飯倉熊野神社 / 東京都港区

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神社情報

飯倉熊野神社(いいぐらくまのじんじゃ)

御祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神・武速須佐之男大神・塩竈大神
社格等:村社
例大祭:6月1-3日
所在地:東京都港区麻布台2-2-14
最寄駅:神谷町駅・赤羽橋駅
公式サイト:─

御由緒

創建は養老年間(717-724)とも、応永年間(1394-1428)に阿闇梨慶祚が紀州の熊野三山を勧請したとも伝えられる。武家の崇敬が厚く、文明年間(1469-1487)には太田道灌によって再建され、太鼓などが奉納された。江戸期には別当を正宮寺といって寛永寺の末であった。祭礼の盛んであったことは、『武江年表』をはじめ、若月紫蘭、水上滝太郎、島崎藤村などの作品に、その俤をとどめる。昭和二十年五月、戦火により、社殿(元禄期)・神楽殿(安政期)・社務所(大正期)などことごとく烏有に帰した。(東京都神社名鑑より)

参拝情報

参拝日:2016/06/02(ブログ内の画像撮影)
参拝日:2015/10/19(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※熊野信仰らしく八咫烏の印が押されている。
※正月期間(元日-成人の日まで)には港七福神(恵比寿)の御朱印も存在。

飯倉熊野神社

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歴史考察

東京タワー近くの熊野神社

東京港区麻布台に鎮座する神社。
旧社格は村社。
現在は港七福神の恵比寿を担っている。

芝浜から飯倉への遷座

創建は、養老年間(717年-724年)、もしくは応永年間(1394年-1428年)に紀州の熊野三山を勧請したと伝えられている。

創建当時は、芝の浜辺に鎮座していたといい、芝浜周辺という事になるのだろうか。
しかしながら、元禄十六年(1703)の火事によって記録が焼失してしまっているため、詳しい記録などは分かっておらず、不詳という形が正確かもしれない。

文明年間(1469年-1487年)に江戸城築城でも有名な太田道灌により再建され、宝物が寄進されたという。
その当時は当社下の平坦な土地を「勝手が原」と呼び、道灌が江戸城より出陣する際に兵馬を整えたとされている。
詳細は残っていないのだが、おそらくこの時期に芝浜から現在の飯倉の場所へ遷座したのだろう。
江戸時代には「飯倉熊野権現社」と呼ばれていた。

江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

飯倉熊野神社国立国会図書館デジタルコレクションより)

「飯倉熊野権現社」とされているのが当社。
今よりはやや規模が大きく境内社や神楽殿などの姿も見える。
崇敬を集めていた様子が伺い知れ、飯倉の地は往来も多く賑やかった頃が分かる。
「寛永寺」が近くにあった立地という面もあったのだろう。
別当寺は「寛永寺」の末寺である「正宮寺」(現在は廃寺)であったと記されている。

神仏分離と社地縮小

明治に入り別当寺と分離。
明治五年(1872)に村社に列し、この頃に「熊野神社」と改称している。

明治二十一年(1888)に宮城県塩竈市にある陸奥国一之宮「鹽竈神社」より塩竈大神を勧請し合祀。
明治二十九年(1896)に近隣にあった「三田稲荷神社」を合祀している。

昭和二十年(1945)の東京大空襲により、社殿などを悉く焼失。
戦後の昭和二十七年(1952)に本殿を再建している。

昭和三十二年(1957)には当時隣接していた飯倉小学校の講堂建設のために社地を一部譲渡。
昭和四十年(1965)、桜田通りの拡張のため更に社地が削られた。
こうして現在のかなり規模の小さい境内となってしまっている。

平成二十一年(2009)に、「愛宕神社」「太田稲荷神社」を合祀。

現在は規模の小さな境内

桜田通りに面して鎮座する当社。
image鳥居を潜るとすぐ正面に社殿があり左手には手水舎。
image手水舎はビルと一体となっていて現代的な造りとなっている。
水は近づけると自動で出る仕組み。

社殿はややこぢんまりした印象を受けるもの。
image昭和二十七年(1952)に本殿を再建しており、その当時のものになるだろうか。
『江戸名所図会』では、中々に立派な社殿が描かれていたが、社地同様に縮小されてしまった事が分かる。

御朱印はこの社務所にて。
現在の社務所はビルの1Fにある形となっている。
御朱印には熊野信仰らしく八咫烏の印が押されている。
また当社は港七福神の恵比寿を担っているため、正月期間(元日-成人の日まで)には港七福神の御朱印も存在。
神紋が八咫烏のため日本サッカー協会のサッカー御守なども頒布されていた。

島崎藤村お気に入りの散歩道

明治から昭和の戦前までに活躍した詩人である島崎藤村。
彼は47歳から65歳の18年間をこの飯倉付近で過ごし、生涯の中で最も長く住んだ地域だったという。
そのため当社を含んだエリアがお気に入りの散歩道だったといい、「夜明け前」「飯倉だより」「ふるさと おさなものがたり」「飯倉付近」といった作品に、当社を含む飯倉の地を記している。

現在は東京タワーのすぐそこに鎮座しているため、当社前から東京タワーが綺麗に見える。
image島崎藤村がお気に入りとしていた散歩道とは随分と様相は変わっているだろうが、現在も散歩コースにもってこいの素敵なエリアである。

所感

旧飯倉という地に鎮座している当社。
戦後になり社地が削られ、社務所がビルの形になってからは、より一層小さな規模になってしまったのだが、江戸名所図会に掲載されているように、古くから崇敬を集めていたのは間違いがない。
七福神めぐりにも参加をしており、戦前は麻布稲荷七福神、現在は港七福神で恵比寿神を担っている。
かつては祭礼も盛んであったといわれ、現在も例大祭が近づくと盛り上がりを見せる。
かなり規模の小さな神社となっているが、それでもこうした形で維持できているのは喜ばしい事ではないだろうか。

神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 社殿 ]
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[ 社務所(時間外) ]
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[ 祭禮前の神社前 ]
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[ 当社前から見た東京タワー ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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