荻窪白山神社 / 東京都杉並区

神社情報

荻窪白山神社(おぎくぼはくさんじんじゃ)

御祭神:伊邪那美命
社格等:村社
例大祭:9月15日に近い日曜
所在地:東京都杉並区上荻1-21-7
最寄駅:荻窪駅
公式サイト:─

御由緒

 この神社は旧下荻窪村の鎮守で、祭神は伊邪那美命です。
 下荻窪村が中世に村をつくっていたことは、宝徳三年(1451)の上杉家文書や、昭和五十四年に荻窪三丁目三十三番から宝徳前後の年号をもつ板碑が発見されていることからも知られます。
 当社の起源は、社伝によると文明年間(1469-1486)関東管領上杉顕定の家来中田加賀守が、屋敷内に五社権現を奉斎したのにはじまり、後に中田一族が栄え、ここに社殿を建てたといわれます。
 当社はかつて歯の神様として知られていました。伝えられるところによると中田加賀守の弟兵庫が、激しい歯痛に悩んでいたある夜、御神託により境内の萩を箸として食事をすると不思議に歯の痛みが止ったという。この事情を聞いた近隣の人々は、歯痛もなおる神様として信仰厚く参拝者も多くなったといわれます。
 その萩もかつては境内に多く繁っていましたが、今では社殿北側の老松の根元に一株残っているだけになりました。昭和四十三年の社殿改築の折には、古い社殿の長押から納められた萩の箸が、たくさん出てきたといいます。
 社屋や数多い奉納品の中、昭和三年に奉納された神輿は百五十貫余(約563kg)もあり、また大太鼓(直径149cm)は、府中の大国魂神社の太鼓につぐ都内第二の大きさであるといわれます。
 昭和四十二年環状八号線拡張にともなって本殿、拝殿、社務所、玉垣などの増・改・修築や多くの奉納がなされ、今日の姿を見るに至りました。
 祭日は九月八日です。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2017/05/18

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

御朱印帳

初穂料:1,000円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
紫を基調とし萩がデザインされたシンプルなもの。
裏には社印がデザインされている。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

歴史考察

旧下荻窪村鎮守の白山神社

東京都杉並区上荻に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧下荻窪村の鎮守。
正式名称は「白山神社」であるが、他との区別から「荻窪白山神社」と称される事が多い。
多くの白山信仰に見られるように「歯の神様」として古くから信仰されている。
現在は、荻窪駅近くから伸びる長い参道と、境内に置かれた多くの猫の石像が特徴的。

五社権現を祀り邸内社として創建

社伝によると、文明年間(1469年-1487年)の創建とされる。

関東管領・上杉顕定の家来である中田加賀守と云う人物が下荻窪村に移住。
屋敷内に五社権現を奉斎したのが始まりと伝えられている。

五社権現とは、石動権現とも称され、北陸の山岳信仰の霊山として栄えた「石動山(せきどうさん)」に対する信仰の神で、修験者たちを通じて北陸から東北にかけて広がった。
北陸では、石動山は白山と並ぶ霊山として信仰を集めたため、白山信仰の総本社である加賀国一之宮「白山比咩神社」と対の存在とし、夫婦神を祀るとも云われた。
南北朝時代・戦国時代に2度全山焼き討ちや明治の神仏分離・廃仏毀釈によって衰亡し、現在は能登国二之宮「伊須流岐比古神社」として存続している。
邸内社として五社権現を祀ったとある事から、古くは石動山へ対する信仰で祀られたものと見られる。石動山の衰退や時代の推移と共に、同じく北陸の山岳信仰として崇敬を集めた白山への信仰が高まり、対となした白山信仰の神社へと遷り変わっていったのであろう。

中田加賀守は帰農し、中田家は下荻窪村の名主として大いに栄えたとされる。
中田家によって当地に社殿が造営され、下荻窪村の鎮守とされ「五社権現社」と称された。

歯の神様として信仰を集める

当社は古くから「歯の神様」として信仰を集めた。
それにはこうした伝承残っている。

中田加賀守の弟である兵庫は激しい歯痛に悩まされていた。
ある夜「境内の萩を箸として食事をすると歯痛癒える」という霊夢を見る。
その通りに食事をすると不思議と歯の痛みが止まったと云う。

これを聞いた村人たちが歯痛平癒の霊験がある「歯の神様」として篤く信仰された。
かつては境内に萩が生い茂っていたと云う。

昭和四十三年(1968)に社殿を新築した際には、旧社殿から大量の萩の箸が出てきたと云い、古くからこうした信仰を集めていた事が伺える。

白山信仰の神社には歯にまつわる御神徳が伝えられている事が多い。諸説あるが「歯苦散(はくさん)」といった言葉遊びからきているという説も残る。五社権現を祀っていた当社が、白山信仰の要素を強めたのも、こうした「歯の神様」とされ信仰を集めた事によるのかもしれない。

新編武蔵風土記稿から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(下荻窪村)
五社権現社
除地百十坪余。村の西北にあり。本社六尺四方。拝殿二間に一間半南向。神体は白幣。木の鳥居をたつ。鎮座の年代は詳ならず。上荻窪村光明院の持なり。

下荻窪村の「五社権現社」とされているのが当社。
白山信仰の神社の要素もありつつも、石動山へ対する五社権現への信仰も残っていたと思われる。
「光明院」(現・杉並区上萩2)が別当寺であった。

