・渋川義行(しぶかわよしゆき)によって築城。
曾孫の渋川義鏡(しぶかわよしかね)が拠点とし、その後も渋川氏の居城となったが、戦国時代に入ると拠点の1つとして争いの対象となり、しばしば所属する勢力が入れ替わった。
永禄十年(1567)の三船山合戦で城主の蕨渋川氏が討死した事で断絶し、その後は城主不在のまま廃城となった。

当社の境内・隣接する蕨城址公園・市民会館がかつての本丸跡地と見られている。
一帯は県の旧跡に指定されている。

城址公園|蕨市公式ウェブサイト
蕨市公式ウェブサイト

蕨城が築城されたのが室町時代(南北朝時代)であるため、守護神として祀られた八幡社も同年代の創建と見られていて、蕨城の鎮守として渋川氏から崇敬を集めた。

蕨(わらび)の地名由来
室町時代(南北朝時代)に蕨城の名で築城されたように蕨は歴史の古い地名。
地名由来は主に有力な2説が伝わっている。
・近隣の戸田市や川口市にもある地名の青木・笹目・美女木などの植物に倣って命名したとか、僧慈鎮(じちん)の「武蔵野の草葉にまさるわらびをげにむらさきの塵かとぞみる」の歌を由来としたと云う「蕨」説。
・源義経が立ちのぼる煙を見て「藁火村」と名付けたとか、在原業平が藁をたいて饗された事から「藁火」と命名したと云う「藁火」説。
「蕨」説、「藁火」説のどちらも有力で、詳細は定かではない。
蕨の歴史|蕨市公式ウェブサイト
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中山道の整備で栄えた蕨宿

江戸時代に入ると、江戸幕府によって五街道が整備される。

五街道とは、東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道の5つ。

慶長六年(1601)、中山道が整備。

中山道(なかせんどう)
江戸の日本橋と京都の三条大橋を繋ぐ街道。
南回り太平洋沿岸経由で江戸と京都を結ぶ東海道に対して、北回り内陸経由で江戸と京都を結んだのが中山道で、宿場は中山道六十九次と称された。

中山道の整備によって街道沿いの蕨周辺は蕨宿として整備。

蕨宿(わらびしゅく)
中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて2番目の宿場。
慶長十七年(1612)に成立したと見られ、岡田氏が本陣を務めた。
江戸後期の記録では宿内家数430軒で旅籠も23軒記されていて栄えていたのが窺える。

(木曾街道 蕨之驛 戸田川渡場)

天保年間(1831年-1845年)に渓斎英泉が描いた木曽街道(中山道)より。

蕨宿の近隣にあった「戸田の渡し場」が描かれている。
江戸から蕨宿へ向かう途中には「戸田の渡し場」を渡る必要があった。
対岸の渡し場には戸田村(元・戸田)の家々が見え、その先に蕨宿へと続いていた。

蕨宿を鎮守した蕨宿鎮守三社

蕨宿の鎮守とされたのが「八幡社(蕨八幡)」「氷川社(宮田)」「氷川社(荒井前)」の三社。
これら三社を「上の宮」「中の宮」「下の宮」と呼び、「蕨宿鎮守三社」と称した。

蕨宿鎮守三社(わらびしゅくちんじゅさんしゃ)
上の宮:八幡社(蕨八幡)/現・当社
中の宮:氷川社(宮田)/現・中町町会区域
下の宮:氷川社(荒井前)/現・須賀町町内会区域

蕨宿の人々は特にこの三社を篤く信仰したと云う。

明治になり「上の宮」へ「中の宮」「下の宮」が合祀される事になる。

「八幡社」の別当寺は「三学院」の末寺「成就院(現・廃寺)」、「氷川社(宮田)」の別当寺は「華蔵院(現・廃寺)」、「氷川社(荒井前)」の別当寺は「地蔵院(現・廃寺)」が担い、全て別々の別当で管理されていた。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。

(蕨宿)
氷川社二宇
一は華蔵院の持にして中の氷川と唱ふ。一は地蔵院の持にて下の氷川とよべり。
稲荷社二宇
一は地蔵院、一は東光院の持なり。
八幡社
成就院持。
神明社
福性院持。
浅間社
同持。
御嶽社
成就院持。
道祖神社
蓮乗院持。

