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概要
大師河原総鎮守と金山神社(かなまら様)
神奈川県川崎市川崎区大師駅前に鎮座する神社。
旧社格は村社で、大師河原の総鎮守。
八幡神(応神天皇)の若宮(仁徳天皇)を祀るため「若宮八幡宮」と呼ばれる。
境内社に男根を御神体にした「金山神社」(通称:かなまら様)が鎮座している事で知られていて、特に「金山神社」の例祭である「かなまら祭(ウタマロフェスティバル)」は奇祭として国際的に知名度が高い。
最近はイラスト付きの御朱印や限定御朱印などでも人気を博している。
神社情報
若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
金山神社(かなやまじんじゃ)
御祭神:仁徳天皇(大鷦鷯尊)
社格等:村社
例大祭:10月第3日曜(水鳥の祭)・4月第1日曜(かなまら祭)
所在地:神奈川県川崎市川崎区大師駅前2-13-16
最寄駅:川崎大師駅
公式サイト(Twitter):https://twitter.com/kanayamajinja
御由緒
【若宮八幡宮】
大師河原(大師地区に所在する水神社、川中島神明神社、塩浜神明神社、塩浜稲荷神社、汐留稲荷神社、日ノ出出雲神社、田町稲荷神社、田町厳島神社)の総鎮守。
八幡塚六郷神社(東京都大田区東六御鎮座。御祭神・応仁天皇)の氏子達が大師河原干拓のために移り住み、守護神として祀ったのが当神社と云われ、八幡様(応神天皇)の若宮様(仁徳天皇)が御祭神なので若宮八幡宮と呼ばれる。仁徳天皇は淀川の治水工事を完成させたことによって干拓事業の守護神として崇められていることから祀られたもので、多摩川の洪水に悩まされた大師河原の人達の心からの願いが込められたものであり、また仁徳天皇御製「高殿にのぼりてみれば煙たつ民の竈は賑わいにけり」にあやかり、「日々の生活がよくなるように」という人々の思いもある。また、「若宮」という名から子ども・若者の守護神でもある。
【金山神社】
俗称かなまら様と呼ばれ、加治屋と性の神とされる。大正時代に現在の京急川崎大師駅東踏切付近から当神社境内に御遷座。伊邪那美命が火の神カグズチをお産みになり下半身に大火傷を負った時、この二柱の神が看病したとの伝説によりお産、下半身の病気の守護神ともされた。またこの神は鞴(ふいご)祭の神でもあり、鍛冶職人や金物を扱う会社等により、毎年神前にて祭事(鞴祭)が行われる。また川崎宿の飯盛り女たちからお金を造る神、性病除けの神として信仰され、現在では子授け、夫婦円満、商売繁盛の神としても全国から信仰を集めている。祭礼には御神体(男根)摸った神輿を担ぎ出し、面掛行列などが行われる。
この金山神社社殿は平成十一年の御建て替えにあたり鉄をイメージし、外側を鉄板で覆い黒一色の一辺約3mの正八角形、高さが8mの吹き抜けでおよそ一般的にいう神社とは異なる、個性的な社殿となった。内部の造りも異色で床の半分を槌で固めた土間として仕切り、正面中央部に鞴と炉を置き、金床を埋め込んで鍛冶屋の作業場を再現してある。今日では金山神社例祭(かなまら祭)のおおらかな雰囲気から、特に外国人に人気があり「ウタマロフェスティバル」として大師の風物詩となっている。(頒布の資料より)
歴史考察
六郷神社の氏子が干拓した大師河原の鎮守として創建
社伝によると、創建年代は不詳。
大師河原と呼ばれた当地の鎮守として創建された。
大師河原を干拓するために移住してきた「六郷神社」(東京都大田区東六郷)の氏子たちが当宮を創建したと云う。
源頼義・義家(八幡太郎)の父子が創建したと伝わる八幡信仰の神社。
かつては「八幡塚八幡宮」と呼ばれ、八幡神を氏神とする源氏から篤い崇敬を集めた神社で、源頼朝の伝説なども残る古社であり、六郷一円(当宮から見て多摩川を挟んだ大田区側)の総鎮守として、崇敬を集めていた。
大師河原の地名は戦国時代の史料に見る事ができる。
大師河原が村として開発されたのには池上氏が深く関わっている。
