天祖・諏訪神社 / 東京都品川区

神社情報

天祖・諏訪神社(てんそすわじんじゃ)

御祭神:天照大御神・豊受大神・建御名方命・小碓命
旧社格:村社(天祖神社)
例大祭:9月第3土・日曜
所在地:東京都品川区南大井1-4-1
最寄駅:立会川駅
公式サイト:http://tensosuwa-jinja.jp/

御由緒

浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖・諏訪神社は、古くは神明宮、諏訪社と称し、かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていました。
天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永八年(1631年)以前の創建と思われる。両社は昭和四十年に合祀され天祖・諏訪神社と称されるようになった。(頒布の用紙より)

参拝情報

参拝日:2016/12/27(御朱印拝受/ブログ内画像撮影)
参拝日:2015/08/05(御朱印拝受)

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

2015年に拝受した際は間違えて東海七福神・福禄寿の御朱印を押してしまったとの事で、見開きでお隣に神社御朱印も押して下さった。
通常は見開きで頂けるものではないので、これもご縁という事で有り難い。

[2016/12/27拝受]
(通常御朱印)

[2015/08/05]
(御朱印・東海七福神)

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考察

天祖神社と諏訪神社の合祀によって誕生

東京都品川区南大井に鎮座する神社。
立会川を挟んで鎮座していた「天祖神社」と「諏訪神社」が、昭和四十年(1965)に合祀されて誕生。
旧社格は「天祖神社」が村社で、「諏訪神社」が無格社。
旧大井村の濱川町(浜川町)・元芝町(上芝・下芝)の鎮守。
現在は東海七福神の福禄寿を担っており、品川区と大田区に7社の兼務社を抱える地域の中心的な神社となっている。

平安時代より鎮座する天祖神社

「天祖神社」の創建は、建久年間(1190年-1199年)の『大井郷之図』に「神明社」としてその姿を確認できる事から、それ以前の創建と推定されている。

元々は別当寺であった「来福寺」(東大井3丁目)の境内にあったとも云われており、「来福寺」は正暦元年(990)に智弁阿闍梨が創建したと伝わる古刹。
この事からも当社は平安時代には創建されていたものと思われる。

古くから「神明宮」「神明社」と呼ばれ、伊勢信仰の神社として地域からの崇敬を集めた。
大井村が成立以来の神社と伝えられており、大井村の濱川町と上芝・下芝(元芝)といった一角の鎮守であった。

江戸時代初期に創建の諏訪神社

「諏訪神社」の創建は、寛永八年(1631)以前と伝えられている。

かつては松平土佐守の下屋敷の海岸寄りに鎮座していたと伝わる。
なお、現在も第一京浜沿いに土佐藩下屋敷跡(東大井3丁目)の案内が置かれている。

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大井村の浜川町に鎮座しており、「天祖神社」とは立会川を挟む形で鎮座していた。
現在は「仲町稲荷神社」(東大井2丁目)が鎮座している場所が旧鎮座地であろう。

大井村の濱川町は、村民たちによってさらに北濱川と南濱川で分けられていたようで、北濱川に鎮座していたのが「諏訪神社」であり、南濱川に鎮座していたのが「天祖神社」。
総鎮守は「天祖神社」であったが、「諏訪神社」も同じ村民からの崇敬を集めたようだ。

江戸時代の史料から見る当社

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(大井村)
神明社
除地一段十二歩。小名濱川町にあり。此所の鎮守也。社二間に九尺。当社も村の開闢よりの神社と云のみにして其年代を傳へず。祭礼毎年九月十六日、神楽を奏す。村内来福寺持。下五社持皆同。
末社。稲荷社。天神社。疱瘡神社。弁天社。右何れも本社の側にあり。
諏訪社
除地四畝十八歩。小名濱川町にあり。祭礼毎年の六月二十日なり。

