杵築大社 / 東京都武蔵野市

神社情報

杵築大社(きづきたいしゃ)

御祭神:大國主大神・事代主大神
社格等:村社
例大祭:10月第1日曜
所在地:東京都武蔵野市境南町2-10-11
最寄駅:武蔵境駅
公式サイト:─

御由緒

この神社は、杵築大社といい、今から三百五十年程前、徳川三代将軍家光の従兄弟で、家康の二男松平秀康(越前国六十七万石領主、福井北ノ庄城々主)の三男、松平出羽守直政(出雲国松江二十九万石領主松江城々主)が、当所十二町四方を御用屋敷と定め鷹狩りをして遊ばれたところと伝えられております。
出雲の殿様、松平出羽守直政公は大変信仰厚く、当屋敷内に徳川幕府の繁栄と、天下泰平を祈願され、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を御創建なされました。
承応年間、徳川四代将軍家綱は、玉川上水を築き新田開発を行ったので、当所、松平家屋敷奉行境本䮎馬太夫は長百姓となり、境新田の開拓につとめ、子孫、境本仲右エ門は、境村の名主として村人と共に活躍した。貞享年中、当大社は御上地となり、境村の氏神社として大社様と呼ばれ、崇敬されるようになった。
戦後、神社信仰衰微に対する啓蒙的願望と地元商店会の発展を念願して、商売繁昌の神・出雲の美保神社よりえびす様を勧請し、大黒様と共に「恵比寿・大黒」二福神を祀る大社として、地元住民はもとより近隣市町村の人々から広く崇敬をあつめている神社です。
境内社に八坂神社・稲荷神社・冨士浅間神社・金毘羅様そして弁天様があり、特に三大祭は盛大に行われます。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/11/17

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

災難消除札
初穂料:300円
社務所にて。


歴史考察

恵比寿・大黒の二福神を祀る境村の鎮守

東京都武蔵野市境南町に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧境村の鎮守。
江戸時代前期に、出雲の松江藩初代藩主・松平直政が当地に御用屋敷を設けて鷹狩場とし、屋敷内に出雲の「杵築大社(現・出雲大社)」(大黒様)と「稲荷社」を勧請して創建。
戦後になり、出雲の「美保神社」より事代主大神(恵比寿様)を勧請したため、「恵比寿・大黒」の二福神を祀る神社として崇敬を集めている。
境内には比較的大きな富士塚が置かれている事でも知られている。

松江藩初代藩主・松平直政が杵築大社(現・出雲大社)を勧請して創建

社伝によると、慶安年間(1648年-1652年)に創建と伝わる。

松江藩初代藩主・松平直政が、当所十二町四方を三代将軍・徳川家光より賜り、当地に御用屋敷を設けて周辺一帯を鷹狩場とした。

松平直政(まつだいらなおまさ)は、出雲国・隠岐国を領有した松江藩の初代藩主。
結城秀康(徳川家康の次男)の三男として生まれ、徳川三代将軍・徳川家光の従兄弟にあたり、家光から寵愛された事でも知られる。
領国では「杵築大社(現・出雲大社)」「日御碕神社」の社殿を造営した一方、キリシタンを厳しく弾圧したりと、出雲信仰への信心深い人物であった。

出雲信仰への信仰が篤い直政は、御用屋敷内に出雲の「杵築大社(現・出雲大社)」と「稲荷社」を勧請。
これが当社の起源とされている。

出雲大社(いずもおおやしろ/いずもたいしゃ)は、島根県出雲市に鎮座する神社。出雲国一宮。出雲信仰の総本社であり、明治に「出雲大社」へ改称されるまでは、「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていた。