祖先は鎌倉時代に日蓮に深く帰依した池上宗仲という人物。
日蓮宗大本山「池上本門寺」(東京都大田区池上)は、日蓮が開山し、池上宗仲が開基した寺院。
戦国時代から江戸時代にかけて、当時の池上氏当主が大師河原の開発に着手。
これらの地が大師河原村・池上新田・稲荷新田・川中島村といった当地周辺の村になっている。
永禄二年(1559)、後北条氏より朱印地三石の社領を賜る。
これが現存する史料では初見となるため、それ以前の創建なのが分かる。
若宮八幡の意味・御祭神の仁徳天皇
「六郷神社」の氏子によって創建された当宮。
八幡信仰である「六郷神社」の御祭神は八幡神こと誉田別尊(応神天皇)。
一方で当宮の御祭神は、大鷦鷯尊(仁徳天皇)となる。
第16代天皇で、諱(いみな/死後に尊んで贈る称号)は大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)。
八幡神とされる応神天皇(誉田別尊)の御子であり次代の天皇となった人物。
「皇族の御子」を表す言葉。
当宮は八幡神(応神天皇)の御子である仁徳天皇をお祀りするので「若宮八幡」と称される。
八幡の名が付くが、正確には八幡信仰ではなく若宮八幡信仰と云うことができるだろう。
数は多くないが全国的にもこうした「若宮八幡」の信仰を見る事ができる。
仁徳の聖王と称えられる仁徳天皇の御神徳
当宮に祀られている仁徳天皇は、「干拓事業の守護神」として信仰を集める。
大師河原は多摩川の河原沿いにある地域。
多摩川の洪水に悩まされた人々の願いが込められ、当宮には「六郷神社」の御祭神である八幡神(応神天皇)ではなく、その御子である仁徳天皇をお祀りしたものとされる。
仁徳天皇の治世は仁政(民衆に恵み深い政治)として知られている。
『日本書紀』には、民衆が飢え苦しんでいた時代、竈から煙すら上がらない民の生活を見て嘆き、租税を3年間免除する事にした上で、仁徳天皇も宮殿の改修などを中止し倹約に努め、食料の生産高を増やすべく様々な事業に専念した、という旨が記されている。
その事業の一環が上述した淀川の治水工事。
結果、3年後にはどの家の竈からも煙が立ち上ったと云う。
高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり(新古今和歌集)
こうした和歌から当宮にも「日々の生活がよくなるように」という人々の思いもあるとされている。
更に「若宮」の文字から、当宮は子供・若者の守護神としても崇敬を集めたと云う。
仁徳天皇の陵墓(天皇の墓)は「大仙陵古墳」。
日本一の規模かつ世界最大規模の墳墓で、2019年7月に仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」は世界文化遺産としての登録が決定した。
民衆の事を思った仁徳の聖王として称えられ、五穀豊穣と太平の世の基礎を作った天皇であるからこそ、日本一の規模を誇る古墳が仁徳天皇の陵墓に指定されているのだろう。
旧別当寺は川崎大師・徳川将軍家より朱印地を賜る
創建以来、当宮の別当寺は「平間寺」(通称:川崎大師)が担っていた。
真言宗智山派の大本山で、大治三年(1128)建立。
「川崎大師」と云う通称で広く知られる。
江戸時代に入り、大師河原村が成立すると、当宮は大師河原村の鎮守として崇敬を集めた。
慶安元年(1648)、徳川将軍家より三石の朱印地を賜っている。
幕府より寺社領として安堵された土地。
朱印が押された朱印状によって安堵された事から朱印地と呼んだ。
新編武蔵風土記稿に記された当宮
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当宮についてこう書かれている。
(大師河原村)
若宮八幡社
村の北にあり。勧請の年月詳ならず。慶安元年三石の御朱印を賜ふ。本社七尺に六尺東に向ふ。拝殿五間に二間半。社前に石の鳥居を建。又右の玉垣をしまはせり。例祭年々九月二十日なり。
末社。天神社。境内にあり下向。子権現社。
金山権現社
字西すぢにあり。明長寺の持。
