鳩ヶ谷氷川神社 / 埼玉県川口市

神社情報

鳩ヶ谷氷川神社(はとがやひかわじんじゃ)

御祭神:須佐之男命・櫛稲田姫命・他十八柱
社格等:村社
例大祭:10月15日
所在地:埼玉県川口市鳩ヶ谷本町1-6-2
最寄駅:鳩ヶ谷駅
公式サイト:http://www.hikawajinja.jp/

御由緒

ご由緒
 当社は、旧鳩ヶ谷宿の中心地で、日光御成街道からやや西に入った高台に鎮座し、ご創立は1394年(応永元年)と伝えられております。
 御祭神の須佐之男命は、ヤマタノオロチを退治して稲田姫命とご結婚した後、出雲国須賀の地に降り立ちました。そこで「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と言って宮作りをされ、 「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と詠んで、稲田姫命と仲睦まじく幸せに暮らしていきました。
 御祭神の須佐之男命は、荒々しく強い力の持ち主でありながら清々しく全てを清めてくださる神として、ヤマタノオロチを退治したことから厄除けの神様。
 社会の繁栄と安住の天地を作る事を教えとし、稲田姫命と様々なことを乗り越えて、めでたくご結婚され、夫婦神となり末永く仲良く暮らしていったことから、縁結びの神様(結びの神)夫婦円満の神様として信仰を集めております。
社殿の沿革
 本殿は、元禄年中に再建築をなし、1545年(天文十四年)と1585年(天正十三年)に修復が行われたと言われております。また、1600年(慶長五年)7月、徳川家康が奥州出陣の途中に同社境内で休息したという故事があります。
 昭和五十二年に拝殿屋根を銅板へと葺き替え、さらに弊殿など新築し、手水舎移転修理工事など一連の造営工事が終了しました。
 平成五年に御鎮座六百年を記念し、ご神門とお神輿を新調し御社頭の面目を一新し、御鎮座六百年式年祭が斎行されました。また、平成二十二年に天皇陛下ご即位二十年奉祝記念事業とし、社務所・参集所を新築致しました。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2018/04/10(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/09/27(御朱印拝受)
参拝日:2015/08/26(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※2016年より以前の御朱印に猫のスタンプが追加されるようになった。
※猫のスタンプは複数種類があり、毎月22日は猫のスタンプが増えるなど工夫されている。
※書き手によって変わるが鳩ヶ谷の鳩の文字に鳩が描かれている事も。

[2018/04/10拝受]
(通常御朱印)

[2016/09/27拝受]
(通常御朱印)

[2015/08/26拝受]
(旧御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,200円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を複数用意している。
2015年夏に参詣した際は、汎用の御朱印帳しか用意していなかったが、現在は古地図がデザインされたものと、鳩がデザインされたもの、黒・赤・桃色の鳩デザインのものを用意。
デザインも秀逸な御朱印帳。

※筆者はお受けしていないため情報のみ掲載。

歴史考察

鳩ヶ谷総鎮守の氷川さま

埼玉県川口市鳩ヶ谷本町(旧鳩ヶ谷市)に鎮座する神社。
旧社格は村社で、鳩ヶ谷宿・辻村・里村など鳩ヶ谷一帯の総鎮守。
現在は鳩ヶ谷の総鎮守とされ、厄除けの神様・縁結びの神様として信仰を集めている。
綺麗に整備された境内が特徴的で、地域の中核神社として崇敬されている。
正式名称は「氷川神社」であるが、他との区別のため「鳩ヶ谷氷川神社」とさせて頂く。

室町時代に創建・鳩谷之里の鎮守

社伝によると、応永元年(1394)に創建とある。

当時の鳩ヶ谷は、鎌倉街道・中道(現・県道105号線)と呼ばれる街道筋の集落であった。
当地には鳩谷之里という集落があり、鳩谷之里の鎮守として創建されたものと見られる。

