神社情報
武蔵第六天神社(むさしだいろくてんじんじゃ)
御祭神:面足尊・吾屋惶根尊
相殿神:経津主命・別雷命・市杵島姫命・熊野久須美命・家津御子命・速玉男命
社格等:村社
例大祭:7月15日
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区大戸1752
最寄駅:岩槻駅・せんげん台駅・大袋駅(いずれもかなりの距離有り)
公式サイト:https://dairokuten.or.jp/
御由緒
その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の忌門寺として有名な華林山慈恩寺や日光廟に往来した諸人は日光街道を曲げて当社に奉拝したといわれる。
当社は武蔵国第六天の一として、古来より火防・盗難・疫病を除去し、以って家内安全・五穀豊穣・商売繁昌の霊験著しく、江戸界隈の人等や武蔵国の諸所から崇敬社が加わり、今日では県内を始め、千葉県・茨城県・栃木県・群馬県・東京都の関東各地より講中を結成し大神の御加護を蒙り、自家の安泰と幸福を祈り奉らんと、御眷属である天狗の神額を授かる参拝者で賑わい、一陽来福を祈る個人参拝者は四季絶えるなく綿々と続き、これ偏に広大無辺、神徳無量なる御神徳と御威光の賜と存じております。
当社の御創建は、第一一九代光格天皇の御代、天明二年六月十五日の御鎮祭と伝えられており、明治四十年六月二十八日、村社香取神社・無格社鳴雷神社・同厳島神社・同熊野神社を合祀し、現在に至っております。
尚、境内には樹齢数百年と言われる藤の花をはじめ、躑躅・牡丹・西洋藤・紫陽花が咲き乱れ、岸頭には桜並木が続き、門前には有名な川魚料理家が立ち並ぶ埼玉の自然百選に認定された観光名所となっております。(境内の掲示より)
参拝情報
参拝日:2019/12/04(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/12(御朱印拝受)
御朱印
初穂料:500円
社務所にて。
※現在は月替り御朱印を授与。(挟み紙も月替り仕様)
※以前は初穂料300円だったが現在は500円に変更。
御朱印帳
初穂料:1,500円
社務所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
当社の御眷属とされる天狗の御朱印帳。
表と裏に大天狗と烏天狗をデザイン。
紺色と緑色の2色用意で、サイズは大サイズ。
※2015年参拝時は元荒川の流れと桜をモチーフにした通常サイズの御朱印帳が用意されていた。
※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。
授与品・頒布品
天狗おみくじ
初穂料:各300円
社務所にて。
交通安全ステッカー
初穂料:500円
社務所にて。
歴史考察
大天狗と烏天狗が宿る大戸の第六天様
埼玉県さいたま市岩槻区大戸に鎮座する神社。
旧社格は無格社の後、周囲の神社との合祀により村社に昇格、地域一帯の鎮守とされる。
神仏分離までは第六天魔王を祀っていたとされる武蔵国中心に数多くあった第六天信仰の神社で、現在も「第六天」の社号を残す。
古来より火難除け・盗賊除け・疫病除けの御利益があるとして「大戸の第六天様」と称され、関東各地に講中を結成し参拝者が訪れ賑わった。
御眷属とされる天狗がシンボルとなっていて、社殿内の御神木には大天狗・烏天狗が宿ると云う。
また社頭には名物のナマズ料理が味わえる川魚料理店が並んでいて、往年の賑わいを偲ぶ。
天明の大飢饉の時代に創建・疫病除けの伝説
社伝によると、創建は天明二年(1782)と伝わる。
その昔、元荒川の上流より光る御神体が流れてきた。
村人が川から拾い上げ祀ったところ、この地にあった疫病がなくなったとされる。
以来、評判が広まり、近郷の人々も篤く信仰するようになったと云う。
その昔、大戸村に堀切力弥という人物がおり、病人の面倒をよく見る侠客であった。
ある時、元荒川の河畔で雑草を刈っていると、金色の立派な御神体を納めた祠を見つけた。
自宅に持ち帰り大切に祀っていたところ、夢枕に第六天神を名乗る白髪の老翁が現れて、秋になると当地で悪疫が流行するが、自分を奉拝すれば必ず免れると告げた。
力弥はこの言葉を信じ篤く信仰していると、お告げのとおり村で疫病が大流行、命を落とす者が多かったが、力弥の一家は無事であった。
