大森貴舩神社 / 東京都大田区

神社情報

大森貴舩神社(おおもりきふねじんじゃ)

御祭神:高龗神
社格等:村社
例大祭:10月10日
所在地:東京都大田区大森東3-9-19
最寄駅:大森町駅
公式サイト(Twitter):https://twitter.com/kifuneootaku

御由緒

当社御鎮座の年代詳らかではないが、社伝に第九十代亀山天皇文永三年六月三日鎌倉の人・田中大夫、海岸寺の法圓上人(今の厳正寺の開基僧にして北條陸奥守重時の六男時千代)と共に来たりて、奉持していた己が氏神たる熊野神社を当社の末社として奉斎せられし事が見え、推察するに平安の御代より千年に及ぶ歴史を有すると思われる。
(付記 明治十八年当町民申し合わせの上、当社を大森總鎮守と決定せりと伝う)(頒布の資料より)

参拝情報

参拝日:2017/06/17

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。


歴史考察

水の神を祀る大森総鎮守

東京都大田区大森東に鎮座する神社。
旧社格は村社で、大森総鎮守。
正式名称は「貴舩神社」であるが、他との区別から「大森貴舩神社」とさせて頂く。
水の神を祀り、かつて海苔の産地として知られ漁業も盛んだった大森の地と密接な関わりを持ち、総鎮守として崇敬を集めた。

平安時代の創建と推定される神社

社伝によると、創建年代は不詳。

文永三年(1266)、「厳正寺」(現・大田区大森東3丁目)を開基した僧・法円と共に来た鎌倉の人・田中大夫が、自分の氏神である熊野権現を末社として当社に祀ったと伝わる。

法円は、北条重時(鎌倉幕府2代執権・北条義時の三男)の六男と伝わる僧で、「海岸寺」を創建。これが後に「厳正寺」と改められた。

当社に末社として熊野権現を祀ったという伝承から、当社はそれ以前の創建であると推測でき、平安時代の創建と推定されている。

古くから大森周辺の産土神として崇敬を集めたと云う。

水の神とされる高龗神

当社の御祭神は「高龗神(たかおかみのかみ)」である。
水の神とされ、貴船信仰の御祭神として知られる。

貴船信仰は、水の神・雨の神である貴船神(貴船大神とも貴船大明神ともされる)に対する信仰で、現在は御祭神として高龗神と記される事が多い。「貴船神社」(現・京都府京都市)が、貴船信仰の総本社であり、当社もそうした貴船信仰の一社である。

当地の大森周辺は、海岸が近くかつては漁業が盛んな漁村でもあった。
そのため、水の神をお祀りしたものと思われる。
村民はこぞって当社に参籠し、海上に出て祈願もしたとされ、崇敬が篤かった。

アサリ断ちの民間信仰

また当社では、古くから三頭の龍とアサリ断ちの民間信仰が伝わる。

御祭神である高龗神には、三頭の龍が神使として仕えていると伝わる。
当社にお参りしてアサリを断ち祈願すれば、腫れ物などたちまちに治ると云う信仰。
三頭の龍とアサリを断つ信仰に繋がった事情は不明であるが、民間信仰として「絶ち物」と呼ばれる、神仏に願掛けした際に特定の物を絶つ信仰は各地に残っていて、海岸も近い大森において、好物になり得るアサリを絶つ事で、願掛けを強力にしたいという思いがあったのかもしれない。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(東大森村・西大森村・北大森村)
貴舩社
除地五畝。村の東の方海道の邊にあり。本社九尺四方、拝殿二間四方、共に南に向ふ。社前を隔つこと二十歩許にて石の鳥居あり。柱間九尺。

大森村は、東大森村・西大森村・北大森村をまとめて記されている。
「貴舩社」と記され、東海道の傍にあり、羽田街道に面して鎮座していたため、参詣者も多かったようだ。

文化十年(1813)、社殿が造営されている。

また天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』には、「貴舩明神社」として紹介されており「此地の産土神」と記されている事からも、当地において古くから崇敬を集めた、大森の産土神だった事が伺える。

大森の伝統産業であった海苔生産

大森地域では、江戸中期から海苔の生産が開始。

享保十七年(1732)の『江戸砂子』に海苔の産地として大森が記されている事から、それ以前より海苔の生産が開始されていた事が分かる。

大森の伝統産業として知られ、漁民の多くは海苔の生産に携わった。
大森の海苔は「浅草海苔」と呼ばれ、江戸の土産物として人気が高かったと云う。

大森から品川にかけて生産された海苔を、浅草の問屋で売ったため、江戸で知名度の高い浅草の名が使われたとも云われるが、徳川家康が江戸入りするより前、古くは浅草で生産されていた事から浅草海苔と呼ばれたとも伝わる。

延享三年(1746)、大森村が海苔業税を幕府に納めるようになる。
御膳海苔を上納して海苔場が整備され本格的に海苔生産が開始。

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』には、その様子が記されている。

(江戸名所図会)

「浅草海苔」と記されており、大森品川等の海が産地であるとされている。
これは大森周辺の様子で、「江戸の名産なり」と記載。

大森の伝統産業であり名産品であった海苔産業と、当社も深い関わりを持つ事になる。
当地の産土神であり、水の神であった当社は、海苔産業に関わる漁民・村民から篤い信仰を集める。

