高木神社 / 東京都墨田区

神社情報

高木神社(たかぎじんじゃ)

御祭神:高皇産霊神
社格等:村社
例大祭:6月第1土・日曜
所在地:東京都墨田区押上2-37-9
最寄駅:曳舟駅・押上駅
公式サイト:http://takagi-jinjya.com/

御由緒

応仁二年(1468年)、室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され、古くは「第六天社」と呼ばれていました。
明治時代初期の神仏分離の制度で『高木神社』と改めました。
その社名は、御祭神である高皇産靈神の別名が「高木の神」であるからといわれています。
かつては、境内に大きな臥龍の松があり、曳舟川を上下する舟をはじめ、地域の人々の往来の目印となっていました。
昭和四十二年一月、鉄筋コンクリート造りの社殿改築が成り、昭和四十三年十一月、鎮座五百年の式年大祭が行われました。
平成三十年六月、御鎮座五百五十年記念式年大祭を行います。(頒布のリーフレットより)

参拝情報

参拝日:2017/04/06

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

※時期によって限定御朱印を用意している。
※御朱印を拝受した際に「むすび石」を一緒に頂いた。

限定御朱印情報
5月3日-7日まで「こどもの日御朱印」(見開き書き置きのみで初穂料500円)
5月1日-31日まで「5月御朱印」(初穂料300円)
詳細は公式サイトにて。

(4月御朱印)

御朱印帳

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意。
おにぎりがデザインされた可愛らしい御朱印帳。
肌色・紫色・緑色の3色を用意。

※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。

授与品・頒布品

むすび石
初穂料:─
社務所にて。

※御朱印を拝受した際に授与して頂いた。

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歴史考察

むすびの神を祀る旧寺島村新田の鎮守

東京都墨田区押上に鎮座する神社。
旧社格は村社で、旧寺島村新田の鎮守。
かつては「第六天社」と称し、明治の神仏分離によって「高木神社」と改称。
御祭神として高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀っている事から、むすびの神として崇敬を集め、近年はそれにちなみ「おむすび」の神社として知られる。

室町時代に第六天社として創建

社伝によると、応仁二年(1468)に創建とされる。
「第六天社」と称され崇敬を集めた。

同年、現在も隣接する旧別当寺「正圓寺」も創建しており、当地の新田開墾と共に神仏習合の中で共に創建されたと推測できる。

かつての当地は寺島村の一角で、その中でも新田(寺島新田)と呼ばれた地域の鎮守を担った。

武蔵国に多く鎮座した第六天社

「第六天社」と称された当社は、神仏習合の時代に第六天魔王を祀る神社として創建されたと見られる。

第六天魔王(だいろくてんまおう)とは、天魔とも称される魔。
第六天とは仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位にある他化自在天(たけじざいてん)を云う。
仏道修行を妨げている魔王と畏れられ、織田信長は第六天魔王を自称したと云う伝承でも知られる。

第六天魔王を祀る「第六天神社」は、関東圏・特に武蔵国に多く創建された神社。
『新編武蔵国風土記稿』には300社以上もの数を見る事ができる。

悪疫退散の御神徳を念じて祀られる事が多い。
当社もそうした信仰の中で創建されたのであろう。

その後、神仏分離によって多くの神社では、改称・御祭神の変更が行われており、現在は「第六天」の名が残る神社は珍しく、かつての隆盛は鳴りを潜めている。
当社もそうした流れの歴史を持つ。

江戸切絵図から見る当社

当社の鎮座地は江戸の切絵図からも見て取れる。

(隅田川向島絵図)

こちらは江戸後期の隅田川・向島周辺の切絵図。
下が北の切絵図となっており、当社は図の中央やや右に描かれている。

(隅田川向島絵図)

北を上(180度回転)して、当社周辺を拡大したものが上図。
赤円で囲ったのが当社で、「第六天」と記されている。
隣には別当寺「正圓寺」も記されている。

図の左上に寺島村と見れるように、当時の寺島村は比較的広い範囲であった。
青円で囲ったところに「寺嶋新田」の文字を見る事ができる。
当社からやや離れた一角であるが、当社は寺島村の中の新田(寺島新田)の鎮守を担った。