以来、近郷の人々も篤く信仰するようになり、祠の出土した元荒川堤の地に小さな祠を建立して御神体を祀ったのが始まりだと云う。
いずれの伝承も光る御神体を元荒川で見つけ、それを村人が祀ったことが由来。
そして疫病除けの伝承が知られ、その御神徳によって近郷の人々も篤く信仰する伝承となっている。
当社が創建したとされる天明二年(1782)は、「天明の大飢饉」が発生した年。
大飢饉によって多くの被害、そして死者が発生し治安は悪化の一途を辿った時代である。
天明二年(1782)-天明八年(1788)にかけて発生した大飢饉。
江戸四大飢饉の1つで、日本の近世では最大の飢饉とされる。
東北地方を始めとして北関東、さらには全国的な飢饉や治安悪化が発生。
餓死者は数万とも数十万とも云われ、特に東北地方の農村を中心に多大な被害と死者が発生した大飢饉であるが、農村部から逃げ出した農民たちが各都市部へ流入し、江戸周辺でも多数の打ちこわしが行われたり治安は悪化の一途を辿った。
このような時代に当社が創建され、厄病除け・病気平癒・盗賊除けの御利益がある当社は、近郷から多くの崇敬を集めた。
第六天魔王を祀る第六天社として創建
「第六天社」と称された当社は、神仏習合の時代に第六天魔王を祀っていた事が分かる。
天魔とも称される魔。
第六天とは仏教における天のうち、欲界の六欲天の最高位にある他化自在天(たけじざいてん)を云う。
仏道修行を妨げている魔王と畏れられ、織田信長は第六天魔王を自称したと云う伝承でも知られる。
第六天魔王を祀る「第六天神社」は、関東圏、特に武蔵国に多く創建された神社。
悪疫退散の御神徳を念じて祀られる事が多く、当社もそうした信仰の中で創建されたのであろう。
新編武蔵風土記稿に記された当社
文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう記されている。
(大戸村)
香取社
村の鎮守。
雷電社
熊野社
以上三社。寶蔵院持。
第六天社
大聖院持。
大戸村の「第六天社」として記されているのが当社。
「大聖院持」とあるように、別当寺は「大聖院」(現・廃寺)であった。
大戸村の鎮守として記されているのは「香取社」。
当社は村の鎮守と云う扱いではなかった事が窺える。
文化・文政年間(1804‐1830年)、当社は隆盛を迎える事となる。
江戸界隈の人たちや武蔵国の諸処から崇敬者が集まり、江戸には江戸講中が結成され寄進なども増えた、境内整備が進んだと云う。
明治の神仏分離の影響・合祀政策で村社へ昇格
明治になり神仏分離。
当社は無格社(後に村社に昇格)であった。
神仏分離の影響によって御祭神を面足尊(おもだるのみこと)・吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)に改めた。
「第六天社」は、第六天魔王を祀ると云う神仏習合の色合いが濃い信仰であった。
そのため神仏分離の際に、関東に鎮座していた多くの「第六天社」は、御祭神や社号の変更を余儀なくされ、各社に合祀されるなど衰退の一途を辿る。
御祭神は「大六天」の社号から、神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネに変更される事が多く、当社もそうした流れを汲む変更となった。
オモダル・アヤカシコネは、面足尊・惶根尊の字を充てる事が多い。
明治二十二年(1889)、市制町村制施行に伴い、大口村・南平野村・長宮村・大野島村・増長村・大谷村・大戸村・大森村・新方須賀村が合併し、南埼玉郡川通村が成立。
当地は川通村大戸と云う地域となった。
明治三十九年(1906)測図の古地図を見ると当時の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲ったのが当社で、当社の鎮座地は今も昔も変わらない。
川通村、大戸といった地名を見る事ができる。
明治四十年(1907)、大戸の鎮守であった村社「香取神社」、更に無格社「鳴雷社」・無格社「厳島神社」・無格社「熊野神社」の4社を当社に合祀。
村社であった「香取神社」を合祀した事で、当社は村社へ昇格する事となった。
村社「第六天神社」として紹介されている当社。
當社の由緒は詳かでないが、東京に信仰者が最も多く、毎春、花時には東京より多数の講中が押し寄せ、非常に賑わふ。(神社詣で)