蕨村の「八幡社」と記されているのが当社。
「成就院(現・廃寺)」が別当寺であった事が記されている。
「氷川社」の項目に「中の氷川」「下の氷川」と記してあり、これが「中の宮」「下の宮」にあたり、「八幡社」が「上の宮」と呼ばれ、合わせて「蕨宿鎮守三社」とされていた。

他にも多くの神社が記されていて、これらは全て明治になり合祀する事になる。

明治になり18社を合祀・その後の境内整備

明治になり神仏分離。
明治四年(1871)、別当寺であった「成就院」は廃寺。
明治六年(1873)、「八幡社」が村社に列した。

「八幡社」が蕨宿の鎮守に指定された事になる。

明治二十二年(1889)、町村制が施行され蕨宿・塚越村が合併し蕨町が成立。
「八幡社」は蕨町の鎮守として崇敬を集めた。

明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが「八幡社」の鎮座地で現在の当社の鎮座地と変わらない。
蕨町と云う地名を見る事ができ「八幡社」は一帯の鎮守であった。
既に蕨駅は開業していたが駅前は田畑なかりで、街道沿いが蕨宿として栄えていた事が分かる。

橙円で囲ったように当時の地図上にも数多くの神社の地図記号を見る事ができる。これらの神社はこの後に全て「八幡社」へ合祀される事となる。

明治四十四年(1911)、蕨町の18社の神社が「八幡社」へ合祀。
蕨町の総鎮守として「和樂備神社」と名付けられた。

合祀への道のりと和樂備神社の由来
明治後期に入ると政府は神社の合祀政策を推し進めた。
蕨町も各地に散らばった神社を村社「八幡社」へ合祀する事となったが、各集落はすぐに納得することはできず数年をかけて合祀するに至っている。
最終的に「塚越稲荷神社」(蕨市塚越)は最後まで承服せず、それ以外の18社が合祀される事となったが、社号に「八幡社」を使うことは各集落が承諾せず、「蕨(わらび)」の土地を冠する事となり、当時の蕨町町長が国学者・本居豊穎に依頼し、万葉仮名から取って「和樂備神社(わらびじんじゃ)」と命名された。

大正二年(1913)、本殿を改築。
大正三年(1914)、林学者・本多静六(日本の公園の父とも呼ばれる)を招き、境内の植樹について指導を受ける。
大正六年(1917)、境内と停車場道(蕨駅西口前通り)を一直線に結ぶ新道が開通。
大正十二年(1923)、埼玉県より「神社境内拡張」の許可を受け現在の境内の規模へと整備。
大正十三年(1924)、神饌幣帛料共進神社に指定。

このように町長自ら土地を手当したり、埼玉県からの許可を得たりと蕨の総鎮守たる社地へ拡張と整備が行われた。明治維新後は社地を削られる神社が大半の中、社地を増やすと云う神社は珍しく、それだけ町(現・蕨市)を挙げての境内整備だった事が窺える。

戦後になり更に境内整備が行われていく。

昭和三十九年(1964)、社殿の改築工事を行う。

平成八年(1996)、不審火によって社殿が全焼。
平成九年(1997)、現在の社殿を再建。
これが現在の社殿となっている。

同年、県道拡幅工事のため境内の一部が削られている。

その後も多くの境内整備が行われ現在に至る。

境内案内

蕨城址公園に隣接して鎮座・数多くの鳥居

最寄駅の蕨駅からは徒歩10分ちょっとの県道117号線沿いに鎮座。
社地が広く多くの入口・鳥居が設けられているが県道沿いから入る方が多い。
県道沿いの参道は南北に市民会館への道も兼ねている。
どちらにも鳥居が設けられていて市民の往来の多い通りで、この一画は前庭と云う扱い。

当社に隣接するように蕨城址公園、そして蕨市民会館、蕨市中央公民館などがある。
城址公園|蕨市公式ウェブサイト
蕨市公式ウェブサイト
蕨市民会館 – 一般財団法人 蕨市施設管理公社
蕨市の文化向上のため、市民の皆さまととも歩みます
中央公民館|蕨市公式ウェブサイト
蕨市公式ウェブサイト