鎌倉街道・中道(なかつみち)は、鎌倉時代に利用された鎌倉から武蔵国東部を経て下野国に至る古道で、鎌倉時代に成立した日本の歴史書『吾妻鏡』には「中路」として記されている。
川口市には、氷川信仰の総本社「武蔵一宮氷川神社」(現・さいたま市大宮区高鼻町)の祭祀圏の中にあり、「武蔵一宮氷川神社」から勧請の氷川信仰の神社が大変数多く鎮座。
特に室町時代に創建した氷川神社が多い。
いずれも開拓の神として知られる氷川神を、村の開拓にあたり鎮守としたと推測される。
武蔵国一之宮。氷川神社の総本社。氷川の由来。大宮の地名由来。東京・埼玉に点在する氷川信仰。江戸時代に描かれた当社。明治天皇が関東の神社で最初に行幸。約2kmの氷川参道。国費で改築された楼門や社殿。明治天皇御親祭150年祭。御朱印。御朱印帳。

当社も氷川信仰の神社で「氷川社」と称され、鳩谷之里の鎮守として崇敬を集めた。
応永元年(1394)に造営された社殿は、天文十四年(1545)と天正十三年(1585)に修復が行われたと伝わる。

日光御成道の宿駅に定められた鳩ヶ谷宿

江戸初期の雑史『玉露叢』によれば、慶長五年(1600)に徳川家康が奥州出陣の際、当社の境内で休息したという故事が記されている。

それ以来、東照宮御床机御跡として杉木は大切に見守られ、枝葉に至るまで伐ってはならないとされていたという逸話が残っている。

上述の鎌倉街道・中道は、江戸時代には日光御成道となり整備された。

日光御成道(にっこうおなりみち)とは、五街道の同様整備された脇街道の一つで、徳川将軍が日光社参(「日光東照宮」まで参詣する事)の際に使用された街道。街道筋にあった鳩ヶ谷も発展していく事となる。

寛永十三年(1636)、鳩ヶ谷一帯は「鳩ヶ谷宿」として宿駅に定められてる。
当社はその鳩ヶ谷宿の鎮守として、さらには鳩ヶ谷宿の中心として地域からの崇敬を集めた。
当社所有の川口市指定有形文化財である「御宮地絵図面 (鳩ヶ谷宿並絵図)」は、江戸中期の鳩ヶ谷宿の様子を記した貴重な史料となっている。(一般公開はされていない)

また、当社のオリジナル御朱印帳の1つである古地図がデザインされたものも、江戸時代の鳩ヶ谷周辺の地図となっている。

江戸時代初期の『日光道中絵図』に鳩ヶ谷宿や当社が記されている。

国立公文書館デジタルアーカイブ/日光道中絵図)

『日光道中絵図』は、天保十四年(1843)に徳川十二代将軍家慶の日光社参の行程を示した絵図。4月13日に江戸城を出発し、13日岩槻、14日古河、15日宇都宮に宿泊しており、その様子を事細かに描いているため、当時の日光御成道を知る上で大変貴重な史料となっている。

宿場町として発展した鳩ヶ谷宿の様子を知る事ができる。
「氷川社」として描かれているのが当社であろう。

余談になるが、現在では、日光御成道筋にあった旧川口宿と旧鳩ヶ谷宿で「日光御成道まつり」を開催している。
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元禄年間に本殿が再建・その後正一位の神位を拝受

元禄年間(1688年-1704年)、本殿が再建。
何度かの修復をされて現存していると云う。

宝永六年(1709)、神祇官吉田家から宗源宣旨により正一位の神位を拝受。

正一位(しょういちい)は、神社における神階の最高位。江戸時代の神社は、吉田神道の吉田家が、神道本所として全国の神社・神職をその支配下に置いており、地方の神社に神位を授ける権限を与えられていた。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(鳩ヶ谷宿)
氷川社
當宿及び辻村里村等の鎮守なり。禰宜嶋田亀吉が預なり。亀吉は江戸根津権現の神職伊吹左京が配下なり。
末社。新明社、稲荷社三宇、天王社、疱瘡神社、三峯社、天神社、愛染堂。