こうした御由緒により、当社の境内には松平直政の顕彰碑が置かれる。
平成十三年(2001)に建立されたもの。

境新田の開拓と境村の開村・境村の鎮守となる

承応年間(1652年-1655年)、幕府によって玉川上水が築かれる。

玉川上水(たまがわじょうすい)は、江戸市中への飲料水を供給していた上水。
承応二年(1653)に、多摩の羽村から四谷までの全長43kmが築かれ、現在も一部区間は東京都水道局の現役の水道施設として利用されている。
玉川上水から用水路が開削され武蔵野の農地へも水を供給し、武蔵野周辺の新田開発が進む事となる。

当地では、松平家屋敷奉行・境本䮎馬太夫が長百姓となり、新田開拓を行う。
当地の新田は境新田と呼ばれ村が成立。
子孫である境本仲右衛門は、村の名主となり、境新田は後に境村に改称された。

境新田・境村の由来は諸説があるが、開拓した境本氏に因んで境新田(後に境村)と付けられたと推測される。他にも下田三右衛門という百姓によるという説もある。

貞享年間(1684年-1688年)、松江藩の御用屋敷は幕府の直轄地となる。
屋敷内にあった当社は残され、境村の鎮守となった。
地域からは「大社様」と呼ばれ崇敬を集めたと云う。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(境村)
杵築大社
年貢地三段。小名本村にあり。小祠。拝殿二間に三間東に向へり。出雲大社は同国杵築といへる地に鎮座せり。され土人信仰の余り此所に勧請せしなるべし。其年月等は詳ならず。村内鎮守。例祭九月二十一日。新座郡保谷村寶光院の持なり。

境村の「杵築大社」として記されているのが当社。
境村の鎮守と記されており、「寶光院(寳晃院)」(現・西東京市住吉町)が別当寺を担っていた。
御由緒にある松平直政による創建については触れられていないが、出雲信仰によって当社に「出雲大社」が勧請された旨が記されており、古くから当地の村民に出雲信仰が浸透していた事が分かる。

明治維新後の歩み・戦後に恵比寿神を勧請

明治になり神仏分離。
明治六年(1873)、境村の鎮守として村社に列した。

明治十四年(1881)、境内に富士塚が築山。
これが改修されつつ現存。

明治二十二年(1889)、市町村制施行に伴い、吉祥寺村・西窪村・関前村・境村が合併し、武蔵野村が成立。
当社は武蔵野村境の鎮守として崇敬を集めた。

明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

赤円で囲った箇所が当社の鎮座地で、今も昔も変わらない。
境という地名の他、周辺は南組・北組・西組・東組と組分けされていた事が分かり、現在の住所である境南町もそうした事から付けられたものであろう。
のどかな農村であったが、既に境駅(現・武蔵境駅)が開通しており、駅前は開けつつあった地域の中で、依然として崇敬を集めた。

武蔵境駅は明治二十二年(1889)に境駅として開業。大正八年(1919)に現在の武蔵境駅に改称している。

昭和二十一年(1946)、出雲の出雲の「美保神社」(島根県松江市)より事代主大神(恵比寿様)を勧請したため、「恵比寿・大黒」の二福神を祀る神社となる。

「出雲大社」の神である大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)は大黒様と習合。
「美保神社」の神である事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)は恵比寿様と習合。

平成十九年(2007)には、「武蔵野吉祥七福神めぐり」が開始。
当社は恵比寿神を担っている。

境内案内

武蔵境駅近く武蔵境通りに鎮座・立派な境内

最寄駅の武蔵境駅から近く南側の武蔵境通り沿いに鎮座。
通り沿いに表参道の鳥居の他、駐車場を兼ねた鳥居も用意。
駅近くの街中において、比較的立派な境内を維持している。

参道には門を設けられており開放時間が決まっている。
そのため参拝する際は日中に伺いたい。
4時30分から閉門するとの事。

参道途中には一対の狛犬。
大正十三年(1924)の銘が刻まれており、関東大震災後の奉納。
子持ちと鞠持ちの阿吽となっている。

参道を進むと二之鳥居。
二之鳥居を潜った先、左手に手水舎。
とても綺麗に維持されている。

恵比寿神と大黒神を祀る社殿・武蔵野吉祥七福神の恵比寿神

東向きに拝殿。
重厚感のある木造社殿。
掲げられた提灯には「杵築大社」の文字の他、御神紋の左三つ巴と丸に三葵紋。
丸に三葵紋は松平家の家紋でもあり、深い関連を偲ばせる。
権現造りとなっていて綺麗に維持されている。