大井村の「神明社」として記されているのが「天祖神社」。
濱川町に鎮座していてこの地の鎮守だという事と、大井村開闢よりの神社という事が記されており、創建年代は不詳ながら村にとって古くから崇敬されていた事が伝わる。
別当寺は「来福寺」で、境内末社も複数抱える神社であった。

同村の「諏訪社」として記されているのが「諏訪神社」。
こちらも濱川町に鎮座していた事が分かる。
同様に「来福寺」が別当寺であった。

他に江戸時代の「天祖神社」の史料として、正徳三年(1713)に村民たちより御供料として社領を寄進、寛政二年(1791)に社殿の再建、元治二年(1866)再興、慶応三年(1868)氏子の寄付により再建、といった記録が残っている。
このように特に「天祖神社」は地域の鎮守として、村民たちより篤く崇敬された事が分かる。

両社の間に架かる泪橋(浜川橋)

立会川を挟む形で鎮座していた両社。
その両社を結ぶ立会川に架けられた橋が、現在の「浜川橋」。

現在も当社の表参道のすぐ右手にある橋で、今となっては至って普通の小さな橋であるが、かつては「泪橋」とも呼ばれ、江戸時代における旧東海道の橋であった。

濱川橋
村の東方濱川に架す。長八間幅三間。

こちらは『新編武蔵風土記稿』に記されたものであるが、正式には当時から「濱川橋」とされていた事が分かる。
ではなぜ「泪橋」と呼ばれていたのか。
それには当地の先にあった鈴ヶ森が関わってくる。

江戸時代、当地の先にあった鈴ヶ森には「鈴ヶ森刑場」と呼ばれる江戸の南の刑場が置かれていた。
220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと云われており、平井権八、八百屋お七といった人物がここで処刑されている。

江戸から鈴ヶ森刑場に向かうには、近くの立会川にかかる浜川橋を渡る必要があった。
すなわちこの橋は、罪人にとっては現世との最後の別れの場であり、身内の者には罪人との今生の別れの場となった橋。
お互いがこの橋の上で泪を流したことから、「泪橋」と呼ばれるようになったと伝わる。

なお、こうした泪橋は江戸の北の刑場であった「小塚原刑場」にもあり、そちらは漫画「あしたのジョー」の舞台としても有名である。

こうした泪橋を挟む形で鎮座していた両社は、こうした人々からも崇敬されたのであろう。

明治以降と戦後の再建

明治に入り神仏分離。
明治八年(1875)、「天祖神社」は村社に列した。
おそらくこの頃に「神明社」から「天祖神社」に社号を改めている。

明治三十九年(1906)の古地図がある。
当時の当地周辺との地理関係を確認する事ができる。

今昔マップ on the webより)

赤丸で囲ったのが「天祖神社」で、現在の当社と同じ鎮座場所となっている。
青丸で囲ったのが「諏訪神社」で、現在は「仲町稲荷神社」が鎮座しており、当社に合祀される際に末社のお稲荷様だけ残ったという事になるのであろう。

ご覧の通り立会川を挟んで鎮座する形。
北濱川と呼ばれた地域に「諏訪神社」があり、南濱川と呼ばれた地域に「天祖神社」があった事が分かる。

昭和七年(1932)、品川町・大井町(旧大井村)・大崎町が合併して品川区が成立。
当地は、品川区大井町字北浜川・南浜川といった地名となり、後に大井北浜川町・南浜川町となる。
また江戸時代に上芝・下芝と呼ばれていた地域は、大井元芝町となった。
これら一帯の総鎮守が「天祖神社」であった。

昭和三十八年(1963)、住居表示実施によって浜川町・元芝町が廃止。
いずれも東大井2・3丁目となり、旧地名は公式には消滅する事となる。

昭和四十年(1965)、「天祖神社」の改築に伴って「諏訪神社」が合祀され、現在の「天祖・諏訪神社」となった。
この時に「濱川神社」(南大井2丁目)より、東海七福神の福禄寿を遷している。
なお、上述の通り「諏訪神社」の旧鎮座地には現在も「仲町稲荷神社」が残されている。