当社の崇敬者の多くは東京にいる事、東京に多くの講中があり春になると非常に賑わう、といった旨が記されており、江戸時代の頃から江戸にあった講中がそのまま戦前まで残っていた事が分かる。
戦後になり境内整備が進む。
「埼玉の自然百選」に選定されるなど、風光明媚な境内として信仰を集めている。
境内案内
元荒川沿いに鎮座・社頭には川魚料理店が並ぶ
最寄駅からはかなり距離があるため、公共交通機関を利用する場合は岩槻駅からバスを利用。
駐車場も整備されているので自家用車を利用するのが好ましい。
元荒川沿いに鎮座した当社の社頭には、川魚料理店が並ぶ。
明治二十三年(1890)創業の小島家。
きわい家といったナマズ料理、うなぎ料理を楽しめる川魚料理店からも、当社が東京から多くの参拝者が訪れる観光地だった事を伝える。
鳥居・新旧の水盤を利用した手水舎
元荒川を背にするように東向きに鳥居。
扁額や社号碑には「武蔵第六天神社」の文字。
「大戸の第六天様」と称され崇敬を集めた当社だが、現在は「武蔵第六天神社」の名で知られる。
鳥居の手前左に手水舎。
水が流れ身を清める事ができる。
新しい水盤の後ろに古い水盤が並んでいるが、この水盤は江戸時代のものだと云う。
表参道鳥居の左手にも鳥居。
朱色の両部鳥居になっていて裏参道の扱い。
社殿・御眷属の大天狗と烏天狗
鳥居を潜り石段を上った先に社殿。
古くは寛政二年(1790)に増改築された社殿だが、現在は改修されまだ新しさも残る。
バランスの取れた拝殿。
拝殿前には天狗の大絵馬が置かれている。
赤い天狗が大天狗・青い天狗が烏天狗で、当社の御眷属とされる。
社殿内には大天狗・烏天狗が宿ると云う御神木があり、災厄除去・無病息災のために御神木に触れる崇敬者が昇殿すると云う。
(公式サイトより)
神輿殿・納札所・力石など
社殿の右手に神輿殿と納札所。
納札所の内部には天狗像。
いずれも古いもので、古くから当社の御眷属として天狗が信仰されていた事が窺える。
その向かいに厄落し割石。
授与所で割玉を頒布しているので、その割玉を厄石にぶつけて割る。
境内裏手を流れる元荒川・四季折々の花々
当社の境内裏手には元荒川が流れる。
裏手から元荒川へ出る事ができる。
この日は水量が少なめだが、多い時はすぐ裏手まで川が水位が来る事も。
奥には屋形船の姿も。
当社から川の流れに沿って歩くと桜堤になっていて、桜の季節では知る人ぞ知る名所に。
月替りの御朱印・挟み紙も人気・天狗の御朱印帳
現在は月替りの御朱印になっていて、2019年12月は冬至の柚子湯から柚子のスタンプ。
左側は師走の挟み紙で、挟み紙も毎月デザインが変更になるとの事で人気が高い。
オリジナルの御朱印帳も用意。
当社の御眷属とされる天狗の御朱印帳で、表と裏に大天狗と烏天狗をデザイン。(大サイズ)
また授与品や御神籤なども色々と用意。
当社らしい烏天狗と大天狗の御神籤。
授与品も豊富に用意している。
古来より、耳病・頭痛等の病に霊験著しい護符として、 神錐(きり)が伝えられている。
毎朝・毎夕、第六天神の御名を唱えながら、耳(または悪い所) を突く真似事を3回繰り返し行い、平癒の暁には神錐を2本にして納めると云う。
所感
第六天信仰の神社として崇敬を集めた当社。
第六天魔王を祀る第六天信仰だが、神仏分離の際に社号や御祭神が変更となった神社が多く、その数もかなり減ったとされるが、当社はその中でも今も「第六天」を社号に残す貴重な神社となっている。
江戸時代から江戸(東京)に講中があり、今も多くの講員がいて崇敬を集めていると云う。
公共交通機関では交通の便が悪い立地な上、比較的こぢんまりとした境内。
しかしながら、歴史や現在も残る講中による民間信仰の篤さが伝わってくる。
社頭には川魚料理屋や甘味屋などが立ち並び、当社まで参詣に訪れる人々が多い事を伝える。
個人的には色々と興味深い点が多く楽しめる良社である。
神社画像
[ 鳥居・社号碑 ]
[ 手水舎 ]
[ 拝殿 ]
[ 大絵馬 ]
[ 本殿 ]
[ 神輿庫・納札所 ]
[ 力石 ]
[ 厄落し割石 ]
[ 御籤掛 ]
[ 絵馬掛 ]
[ 両部鳥居 ]
[ 社務所 ]
[ 石碑 ]
[ 元荒川 ]
[ 案内板 ]
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