大宮八幡宮 / 東京都杉並区

神社情報

大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)

御祭神:応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
旧社格:府社 現:別表神社
例大祭:9月15日
所在地:東京都杉並区大宮2-3-1
最寄駅:西永福駅・永福町駅
公式サイト:http://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/

御由緒

 当宮は、第七十代後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、奥州に乱(前九年の役)が起き、征討の勅命をうけた鎮守府将軍源頼義公・義家公(父子)一行が、この地に差しかかると大空に八条の白雲が棚引き、いかにも源氏の氏神・八幡大神の白旗が翻ったように見え、奇瑞とした頼義公・義家公により兵乱鎮定後の帰途、康平六年(1063)、京都・石清水八幡宮のご分霊が勧請されて以来、平成二十五年(2013)、御鎮座九百五十年の式年を迎えました。
この大宮の地は太古より聖域としてご鎮座以前より崇められ、また広大な神域から武蔵国三大宮「多摩の大宮」或いは「武蔵国八幡一之宮」と称され、神々のおわします鎮守の杜として大切に護られ信仰されています。

(※頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2015/08/16

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。
御朱印をお受けした際に挟んであった紙に御由緒などが書かれていた。(画像:Twitter

【御朱印帳】

初穂料:1,500円
社務所にて。

オリジナルの御朱印帳を用意している。
御鎮座九百五十年式年記念の御朱印帳で、神紋の描かれたもの。


※筆者はお受けしていないので情報のみ掲載。


考察

東京のへそ(中央)に鎮座

杉並区大宮に鎮座する神社。
旧社格は府社、現在も神社本庁の別表神社とされ、大変規模の大きな神社。
現在でも15,000坪の規模を誇り都内でも3番目の広さとなる。

武蔵一宮 氷川神社(大宮氷川神社)」と「秩父神社」と共に、武蔵国三大宮の一社とされる事もあり、別称「多摩乃大宮」とも呼ばれ、当宮は「武蔵国八幡一之宮」を称している。
江戸時代には江戸八所八幡宮の一社に数えられた。

東京のほぼ中央に位置するため「東京のへそ」という異名も持ち、パワースポットとしても知られる。

古代より聖域とされた地

現在の当宮一帯からは東京都指定遺跡の「大宮遺跡」が発掘されている。
都内で初めて弥生時代終末期の方形周溝墓3基が発掘されており、他にも多数の土器が勾玉、ガラス玉などが見つかっている。(これらの一部は当宮の清涼殿に展示してある)

これらは弥生時代後期の墓域、祭祀遺跡と判明しており、そのため創建以前より、この地はこの一帯の聖域とされていた事が分かる。

この遺跡は、大宮八幡宮の旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながった推測できるだろう。

源頼義・義家親子による創建

そんな古代より聖域とされていたこの地に、当宮が創建されたのは康平六年(1063)の頃。
源頼義・義家の親子による創建とある。
息子の義家は後に八幡太郎義家と称した事でも有名で、源氏と八幡信仰の篤さを感じさせてくれる。

社伝によると、奥州で起きた前九年の役の時、鎮圧の勅命を受けた源頼義・義家の親子は、奥州に向かう途中、武蔵国にて空に八条の白雲が棚引いているのを見たとされる。
これを源氏の白旗が翻ったかのように見た頼義はこれを吉兆とし、乱を平定した後の康平六年(1063)、当地に源氏の守護神である八幡様を石清水八幡宮から勧請して創建している。
その後、息子の八幡太郎義家も後三年の役の後、父に倣い当宮の社殿を修築し、境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられている。

多くの社寺の創建年代には不詳のものも多いのだが、当宮の場合は、現存する史料でも当宮の存在を古くから知る事ができる。
貞治元年(1362)に中野郷大宮住僧が紀伊国「熊野那智神社」に提出した「武蔵国願文」にその名を見る事ができ、この頃には別当寺だった「大宮寺」(現在は廃寺)の存在も書かれている。
上述の大宮遺跡といい、この地が古くから聖域とされていたのは間違いないのだろう。

徳川家康による寄進・再建

その後、天文年中(1532-54)の長尾景虎の乱によって社殿などことごとく焼失。
しばらく荒廃していたようだ。

天正十九年(1591)に徳川家康から社領30石を寄進。
越前松平家の初代である結城秀康の夫人・清涼院により社殿が造営され、再建している。
江戸時代の敷地は境内を除き60,000坪もの広大な規模だったという。