表参道は西側。
安永三年(1774)建立の古い石鳥居。
蕨の18社が合祀された当社には各社の鳥居などが移設されたため、非常に多くの鳥居が置かれているが、その中でも特に古い鳥居。
手前は太鼓橋になっている。
その先に広々とした前庭。

綺麗に整備された境内・文化財の水盤

前庭の先に玉垣で囲われた境内。
美しく整備された一画。
平成二十二年(2010)に建立された大鳥居。
龍の彫刻が施された扁額には「和樂備神社」の文字。

鳥居を潜ると左手に手水舎。
手水舎に今も使用されている水盤が古い。
詳しい年代は不詳ながら江戸初期の水盤と云われている。
古くは上野「寛永寺」にあったものだと伝わっていて蕨市の文化財に指定。
龍の吐水口。

近くには乃木将軍像。
昭和の始めに第一蕨尋常高等小学校(現・北小学校)の校庭に造立したもので当社に移された。

乃木希典(のぎまれすけ)
「乃木大将」「乃木将軍」として知られる陸軍軍人。
嘉永二年(1849)に長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木希次の三男として、江戸の長府藩上屋敷(現・港区六本木)に生まれる。
日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、水師営の会見をはじめとする多々の徳行・高潔な振舞いにより国際的にも名が知れた他、学習院長に任じられ迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。
明治天皇の後を慕って殉死したことでも知られる。

その先に広々とした参道。
蕨市の総鎮守として立派な境内を有している。
一対の狛犬はどちらも阿形。
台湾製の大理石で造られていると云い造形も珍しい。

平成に再建された美しい社殿

参道の正面に社殿。
一見するとまだ新しさを感じる木造社殿は平成九年(1997)に竣工したもの。
旧社殿は平成八年(1996)に不審火によって焼失。
その際、奇跡的に御神体は難を逃れ翌年再建された。
当社の御神体は木造八幡騎馬像と木造僧形八幡立像で、元々「八幡社(蕨八幡)」の御神体だったと伝わり非公開ながら現存している。

蕨市の文化財に指定されていて蕨市の公式サイト内で御神体の画像を見る事ができる。
和楽備神社|蕨市公式ウェブサイト
蕨市公式ウェブサイト

文化財の稲荷神社と天神社などの境内社

社殿の左手に境内社が並ぶ。
美しく整備された一画だが、平成八年(1996)に県道の拡幅のため曳家で移された。

一番右手には「津島牛頭天王」の碑。
祇園信仰で牛頭天王を祀った名残。

その隣には朱色が美しい稲荷神社。
元々は当社の前身であった「八幡社(蕨八幡)」の本殿だったものを稲荷神社の社殿として利用。
江戸時代中期のものとされ市の文化財に指定。
その隣に建築三神の碑。

更に左手に天神社の社殿。
江戸時代前期の建築物と推定されていて、こちらも市の文化財に指定。
さらに筆塚と並ぶ。

薬祖神など多くの境内社・力石・神輿庫

社殿の右手にも幾つかの境内社。
榛名神社など小さな祠が幾つか置かれている。
一番奥には薬祖神の碑。

表参道の右手に力石。
力比べに使われたもの。
近くに新しい百度石も置かれている。

大鳥居の右手に神輿庫。
2020年10月に参拝した際は、神輿庫の一画で「おしっ様」が特別公開されていた。
旧中上洞ではかつてコレラやスペイン風邪が流行した際に疫病退散として獅子頭を担ぎまわる風習があったと云う。
新型コロナウイルス終息への願いを込めて公開されていてとても有り難い。

綺麗な神池・戦役記念碑や木遣塚

玉垣の外、表参道の右手(南側)に神池が整備。
綺麗に整備された空間。
かつては土手がめぐる蕨城の堀割の一部だったと云う。
そのため御殿堀とも呼ばれた。
近くには弁天社。

その奥には木遣塚。
比較的新しく蕨鳶消防組の活動を記念して建立された。

木遣塚(きやりづか)
江戸城普請の時に歌い始めた木遣節(きやりぶし)を後世に伝えるために建てたもの。
江戸町内の神社に多く奉納され、今も各地で見かける事ができる。

