自由が丘熊野神社 / 東京都目黒区

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神社情報

自由が丘熊野神社(じゆうがおかくまのじんじゃ)

御祭神:速玉之男尊・伊弉冉尊・泉津事解之男尊
旧社格:─
例大祭:9月第1土・日曜
所在地:東京都目黒区自由が丘1-24-12
最寄駅:自由が丘駅
公式サイト:─

御由緒

 熊野信仰は、平安時代(794-1192年)の中期より盛んになったが、公家勢力が衰え武士階級の時代即ち鎌倉時代(今より約七百九十年前)より、東国の武士、庶民の間に、西方熊野を極楽浄土になぞらえて、参詣が逐次盛んになり、現在の目黒地域からも、那智熊野参詣の記録があり、当神社創設の年月は詳らかではないが、その時代、本宮の神霊を拝受して祀られたものと思われる。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2016/08/16(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/03/25(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※2016年より右上に季節に応じたスタンプが押されるようになった。

[2016/08/16拝受]
御朱印2(8月限定)

[2015/03/25拝受]
御朱印(旧御朱印)

御朱印帳

初穂料:各1,200円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
くちなし染めの御朱印帳で表面にはうっすら時期によって色合いが変わる事があり。
薄くなってしまっているが真ん中上部に熊野神社の社印あり。

くちなし染め
美しい青色は、アカネ科の常緑樹【梔子】(くちなし)より抽出した色素をバイオ技術によって青色に変化させた天然色素です。梔子の実は、古くから生薬や染料として用いられていました。やさしい自然の色に熊野神社のご神木、欅(ケヤキ)の葉を捺染めしました。年月とともに移ろいゆく自然の色合いを楽しみ、心通う神々の御神霊を大切になさって下さい。(同封されていた半紙より)

[ 表面 ]
御朱印帳

[ 裏面 ]
御朱印帳2

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歴史考察

自由が丘鎮守の熊野神社

東京都目黒区自由が丘に鎮座する神社。
旧社格は無格社。
かつて谷畑と呼ばれた自由が丘・緑が丘一帯の鎮守。
正式名称は「熊野神社」だが、他との区別から「自由が丘熊野神社」とさせて頂く。
村人より崇敬された熊野信仰の神社となっている。

熊野信仰の広まりと村民による創建

創建年代は不詳であるが、一説では鎌倉時代以前の創建ともされる。

かつての自由が丘は、武蔵国荏原郡衾村の谷畑という地域であった。
古い史料などからも、大変のどかな農村であり、小さな集落であった事が分かる。
衾村谷畑の村民が熊野詣をした際に、「熊野本宮大社」の御分霊を勧請して創建と伝えられている。

熊野信仰の広まりを見ていくと、平安時代になると公家・貴族により熊野信仰が盛んになる。
特に院政期には歴代の上皇の参詣が頻繁に行なわれ、後白河院の参詣は34回に及んだ。
その後、鎌倉時代になると武家からの信仰が篤くなり、東国武士にも広まる事になる。
その頃には庶民にも熊野信仰が広まり、熊野三山(和歌山県)までの熊野詣も行われるようになっている。

当時の熊野信仰は、仏教色が強い神仏習合の信仰であった。
今も使われる「熊野三山」という総称からもその要素が伺える。
浄土信仰が盛んになっていく中で、熊野の地は極楽浄土と見なされ、日本各地からの参拝が行われるようになり、庶民も講を結成し熊野詣が盛んに行われるようになっていく。

江戸時代より前には幾度も熊野信仰の流行があり、「熊野神社」は日本全国に勧請されている。
当社もそうした流れの中、衾村谷畑地域の村民(当地の名主と思われる)が熊野三山へ熊野詣をし、「熊野本宮大社」の御分霊を勧請した事が創建由来という事になるだろう。
創建年代の詳細は分からないものの、村民による熊野信仰が根底にあり創建したのは間違いない。

江戸時代の史料から見る当社

当社の正確な史料は江戸時代に遡る。

宝暦十二年(1762)の『衾村絵図』に当社は「熊野大権現」と記載されている。
当時は地名から「谷畑の権現さま」と呼ばれた。

寛政八年(1796)には本殿・拝殿の改築。
文化十一年(1814)にも本殿・拝殿の改築をした記録が残っている。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(衾村)
熊野社
境内除地。5畝歩。小名谷畑にあり。是も草創の年暦をしらず。本社1間四方の小祠。拝殿は2間に3間南向なり。村の持。

「熊野社」と書かれているのが当社。
衾村の谷畑にあり、創建年代は不詳といった事が記されている。
村民の所有だった事が分かり、地域の人々により管理され崇敬を集めた。
江戸時代の自由が丘も、まだまだ大変のどかな農村であり、小さな集落で細々と維持されていたのであろう。

自由が丘の祖・栗山久次郎

明治になり神仏分離。
明治四十二年(1909)には、当社の本殿が造営された。

当社は依然として衾村の谷畑地域の鎮守であった。
この谷畑地域が、現在の自由が丘・緑が丘の周辺となる。

明治二十二年(1889)に、碑文谷村の全域と衾村の一部が合併して碑衾(ひぶすま)村が発足。
碑衾村の村長を20年に渡り務める事になったのが栗山久次郎という人物である。
image自由が丘の祖とも云える人物であり、現在も当社境内に栗山久次郎の銅像や顕彰碑が建っている。

当時の自由が丘周辺は古地図を見ると分かるのだが、まともな道路もなく、あっても曲がりくねった農道が僅かにあるだけのかなりの田舎であった。
そのため住宅地へ発展するにあたり、耕地整理が必要となってくる。

