神社情報
武蔵野八幡宮(むさしのはちまんぐう)
御祭神:誉田別命・比売大神・大帯姫命
社格等:村社
例大祭:9月15日
所在地:東京都武蔵野市吉祥寺東町1-1-23
最寄駅:吉祥寺駅
公式サイト:─
御由緒
桓武天皇の御代延暦八年坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられ、四代将軍家綱の頃江戸小石川水道橋外吉祥寺火事の後、周辺町民に移住を命じ、寛文初年吉祥寺村開村により村民の氏神様として尊崇されてまいりました。(東京都神社庁より)
参拝情報
参拝日:2017/11/17
御朱印
初穂料:300円
社務所にて。
歴史考察
吉祥寺総鎮守の八幡さま
東京都武蔵野市吉祥寺東町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧吉祥寺村(現・吉祥寺周辺)の総鎮守。
坂上田村麻呂が井の頭池近くに勧請した事を起源とする。
江戸小石川水道橋外・吉祥寺火事の後、周辺町民に当地周辺への移住が命じられ、吉祥寺村が開村し、当社が吉祥寺村の氏神になった歴史を持つ。
境内社の出雲神社は「武蔵野吉祥七福神」の大黒様を担い、大鳥神社は11月の酉の日では「大酉祭(酉の市)」が開かれる事でも知られる。
坂上田村麻呂によって井の頭池周辺に勧請
社伝によると、延暦八年(789)に創建とある。
坂上田村麻呂が井の頭池近くに八幡信仰の総本社「宇佐八幡宮」の御分霊を勧請したと云う。
田村麻呂は、蝦夷征伐のため奥州で活躍しており、奥州へ向かう際に当地を通ったと伝えられ、その際に、当地で霊験があったため、当地に八幡神を祀ったとされる。
源経基は「井の頭弁財天」を創建した事でも知られている。
いずれにせよ、まだ吉祥寺村が開かれる以前より、当地に創建された八幡様であった。
源氏ゆかりの「井の頭弁財天」と共に、源氏の氏神である八幡神を祀る当社は、当地や井の頭池の守護神として崇敬を集めた。
吉祥寺の歴史・明暦の大火と吉祥寺火事
当社の歴史とは別に、当社が鎮守となる吉祥寺村の歴史を述べたい。
長禄二年(1458)、江戸城を築城した武将として知られる太田道灌の開基で江戸城内に「吉祥寺」が創建。
天正十八年(1590)、関東移封によって徳川家康が江戸入り。
それに伴い江戸城内にあった「吉祥寺」は、小石川水道橋外(現・千代田区神田駿河台周辺)へ移転。
「吉祥寺」の門前には門前町が開かれ、多くの町民が住む事となった。
明暦三年(1657)、明暦の大火が発生。
明暦四年(1658)、吉祥寺火事が発生。
これにより「吉祥寺」と門前町も焼失の憂き目に遭ってしまう。
吉祥寺門前の住民が当地に移住・吉祥寺村が開村
明暦四年(1658)、焼失した「吉祥寺」は駒込(現・文京区本駒込)に移転。
しかし、門前町の住民達は共に駒込に移住する事は許されなかった。
万治二年(1659)、武蔵野原野(当地)が替え地として門前町の住民達に与えられ、幕府より移住を命じられる。
元「吉祥寺」門前町の住民達は、与えられた武蔵野原野を開拓。
寛文四年(1664)、検地が行われ、吉祥寺村が成立している。
吉祥寺村の住民達は、古くから当地に鎮座していた当社を村の鎮守とした。
以後、吉祥寺村の鎮守として崇敬を集めた。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(吉祥寺村)
八幡社
安養寺の並び、その寺除地の内にあり。覆屋四間四方南向。内に小祠を置。拝殿二間四方。本社へ造り添えり。神体は木の坐像長一尺五寸許。社前に鳥居を立。例祭は年々八月十五日。村の総鎮守。
吉祥寺村の「八幡社」として記されているのが当社。
別当寺は現在も隣接する「安養寺」であった。
村の総鎮守と記されているように、吉祥寺村の総鎮守として崇敬を集めた。
明治維新後の当社と吉祥寺の歩み
明治になり神仏分離。
当社は村社となり、吉祥寺村の鎮守として崇敬を集めた。
明治二十二年(1889)、市町村制施行に伴い、西久保村・関前村・境村と合併し、武蔵野村が成立。
当社は武蔵野村吉祥寺となる。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