その先に戦役記念碑や忠魂碑。
町の総鎮守に置かれ当時を偲ぶ。

旧拝殿を利用した神楽殿・文化財の宝篋印塔

前庭の一画に立派な神楽殿。
昭和三十九年(1964)に社殿の改築(後に不審火で焼失)が行われた際、旧拝殿を曳家して神楽殿として整備された。

その神楽殿の裏手にひっそりと置かれているのが宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
古くは当社の前身である「八幡社(蕨八幡)」の別当であった「成就院(現・廃寺)」にあったものだが、明治になり廃寺となった際に移されたもの。
享和元年(1801)に蕨宿の町田氏が敷石供養のために建立。
現在は市の文化財となっている。

その他、綺麗に整備された当社には前身の「八幡社」の他、18社もの神社が合祀された際に移されたものも多く、数多くの境内社や奉納物などが残り、まさに蕨の総鎮守として整備された事が窺える。

御朱印・見開きの御朱印紙も用意・蕨双子織の御朱印帳

御朱印は社殿左手の社務所にて。
丁寧に対応して下さった。

御朱印には「和樂備神社印」の朱印、「武蔵国蕨宿」の印。
更に御朱印紙(別紙)も用意。
見開きの御朱印紙には社殿と狛犬のイラストが描かれている。
他に境内背景の御朱印紙もあり、御朱印紙を頂いた人には木製栞付き。

オリジナルの御朱印帳も用意。
明治時代に双子織で織物業が発展した蕨の歴史を伝える蕨双子織を使用していて、明治の織見本を元に復元したもので超高密度で繊細なストライプ柄が特徴的。

境内を知れるクオリティの高いガチャみくじ

社務所前にはガチャが置かれていて密かな人気。
和樂備神社完全オリジナルガチャ。
「和樂備神社ガチャみくじ」と記されたガチャには、当社境内の建造物と5ヶ国語のおみくじ入り。
小ぶりなカプセルの中におみくじやカプセルトイ。
筆者が引いたのは大鳥居でクオリティもなかなかのもの。
5ヶ国語対応の御神籤も付いてきて、おみくじを引きつつも、カプセルトイで境内の建造物を知れるとても面白い施策。

カプセルトイの種類は太鼓橋・大鳥居・狛犬・手水舎・天神社・稲荷社・社殿の7種類。特に社殿は金色で大当たり。

所感

蕨市の総鎮守として崇敬を集める当社。
古くは蕨城の守護神として創建された八幡社(蕨八幡)で、明治になり蕨周辺の殆どの神社が合祀される事となり現在の「和樂備神社」となった経緯がある。
そのため蕨町(現・蕨市)を挙げての境内整備を行っていて、とても綺麗な境内が素晴らしい。
明治以降は社地を削られる神社が多い中、当社は境内を拡張していったのも、そうした周辺地域からの崇敬の賜物であろう。
参拝した当日も平日ながら次々に地域の人々が参拝に訪れていた事からも崇敬の篤さが窺える。
蕨市は日本一面積の小さな市として知られるが、そうした蕨市の歴史と信仰をぎゅっと凝縮して伝える神社であり、蕨市にとってなくてはならない良い神社である。

御朱印画像一覧・御朱印情報

御朱印

初穂料:500円
社務所にて。

※御朱印紙(見開き・片面)も用意。

御朱印帳

オリジナル御朱印帳
初穂料:2,500円(御朱印代込)
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
明治時代に双子織で織物業が発展した蕨の歴史を伝える蕨双子織を使用。
明治の織見本を元に復元したもので超高密度で繊細なストライプ柄が特徴的。
裏面には「和樂備神社」の文字。
最初のページに手書きの御朱印と木製栞と蕨双子織栞付き。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

和樂備神社ガチャみくじ
初穂料:500円
社務所前のガチャガチャにて。

※2015年に頂いた際は200円だったが2020年は300円に変更。

木製栞
初穂料:─
社務所にて。

※御朱印紙(別紙)の御朱印を頂くと栞も一緒に頂ける。

参拝情報

参拝日:2020/10/12

Google Maps

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