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概要
明治天皇と昭憲皇太后を祀る日本を代表する神社
東京都渋谷区代々木神園町に鎮座する神社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社であり勅祭社。
御祭神は明治天皇と昭憲皇太后の二柱。
境内は内苑と外苑に分かれ約73万平方メートルに及ぶ広大な神域を有する。
初詣では毎年日本一の参拝者数を誇る神社でもあり、日本を代表する一社。
正式な表記は「明治神宫」で、「宮」の「呂」の部分に中間の線が入らない旧字体。
令和二年(2020)は鎮座百年の節目の年で11月1日に「明治神宮鎮座百年祭」が行われる。
神社情報
明治神宮(めいじじんぐう)
御祭神:明治天皇・昭憲皇太后
社格等:官幣大社・別表神社・勅祭社
例大祭:11月3日(明治天皇御誕生日)
所在地:東京都渋谷区代々木神園町1-1
最寄駅:原宿駅・明治神宮前駅・代々木駅・北参道駅・参宮橋駅
公式サイト:https://www.meijijingu.or.jp/
御由緒
由緒
明治45年7月30日明治天皇が崩御になりますと、国民の間からご神霊をおまつりして、ご神徳を永遠に敬いお慕いしたいとの熱い願いが沸き起こりました。当神宮の造営にあたっては、全国各地よりの献木と青年団員の勤労奉仕がなされ、更には奉賛会を設立して外苑が奉献をみるなど、全国民挙げての創建となりました。
沿革
創建当初の社殿をはじめ主要建物は、昭和20年4月の戦災により焼失しましたが、昭和33年11月、国内はもとより海外からも多額の浄財が寄せられ、現在の社殿が復興されました。(境内の掲示より)
歴史考察
明治天皇の崩御・東京市民の運動により代々木に創建
当社は大正九年(1920)に創建。
明治天皇と昭憲皇太后の二柱を祀り創建された。
第122代天皇で、「一世一元の制」を定め東京府に皇居(旧・江戸城)を置いた。
昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)は明治天皇の皇后。
明治四十五年(1912)、明治天皇が崩御。
大正元年(1912年)、明治天皇の大葬が行われる。
大正三年(1914)、明治天皇の皇后であった昭憲皇太后が崩御。
明治天皇は京都に埋葬されたため、東京にも明治天皇をお祀りする神宮を建設したいとの運動が、天皇を崇敬する東京市民から起こるようになる。
その先頭に立ったのが、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一であり、東京市長・阪谷芳郎ら有力者による有志委員会が組織され、代々木御料地に神宮を建設する建設案が立てられた。
政府は神社奉祀調査会を設置して審議。
幕末から大正時代にかけての武士・官僚・実業家。
第一国立銀行など多くの銀行の設立を指導した他、東京証券取引所、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、田園都市(現・東急)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上と云われていている。
この事から「日本資本主義の父」とも称される他、「私利を追わず公益を図る」の理念を貫き通したため、財閥を作らなかった事でも知られる。
大正四年(1915)、大正天皇の裁可を受けて「官幣大社 明治神宮」を創建する事を発表。
明治天皇に縁の深かった代々木御料地へ創建する事が決まる。
かつて彦根藩主井伊家の下屋敷があった場所。
明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたもので、南豊島御料地とも呼ばれた。
代々、当地には樅(もみ)の大木があったので、「代々木」の地名がついたと云う。
