銀杏岡八幡神社 / 東京都台東区

銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)

御祭神:誉田別命(応神天皇)・武内宿祢命
社格等:村社
例大祭:6月第1土・日曜日
所在地:東京都台東区浅草橋1-29-11
最寄駅:浅草橋駅
公式サイト:─

御由緒

 後冷泉天皇の御代

源頼義公、八幡太郎義家公は、朝廷の命に依り奥州の安倍貞任、宗任を平定する為に奥州街道を下向の砌当地に至りました。当時このところは小高い丘で隅田川の流れを一望出来る絶景の地であった。一休止のため陣をとりました時、川上より流れくるものを拾い上げてみますと銀杏の枝でありました。その枝をこの丘の上に差し立て都の氏神を遥かに拝み「朝敵退治のあかつきには枝葉栄ふべし」と祈願し旅立ち安倍一族を平定の後、再びこの地に帰り至りました時丘の上に差した銀杏の枝は大きく繁茂しておりましたので、義家公は御神恩に感謝し、この処に大刀一振を捧げ八幡宮を勧請いたしましたのが、康平五年(1062)当社の始と伝へられています。そしてこの銀杏は大樹となりまして、隅田川を上り下りする舟や街道を行き交う人々のよい目標となりましたが、時代は下り徳川家江戸入府後、元和四年(1618)この地は福井藩松平家の屋敷となり、邸内社として尊崇されてまいりましたが、享保十年(1725)この地が公収され屋敷の跡地は町屋となり同十五年、時の町奉行大岡越前守様に依り福井町と命名され願いにより当社は地域の産土神として崇敬されてまいりました。大銀杏は延享二年(1745)九月十四日台風のため中程より折れましたが、高さ六メートル位を残して繁茂しておりましたが、文化三年(1806)江戸大火の折焼失しました。

御祭礼は、江戸時代八月十五日に執り行われていましたが、明治の中頃より六月十五日にかわり、現在は原則として六月第一土曜、日曜に執り行っています。

(※境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/04/06

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。
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歴史考察

旧浅草福井町の鎮守

台東区浅草橋にある神社。
旧社格は村社で、旧浅草福井町の鎮守。
社号の通り、銀杏と丘にまつわる御由緒を持つ八幡神社。

源頼義・義家と銀杏の逸話

社伝によると、源頼義・源義家(八幡太郎)の父子が前九年の役で奥州征伐に向かう途中、見晴らしの良い小高い丘であった当地で休憩し、陣を張った。
すると川上より銀杏の枝が流れてくるので、その銀杏の枝を丘の上にさし立て、戦勝祈願をし奥州へ向かったという。
康平五年(1062)、阿部氏を平定した後に再び当地に立ち寄ると、丘の上にさした銀杏が繁茂していたため、その御神徳に感謝して太刀一振を奉納し、源氏の氏神である八幡宮を勧請したのが、当社の創建と伝えられている。

都内には源頼義・義家の父子による創建の八幡神社が数多い。
いずれも伝承や伝説的な面も強く信ぴょう性に欠ける部分もあるのだが、それだけ源氏と八幡信仰の結びつきが強いという事だろう。

当社の御由緒はその中でも中々に具体的で興味深い。
源頼義が奥州に赴任したのが永承六年(1051)の事。
その頃に当地を訪れて、銀杏の枝を丘にさし、再び立ち寄ったのは康平五年(1062)だから11年後になる。
これだけの期間があれば銀杏が繁茂していても不思議ではないため、源頼義・義家との繋がりを感じる事ができる逸話である。

この銀杏の木は、後に大樹となり、隅田川を上り下りする人や街道を行き交う人々の目印にもなったと伝えられている。

一時は福井藩松平家の邸内社に

江戸時代に入ると、元和四年(1618)に当地が福井藩松平家の屋敷となる。
そのため当社は松平家の邸内社として崇敬される事となった。

享保十年(1725)、当地が公収され、松平家の屋敷跡地は町家となる。
その時の町奉行であった大岡忠相(大岡越前として有名)によって福井町と命名。
これはそれまで福井藩松平家の屋敷であったため、福井町となったのであろう。
以後、福井町(後に浅草福井町)の鎮守として崇敬を集めた。

創建の由来となり、以後人々の目印としても重宝された大銀杏であるが、延享二年(1745)に台風のため中ほどより折れてしまう。
さらに文化三年(1806)に発生した「文化の大火(江戸三大大火の1つ)」と呼ばれる大火の被害を受け焼失してしまったという。

神仏分離と浅草福井町

明治になり神仏分離。
当社は村社に列した。
福井町は浅草福井町となり、当社は浅草福井町の鎮守となる。

戦後の昭和三十九年(1964)住居表示の実施に伴い、浅草橋一丁目となった。
そのため現在は福井町の町名は公式には存在していない。

浅草橋の路地裏にある境内

浅草橋の象徴・江戸通りの浅草橋人形問屋街。
その江戸通りに沿うように路地に入ると下町らしさのある商店と家屋が立ち並ぶ。
その奥にこぢんまりとした境内ながら当社が鎮座している。
参道には銀杏の木がいくつか立ち並び、御由緒や社名を思わせてくれる。社殿は戦後に再建されたと思われるもの。


鉄筋コンクリート造による社殿となっている。
境内社には此葉稲荷神社。

古くからこの境内にあるとの御由緒が木札に書かれていた。

御朱印は社務所にて。
丁寧に対応して頂いた。

所感

かつては街道を行き交う人々の目印になるような大銀杏が立っていたと伝わる当社。
御由緒や社名にあるように巨木の立つ丘の上に鎮座していたのだろう。
現在は商店や家屋がびっしりと立ち並びその面影はないが、下町の路地裏にこうして鎮座し崇敬されている姿は、まさに地域の氏神様という言葉がしっくりくる。
こぢんまりとした境内ではあるが、手入れは行き届いている。
浅草橋方面に行く事があれば参詣してみるものよいだろう。

神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]

[ 狛犬 ]


[ 参道 ]

[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]




[ 本殿 ]

[ 此葉稲荷神社 ]


[ 神輿庫 ]

[ 社務所 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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