谷保天満宮 / 東京都国立市

image

神社情報

谷保天満宮(やぼてんまんぐう)

御祭神:菅原道真公・菅原道武公
旧社格:延喜式内社(小社論社)・府社
例大祭:9月25日
所在地:東京都国立市谷保5208
最寄駅:谷保駅
公式サイト:http://www.yabotenmangu.or.jp/

御由緒

 昌泰四年右大臣菅原道真公筑紫太宰府に左降の折、第三子道武公は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現国立市谷保)に配流せられた。
 延喜三年父君薨去の報に、道武公は思慕の情から父君の尊容を刻み鎮座したのが起りである。
 天暦元年京都北野天満宮造営の折、当社の威霊を奉上され村上天皇の勅により神殿を造営され官社に列せられる。建治三年後宇多天皇の勅により藤原経朝書「天満宮」の扁額を納められる。その後、道武公の裔孫津戸三郎為守は源頼朝に仕え数々の武功を立てるが、養和元年十一月三日旧来の地(現在の国立府中インター付近)より神殿を現在の地に遷し、太宰府に模して梅香山安楽寺を興し、社務六院を置き祀典を司どった。
 明治十八年には府社に昇格し東日本における天満宮としては最も古く、湯島天神、亀戸天神と並び関東三天神と称されている。(頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2016/05/18

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※兼務社である府中市「小野神社(小野宮)」の御朱印も拝受できる。
※御朱印を拝受した際に地域の飲食店と連動企画のチラシを頂いた。(詳細:Twitter

谷保天満宮

御朱印帳

初穂料:各1,300円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
日本一「キレイでかわいい」と称される御朱印帳で女性人気が高い。

image

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

授与品・頒布品

交通安全ステッカー
初穂料:300円
社務所にて。

※白、黒、赤の3種類を用意。
※交通安全ステッカーは多数あり、こちらは最近授与を開始したものとの事。

image

スポンサーリンク

考察

関東三大天神の一社

東京都国立市谷保にある神社。
古代の社格では延喜式内社の小社論社、旧社格は府社。
東日本最古の天満宮であり、「亀戸天神社」「湯島天満宮」と合わせて関東三大天神と呼ばれる。
また交通安全祈願発祥の地としても知られている。
なお、谷保駅や谷保の地名は「やほ」と読むが、当社は「やぼてんまんぐう」が正しい読み方である。

東日本最古の天満宮として創建

当社の社伝は『天満宮略縁記』によるものとなっており、そちらに御由緒が記されている。

昌泰四年(901)に、当時の右大臣であった菅原道真公が太宰府へ左遷される。
左大臣の藤原時平による謀略であったとされており、この際に道真公の子息たちも配流となっている。
その中に、道真公の三男であった菅原道武という人物がおり、道武は武蔵国多摩郡分倍庄栗原郷(現在の谷保)に配流されたとされている。

史料では、道真公に道武という名の子息は存在していない。
これは配流されたため、実名を隠して道武と称したとされており、生母不明の子息が何人もいたようなので、そのうちの1人であったのだろう。

延喜三年(903)に、菅原道真公が薨去(死去)。
子息であった道武は、思慕の情から自ら道真公の像を刻み天神島(現・府中市本宿)にお祀りしたのが当社の創建起源とされている。
よって道真公が亡くなった年に創建した事になり、東日本最古の天満宮とされている。

延喜二十一年(921)、道武も薨去すると、道武も相殿に合祀されたという。
そのため、ご祭神は菅原道真公・菅原道武公の二柱となっている。

末裔である津戸三郎為守と法然

天暦元年(947)、京都の「北野天満宮」造営の際に、村上天皇の勅命により当社にも社殿が造営され、官社に列せられたと伝わる。

養和元年(1181)、道武の末裔である津戸三郎為守が霊夢を見たため、現在地へ遷座。
その際に太宰府に模して梅香山「安楽寺」を興し、 社務六院を置き祀典を司どったとある。
この「安楽寺」が当社の別当寺となった。

道武の末裔である津戸三郎為守という人物だが、武士から出家した人物と伝えられている。
治承四年(1180)、源頼朝の配下として、石橋山・安房国の合戦に功を立てた記録がある。

建久六年(1195)、頼朝が「東大寺」の落成供養に参詣のとき供奉して上洛。
浄土宗の開祖・法然の教えをうけて出家し、尊願と称した。
関東へ帰還後も法然の教えを信じて念仏したとあり、事実、法然と津戸三郎為守との文書が今も9通か現存しており、法然との繋がりが深い元武士と言えるだろう。
別当寺「安楽寺」を興したのも、そういった背景があったのが分かる。