天保年間(1834年/1836年)に発行された『江戸名所図会』に当時の様子が描かれている。

大宮八幡宮

「大宮八幡宮」として描かれているのが当宮。
境内は現在とかなり似た規模や配置になっているのが分かる。
一の鳥居から長い参道があり、神門から社殿へと繋がっている。
右手に流れるのは善福寺川で、かつて湧出していた(現在はポンプで汲み上げている)御神水は「多摩乃大宮水」と称されていた。

杉並区大宮の地名由来

また、前ページには当地が和田村とされている事から「和田八幡宮」とも称されたと書かれている。
当宮に隣接する和田堀公園(旧境内)にも和田の名前が残っており、当地が和田村だった事が分かる。

現在の大宮の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来している。
余談だが、埼玉県の大宮も「武蔵一宮 氷川神社(大宮氷川神社)」を「大いなる宮居」とした事から付けられた名であり、大宮という名の近くには、必ずこのような神社が鎮座している。

明治以降の崇敬

明治になり神仏分離。
別当寺の「大宮寺」は廃寺になり、広大な敷地の35,000坪が押収されている。
それにより規模がやや小さくなったものの、現在も都内においては広大な境内となっている。

明治五年(1872)に郷社に列する。
明治十八年(1885)には府社に昇格。
戦後になり現在は神社本庁の別表神社に指定されている。

このように今もなお東京を代表する一社なのは間違いない。

重厚感のある社殿・広い境内

明治になり広大な敷地の35,000坪が押収されているのだが、それでも現在も広い境内を維持。
一の鳥居を潜ると長い参道が待っている。
二の鳥居の先にも長い参道があり、神門に辿り着く。
この先に重厚感ある社殿が建っている。

現在の社殿は、昭和四十年(1965)に御鎮座900年を記念し造営されたもの。
総檜造りの社殿で重厚感のある出来となっている。

広大な敷地を有する事から見所も多いため、境内案内図を最初に見ておくとよいだろう。

多くある境内社の中でも、神門の手前、手水舎の奥にある「多摩清水社」は御神水を頂ける場所。
上述したように江戸時代から「多摩乃大宮水」と言われていた湧き水で、現在はポンプ式で汲み上げている形ではあるものの、こちらの御神水を求めに参拝者が多く訪れる。

また近年では東京のほぼ中央に位置する事から「東京のへそ」という異名でも知られる。
パワースポットとしても有名で、境内社の「大宮稲荷神社」の周辺では、「小さなおじさん」と呼ばれる妖精の目撃情報や、目撃した人は幸せになるといった都市伝説まで存在。

御朱印は社務所にて。
武蔵国八幡一之宮の印が誇らしい。
またオリジナルの御朱印帳も用意されていた。

所感

東京23区内(杉並区)にありながら、大変広い敷地を誇る当宮。
現在は「東京のへそ」としてパワースポットになっているのだが、歴史的に見ても大変古くから(弥生時代以前より)この地が聖域とされていた事が分かり、古来特別な地であったのだろう。
この日も多くの方がひっきりなしに参詣に訪れており、崇敬の篤さを伺う事ができる。
現在もこうして崇敬を集めているのは素晴らしい。
東京を代表する大きな神社の一社であり、オススメできる良社。

神社画像

[ 一の鳥居・社号碑 ]

[ 一の鳥居 ]

[ 参道 ]

[ 二の鳥居 ]

[ 参道 ]


[ 手水舎 ]

[ 神門 ]

[ 拝殿 ]

[ 拝殿・本殿 ]


[ 狛犬 ]


[ 宝物殿 ]

[ 大宮天満宮 ]

[ 神楽殿 ]

[ 大宮稲荷神社 ]
[ 若宮八幡神社 ]

[ 共生の木 ]

[ 義家公手植松跡・神輿庫 ]

[ 男銀杏 ]

[ 女銀杏 ]

[ 社務所 ]
[ 北神門(赤門)・鶏小屋 ]

[ 北神門(赤門) ]

[ 旧社号碑 ]

[ 振武殿(弓道場) ]

[ 多摩清水社(御神水) ]

[ 清涼殿(結婚式場) ]

[ 幸福がえる ]

[ 南参道 ]
[ 御由緒案内板 ]

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