当社の御祭神は大國主大神・事代主大神の二柱。
どちらも出雲国の祀られる神である。

「出雲大社」の神である大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)は大黒様と習合。
「美保神社」の神である事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)は恵比寿様と習合。

この事から恵比寿神と大黒神の二福神を祀る神社とされ、開運厄除、縁結びの神社として崇敬を集めている。

平成十九年(2007)には、「武蔵野吉祥七福神めぐり」が開始。
当社は恵比寿神を担っている。
扁額が神輿庫に掲げられているので、武蔵野吉祥七福神の恵比寿神はこの御神輿殿に祀られているのだろう。

三多摩地域では2番目に大きな富士塚

境内の左手には立派な富士塚が置かれている。
社務所の右手に池があり、そこに橋が掲げられている。
その橋を渡った先に鳥居があり、そこが富士塚の入口。
富士塚は明治十四年(1881)に地域の丸嘉講(富士講)によって築かれたもの。
三多摩地域では「富士山神社」(清瀬市中里)の富士塚に次ぐ2番めの規模。
年中登拝が可能な富士塚であるが、足元には注意する事。

鳥居を潜った先が富士山登山口。
ここからやや細い登山道を登る。
よくある富士塚と違い、富士山の溶岩で築山されていないのが特徴。
山頂には富士浅間神社が祀られており、当地周辺の富士講の歴史を伝える。

多くの境内社・武蔵境通りを挟んだ側にも

社殿の左手に稲荷神社。
社殿の右手には八坂神社。
境内には他に小祠で金比羅宮が置かれる。

武蔵境通りを挟んで向かい側にも社地。
南側には弁天宮。
池はないものの朱色の橋で整備されている。

その左手には参集殿。
基本的に閉門しているがこの敷地の奥に松平稲荷社。
当社が創建時に松平家の御用屋敷内に「出雲大社」の神と共に祀られた稲荷神がこちらになる。

市天然記念物である御神木・千本銀杏

境内の二之鳥居の右手にとても立派な御神木が聳え立つ。
千本銀杏と呼ばれる銀杏の木。
5本の主幹がありその周囲に支幹40数本以上が生えている。
武蔵野市の天然記念物に指定され、生命力を感じる御神木である。

御朱印は社務所にて。
オリジナルの御朱印帳も用意。

所感

旧境村の鎮守として崇敬を集める当社。
「出雲大社」から勧請されたと云い、現在も「出雲大社」の古い呼び名である「杵築大社」を称する。
出雲の神を祀り、現在は大黒様・恵比寿様の二福神を祀る神社として知られる。
境内は街中にありつつも中々に立派で、特に大きな富士塚と見事な千本公孫樹が存在感たっぷり。
地域の人々が通りがてら参拝に立ち寄る姿も見る事ができ、今もなお崇敬篤い神社なのが伝わる。
武蔵境周辺の歴史と信仰を伝える良い神社である。

神社画像

[ 一之鳥居・社号碑 ]


[ 一之鳥居 ]

[ 鳥居(駐車場側) ]


[ 二之鳥居 ]

[ 狛犬 ]


[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]


[ 稲荷神社 ]


[ 富士塚(富士浅間神社) ]
















[ 御神木(千本銀杏) ]




[ 社務所 ]

[ 石碑 ]


[ 裏参道鳥居 ]

[ 石碑 ]



[ 八坂神社 ]


[ 神輿庫(御神輿殿) ]

[ 神輿庫 ]

[ 旧鳥居柱 ]

[ 神楽殿 ]

[ 弁天宮 ]





[ 参集殿 ]


[ 松平稲荷社 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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