明治天皇も昭憲皇太后も時折訪れて気に入っていたとされ、明治天皇は以下の歌を詠んでいる。
うつせみの 代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ
この代々木の地に「明治神宮」の造営が開始される。
11万人もの勤労奉仕・人工で作られた鎮守の森
社殿などの造営と同時に進められたのが鎮守の森の整備。
神社には鎮守の森が必然であり、この整備を行う必要があった。
明治四十二年(1909)測図の古地図を見ると「明治神宮」造営前の様子が伝わる。
(今昔マップ on the webより)
赤円で囲った箇所に「南豊島御料地」とあるのが代々木御料地。
その周囲には大日本帝国陸軍の代々木練兵場。
代々木村の地名、さらに橙円で囲った「八幡神社」が代々木村の鎮守であった「代々木八幡宮」。
周辺の様子を見ても当地は畑や荒れ地が殆どだったという事実が分かる。
大正四年(1915)、「明治神宮」創建の発表を受け、「永遠の森」を目指した壮大な計画を開始。
5年がかりで人工の森を造る事となり、全国青年団の勤労奉仕により整備が行われた。
日本中より延べ11万人にも及ぶ青年団員が動員され、多くの国民が自発的に勤労奉仕に参加したと云う。
さらに鎮守の森を整備するために、日本全国から木の奉納(献木)が行われた。
北は樺太、南は台湾まで、さらに満州や朝鮮からも届き、約10万本(365種)の木が奉献。
鎮守の森の設計は、林学の権威・本多静六など当時の最先端の技術者や科学者が加わった。
100年後に自然の森として育つように、永遠の森が形成されることを科学的に予測し植樹された。
当宮が鎮座から約100年経ち、現在はかなり自然の森に近い状態に育っているのだから素晴らしい。
東京の気候に合わない種類もあったため、種類こそ246種類に減ってしまったが、本数は約17万本と増えており、限りなく自然の森化している事が分かる。
とても荒れ地に人口で作ったとは思えない、元々森があったところに神社を造営したとしか思えない境内となっている。
奉祝の賑わいに満ちた東京・50万人が参拝した鎮座祭
大正九年(1920)、造営開始から5年後を経て鎮座祭が行われる。
大正九年(1920)11月1日に斎行された「明治神宮」の鎮座祭。
花火が打ち上げられイルミネーションに彩られ大いに盛り上がる事となる。
各所に奉祝鳥居が建てられ、花電車が走り、東京の町は奉祝の賑わいに満ちた。
全国から約50万人の参拝者が訪れた記録が残っている。
鎮座祭には当日だけで全国から約50万人の参拝を記録。
東京は奉祝に満ち溢れ、日本中がお祝いムードの中で鎮座祭が行われた。
現在もこの賑わいは続いている。
左が大正九年(1920)の鎮座祭の様子で、右が現在の初詣の様子。
初詣の参拝者数は毎年日本一で、正月三が日だけで300万人以上が参拝に訪れる。
大正九年(1920)鎮座祭から、今も変わらず国民に崇敬され人気のある神社なのがよく伝わる。
第二次世界大戦と戦後の復興・令和二年に百年祭
昭和二十年(1945)4月13日、大規模な空襲により本殿など殆どの建物が悉く焼失。
神門・宿衛舎・祓舎以外は全て焼失している。
社殿周りは拝殿の前にある3本の大楠だけが、真っ黒に焼け焦げながらも生き残ったとされており、その姿を今も見る事ができる。
夫婦楠として信仰されている大樹。
昭和二十一年(1946)、仮殿が建設され遷座祭が行われた。
昭和二十八年(1953)、明治神宮復興奉賛会を結成。
日本全国、さらに海外からも復興資金が寄せられた。
昭和三十三年(1958)、社殿を造営し遷座祭が行われる。
これが現在の社殿となっている。
平成十六年(2004)、神社本庁との包括関係を解消し単立神社に。
平成二十二年(2010)、再び神社本庁と被包括関係を設定し別表神社に指定されている。
令和二年(2020)、鎮座百年を迎え11月1日に百年祭を斎行。
百年祭に合わせて数年前より令和元年(2020)にかけて境内整備が行われた。
