元町嚴島神社(元町厳島神社) / 神奈川県横浜市

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神社情報

元町嚴島神社/元町厳島神社(もとまちいつくしまじんじゃ)

御祭神:市杵島姫命・多紀理姫命・多岐都姫命、木花開耶毘売命
社格等:村社
例大祭:6月2日
所在地:神奈川県横浜市中区元町5ー208
最寄駅:元町・中華街駅・石川町駅
公式サイト:─

御由緒

 この神社は、今から約700年以前より元横浜村洲干島に鎮座していました清水弁天、洲干弁天を、元禄年間に分祀し、元町一丁目の増徳院(真言宗)仮殿にご神体を奉安していました。しかし明治維新の神佛混淆の禁止により増徳院から分離し、嚴島神社として元町一丁目十五番地に社殿を造営、元町の鎮守様となりました。
 祭神は、市杵島姫命・多紀理姫命・多岐都姫命、木花開耶毘売命でいずれも女神であります。お社(やしろ)は関東大震災により焼失しましたが、御下賜材により仮殿を建設し、昭和初期には元町五丁目208番地の当地に遷座し再建されました。第二次世界大戦でまたもや灰燼に帰しましたが、昭和三十六年に氏子崇敬者の熱意により鉄筋コンクリートの社殿を建立し今日にいたっています。
 元町嚴島神社は、商売繁盛、合格祈願、縁結びの神様でもあり、元村以来の元町の発展興隆の守護神であります。境内には末社として金毘羅神社と当地の名主であった石川家から寄進された皇太神宮も併祀してあります。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/07/12

御朱印

初穂料:300円
授与所にて。

※御朱印にアルファベットが使われているのが横浜元町らしさに感じる。

元町厳島神社

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歴史考察

横浜元町の鎮守

神奈川県横浜市中区元町に鎮座する神社。
旧社格は村社。
正式社号は「嚴島神社」であるが、他との区別のため「元町嚴島神社」とさせて頂く。
旧字体の「嚴島神社」が正式であるが、新字体の「厳島神社」とされる事も多い。
横浜元町の鎮守であり、元町の発展の守護神。

関内の羽衣町にある厳島神社との関係

当社の創建には、現在は関内の繁華街にある(中区羽衣町2丁目)「厳島神社」(以下、関内厳島神社)が深く関わってくる。
そのため、まずは「関内厳島神社」について触れていきたい。

「関内厳島神社」は治承年間(1177年-1181年)に創建された古社である。
かつての関内エリアは石川郷(後の石川村)に属していて、洲干湊(しゅうかんみなと)と呼ばれた入江があり海であった。
その洲干湊に面した洲干島とも呼ばれる入江の砂州上の村の先端に鎮座しており、当時は「洲干弁天社」と称されていた。

慶長二年(1597)に石川村が、横浜村・堀之内村・中村に分村すると、横浜村の鎮守として崇敬を集める。

江戸時代に入ると洲干湊が埋め立てられ、吉田新田という現在の横浜の基礎を作った埋立工事が行われる。
現在の関内地区の低地の市街地のほとんどが、この時期に埋め立てられた新田であり、この頃には、清水が湧き出たため「清水弁天」と呼ばれるようになった。

清水弁財天(新編武蔵風土記稿より)

創建時は「秀閑寺」が別当寺を担っていたものの廃寺となり、慶安年間(1648年-1651年)以降は元町1丁目にあった「増徳院」が別当寺となる。
この「増徳院」は現在は横浜市南区平楽に移っているが、当時は今の元町プラザの一角にあたり、この別当寺「増徳院」が「元町厳島神社」すなわち当社の起源となっている。

杉山弁天と呼ばれた当社

元禄年間(1688年-1704年)、別当寺であった元町の「増徳院」境内に仮殿を造営。
この仮殿を「上之宮杉山弁天」と称し、平日は御神体をこちらに奉安して安置。
これが現在の当社である。
本社である「清水弁天」には前立の御神体のみを置いて「下之宮清水弁天」と称した。

すなわち別当寺「増徳院」の境内に置かれ「杉山弁天」と称されたのが当社であり、本社である「清水弁天」が現在の「関内厳島神社」である。
このような事情から当社は「関内厳島神社」と元は同一の神社であり、別当寺に仮殿を建てられた分社と云う事ができるだろう。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「関内厳島神社」についてこう書かれている。
なお、上述した清水弁天の眺望図もこちらからの引用。

(横浜村)
辨天社
社地1丁1段15歩、洲乾の出洲にあり。土人清水辨天と呼ふ。慶安二年社領6石1斗5合の御朱印を賜へり。村の鎮守なり。社中には前立の像のみを置。神體は元禄中より別當増徳院境内仮殿に安し。彼所にては杉山辨天と唱ふ。坐像長2尺程弘法大師の作。此社地は海面に望。勝景の地なれは遊客神奈川驛より乗船の至る者多し。

こちらは「関内厳島神社」についてであるが、こちらに当社についての記載もされている。
上述したように「清水弁天」と呼ばれた「関内厳島神社」には前立の御神体のみ安置し、別当寺「増徳院」の仮殿に御神体があるという事と、そこは「杉山弁天」と呼ばれていた事が分かり、これが当社の事である。
こうして別当寺境内の仮殿にて祀られ、地域からの崇敬を集めた。