吉祥寺の地名を見る事もでき、こうした吉祥寺一帯の鎮守が当社。
当時の吉祥寺は、大変のどかな農村であった。
既に吉祥寺駅が開業しているものの、駅周辺には町屋が殆ど見られず、当社への街道沿いに町屋が並んでいる事からも、当社や街道を中心に開かれた農村だった事が分かる。
戦後になり境内整備。
昭和三十九年(1964)、境内にあった御神木のキハダの巨木が「吉祥寺八幡神社のキハダ」として東京都の天然記念物に指定。
近年になって発展し「住みたい街ランキング」で上位常連の吉祥寺の氏神・産土神として地域からの崇敬を集め、現在に至っている。
平成十九年(2007)には、「武蔵野吉祥七福神めぐり」が開始。
当社の境内社「出雲神社」が大黒様を担っている。
境内案内
吉祥寺の街中・交通の要衝に鎮座
最寄駅の吉祥寺駅より北へ数分の場所に鎮座。
五日市街道と吉祥寺通りの交差点が「八幡宮前」となっている。
社号碑には「武蔵野八幡宮」の文字。
交通の要衝とも云える場所に鎮座しており、古くから当社を中心に吉祥寺が栄えた事が窺える。
吉祥寺の繁華街とも云える街中に緑溢れる境内を維持できているのは、崇敬の賜物であろう。
江戸時代の井の頭弁財天道標・緑溢れる境内
鳥居を潜る手前、参道のすぐ左手に手水舎。
この左手に「井の頭弁財天の道標」が置かれている。
井の頭弁財天の道標は、天明五年(1785)に建てられた大変古いもの。
正面には「神田御浄水井之頭辨財天」の文字が彫られている。
古くは当社の対角に置かれていたもので「井の頭弁財天」への道標として建立。
鳥居を潜ると長い参道。
この日は酉の市(二の酉)の前日だったため、酉の市の準備で熊手商や屋台などが設置されていた。
参道途中に一対の狛犬。
明治十二年(1879)に奉納された狛犬となっている。
立派な社殿・9月の例祭と吉祥寺秋まつり
緑に囲まれた参道を進むと奥に社殿。
立派な造りの社殿は、鉄筋コンクリート造。
地域の方の参拝も見る事ができ崇敬の篤さが伝わる。
朱塗りの柱などはまだ綺麗な状態を維持。
扁額には「武蔵野八幡宮」と掲げられている。
例大祭は毎年9月15日だが、近い9月第2土曜・日曜は「吉祥寺秋まつり」として神輿渡御も行われる。
当社の宮神輿と、町会神輿10基、の計11基の神輿が参加する吉祥寺の街全体の祭りとして賑わう。
境内社では「武蔵野吉祥七福神めぐり」や11月酉の日に「酉の市」も開催
参道途中、右手に境内社が鎮座。
1つの社殿に、大鳥神社・出雲神社・三島神社・疱瘡神社・須賀神社・稲荷神社・厳島神社が合祀された合殿となっている。
各神社の社号が記された提灯が掲げられている。
そのうち大鳥神社では11月酉の日に「大酉祭(酉の市)」が開催。
熊手商や露店が立ち並び、境内が大変賑わうと云う。
一の酉:11月1日(木)
二の酉:11月13日(火)
三の酉:11月25日(日)
さらに出雲神社は「武蔵野吉祥七福神めぐり」の大黒様を担っている。
1月1日-1月7日まで開催
所感
吉祥寺の鎮守として崇敬を集める当社。
吉祥寺村ができた由来は、江戸時代の大火にあり、江戸の「吉祥寺」門前町の住民が移住し、開拓した事で成立した村であり、そうした村の鎮守として当社は崇敬を集めた。
かつての吉祥寺は農村地帯であり、そうした吉祥寺村の鎮守として吉祥寺の中心であった。
現在も吉祥寺の街中、繁華街とも云える区画、交通の要衝に、緑溢れる鎮守の杜を維持できているのも、地域の崇敬の賜物であろう。
現在は大変発展し「住みたい街ランキング」上位の常連となっている人気の街・吉祥寺。
そのため、近年になって住むようになった方も多いため、意外と当社を知らない住民も多いと聞くが、古くからの吉祥寺の歴史を、井の頭弁財天と共に伝える良い神社である。
神社画像
[ 鳥居・社号碑 ]
[ 鳥居 ]
[ 社号碑 ]
[ 酉の市提灯(酉の市前日) ]
[ 井の頭弁財天道標 ]
[ 手水舎 ]
[ 参道 ]
[ 狛犬 ]
[ 社殿 ]
[ 社務所 ]
[ 境内社 ]
[ 神輿庫 ]
[ 神楽殿 ]
[ 酉の市案内 ]
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