同年、10月30日-11月1日の3日間限定で、鎮座百年祭奉祝の夜間特別参拝が開催。
美しく幻想的な灯りが境内を彩り百年祭を祝う。
全国各地から灯りの奉納、崇敬者からの夢鈴が掲出された。(画像含め詳細は後述)
境内案内
約70万平方米の境内・南参道の大鳥居
最寄駅の原宿駅より徒歩すぐの距離。
約70万平方米の広大な境内を有し、当時の国民の手によって人口で作られた森は、現在は自然化している。
参道の入口は南・北・西と三箇所あり、いずれも南参道・北参道・西参道と呼ばれる。
多くの人々は原宿駅近くの南参道からお参りする事が多く、こちらが表参道にあたる。
立派な木造の大鳥居(一之鳥居)。
一之鳥居を潜ると緑溢れ広々とした参道。
参道のどこから参拝しても中央の社殿まで10分はかかる広大な境内となっている。
日本全国の青年団の勤労奉仕によって整備された鎮守の杜。
当時最先端の技術者や科学者が加わり計画され、100年後に自然の森として育つように、永遠の森が形成されることを科学的に予測し植樹された。
創建から100年の令和二年(2020)において、限りなく自然の森化して当時の計画が成功したことを物語る。
奉納されたワイン樽や清酒菰樽の数々
長く広い参道を突き進むと、途中にワイン樽や酒樽が並べられた一画。
左手にあるのが献納されたワイン樽。
ワイン産地として名高いブルゴーニュ地方の醸造元各社からの献納となる。
右手にあるのが清酒菰樽。
酒造家などから献納された酒樽の数々で、名だたる銘酒の酒樽が並ぶ。
特に外国人観光客から人気のある一画で、足を止めて観察したり写真を撮る方が多い。
日本一の大きさを誇る木造の明神鳥居(二之鳥居)
参道を進み南参道と北参道がぶつかるところに大鳥居が見えてくる。
当宮のシンボルでもある大鳥居。
高さ12m・幅17m・柱の直径1.2m・重さ13トンで、木造の明神鳥居として日本一の大きさを誇る。
初代は昭和四十一年(1966)の落雷によって破損しているため、二代目の大鳥居。
現在の鳥居は昭和五十年(1975)に建立されたもの。
日本国内には大鳥居に見合う大木がなかったため、初代の大鳥居と同様に、台湾の阿里山連峰3,300mの山奥で樹齢1,500年の大檜を発見。
日本まで持ってきて再建したため、再建までに9年以上も有している。
開催期間:令和二年元日-11月30日まで
大鳥居(二之鳥居)から参道沿いに記念展を開催。
創建時と現在の比較。
パネルを見ながら当宮の変遷を知る事ができる催しとなっている。
三之鳥居と創建当時の神門
参道を更に進むとその先に三之鳥居が見えてくる。
三之鳥居の手前に手水舎。
普段は綺麗な水が溢れ身を清める事ができる。
参道の正面に平成二十八年(2016)に竣工した三之鳥居。
創建時の鳥居の老朽化のため国産檜での建て替えが行われた。
その時の様子は「清水建設」の公式サイトに掲載されているのでご覧頂きたい。
三之鳥居の先に神門。
美しい造形の立派な神門。
先の大戦で社殿のほとんどが悉く焼失しているが、この神門は戦火から免れて現存。
創建当時の神門で、大正九年(1920)鎮座祭の白黒写真に映っていた神門が現存している。
戦後に再建された見事な社殿
神門を潜ると広い空間が設けられ、その先に立派な社殿。
この広い空間も初詣になると入り切らない程、参拝者で溢れる。
旧社殿は第二次世界大戦の空襲にて焼失。
現在の本殿は、日本全国や海外からも復興資金が寄せられ、昭和三十三年(1958)に再建。
令和二年(2020)百年祭に向け改修工事が行われ、2020年3月参拝時は最後の工事として外拝殿の御扉が修復工事中であった。
縁結びの夫婦楠・空襲から復活した3本の大樹
拝殿前には3本の大楠。
左手に2本の大楠が寄り添うように聳える。
空襲にて境内には1,330発の焼夷弾が投下されたと云い、これらの大楠は真っ黒に焼け焦げながらも生き残ったと伝わる。