「光明院」は奈良時代以前の創建と伝えられる古刹で、正式には「慈雲山荻寺光明院」と云う。あたり一帯が萩だらけであったため「萩寺」と呼ばれ、これが「荻窪」の地名由来となったとされる。

当社の歯痛平癒にも「萩を箸とする」と信仰されたように、荻窪周辺には地名由来にもなった「萩」が深く信仰の対象とされていたのであろう。

明治以降の歩み・戦後の境内整備

明治になり神仏分離。
社号を「白山神社」に改称。
当社は村社に列した。

明治二十二年(1889)、市制町村制が施行され、上井草村・下井草村・上荻窪村・下荻窪村が合併し「井荻村」が成立。

明治四十二年(1909)の古地図を見ると当時の様子が伝わる。

今昔マップ on the webより)

当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
井草一帯と荻窪一帯が合併した「井荻村」の一帯で、荻窪駅の南側には旧地名「下荻窪」も残っている。
当社はそうした地域の鎮守として崇敬を集めた。

注目すべきはまだ環状八号線が開通していなかった事にある。そのため当社の社地も今より広がっていたものと見られる。

昭和三年(1928)、神輿が奉納。
百五十貫余(約563kg)もある神輿で現存。

昭和四十二年(1967)、環状八号線の拡張に伴って境内整備が行われる。
昭和四十三年(1968)、現在の社殿が竣工。

その後も境内整備が進み現在に至っている。

境内案内

荻窪駅近くから伸びる長い参道

最寄駅の荻窪駅から徒歩数分の駅近くに鎮座しており、商店が立ち並ぶ一角の先に参道入口がある。
鳥居を潜ると緑に囲まれた細い参道となっており、途中には道路が横切る。
道路を挟んだ先にさらに参道が伸び、比較的長い参道。
緑で囲まれた参道を抜けると二之鳥居。
その先に綺麗な境内が広がっている。

参道脇には多くの石碑が置かれている。
当社へ畑地を奉納した碑など、氏子によって境内が維持された歴史を伝える参道である。

環八の拡張に伴い整備された境内

長い参道を抜け二之鳥居を潜ると境内が広がる。
こうした境内は環八の拡張に伴い整備されたもので、かつてはもう少し広かったと思われる。

二之鳥居を潜ってすぐ左手に手水舎。
その先に社殿となる。

社殿は昭和四十三年(1968)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造によるもので、社殿の後ろには豊かな緑が生い茂る。
社殿の裏手に環八が通っているが、こうした造りで喧騒を感じさせない境内。
旧社殿からは、萩の箸が多く見つかったと云い、「歯の神様」として信仰を集めた歴史が残る。

境内の右手に境内社が整備されている。
平成十六(2004)に整備された一角で、まだ新しさを感じる造り。
境内末社として、正面に三峯神社。
右手に田中稲荷神社・正一位稲荷神社の2社が祀られている。

境内社の近くに立派な神輿庫。
昭和三年(1928)に奉納された神輿がは百五十貫余(約563kg)もあり、大太鼓は武蔵国総社「大國魂神社」の太鼓に次ぐ都内第2の大きさであると云われている。

猫の手水舎や石像が多く置かれた楽しい境内

現在の当社の特徴として、境内に可愛い猫の石像が置かれている。

まず最初に目に飛び込むのが手水舎の吐水口。
球体を持った猫が吐水口を担っていてとても可愛らしい。

さらに境内には横になった猫の姿を見る事ができる。
神楽殿の近くに佇む猫の石像。
境内社の一角にも同じく猫の石像。
招き猫がひっそりと隠れていたりと、猫を探すのも楽しいかもしれない。

こうした境内に多くの猫の石像などが置かれている理由は、神職さんが「猫好き」という事による。さらにかつて境内整備する前の旧社務所の屋根には、十二支が置かれていたそうだが、十二支には猫がいないので可哀想と云う事で、猫の石像を多く置く事にしたとおっしゃっていた。

御朱印は社務所にて。
大変丁寧に対応して頂いた。
オリジナルの御朱印帳も用意していた。

社務所内にも猫の置物が多く、招き猫のおみくじなども用意されている。

所感

下荻窪村の鎮守であった当社。
かつて「五社権現社」と称していたように、おそらく石動山に対する信仰の五社権現を祀っていたものと思われ、それがいつしか関連性の高い白山に対する白山信仰へと変遷していったのだろう。
古くから「歯の神様」として信仰を集めた事も、白山信仰を深める要因だったのかもしれない。
境内の萩の箸で食事するという歯痛平癒の信仰は、現在は伝えられていないものの、旧社殿から多くの萩の箸が見つかったという事からも、当地に根付いた信仰であったのだろう。
「荻窪」の地名が示すように、かつて萩が多く生い茂っていた当地ならではの信仰である。
境内整備も行われ、今は猫の石像などが可愛らしく置かれている境内になっていて、荻窪駅からも近く裏手に環八が通る中でも、静かな境内を維持しており、地域からの崇敬を感じる良い神社である。

神社画像

[ 社号碑・一之鳥居 ]


[ 参道 ]



[ 二之鳥居 ]


[ 境内 ]

[ 手水舎 ]


[ 社殿 ]






[ 狛犬 ]


[ 神楽殿 ]

[ 猫の石像 ]

[ 境内社 ]


[ 三峯神社 ]

[ 正一位稲荷神社 ]

[ 田中稲荷神社 ]

[ 猫の石像 ]

[ 神輿庫 ]

[ 石物等 ]

[ 社務所 ]

[ 招き猫 ]

[ 石碑 ]



[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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