そこで大正十五年(1926)に、衾西部耕地整理組合が設立され、この組合長になったのが、長年村長を務め既に引退していた栗山久次郎である。

後年(昭和九年)になって上述の銅像が建てられたように、大変人望の厚い人物であり、長年村長を務めた事からも分かるように、大変顔が効く地域の有力者であったのだろう。

彼が組合長となり尽力した衾西部耕地整理組合が推し進め区画整理を行った地が、後に「自由が丘」という地名となる事になる。
そして「自由が丘」の地名由来となった自由ヶ丘学園へ土地を提供したのも彼によるものであった。

こうした事で「自由が丘の祖」と云える人物であり、自由が丘の鎮守となっている当社境内に銅像が建てられたのは、彼と当社が地域の人々により崇敬された証拠とも云えるだろう。

自由が丘の地名由来

昭和二年(1927)、現在の東急東横線が開通。
現在の「自由が丘駅」の当時の駅名は「九品仏前駅」であった。

同年、現在の自由が丘の地に「自由ヶ丘学園」が開校。
手塚岸衛という教育者が、自由主義教育を掲げて創立した学校で、現存している。
彼の自由教育という理念に賛同し、土地を貸し与えたのが上述した「自由が丘の祖」こと栗山久次郎である。

昭和四年(1929)現在の東急大井町線が開通。
「九品仏」の門前に新たに駅が開設される事となり、この新駅名が「九品仏駅」を名乗る事となったため、旧九品仏前駅は改称を余儀なくされる。
そこで旧衾村の地名より「衾駅」に改称する事となったのだが、多くの文化人を巻き込んだ駅名反対運動が発生してしまう。

この反対運動の原因は、一言でいうと、「衾駅」という駅名は田舎臭いという事による。
大変な農村であった衾村の地名は、東横線開通後に居住をした新興住民たちにとって、田舎臭い名前であり、受け入れる事ができなかったのであろう。

そうした反対運動の結果、「自由ヶ丘学園」の学校名から「自由ヶ丘駅」という駅名に決まる事となる。

その後「荏原郡碑衾町大字衾」といった住所も、田舎臭いという同様の理由で新興住民たちが使わなくなってしまい、いつしか勝手に自由ヶ丘を名乗るようになり置き換えられてしまうようになる。
結果、地名改正要求が発生するようになり、昭和七年(1932)に「荏原郡碑衾町大字自由ヶ丘」として正式な地名として認可される事となる。
同年、目黒区が成立した際に「目黒区自由ヶ丘」となった。

戦後の昭和四十年(1965)、現在の「自由が丘」という「ヶ」が「が」の字に改められ、現在に至っている。

すなわち「自由が丘」の地名由来は、現存する「自由ヶ丘学園」の学校名が由来であり、新興住民たちによって、学校名が駅名に昇格し、さらには地名まで昇格したという事になる。

古い地名をないがしろにし、新しい地名を喜ぶのは、新興住民の多い地によく見られる例であり、自由が丘も正にそうした流れの中で生まれたと云えるだろう。

自由が丘駅近くの鎮守の杜

自由が丘駅からほど近い位置に鎮座する当社。
image商業施設が多い区画に鎮座していながらも、今もなおしっかりとした鎮守の杜を維持している。

鳥居は三の鳥居まであり、三の鳥居は朱色の両部鳥居となっている。
image文政六年(1823)の建造と伝えられており、そちらが改修されながら現存している。
参道右手には小さな児童公園があり、地域の鎮守としての姿を感じさせてくれる。

石段を上り右手に手水舎、正面に社殿となっている。
image拝殿は昭和四十二年(1967)に鉄筋コンクリート造で再建されたもの。
朱色に塗られた拝殿が色鮮やか。
image本殿は石造りとなっており、明治四十二年(1909)に造営されたもの。

社殿の右手には境内社の伏見稲荷神社。
image境内社ながら社殿が中々立派な造りで彫刻もよい出来。
image江戸時代の頃より境内社として祀られており、柱にある狛犬の表情がとてもよい。
その隣には忠魂碑が建つ。

境内左手には神楽殿。
image昭和九年(1934)に改築されたもので、例大祭の際には「目黒ばやし」の奉納が行われる。

御朱印は社務所にて。
imageカラフルで綺麗な御朱印が特徴で、2016年からは季節に応じたスタンプも押されるようになった。
オリジナルの御朱印帳も用意している。
いつも丁寧に対応して下さる。

所感

自由が丘の鎮守である当社。
かつて村民達による熊野信仰の拠点として創建し、寂れた農村であった谷畑の鎮守として崇敬を集めた。
明治以後は自由が丘の祖とも云える栗山久次郎によって、この周辺は住宅地となり、そして東横線や大井町線の開通によって、新興住民が増える中、古い地名は排除され学校名から「自由が丘」という駅名・地名が成立し、現在に至る事となっている。
耕地整理や宅地開発、商業地としての発展などがありながらも、当社が今もこうして立派な境内が維持されているのは、古くからこの地を鎮守していた氏神であるからに違いない。
今では流行の街である自由が丘であるが、その変遷を見守り続けてきたのが当社であり、今もなお地域の人々より崇敬を集めているのが伝わる良社である。

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神社画像

[ 社号碑・一之鳥居 ]
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[ 二之鳥居 ]
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[ 参道 ]
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[ 三之鳥居 ]
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[ 石段・参道 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 拝殿・本殿 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 伏見稲荷神社 ]
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[ 忠魂碑 ]
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[ 神楽殿 ]
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[ 絵馬掛 ]
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[ 記念碑 ]
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[ 社務所 ]
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[ 岩座 ]
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[ 栗山久次郎翁像]
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[ 児童公園 ]
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[ 案内板 ]
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[ 石像(境外) ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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