悪潮祓・海上安全祈願祭・豊作祈願など、当社を篤く崇敬した。

昭和三十八年(1963)より始まった東京湾の埋め立て計画で終焉を迎え、大森の漁民が漁業権を放棄するまで、長年の伝統産業であった。そのため海苔の発祥の地・ふるさとと云われる事もある。

明治に村民達により大森総鎮守とされる

明治になり神仏分離。
明治五年(1872)、村社に列した。

明治五年(1872)、西大森村・東大森村・北大森村が合併して「大森村」が成立。
明治十八年(1885)、大森村の村民が協議の上、当社を大森総鎮守とした。

明治三十年(1897)、町制を施行して大森村は大森町となる。
当社は大森町の総鎮守として崇敬を集めた。

明治三十三年(1900)、現在も残る太鼓橋が造営。
かつては境内に小川が流れていた事が伺える。

明治三十九年(1906)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
大森町と呼ばれた大森一帯の鎮守であった事が分かる。
更に現在の平和島周辺などはまだ埋め立てられておらず、海岸線がかなり近い。
当社の東側を「濱端」と読んでいたのも分かるように、大森は海と密接な繋がりを持った漁師町であった。
まだ海苔の生産が盛んに行われていた時代であり、水の神である当社を篤く崇敬したのは想像に難くない。

大正十二年(1923)、関東大震災が発生。
文化十年(1813)に造営された社殿が倒壊し、後に再建されている。

昭和二十年(1945)、東京大空襲で社殿が焼失。

昭和二十六年(1951)、社殿の再建が開始。
昭和三十年(1955)、現在の社殿が竣工した。

その後も境内整備が進み現在に至っている。

境内案内

参道に置かれた石造りの太鼓橋

最寄駅の大森町駅からは徒歩10分ほどの距離で、住宅街の細い路地に面して鎮座。
参道は南と東にあり、南が表参道となる。

綺麗に整備された玉垣の先、すぐ左手に社号碑。
大森町社と記されているのが特徴的で、大森村(大森町)の総鎮守だった事が伺える。
鳥居を潜ると綺麗に整備された参道。
この日は境内の一部を改修工事しており、工事関係者の車や人の出入りが多かった。

参道途中に一対の狛犬。
明治三十三年(1900)に奉納されたもの。

参道右手に手水舎。
参道の正面に太鼓橋が置かれる。

太鼓橋は、明治三十三年(1900)に造営されたもので、狛犬と同年に整備されたものとなる。
現在も渡る事ができ、当社のシンボルともなっている。
かつては境内に小川が流れていた事を示すもので、現在は暗渠化して下を未だに流れているものと思われ、手水舎の先まで伸びていて、その先もそうした痕跡を僅かに残している。

戦後に再建された木造社殿

太鼓橋の先に社殿。
旧社殿は東京大空襲で焼失し、昭和三十年(1955)に再建された木造の社殿。
約5年の歳月をかけて造営された社殿で、良い造りとなっている。
戦後に再建された社殿は鉄筋コンクリート造によるものも多い中、当社の社殿は尾州檜によって丁寧に造られたもので、氏子による当社への思いが伝わる。
渋みの出た良い色合いで、綺麗に整備され保存されている。

境内社の熊野神社と貴舩稲荷神社

社殿の左手に境内社が並ぶ。
右手にあるのが熊野神社。

当社の御由緒に登場するように、文永三年(1266)に「厳正寺」(現・大田区大森東3丁目)を開基した僧・法円と共に来た鎌倉の人・田中大夫が、自分の氏神である熊野権現を末社として祀ったものと伝わる。

その隣に貴舩稲荷神社。
幟が多く置かれ崇敬の篤さが伝わる。

この日は境内の改修工事で稲荷神社の奥が工事中であった。
こうした境内整備も、地域からの崇敬の賜物であろう。

その左手には神楽殿。
隣に参集殿も置かれている。

御朱印は社務所にて。
暑い中の参拝を心配して頂き、冷たいお茶を出して頂いたりと、お心遣いが大変有り難く感謝の極みであった。

所感

大森の総鎮守として崇敬を集めた当社。
歴史は古く大森周辺の産土神として信仰を集めた事が分かる。
水の神を祀り、漁村として栄えた大森と繋がりが深く、江戸時代中期より始まった大森の伝統産業である海苔生産においても、当社への祈願が多かった事が伺える。
現在は大森と云うとJR大森駅周辺をイメージするが、かつては海岸沿いの当地周辺や東海道沿いが大森の中心地であり、そうした大森村(後の大森町)の総鎮守として信仰された。
現在も綺麗に境内が整備されており、地域からの崇敬の篤さが伝わる。
大森の歴史を伝える良い神社である。
個人的にもとても有り難い対応をして頂き、記憶にも残る良社であった。

神社画像

[ 玉垣・参道 ]

[ 鳥居 ]

[ 社号碑 ]

[ 参道 ]


[ 石灯籠 ]

[ 狛犬 ]


[ 百度石 ]

[ 手水舎 ]

[ 太鼓橋 ]



[ 拝殿 ]





[ 本殿・拝殿 ]


[ 本殿 ]


[ 熊野神社 ]

[ 貴舩稲荷神社 ]

[ 石碑 ]

[ 神楽殿 ]

[ 参集殿 ]

[ 石碑 ]



[ 社務所 ]

[ 東参道鳥居 ]

[ 東参道 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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