無格社

品川区

荏原金刀比羅神社 / 東京都品川区

荏原のこんぴらさま。中原街道沿いの小さな神社。紫水晶(アメジスト)原石が置かれた境内。20円のおみくじ販売機。江戸時代に高松城主の命で金刀比羅宮を勧請。昭和初期に現在地へ遷座・金毘羅信仰が根付いていた当地。東京大空襲の戦火を免れる。御朱印。
江東区

東大島神社 / 東京都江東区

戦後に5社が合併した東大島地区の鎮守。江戸時代に創建した5つの神社。深川出村・平方村・小名木村・北本所出村・南本所出村。明治地図の東大島地区。東京大空襲で5社が焼失。戦後に5社が合併して創建。東大島地区の歴史を伝える文化財・石造物。御朱印。
江東区

亀高神社 / 東京都江東区

旧亀高村鎮守のお稲荷様。亀高新田(亀高村)の開拓・五穀の神として祀られる。徳川吉宗が鷹狩りの際に参詣。戦後の再建と社号変更。大賑わいの砂町銀座商店街エリアに鎮座。日清戦争時の砲弾による忠魂碑・戦前の百度石。台座が立派な二対の狛犬。御朱印。
江東区

宇迦八幡宮 / 東京都江東区

千田鎮守の稲荷・八幡さま。江戸時代のゴミの埋立地を開拓・千田新田が成立。片栗八幡宮とも称される。十万坪とも呼ばれ歌川広重が浮世絵にも描いた千田新田。旧社殿と同形式で再建された社殿。有形文化財の六角宝塔・水子供養のみがわり地蔵尊。御朱印。
日野市

日野宮神社 / 東京都日野市

日野四ツ谷地区(栄町一帯)鎮守。通称・権現さま。鰻を食べてはいけないという伝承がある四ツ谷地区。武蔵七党の中の西党・祖神を祀り日野宮権現を創建。日野の地名由来説の1つ。栄町遺跡・中世の村落。仏像が3体安置。本務社は「日野八坂神社」。御朱印。
世田谷区

上野毛稲荷神社 / 東京都世田谷区

上野毛鎮守のお稲荷様。野毛村の歴史・上野毛と下野毛の分村。上野毛村の名主であった田中氏・その邸内社。明治以降の歩み・上野毛全域の鎮守。上野毛通り稲荷坂の途中に鎮座。崖を切り崩した境内。神明造の社殿。本務社は「等々力稲荷神社」。御朱印。
世田谷区

中町天祖神社 / 東京都世田谷区

中町(旧野良田村)鎮守の天祖神社。上野毛通り沿いに鎮座。雰囲気のよい並木参道。開放感のある境内。粕谷氏による野良田村の開墾とその鎮守。明治になり天祖神社へ改称。中町への改称によって野良田の地名は消失。本務社は「等々力玉川神社」。御朱印。
世田谷区

東玉川神社 / 東京都世田谷区

東玉川の鎮守。「渋谷氷川神社」より移築された江戸時代初期の社殿。拝殿天井絵の火焔龍神像。親子龍の彫刻。等々力村の飛地であった諏訪分と鎮守の諏訪社。明治になり玉川村の成立・合祀政策によって廃社。昭和に入り諏訪社再建と東玉川町の成立。御朱印。
豊島区

駒込妙義神社 / 東京都豊島区

太田道灌が崇敬した戦勝の宮。勝負の神様。日本武尊を祀る豊島区最古の神社。太田道灌による戦勝祈願。江戸切絵図から見る妙義大権現。勝守・大吉か凶かどちらかの吉凶福みくじ。太田道灌を祀る道灌霊社。江戸初期の庚申塔。柄杓を触る人懐っこい猫。御朱印。
豊島区

大國神社 / 東京都豊島区

駒込妙義坂上のだいこく神社。大黒天(大黒様)。駒込駅前の好立地に鎮座。懐かしい10円のおみくじ販売機が健在。60日毎の甲子祭・木彫の大國像が授与。宮司の先祖・大島氏の屋敷内に奉斎。徳川家斉が参詣した出世大黒。江戸切絵図から見る駒込。御朱印。
豊島区

染井稲荷神社 / 東京都豊島区

ソメイヨシノ発祥の地・染井村鎮守のお稲荷様。造園師や植木職人などが集落を作り、村全体が花園だった染井村。浮世絵や双六の題材にもされ花見や遊覧の場として人気を博す。関東大震災や戦災を免れた社殿・火防の神。染井よしの桜里祭り。御朱印。
世田谷区

久富稲荷神社 / 東京都世田谷区

世田ヶ谷村の枝郷・新町村(現・新町と桜新町)の鎮守。約250mの長い参道。戦前の社殿が現存。漫画『ぎんぎつね』冴木稲荷神社のモデル・サイン色紙。御朱印には銀太郎の印判。ふくろうの社・年2回のふくろう祭(フリーマーケット)。御朱印。御朱印帳。
新宿区

厳嶋神社(抜弁天) / 東京都新宿区

抜弁天(ぬけべんてん)の通称で知られる。新宿山ノ手七福神・弁財天。源義家によって創建。抜弁天と呼ばれた由来。生類憐れみの令によって犬小屋が設けられた地。江戸六弁天。南北に通り抜けできる境内。弁天池が整備。本務社は「西向天神社」。御朱印。
大田区

嶺天祖神社 / 東京都大田区

嶺の天祖神社。環八通り沿いに鎮座する小さなお伊勢様。都内で唯一の禰宜舞が行われる例祭。「伊勢神宮」に参拝した嶺村の村人によって創建。新編武蔵風土記稿に記された当社。明治維新後の歩み・地域の集いの場となる。本務社は「嶺御嶽神社」。御朱印。
大田区

嶺稲荷神社 / 東京都大田区

住宅街の嶺稲荷児童遊園に鎮座する小さな稲荷神社。江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に記された当社。明治維新後の歩み。勤労奉仕による整備。戦後になり区立の児童遊園へ。鉄柵で保護された戦前の神狐像・小さな社。本務社は「嶺御嶽神社」。御朱印。
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