大師河原村の「若宮八幡社」と記されているのが当宮。
慶安元年(1648)に、社領三石の御朱印状を拝受したとある。
時期的に三代将軍・徳川家光による御朱印状であろう。
この後の文政六年(1823)、社殿を再建した記録が残っている。
明治以降の歩み・金山神社の遷座・戦後の再建
明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列する。
大師河原村の鎮守として崇敬を集めた。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲っているのが現在の鎮座地で、今も昔も変わらない。
大師河原の地名も残っている。
桃円で囲っているのが「金山神社」。
京急川崎大師駅東踏切に鎮座しており、後に当社に遷座する事となる。
明治四十年(1907)、神饌幣帛料供進神社に指定。
大正時代、「金山神社」が当宮の境内に遷座。
大正十二年(1923)、関東大震災が発生すると社殿が大破。
大正十三年(1924)、社殿を修復している。
かなり黒つぶれしてしまってはいるが、戦前の境内の様子が窺える。
参道には「皇軍武建長久」とあり、戦前の様子を伝える。
昭和二十年(1945)、川崎大空襲により社殿が焼失。
境内の殆どが灰燼に帰したと云う。
昭和三十五年(1960)、社殿を再建。
この社殿が改修されつつ現存。
昭和六十一年(1986)、社務所2階の郷土資料室に田町河原町に祀られていた「厳島神社」を遷座。
平成十一年(1999)、境内社「金山神社」の社殿を現在のものに新築。
その後も境内整備が行われ、現在に至っている。
境内案内
川崎大師駅からすぐ・幼稚園も併設された境内
京急大師線の川崎大師駅から徒歩すぐの場所に鎮座。
通りに面して鳥居が二基並び、南側が表参道の鳥居。
関東大震災後の大正十四年(1925)に再建された鳥居で、平成八年(1996)に改修が行われた。
右手が駐車場側から入る鳥居。
当宮境内(駐車場側)には、「若宮幼稚園」が併設。
戦後に当社境内に開園した幼稚園が今も存続。
鳥居を潜ると綺麗に整備された参道。
参道途中左に手水舎。
龍の吐水口から水が流れ身を清める事ができる。
参道の両脇に一対の狛犬。
昭和十二年(1937)奉納の狛犬。
阿吽共に凛々しく台座にも狛犬の姿を見る事ができる。
戦後に再建された社殿・奉納された酒樽
社殿は昭和三十五年(1960)に再建されたもの。
鉄筋コンクリート造による社殿。
拝殿前には奉納された酒樽が積み上げられているのが特徴的。
少し落ち着いた色合いで独特な彩色。
状態よく維持管理されている。
かなまら様と称される境内社の金山神社
当宮の境内社で有名なのが金山神社(かなやまじんじゃ)。
現在は「性の神」である「かなまら様」と称され、例祭は「かなまら祭」として国際的に知られる。
金山神社の御祭神は、金山比古神・金山比売神の二柱。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいる時に、その嘔吐物から化生した神。
一般的に鉱山や「鍛冶の神」とされている。
こうした「鍛冶の神」の神がいつしか、「性の神」と認識されるようになる。
これには諸説あるが、鍛冶場で使用する鞴(ふいご)に起源があるとされる。
江戸時代には川崎宿の飯盛女達が性病除けや商売繁盛の願掛けを行ったと云う。
この事から江戸時代には「性の神」として信仰されていた事が分かる。
鉄板で覆われた黒一色の社殿・多くの男根形の奉納物
金山神社の社殿は平成十一年(1999)に新築されたもの。
「鍛冶の神」として、鉄をイメージしたかなり個性的な形となっている。
外側を鉄板で覆い黒一色の一辺約3mの正八角形、高さが8mの吹き抜けという社殿。
「かなまら祭」の時以外は公開されていない(外から覗く事はできる)ものの、内部の造りもかなり個性的で、鍛冶屋の作業場を再現した内部となっている。
「鍛冶の神」「性の神」として信仰を集めたため、御神体は金属製の男根としている。