鳩ヶ谷宿の「氷川社」として記されているのが当社。
鳩ヶ谷宿の鎮守だけでなく隣接する辻村・里村などの鎮守も担っていたと記してあり、鳩ヶ谷周辺一帯の総鎮守であった事が分かる。
既に多くの末社を有しており、このうちのいくつかは現在も境内末社として残る。

興味深いのは禰宜・嶋田亀吉という人物が管理していたという記述。
そこには「根津神社(根津権現)」の神職・伊吹左京の配下であったと記されている。

鳩ヶ谷宿からやや南に隣接していた上新田村(現・川口市三ツ和)の一部が「根津神社(根津権現)」領になっていたため、その関連があったのだと思われる。
東京十社・文化人に愛された根津権現。重要文化財の社殿・唐門・楼門など歴史的建造物。4月-5月上旬が見頃の「つつじまつり」。鳥居が連なる乙女稲荷・駒込稲荷。日本武尊が千駄木に創建。徳川家宣の生誕地・徳川将軍家からの庇護。御朱印。御朱印帳。

明治の合祀政策・鳩ヶ谷市から川口市へ

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、村社に列した。

明治二十二年(1889)、町村制施行に伴い、鳩ヶ谷町と浦寺村が合併して北足立郡鳩ヶ谷町が成立。
明治三十四年(1901)、北平柳村(かつての三ツ和村・辻村・里村・前田村)が北足立郡鳩ヶ谷町に編入され、鳩ヶ谷町は多くの村を合併した地域となっていく。
当社はその総鎮守を担った。

明治三十九年(1906)に測図された古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲っているのが当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
地図上には「氷川祠」と記してあり、当社が周辺の目印にもなる存在だった事が伺える。
鳩ヶ谷町の地名、鳩ヶ谷の地名なども見る事ができ、当社が鳩ヶ谷の中心であった。

現在は鳩ヶ谷駅や岩槻街道沿いも発展しているが、当時は鉄道も街道もない。古くから鳩ヶ谷は、日光御成道(現・県道105号線)の街道沿いに発展した地域だった事がよく分かる古地図となっている。

明治四十年(1907)、村社「箱崎社」「稲荷社」「日枝社・稲荷社」「浅間神社」・無格社「氷川社」「稲荷社」「御嶽社」「稲荷社」「諏訪社」「熊野社・天神社・稲荷社」が合祀される。
大正元年(1912)、当社の境内社「熊野社」「住吉社」「金比羅社」「神明社」「八坂社」が合祀。

計18社もの神社を当社に合祀しており、当社が鳩ヶ谷地区の信仰の中心であった事と、明治後期以降に政府が推し進めた合祀政策の影響を強く見て取れる。

昭和十一年(1936)、拝殿を改築。
これが改築されつつ現存。

(鳩ケ谷町々史)

上の写真は、昭和十六年(1939)に鳩ヶ谷町が発行した『鳩ケ谷町々史』より。
「鳩ヶ谷氷川神社」として当社が掲載されており、戦前の貴重な社殿を見る事ができる。
まだ神門がなく拝殿も瓦屋根になっているものの、この当時の拝殿が現存している事になる。