夫婦楠として縁結び・夫婦和合の象徴として信仰されている大樹で、大正九年(1920)に献木されたものが現存。
拝殿前の右手にも1本の大楠。
こちらの手前には絵馬掛けが置かれ、多くの人々の願い事を見守る。
明治神宮御苑・美しい庭園・花菖蒲田
「明治神宮」の境内には他にも多くの施設が設置・整備。
特に知られるのが「明治神宮御苑」と呼ばれる庭園。
江戸時代の頃は熊本藩主加藤家、後に彦根藩主井伊家の下屋敷の庭園だった一画。
明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたもので「代々木御料地」「南豊島御料地」などと呼ばれ、明治天皇の思召によって模様替えがされ、昭憲皇太后は度々行啓されたと云う。
大鳥居(二之鳥居)の先に「明治神宮御苑」の北門がある。
御苑維持協力金と云う形で500円を納めて入苑。
入苑の際にリーフレットを頂く事ができる。
3月-10月:9時-17時
11月-2月:9時-16時30分
御苑維持協力金:500円
とても広い庭園。
入ってしばらく先に隔雲亭。
戦火で焼失し昭和三十三年(1958)に再建されたものであるが、陛下がご休息する際に使用された。
東京、それも原宿のすぐそこというのを忘れてしまう程、美しく広い庭園。
美しい池も綺麗に整備。
花菖蒲田など季節によって四季折々の表情を楽しむ事ができる。
うつせみの 代々木の里はしづかにて 都のほかのここちこそすれ
明治天皇がこう詠んだのは、まさにこの神宮御苑の様子である。
パワースポットとして人気の清正井
「明治神宮御苑」の最も奥、北西に「清正井(きよまさのいど)」と呼ばれる井戸がある。
広い御苑内であるがところどころに案内板が設置されているので迷う事はない。
都会では珍しい湧水の井戸。
水温は四季を通じて15度前後と一定していて、毎分60リットルの水量がある。
「明治神宮」が創建するより昔の江戸時代から「清正井」といわれており、加藤清正が自ら掘ったという逸話が残っている。
戦国武将・戦国大名であり、熊本藩初代藩主。
豊臣秀吉の家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。
築城の名手として知られ、熊本城・名護屋城・蔚山倭城・江戸城・名古屋城など数々の城の築城に携わった。
また領内の治水事業にも意欲的に取り組んでおり、非常に優れた土木技術を誇っていたため、400年以上経った現在も実用として使われている遺構も少なくない。
明治神宮御苑内の最奥まで行くとやや下りた先にあるのが清正井。
実に透明感のある湧き水の井戸。
近年はパワースポットとして特に注目を集めている。
TV番組で島田秀平氏がパワースポットとして紹介したことをきっかけに爆発的な人気になり、混雑時は整理券配布で数時間待ちになった事も。
最近は落ち着きを取り戻し、平日の時間帯によってはほぼ独占して美しい井戸を眺める事ができる。
南池の水源にもなっていて凛とした空気感のあるスポットとなっている。
フォレストテラス・ミュージアム・レストランなども
当宮の境内には、他にも宝物展示室、宝物館、レストランなど色々な施設を設置。
令和元年(2019)には新たな宝物館として「明治神宮ミュージアム」(隈研吾設計)が開館。
なお、明治神宮球場を始めとした施設が置かれた「明治神宮外苑」も当宮の洋風庭園であり、当宮の社地の一画と見なされている。
明治神宮鎮座百年祭奉祝・3日間限定の夜間特別参拝
令和二年(2020)11月1日に「鎮座百年祭」を迎える当宮。
「鎮座百年祭」を迎えるにあたり、奉祝のあかり「夢鈴」の奉納を受け付けた。
「鎮座百年祭」を迎えるにあたり受け付けている特製の奉納品。
「明治神宮」の備林ヒノキ材で特製した短冊に願いを込めて奉納。
10月30日-11月1日の3日間、参道に奉祝献灯「夢鈴」として掲出、夜間特別参拝を実施。
初穂料:2,000円(割符は奉納記念品として頂ける)