神仏分離にて元町鎮守に・戦後の再建

明治に入り神仏分離。
「増徳院」の境内にあった当社も分離を余儀なくされる。

明治二年(1869)、元町1丁目に社殿を造営。
現在の「嚴島神社」に改称となる。
村社に列し、元町の鎮守として崇敬を集めた。

大正十二年(1923)、関東大震災によって社殿が焼失。
しばらくは仮殿を建設し、昭和初期に現在の鎮座地に遷座して再建された。
なお、「増徳院」も関東大震災で全焼しており、昭和三年(1928)に現在の横浜市南区平楽にて再建されている。

国立国会図書館デジタルコレクションより)

上の写真は昭和十三年(1938)に万朝報横浜支局が発行した『神奈川県神社写真帖』。
かなり黒つぶれしてしまってはいるが、戦前の社殿の様子が伺える。

昭和二十年(1945)、第二次世界大戦の戦災によって再び社殿が焼失。
戦後の昭和三十六年(1961)に鉄筋コンクリート造にて再建された。
imageこれが現在の社殿であり、現在に至る。

横浜元町の歴史

当社は横浜元町の鎮守であり、元町の歴史にも少し触れてみたい。

現在の元町地区は安政六年(1859)の横浜開港までは半農半漁の村落であった。
当社の元になった「増徳院」はあったものの、かなり寂れた村落だったと伝えられている。

横浜開港に伴って横浜村の一部の住民が立ち退きを余儀なくされる。
その横浜村の住民の多くが移住した地が、この元町である。
横浜村の元住民による町である事から「横浜元町」と呼ばれるようになる。

開港後は、山下町に外国人居留地が、山手に山手居留地が設けられ、両地区を結ぶ元町通りは、外国人居留者が日常的に多く行き交うところとなり、外国人を相手にした商売が盛んに行われるようになる。

明治維新になると、さらに外国人向けの商店街として栄え「元町」と改称。
この頃には神仏分離で当社が造営され、元町鎮守となっている。

当時は日本では珍しい喫茶店、ベーカリー、洋服店などが軒を連ねる商店街となり、文明開化の代表的存在となった。
これが今の元町商店街(元町クラフトマンシップストリート)の原型となっている。

横浜元町でショッピングするなら。横浜元町クラフトマンシップストリート/元町CS会

戦後には1970年代に「ハマトラ」と呼ばれるトラディショナルスタイルのファッションが誕生し、元町ブランドとして確立。

このように文明開化やファッションの町として、時代の最先端を歩んだ横浜元町の商業の発展の守り神であった当社は、商売繁盛の神様としても崇敬を集めている。
さらに弁財天らしい縁結びの神様として、多くの学校が近くにある事から合格祈願の神様、としても知られている。

元町クラフトマンシップストリートの奥に鎮座

元町4丁目と5丁目の間にあり、元町クラフトマンシップストリートの元町仲通りを歩き奥まった場所に入っていくと、赤い鳥居が見えてくる。
image正に商店街の中に鎮座しているという形。

鳥居を潜ると左手に自治会館があり、右手が児童公園となっていて、地域の憩いの場となっている。
imageその奥に石段があり社殿が見えてくる。

石段を上って右手に手水舎、正面に社殿。
image上述したように当地に遷座後に建てられた旧社殿は、第二次世界大戦で焼失してしまったため、戦後の昭和三十六年(1961)に鉄筋コンクリート造にて再建された社殿である。
御神紋は波に三つ鱗。

社殿の左手には境内社が二社。
image左が当地の名主であった石川家より寄進されたという「皇太神宮」。
右が「金毘羅神社」となっている。

社殿の右手にはとても綺麗な社務所。
image但しこちらは普段は無人のようでいらっしゃらないようだ。

鳥居手前の左手に授与所があり、頒布品や御朱印などはこちらで頂ける。
imageインターホンを押すと隣の自治会館より人が出てきて丁寧に対応して下さった。
御朱印にアルファベットが使われているのが横浜元町らしい。

所感

横浜元町の鎮守である当社。
かつては関内の「厳島神社」と同一であり、江戸時代に分社として別当寺に誕生した歴史は、中々に興味深いものとなっており、弁天様と港町(当時は漁村)の相性の良さを感じる。
神仏分離によって元町鎮守となり、文明開化の最先端を歩んだ元町の守り神として、商業発展に貢献したのであろう。
現在では児童公園があり、自治会館もあったりと、地域との繋がりも深い。
この日も小学生低学年くらいの子が、自治会館で習い事を習うために親子でやってきては、親は児童公園で井戸端会議といった様子を見かける事ができ、当社が地域の方の交流場になっているのが伝わってくる。
小さな神社ではあるが、横浜元町の変遷を見守ってきた神社であり、今もなお地域に親しまれている神社であった。

神社画像

[ 鳥居 ]
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[ 授与所 ]
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[ 自治会館 ]
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[ 参道・石段 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 皇太神宮・金毘羅神社 ]
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[ 神輿庫 ]
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[ 社務所 ]
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[ 案内板 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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『元町嚴島神社(元町厳島神社) / 神奈川県横浜市』へのコメント

  1. 名前:田村 三郎 投稿日:2016/11/05(土) 10:00:14 ID:1f55a2157 返信

    厳島神社

    今度参拝に行く予定です。
    記事と写真が大変参考になりました。
    ありがとうございました。

    • 名前:神社メモ 投稿日:2016/11/05(土) 12:51:55 ID:b3d747a38 返信

      小さな鎮守社ではありますが、発展した元町の中で大切にされています。
      あの周辺は神社以外にも色々ありますので、ぜひ参詣してみて下さい。
      参考になったようで嬉しいです。