しかし、この津戸三郎為守は80歳の歳に浄土往生を望み割腹自殺を図っており、その時は絶命には至らなかったものの、翌年に死去している。
割腹を図った経緯は、法然が80歳で往生したため、それに倣ったと言われており、それだけ法然に心酔していた事が伝わる逸話である。

こうして当社を創建した道武の末裔である津戸三郎為守によって、現在地に遷座し、別当寺が興され崇敬を集めた事が分かり、それには浄土宗開祖である法然の教えも多分に影響されていたものと推測できる。

その後、健治三年(1277)に、宇多天皇の勅命により藤原経朝の書による「天満宮」の扁額が納められており、これが現存。
国の重要文化財に指定されている。
このように朝廷からも庇護された神社だった事が分かり、古くから当社は格式高い神社であった。

江戸時代に描かれた当社

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

谷保天満宮国立国会図書館デジタルコレクションより)

「谷保天神社」と描かれた当社。
現在と境内の配置はかなり近く、既に江戸後期には現在に近い形になっていた事が分かる。
北側に甲州街道が敷かれており、石段を下がったところに社殿がある形。
こちらに描かれている本殿は現存しているもの。
観音堂も見えるのだが、これは神仏習合時代の様子を伺えるものだろう。
この頃には別当寺であった「安楽寺」は左下に見る事ができる。
また「常盤の清水」と称された霊水があったという事も記されており、当社の南側にあるのがそれのようだ。

日本初のドライブツアー・交通安全祈願発祥の地

明治になり神仏分離。
別当寺「安楽寺」と分離し「安楽寺」は廃仏毀釈により廃寺となっている。
明治十八年(1885)に府社に列した。

明治四十一年(1908)、「自動車の宮様」とも称された有栖川宮威仁親王が運転する「ダラック号」のご先導により、日本初の遠乗会(ドライブツアー)が行われた。
日比谷公園を出発し、当社の梅園で昼食会が催され、昇殿参拝が行われた。
これによって「交通安全祈願発祥の地」とされている。
同時に日本初のドライブの地とも言える事ができるかもしれない。

谷保をやほ/やぼと読む由来

当社の読み方は「やぼてんまんぐう」。
一方で当地の地名や駅名は「やほ」となり、濁点が付いていない。

古くは「谷保」と書いて「やぼ」と読んでおり、当社の読み方が正しい。
谷保とは「湿地帯の多い台地」を意味する言葉で、この近辺では稲作が盛んであったようだ。
鎌倉時代後期には既に「谷保郷」という地名があるし、当社の御由緒からも相当古くからの地名である事が分かる。

現在の読み方「やほ」が浸透するようになったのは、昭和の事である。
昭和四年(1929)に、南武鉄道「谷保駅」が開業。
この際に、駅名を「やほ」とした事が由来となっている。

元々「やぼ」と読まれていたものを「やほ」にしたのは、「やぼ」が「野暮」に聞こえるのを嫌って「やほ」と名付けたと言われている。
その後、地名も「やほ」が浸透するようになり現在に至った。

一説では、江戸時代の狂歌師の大田蜀山人が、神々が出雲に集まる事から神がいなくなるとされる旧暦10月の神無月に、当社が開帳を行っていたため「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」と詠み、ここから「野暮天」または「野暮」の語を生じた、なんて逸話も残っている。
これは諸説あるので(実際には野暮は江戸時代よりもっと古くから使われた言葉)なので、真偽の程は置いておいて、古くからの地名の読み方をこうして当社が名乗っているのは喜ばしい。

広大な境内・石段の下にある社殿

甲州街道沿いにある当社。
甲州街道の南側に表参道がある形となっている。
imageここから長い参道があり二の鳥居、手水舎と迎え、石段を下りていく形となっている。

石段の上に鎮座する社殿が一般的だが、石段の下に鎮座する形は大変珍しい。
上述した『江戸名所図会』では、既に石段の下に社殿がある事が分かる。
江戸時代中期にはこうした形であったとされ、多摩川と立川崖線の兼ね合いを伺う事ができる。

石段を下った先、右手に社殿が建つ。
image拝殿は嘉永余年(1851)に造営されたものが現存。
image本殿は拝殿よりさらに古く、寛延二年(1749)に造営されたもの。
現在は白い木が露わになっているが、かつては極彩色の塗装がされ、実に見事だったのだろう。
拝殿・本殿共に国立市の有形文化財に指定されている。

社殿の前には天神信仰らしく神牛像が二体。
imageさらに拝殿前に一体。
imageいずれも撫で牛信仰のため、多くの参拝者が触っていく。

弁天池・あじさい園・梅園

社殿の裏手には境内社の「五社」と「三郎殿」。
image三郎殿は道武公をお祀りしており、五社には天照皇大神宮・妙義神社・日吉神社・熊野神社・稲荷神社を合祀している。