奉納した短冊は、10月30日-11月1日の3日間、参道に奉祝献灯「夢鈴」として掲出。(以下の画像は10月30日の夜間特別参拝で撮影したもの)
夜間特別参拝を実施し11月1日の「鎮座百年祭」を彩る。
ライトアップされた一之鳥居。
夢鈴が彩る参道。
赤を基調とした美しい参道。
大鳥居の先では全国からの菊花展。
参道の各所に全国各地から奉納された灯りが灯る。
三之鳥居。
イルミネーションで彩られた神門。
鎮座百年を祝う実におめでたい空間。
紫系で落ち着いた色合いでライトアップされた社殿。
画像では伝わりきらない程、実に幻想的で美しい空間であった。
鎮座百年祭の記念すべき時代にいれた事を感謝したい。
伊藤園による奉納の明治神宮鎮座百年祭「明治浪漫茶」(非売品)も無料で配られ有り難い限り。
令和二年10月30日-11月1日
※30日・31日は19時まで入苑・11月1日は20時まで入苑
明治神宮の御朱印・御朱印帳・限定御朱印帳
御朱印は授与所の一画にある御朱印授与所にて。
御朱印をお受けする方向けの専用スペースを設けている。
混雑時は大行列になることもあるため指示に従うと良いだろう。
御朱印は「明治神宮」の朱印、十六八重菊と五七桐の神紋。
令和二年に頂いたものは「鎮座百年祭記念」の印も押印。
オリジナルの御朱印帳も用意。
光沢のある布地で、紫と白の和文様。
1ページ目には「明治神宮」の御祭神・御祭典などが印刷されている。
所感
原宿駅のすぐ近くに鎮座する日本を代表する一社。
表参道、外苑前など若者たちに人気のファッションの最先端エリアではあるが、これらの呼称は全て「明治神宮」を中心に成立している。
例年初詣では日本一の参拝者数を誇る事からも、当社が今もなお崇敬篤いのが伝わる。
人口で作られた鎮守の森は、現在はかなり自然化されており、当時の叡智と国民の崇敬の象徴とも云え、鎮座から約100年経てその凄さを知る事ができる。
境内に入ると清々しい深い森になっており、正に都会にあるオアシスといったところ。
社殿の多くは戦後復興されたもので、戦後復興の象徴の1つとも言えるのではないだろうか。
規模や境内の雰囲気のどれをとっても東京、日本を代表する1社であるのは間違いない。
令和元年(2020)11月1日に「明治神宮」は鎮座百年祭を迎える事となるのだが、大きく変わっていく東京において、当宮は変わらず崇敬され続け、現在の姿を維持していくのだろう。
御朱印画像一覧・御朱印情報
御朱印
初穂料:500円
御朱印授与所にて。
御朱印帳
オリジナル御朱印帳
初穂料:1,000円(御朱印代込)
御朱印授与所にて。
オリジナルの御朱印帳を用意。
光沢のある布地で、紫と白の和文様となっている。
1ページ目には「明治神宮」の御祭神・御祭典などが印刷。
透明の防水カバーも一緒についてくる。(裏面には名札シール有り)
授与品・頒布品
明治浪漫茶(非売品)
初穂料:─
明治神宮鎮座百年祭夜間特別参拝にて。
※伊藤園による奉納の「明治浪漫茶」(非売品)で特別パッケージ。
※3日間限定の鎮座百年祭夜間特別参拝にて配布された。
夢鈴 奉納記念品
初穂料:2,000円
南第三鳥居右側にて。
※明治神宮鎮座百年祭奉祝のあかり「夢鈴(ゆめりん)」を奉納した際に頂ける記念品。
※明治神宮の備林の檜材による特製のもの。(御朱印と同じサイズ)
※夢鈴についての詳細は公式サイトにて。
交通安全御守
初穂料:1,000円
授与所にて。
※交通安全の御守とステッカー付き。
参拝情報
参拝日:2020/10/30(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2020/03/06(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2016/03/30(御朱印拝受)
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