昭和四十二年(1967)、市制施行により鳩ヶ谷市が成立。
当社は鳩ヶ谷市の総鎮守とされた。

昭和五十三年(1978年)、本殿と拝殿の屋根を葺き替えを行う。
更に幣殿・神饌所・祭器庫を新築している。

平成五年(1993)、神門を新築。
平成二十二年(2010)、社務所・参集所を新築した。

平成二十三年(2011)、鳩ヶ谷市が川口市に編入。
川口市内鳩ヶ谷地区の総鎮守として現在に至る。

境内案内

レトロな町並みが僅かに残る鳩ヶ谷の中心

鳩ヶ谷駅からやや北西に進んだ場所に鎮座。
古くは当社周辺が鳩ヶ谷の中心であり、今もレトロな町並みが僅かに残っている。

住宅街の一角に一之鳥居。
朱色の両部鳥居になっている。
一之鳥居の近くには、昔ながらの玩具屋や駄菓子屋などが残っており、レトロな雰囲気がまだ僅かに残る鳩ヶ谷らしい一角となっているのが特徴的。
一之鳥居の先は住宅街を兼ねた銀杏並木の参道。

参道を進むと立派な二之鳥居。
左手は駐車場になっている。
社号碑には「鳩ヶ谷総鎮守氷川神社」とあり、当社が鳩ヶ谷の総鎮守である事を伝える。

その先に石段があり三之鳥居。
その先に立派な神門となる。

大正時代の狛犬・お水取りができる御神水

三之鳥居の両脇に一対の狛犬。
大正五年(1916)に奉納された狛犬。
阿吽の狛犬で子持ちと珠持ちの仕上がり。

左手には手水舎。
手水石の上には「水神宮」の碑が置かれている。
手水にも神が宿るという意味合いだろうか。

手水舎の右手奥にはお水取りができる御神水。
蛇口から出る形ではあるが、境内地より汲み上げている。
飲む場合は要煮沸との事。

氷川神社境内には御神水が湧き出ており、境内地下より汲み上げております。
昔から御神水は心身を祓清め、拝受することにより運気を向上させると言われております。
ご自由に御汲み取り頂けます。
お飲みになる場合は煮沸してからお召し上がりください。

向かいには神楽殿。
神門の先は神域となる。

御鎮座六百年を記念して造営された神門

参道正面には立派な神門。
平成五年(1993)に御鎮座六百年を記念して造営されたもの。
とても良い造りになっていて、彫刻なども施されている。
こうした立派な神門が新築されたのも、地域からの崇敬の賜物であろう。
神門の裏側には参拝者の休憩所が設けられており、夏になると風鈴が多く掛けられており、涼が取れるような工夫がされていたりと、参拝者の事を考えた造りとなっている。

干支彫刻が施され意匠を凝らした社殿

神門のすぐ奥が社殿。
拝殿は昭和十一年(1936)に改築されたもの。
昭和五十二年(1977)には拝殿屋根を銅板へと葺き替えた。
干支彫刻として十二支の彫刻が所々に施されているのが特徴的。
細部に意匠を凝らした拝殿となっている。
拝殿前の賽銭箱にも見事な彫刻。

本殿は、元禄年間(1688年-1704年)に再建され、何度かの修復をされて現存。
昭和五十二年(1977)幣殿を新築。
現在の本殿の内部に古い本殿が現存しているのであろう。

文化財である須賀社の御神輿

境内としてはそこまで広くはないが、綺麗に整備された境内に多くの境内社が鎮座。
神門と繋がる形で須賀社。
一部がガラス張りになっており、中には平成五年(1993)に新調された当社の御神輿と、江戸時代の作である須賀社の雅な神輿を見ることができる。
須賀神社神輿として川口市指定有形民俗文化財となっていて、嘉永五年(1852)に奉納されたもので、別名「百貫みこし」と称され、夏の天王様の祭りで担がれた。

大変多くの境内社・御神木の夫婦楠

その左手には、熊野社・天満宮・八幡社。
特に天満宮は学問の神・天神様として崇敬を集める。
天満宮には合格祈願の絵馬も多く掲げられている。

さらに左手に子授けの神として崇敬を集める浅間神社。
かつて鳩ヶ谷宿には『新編武蔵風土記稿』にも境内図を描かれた程、崇敬を集めた「浅間神社」があり、そちらが遷座した形となる。