そこから「金山神社」は「かなまら様(金魔羅様)」と俗称されている。
境内には多くの男根形が奉納されているのが特徴的。
こうした男根や女陰を象った奉納物は、全国的にも各地で見る事ができ、「性の神」へ対する崇敬によるもの。
こうした信仰から御神徳として「安産・子授け」があるとされる。
絵馬殿には多くの安産・子授けが掛けられており、崇敬の篤さが伝わる。
数多くの絵馬。
男根を形どった「金床」と呼ばれるもの。
国際的に知名度の高い奇祭「かなまら祭」(ウタマロフェスティバル)
現在では金山神社の例大祭である毎年4月第1日曜の「かなまら祭」が国際的に有名。
江戸時代、川崎宿の飯盛女達が性病除けの神、お金を造る(鍛冶)の神として信仰された祭りが起源で、現在の「かなまら祭」に繋がる祭りであった。
明治時代になると、西洋文化の思想も浸透し、こうした性に対する祭りが廃れてしまう。
時を経て、戦後の昭和四十年代になってから性信仰の神社として注目を集めた。
昭和五十二年(1977)、新たに金山神社の信者組織として「かなまら講」が結成。
それまで氏子たちによって行われていた規模の小さな例大祭が、かなまら講の参加により「かなまら祭」として、年々規模が大きくなっていく事になった。
男根神輿が出て、仮装行列が催されたりと大変個性的なお祭り。
露店にも男根や女陰をイメージしたものが並び、今では地域の商店が限定コラボグルメを出したりと共に祭りを盛り上げている。
また、奇祭として特に外国人に人気があり「ウタマロフェスティバル」として大師の風物詩となっており、参加者のか半数以上が外国人とも云われている。
欧米では日本の春画(人間の性的な交わりを描いた肉筆画)をウタマロ(喜多川歌麿に由来)と呼ぶようになり、転じて男性器のこともウタマロと呼ぶようなったため、「ウタマロフェスティバル」と呼称される。
かなり大らかな雰囲気であり、独自の良さがあるのだが、近年は参加者の露出による問題などもあり、神社側も苦慮されている。
平成二十八年(2016)年の「かなまら祭」では多少規制を強めた上で行われた。
あくまで「神事」という事を理解した上で、度を超えない範囲で楽しむ配慮が参加者にも求められる。
境内社・大師河原酒合戦の碑・力石
金山神社の左手には大鷲神社。
さらに左手に「藤森稲荷神社」。
「明長寺」付近に祀られていた神社で、境内の藤の大木が生えていた事が社名由来。
境内社の前には10月第3日曜に開催される当宮の例大祭「水鳥の祭」の由来となった「大師河原酒合戦」の碑。
慶安二年(1649)に三日三晩に渡り酒飲みの強さを競ったという酒合戦にちなんだもの。
「水鳥」とは、「水」は「さんずい」、「鳥」は「酉」の意味。
二つの文字を併せて「酒」という字になる。
鳥居を潜って左手には力石。
地域の人々が力比べに使ったもの。
2種の御朱印・イラスト付限定御朱印
平日は書体での御朱印。
土日祝のみイラスト付き御朱印となる。
御朱印は若宮八幡宮と金山神社のものを用意。
限定御朱印などではイラストの入った御朱印も授与。
こちらは2019年7月の夏詣期間に頂いたイラスト付き御朱印。
祭事などに応じて限定御朱印を用意する事があり。
最新情報は公式X(Twitter)を参照。
珍小紋と満小紋・金山神社の御朱印帳
季節限定で金山神社のオリジナル御朱印帳を用意。
春夏限定と秋冬限定の御朱印帳の2種類がありこちらは秋冬限定。
表面と裏面に手ぬぐいりんりんの珍小紋と満小紋を使用していて、かなまら様らしさがありつつも通常使用もできる御朱印帳。
かなまらみくじなど個性的な授与品
授与品としてかなまら様らしい男根を模した授与品も揃える。
こちらはかなまらみくじで、男根と女陰を模したおみくじ。
おみくじは日本語表記と英語表記が裏表になっていて海外の方でも楽しめる仕様。
参集殿2Fは秘宝館的な郷土資料館も
また当宮の社務所(参集殿)の2Fは、郷土資料室になっていて、社務所に声をかけると見学をさせて下さる。(撮影禁止)