当社と別当寺「正圓寺」の右隣には、現在の「飛木稲荷神社」(飛切稲荷大明神)があり、その右手に「請ジ本村」と記されているように、この一角が請地村の領地であった。この事から当社と「飛木稲荷神社」の境が村の境だったと思われる。
旧請地村鎮守のお稲荷さま。銀杏の枝が飛来した伝承により飛木稲荷。樹齢千年を超えると伝わる御神木。身代わり飛木の焼けイチョウの伝承。御神木にはお狐さまが隠れる。江戸切絵図や新編武蔵風土記稿から見る当社。再建された社殿や奥社。御朱印。御朱印帳。

切絵図からも田地が広がる大変のどかな農村だった事が伝わる。
隅田川や曳舟側などその支流が多くあり、当社には「臥龍の松」と呼ばれる大きな松の木があったため、舟の往来の目印になっていたと云う。

新編武蔵風土記稿に記された当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(寺島村)
第六天社
二。一は眞光寺持。一は正圓寺持。

寺島村の項目に「第六天社」として記されている。
村内には「第六天社」が二社鎮座していたようで、当時の第六天社の多さをこちらからも感じる事ができる。
「正圓寺」持ち神社が当社である。

寺島村全体の鎮守は「白髭神社」(現・東向島)が担っていた。

明治の神仏分離で御祭神や社号の変更

明治になり神仏分離。
これを機に、御祭神を高皇産霊神へ変更し「高木神社」へ改称。

「第六天社」は、神仏習合の色合いが濃いため、関東に鎮座していた多くの「第六天社」は、御祭神や社号の変更を余儀なくされ、各社に合祀されるなど衰退の一途を辿る。
御祭神は、「大六天」の社号から神世七代における第六代の面足命・惶根命に変更される事が多かったが、当社のように高皇産霊神へ変更するなど、各社の対応は分かれた。
当社の他に、かつて第六天社の総社ともされた「山倉大神」(千葉県香取市)は、当社と同様に御祭神を高皇産霊神としている。
御祭神である高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、日本神話の天孫降臨などでは「高木神(たかぎのかみ)」と云う名で登場する神であるため、当社は「高木神社」へ改称を行った。

明治三十五年(1902)、拝殿を造営。
その後、神楽殿や神輿庫、社務所などの境内整備も行われている。

昭和十五年(1940)、村社に列した。

昭和二十年(1945)、東京大空襲によって建物の殆どを焼失。
幸いにも社殿は無事であったと云う。

昭和四十二年(1967)、社殿の老朽化につき現社殿を造営。
昭和四十三年(1968)、御鎮座五百年式年大祭が行われた。

近年では、御祭神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)から「むすびの神」として、おむすびの神社として知られるようになっている。

平成三十年(2018)には、御鎮座五百五十年記念式年大祭が行われる予定。

境内案内

スカイツリーとの対比が美しい社殿

最寄駅の曳舟駅からは南へ徒歩数分の住宅街に鎮座。
鳥居は2つ並び、左の鳥居は大鳥居となっているが、大鳥居を全て納めて撮影する事が困難なほど、道幅の狭い路地に鎮座している。
右手には小さめの鳥居が立ち、どちらから入ってもその先が社殿となる。

手水舎は社殿の正面に置かれる。
水鉢は安政四年(1857)に奉納されたもので、龍の口は平成になってから地域の氏子崇敬者より奉納された。

社殿は、昭和四十二年(1967)に造営されたもの。
鉄筋コンクリート造によるもの。
旧社殿は東京大空襲の戦火を免れたものの、老朽化につき、現在の権現造りの社殿が造営された。

現在は社殿と東京スカイツリーの美しい対比を見る事ができる。
神輿庫の前に目張りされている位置からが撮影スポット。
現在の東京下町ならではの光景で美しい。

社殿前に置かれた一対の狛犬は、弘化二年(1845)に奉納されたもの。
凛々しい造形の狛犬で、その下にはよく見ると隠れおむすびの姿が。
台座も立派で弘化二年(1845)の文字が残る。