さらに左手には「厳島神社」と弁天池がある。
image元は石神地区にあったとされており、明治時代に現在地へ遷座したとある。
社殿は古く宝暦九年(1759)の造営とされている。
『江戸名所図会』にある「常盤の清水」をこの弁天池が引き継いでいるようだ。
澄んだ水となっていて綺麗。

この右手にあるのがあじさい園。
imageまだ時期ではなかったがあじさいの季節になると見事なようだ。

さらに境内の右手には広い梅園があり、初の交通安全祈願が行われた際も、有栖川宮威仁親王がこの梅園で食事をとったとされている。
その梅園の近くにはチャボが放し飼いにされており、あちこちでその姿を見る事ができる。
image何とも安らぐ光景で、結構頻繁に鳴いている。

さらに参道途中には稲荷神社・蒼守稲荷神社・淡島神社の合祀殿。
image『江戸名所図会』にも、この位置に「いなり」の文字があったので、古くから鎮座していたようだ。
江戸時代はさらに奥に「観音堂」があったようだが、神仏分離の際に取り壊されたのであろう。

他にも見どころが多数。
広大な境内と、見事な鎮守の杜となっており、素晴らしい。

少し余談になるが一部ではアニメ聖地として参拝する方もいるそうだ。
調べた範囲では「AIR」「アマガミSS」の登場神社のモデルになっているとの事であった。
特に痛絵馬などは掲げられていない。

日本一キレイでかわいい御朱印帳

御朱印は社務所にて。
兼務社である府中市「小野神社(小野宮)」の御朱印も拝受できる。
image社務所の2Fは宝物殿になっており、当社が所蔵する重要文化財の展示などがされている。

小野神社(小野宮) / 東京都府中市
小野宮と呼ばれた当地。延喜式内論社。多摩市にある武蔵一之宮「小野神社」との関係。住宅街にひっそりと鎮座。江戸時代に描かれた当社。御朱印。

御朱印を拝受した際に地域の飲食店と連動企画のチラシを頂いた。(詳細:Twitter
チラシに記されている飲食店を利用する際に御朱印を見せると「おもてなし」を受けれるとの事。
興味があったのだがほとんどのお店が参拝日の水曜日が定休日だったため断念。
こうして地域密着で盛り上げようという姿勢はとても素晴らしい事だと思う。

さらに当社で有名なのがオリジナルの御朱印帳である。
当社の貼り紙にも「日本一キレイでかわいい」の文字があるように、女性から人気の高い御朱印帳。
imageパステルカラーのピンクとブルーのグラデーションに天満宮らしい梅の柄が可愛らしい。
大変人気がある御朱印帳で、この日も多くの方が御朱印帳を一緒にお受けしていた。

所感

東日本最古の天満宮とされる当社。
現在も広い境内と見事な鎮守の杜となっており、武蔵野の原型をとどめる叢林として都指定天然記念物に登録されており、チャボがあちこちに闊歩する境内が何とも清々しく癒される。
あじさい園、梅園とその季節ごとの景色を楽しめるのも魅力だろう。
もちろん天満宮であるため、学問の神として受験シーズンになると多くの方が参拝に訪れる。
さらに交通安全祈願発祥の地として、交通安全祈願をされる方も多い。
見どころも多く都内を代表する天満宮の一社。
素晴らしい良社である。

神社画像

[ 一の鳥居・社号碑 ]
image
[ 一の鳥居・狛犬 ]
image
[ 参道 ]
image
[ 二の鳥居 ]
image
[ 手水舎 ]
image
[ 神牛像(撫で牛) ]
image
[ 拝殿 ]
image
image
image
image
[ 本殿 ]
image
image
[ 本殿・拝殿 ]
image
image
[ 神牛像(撫で牛) ]
image
[ 狛犬 ]
image
image
[ 西側鳥居 ]
image
[ 厳島神社 ]
image
image
[ 弁天池 ]
image
[ あじさい園 ]
image
[ 三郎殿・五社 ]
image
[ 社務所・宝物殿 ]
image
[ 神楽殿 ]
image
[ 滝 ]
image
[ 筆塚 ]
image
[ 慰霊碑 ]
image
[ 稲荷神社・蒼守稲荷神社・淡島神社 ]
image
image
[ 梅園・弁天神社 ]
image
[ 境内風景 ]
image

[ 参集殿 ]
image
[ 第六天神社 ]
image
[ 案内板 ]
image

Google Maps