郷土資料室には当地に古くから伝わる海苔に関する資料や、田町河原から遷座した海苔漁師達の守護神であった「厳島神社」が置かれている他、資料室の奥に18歳未満禁止の一画があり、そちらには「性の神」にまつわる多くの資料が置かれていて、古い当宮への奉納物なども多く置かれており大変興味深い。
大師河原は長十郎梨の発祥の地・長十郎梨収穫祭・限定御朱印
古くから大師河原の鎮守として崇敬を集めた当宮。
その大師河原発祥の梨に「長十郎梨」という品種がある。
明治二十六年(1893)頃に、当社の氏子地域である大師河原村で発見された赤梨。
当麻辰次郎氏によって発見され、当麻家の屋号と同じ「長十郎」命名。
当時としては味が良く多産であったため人気品種になり、大正初期には6割のシェアがあったと云う。
その後、新たしい品種に押され、現在では生産量が極僅かな幻の梨となっているが、一部には根強いファンがいる。
当宮では収穫時期の9月に、長十郎梨収穫祭が斎行。
多摩川クラブなど地元の有志主催による収穫祭となっていて、境内では極僅かであるが長十郎梨の販売も行われている。
筆者が収穫祭当日の午前中に訪れた時は、まだ長十郎梨を収穫中で販売が行われていなかったものの、ご好意で前々日に収穫したと云うもので売り物にならないものを譲って頂いた。
こちらが今は幻の梨にもなっている長十郎梨で、特に川崎産となるとお目にかかる事がない。
収穫からすぐに食べないと悪くなるそうで、甘みがあり肉質はやや硬めとなっていて、現在のみずみずしさがメインの流行品種よりはだいぶさっぱりしていて、リンゴに近くも感じる。
2018年の収穫祭では当日限定で長十郎梨の限定御朱印も用意。
可愛らしい長十郎梨のイラストと「実り豊かに」の文字。
所感
大師河原の総鎮守として崇敬された当宮。
「若宮八幡」という八幡神の若宮として創建した伝承は興味深く、多摩川の治水を願い当地周辺の鎮守を担っていたのだろう。
別当寺「平間寺」(川崎大師)と共に、多くの崇敬を集めた事が窺える。
明治以降は近隣の神社が当宮に遷座されたおり、今では境内社である「金山神社」の知名度が高い。
男根信仰のある神社は全国にもいくつかあるのだが、その中でも「かなまら祭」は国際的に知名度が高く、「ウタマロフェスティバル」として多くの外国人が訪れる。
こうした境内に幼稚園が併設されているのは、何だか組み合わせが面白く感じる。
日本の信仰のおおらかさを感じる事ができる面白く良い神社である。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※「若宮八幡宮」の御朱印と、境内社「金山神社」の御朱印があり。
※平日は書体での御朱印のみ、土日祝はイラスト付き御朱印。
※祭事などに応じて期間限定の御朱印あり。(最新情報は公式X(Twitter)にて)
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。
御朱印帳
秋冬限定御朱印帳(御朱印代込)
初穂料:2,000円
社務所にて。
金山神社のオリジナル御朱印帳を用意。
春夏限定、秋冬限定の御朱印帳の2種類。
表面と裏面に手ぬぐいりんりんの珍小紋と満小紋を使用。
かなまら様らしさがありつつも通常使用もできる御朱印帳。
授与品・頒布品
かなまらみくじ
初穂料:700円
授与所にて。
男根と女陰を模したおみくじ。
おみくじは日本語表記と英語表記で裏表楽しめる。
参拝情報
参拝日:2024/06/17(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2021/12/13(御朱印拝受/御朱印帳拝受)
参拝日:2019/07/17(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2018/09/03(御朱印拝受)
参拝日:2018/07/14(御朱印拝受)
参拝日:2017/01/25(御朱印拝受)
参拝日:2016/02/17(御朱印拝受)
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