境内の右手には富士講・山玉向島講社の碑。
地域の富士講(富士信仰)を伝えるもので、明治三十一年(1898)に建立され、現在は墨田区登録文化財となっている。

大正期には100人以上の講員がいた富士講であったが、戦時中に活動は中止となった。

おむすびの神社・御朱印やむすび石などで人気

近年は「おむすび」の神社として崇敬を集めている。
これは御祭神の高皇産霊神(たかみむすびのかみ)によるもの。

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は、別名「高木神(たかぎのかみ)」とされ、これが「高木神社」の由来となったものである。
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)と共に「造化の三神」と呼ばれ、天地開闢の時に現れた神で、いずれも性別のない神・人間界から姿を隠している神とされている。

「むすびの神」として高皇産霊神と祀る事から、「人と人との繋がりを結びつけてくれる」という御神徳で信仰をされている。
当社では言葉遊びの中で「おむすび」の神となった。

社殿の前にはおむすびの顔ハメ看板。
絵馬掛や絵馬もおむすび形になっているのが特徴。
お結びとして、縁を結び付けてくれるとして信仰を集める。

御朱印にもおむすびの印が押され、近年では限定御朱印も時期によって色々と用意。
御朱印の予定などは下記公式サイトをご覧頂きたい。

応仁2年(1468年)、室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され、 古くは「第六天社(だいろくてんしゃ)」と呼ばれていました。 明治時代初期の「神仏分離の制度」で『高木神社』と改めました。 その社名は、御祭神である高皇産靈神(タカミムスビノカミ)の別名が「高木の神」であるからといわれています。
限定御朱印情報
5月3日-7日まで「こどもの日御朱印」(見開き書き置きのみで初穂料500円)
5月1日-31日まで「5月御朱印」(初穂料300円)
詳細は公式サイトにて。

またオリジナルの御朱印帳にもおむすびがデザイン。
近年の御朱印ブームの中、可愛らしいデザインで人気を集めている。

御朱印を拝受した際には、「むすび石」を授与して頂ける。
小さく可愛らしい石で、当社の手作りとなっており、「様々なご縁がありますように」と御祈祷されたもの。

むすび石は、お財布等に入れるか、神棚へ置くのがよい。
応仁2年(1468年)、室町時代の創祀と伝えられており、旧寺島新田の鎮守として尊崇され、 古くは「第六天社(だいろくてんしゃ)」と呼ばれていました。 明治時代初期の「神仏分離の制度」で『高木神社』と改めました。 その社名は、御祭神である高皇産靈神(タカミムスビノカミ)の別名が「高木の神」であるからといわれています。

こうした神社側の努力もあり、小さな神社ながら、氏子崇敬者以外からも崇敬を集める神社となっている。

所感

寺島村の新田地区の鎮守として崇敬された当社。
かつては「第六天社」と称され、関東を中心に信仰を集めた、大六天信仰の一社であった。
明治の神仏分離によって、数多くの第六天社同様に、当社も御祭神の変更と改称を余儀なくされ、高皇産霊神をお祀りする「高木神社」となる。
その御祭神が現在は「むすびの神」として信仰され、おむすびの神社として知られるように。
境内には幾つか古い奉納物が残り、東京スカイツリーとの対比は現代の東京下町らしさを感じる事ができる。
この日は地域の保育園児たちが遊びに来ており、地域との繋がりが伝ってきた。
近年ではおむすびの神社として色々努力されていて、そうした努力が伝わる心地よい良社である。
すぐ近くに「飛木稲荷神社」も鎮座しているので合わせて参拝したい。

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神社画像

[ 大鳥居・社号碑 ]

[ 鳥居 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]

[ 社殿・東京スカイツリー ]



[ 狛犬 ]



[ 御神木 ]

[ 絵馬掛 ]

[ 山玉向島講社の碑 ]


[ 神楽殿 ]

[ 社務所 ]

[ 神輿庫 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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