その隣に三峯社。
その隣には弁財天。
石窟の中に置かれた弁天様となっている。
その奥に稲荷社が鎮座し、色々と考えられ境内整備が行われているのが伝わる。

本殿の裏手には戦没者慰霊碑。
その左手には力石が置かれる。
その左手には古峯社。
近くには猿田彦の碑も置かれている。
それぞれに御祭神と御神徳を記載された札が立っていて、こうした整備が素晴らしい。

この向かいに御神木である夫婦楠。
現在では縁結びの御神木として崇敬を集めている。
2つに別れ寄り添う御神木で、夫婦楠に直接触れて祈念する方も多い。

当社は氷川信仰のため、御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)と櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)という夫婦の神様であるため、現在では縁結び・夫婦円満などにも御利益があるとされている。

鳩や猫が押された御朱印・豊富なオリジナル御朱印帳

御朱印は社務所にて。
いつも丁寧に対応して下さる。

鳩ヶ谷の地名から来る鳩のスタンプが押されたものになっている。
2016年からは猫のスタンプも押すようになり、猫のスタンプは複数種類があり、毎月22日は猫のスタンプが増えるなど工夫されている。

2015年に参拝した時は、境内社で猫が雨宿りしていた事があり思い出深い。(画像
上画像の御朱印のように、鳩ヶ谷の「鳩」の文字に鳩が描かれている事もある。但し、書き手によって違うため、その点は理解した上で頂きたい。

オリジナルの御朱印帳も複数用意。
現在は古地図がデザインされたものと、鳩がデザインされたもの、黒・赤・桃色の鳩デザインのものを用意。

他にも豊富な授与品が用意されているので頂くのもよいだろう。

鳩ケ谷総鎮守 氷川神社の公式ホームページ。

また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。

但し専用の帳面である「勾玉御朱印帖」は、当社での取扱はないため別の神社で頂く必要がある。
埼玉高速鉄道ウェブサイトの川口九社詣 勾玉巡りページです。 川口市内の神社、三十五社には...

所感

鳩ヶ谷総鎮守として、地域からの崇敬を集めてきた当社。
歴史的にも鳩ヶ谷地区の中心を担っており、当社を中心に発展していった事が見て取れる。
明治期には周辺の神社が当社に合祀されている事からも、信仰の中心でもあった。
規模は大きくないものの、立派な神門や社殿、整備された境内などからも、今もなお崇敬され続けているのが伝わってくるし、神社側にも参拝者の事を考えた心遣いを見て取れて、それがとても嬉しい。
かつての鳩ヶ谷は交通手段はバスしかなく、「陸の孤島」などと揶揄されていたものの、平成十三年(2001)に埼玉高速鉄道が開業して以降は、マンションなどの建設が増えている。
そうした地域でありながらも、宿場町という昔ながらの雰囲気を今も残している街であり、当社の参道周辺にも昔ながらの玩具屋や駄菓子屋などが残っている。
レトロな雰囲気がまだ微かに残るこの地域と当社の組み合わせがとても素敵で、心地良い空間であり、参詣するのが楽しみな良社である。

神社画像

[ 一之鳥居 ]


[ 参道 ]

[ 二之鳥居・社号碑 ]



[ 社号碑 ]

[ 三之鳥居 ]


[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]


[ 神門 ]








[ 拝殿 ]









[ 本殿 ]



[ 須賀社 ]



[ 熊野社・天満宮・八幡社 ]

[ 御籤掛・絵馬掛 ]

[ 旧社号碑 ]

[ 石碑 ]

[ 浅間社 ]

[ 三峯社 ]

[ 弁財天 ]


[ 稲荷社 ]


[ 戦没者慰霊碑 ]


[ 記念碑 ]

[ 力石 ]


[ 古峯社 ]


[ 猿田彦碑 ]

[ 夫婦楠 ]



[ 社務所 ]

[ 石碑 ]

[ 御神水 ]



[ 神楽殿 ]

[ 石碑 ]


[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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