岩槻愛宕神社 / 埼玉県さいたま市

御由緒

 愛宕神社の祭神は迦具土命であり、境内には松尾神社(祭神 大山昨命・伊弉諾命・伊弉冉命)、稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、天神社(祭神 菅原道真)がある。迦具土命は火防、盗難除、安産の神、子育ての神として知られ、近年は、進学・就職の神として信仰を集めている。
創建は明らかではないが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」に愛宕神社が記されている。いい伝えによると、長禄元年(1457)に大田資清(一説には道灌)が岩槻城を築くにあたり城廓として外堀と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり、風雨に曝された小板に幽かに迦具土命と言う字が見えた。これは火防の神(愛宕大神)であるので土塁上に移し祀った。その日が現在の7月24日であるので、今でも祭礼日として祭典を行っている。

昭和五十九年三月
埼玉県岩槻市
(※境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2015/10/28

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。
岩槻愛宕神社


考察

岩槻久保宿の鎮守

さいたま市岩槻区本町に鎮座する神社。
岩槻久保宿の鎮守とされている。
旧岩槻城の大構(土塁)の上に鎮座しているのが特徴的で、歴史的にも貴重な境内となっている。

岩槻城の大構の上に鎮座

社伝によると、長禄元年(1457)に大田資清(江戸城築城をした太田道灌の父)が、岩槻城を築城するにあたり、城郭として外堀と土塁を建造。
その傍らに祠があり、土塁に移してお祀りしたとある。
その日が7月24日であったため、現在も当社の祭礼日は同日に行われている。

岩槻城とは武蔵国埼玉郡岩槻にあった元荒川の台地を利用した平城。
この城の築城には現在、2つの説が並立している。
これまで伝えられた説では、長禄元年(1457)に太田道真・太田道灌父子により、江戸城・河越城(川越城)とともに築かれたとされており、当社の社伝とも一致するもの。
他に、近年になり、文明十年(1478)に忍城主成田顕泰の父成田自耕斎正が築城したと記述された史料も発見されたため、現在では太田氏築城説と成田氏築城説が並立している状態となっている。
いずれにせよ、室町時代に築城された城であり、当社はその岩槻城の土塁の上に鎮座している。

岩槻城の争奪戦

戦国時代になると岩槻城を巡って各勢力による争奪戦が繰り広げられる。
太田氏が居城としていたところに、後北条氏が攻略。
以後、後北条氏の直轄となる。

天正十八年(1590)に、豊臣秀吉による小田原征伐(後北条氏征伐)が開始。
後北条氏の直轄になっていた岩槻城は戦略的重要地とされ、城の防御力強化と、兵糧・武器など必要品を確保する為に巨大な土塁と堀を築き、城と町場を一体化して長期戦に備えている。
この土塁と堀を大構と云い、長さは約8kmにも及ぶ巨大なものだったという。

当社はその土塁の上に鎮座している訳だが、社伝通りであるのならば、岩槻城築城の際に造営した土塁の上に太田氏が当社を遷座。
その後、小田原征伐に際し防御を固めるため、後北条氏によって土塁の延長と拡大。
当社はそのままの状態で維持されたと見るのが自然だろう。
当時の岩槻城周辺の地理を見ると、御成道筋を市宿町から大手方面に向かって進み木戸を抜けると久保宿と呼ばれる一角があり、当社はその鎮守とされていたようだ。

その後の岩槻城は抵抗むなしく豊臣軍により陥落。
後北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入ると、徳川家の様々な譜代家臣の居城となった。(転々と城主は変わっている)
江戸中期に徳川家重の側用人大岡忠光(大岡越前として知られる大岡忠相の遠縁)が入り、藩主が固定され、明治維新後の廃藩置県まで大岡氏の居城となった。

江戸時代の資料

江戸時代の当社を記した資料がいくつか現存。
江戸時代初期の「武州岩槻城図」に「愛宕神社」が記されている。
また、江戸時代後期の天保十四年(1843)に徳川十二代将軍家慶の日光社参の行程を示した「日光道中絵図」という絵図が存在。
4月13日に江戸城を出発し、13日岩槻、14日古河、15日宇都宮に宿泊しており、その様子を事細かに描いているため、当時の日光道中を知る上で大変貴重な資料。
この「日光道中絵図」の岩槻城近くに当社の存在を確認する事ができる。

愛宕神社

奥に岩槻城があり岩槻城下町の様子が描かれている。
下側に「愛宕社」が描かれており、これが当社だろう。
見ての通り土塁の上にあり、当時の様子が分かる大変貴重な資料となっている。
なお、お隣の「三光寺」は現在は廃寺となっているが、左手に見える「大龍寺」は現在も近くに現存。

岩槻城の廃城・当社に残る大構

そんな岩槻城は明治四年(1871)になり廃城。
現在は岩槻城址公園といった桜の名所になっていたり、いくつか遺構が残るのみに。
岩槻城の大構(土塁)は破壊されてしまったため、今は当社周辺にその面影を残しており、当社が鎮座している高台は、岩槻城の土塁だった場所という事になる。

古くはこういった大構が城下町を囲うように約8kmも続いていたのいうのだから、とても興味深く、現代に残る貴重な存在。

小さいながらも整備された境内

旧社殿は大正十二年(1923)の関東大震災により倒壊。
その後、再建されており、それが現在に残っている。

小さな社殿ではあるが、拝殿の彫刻などはよい出来を感じさせてくれる。

社殿の近くに由緒不明な祠が一社。
さらに三社祠には松尾神社・稲荷神社・天神社がお祀りされている。

御朱印は社務所兼愛宕会館にて。

社務所は平成二十四年(2012)に新築されたそうで、崇敬の篤さを感じさせてくれる。
インターホンを鳴らすと中に入れて下さり、快く対応して下さった。

所感

岩槻駅からほど近い場所に鎮座する愛宕神社。
岩槻の総鎮守といえば旧県社であり中々見事な「岩槻久伊豆神社」があるのだが、当社はそれとは違い村の鎮守といった、どこか懐かしさを感じる佇まいになっている。
小さな境内ではあるが、氏子衆の崇敬の篤さを感じさせてくれ心地よい空間。
そして歴史的に見ても、岩槻城という岩槻の中心となった平城の遺構が残る貴重なエリア。
廃城となり破壊された8kmにも及ぶ大構(土塁)ではあるが、こうして当社の境内には未だに残されているのも、それだけ当社が大切に守られていた証拠とも言えるのではないだろうか。
岩槻は人形の町・旧岩槻城など歴史的に興味深いところも多く、当社はぜひ岩槻散策の際に行っておきたい良社に思う。

神社画像

[ 鳥居・社号碑・参道 ]

[ 鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 参道・石段 ]

[ 手水舎 ]

[ 狛犬 ]


[ 石段・拝殿 ]
[ 拝殿 ]


[ 本殿 ]
[ 拝殿横の祠 ]
[ 三社祠(境内社) ]

[ 稲荷神社 ]


[ 記念碑 ]

[ 社務所・愛宕会館 ]
[ 案内板 ]


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