平成二十八年(2016)、それまで8月1日に行われていた例祭を9月第3土・日曜に変更。
これは関東大震災以前の例祭日だと云う。

現在は東海七福神の福禄寿として、さらに「濱川神社」「春日神社」「山王日枝神社」「八景天祖神社」「堤方神社」「池上本町稲荷神社」「長田稲荷神社」といった周辺神社の本務社となっており、この地域の中心的神社を担っている。

大田区春日神社 / 東京都大田区
旧新井宿村鎮守。大田区中央鎮座・池上道(平間街道)と呼ばれた古い街道沿い。鎌倉時代に春日大社からの勧請。春日造の本殿・旧本殿を利用した神楽殿。住宅街の一角に鎮座・整備された境内。本務社は「天祖・諏訪神社」。御朱印。
大森山王日枝神社 / 東京都大田区
大森の山王さま。大田区(大森)山王の地名由来。酒井氏の邸内社として創建。新井宿義民六人衆の悲劇。酒井権左衛門の斬首とその後の当社。江戸時代の史料の山王社。大森駅近くに鎮座・再建された素晴らしい社殿。境内社・当地の歴史を伝える庚申塔。御朱印。

綺麗に整備された境内・改築された社殿

最寄駅の立会川駅からは徒歩数分の距離で東に進み、浜川橋(泪橋)を渡るとすぐに鎮座している。
社号碑は昭和十年(1935)に建てられたものなので、今も「天祖神社」のまま。
その先に鳥居と参道が続き、石段の先が境内で、すぐ右手に手水舎。
正面が社殿となる。

社殿は昭和四十年(1965)に改築されたもの。
鉄筋コンクリート造の社殿で、状態も綺麗に維持されている。
本殿は境外の路地横から綺麗に見る事ができる。

この社殿改築に伴って「諏訪神社」が合祀され、現在の「天祖・諏訪神社」となった。
そのため当社には伊勢信仰である天照大御神・豊受大神の二柱、諏訪信仰である建御名方命が祀られており、さらに小碓命(日本武尊)も合祀されているとの事。

江戸時代の狛犬・立派な弁天池

拝殿の前には慶応三年(1867)に奉納された狛犬。
笑顔になっているのが特徴的。

社殿の左側奥に境内社の南稲荷神社。
『新編武蔵風土記稿』にも記されていた末社の稲荷社であろう。

境内の右手にとても立派な弁天池を有する厳島神社。
『新編武蔵風土記稿』に弁天社と記されており、当社創建時から鎮座していたと伝わる。
弁天池は鯉が泳いでいたりととても綺麗に整備されており、奥に朱色の社殿が鎮座。
とても立派で美しいエリアとなっていて崇敬の篤さを感じさせてくれる。
当社は東海七福神の七福神を担っているが、弁財天と云われてもおかしくないくらい見事な境内社。(東海七福神の弁財天は「磐井神社」が担っている)

御朱印は社務所にて。
2015年に御朱印を拝受した際は、間違えて東海七福神・福禄寿の御朱印を押してしまったとの事で、見開きでお隣に神社御朱印も押して下さった。
通常は見開きで頂けるものではないので、これもご縁という事で有り難い。
本来、東海七福神の御朱印は正月期間(1月1日-15日)限定で頂ける。

所感

濱川町など地域の鎮守であった「天祖神社」と、立会川(泪橋/浜川橋)を挟んで鎮座していた「諏訪神社」が合祀され誕生した当社。
濱川総鎮守として「濱川の神明さま」と親しまれてきた。
残念ながら濱川(浜川町)の地名は公式からは消滅してしまっているが、当社が鎮守を名乗る事で旧地名が保存できているのは喜ばしい事であろう。
綺麗に整備された境内には、日頃から氏子の参拝を見る事ができ、崇敬を集めている事が伝わる。
現在では東海七福神の福禄寿の他、品川区・大田区近辺にある多くの神社の本務社となっており、地域の中心的神社を担っている神社である。

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神社画像

[ 社号碑・鳥居 ]

[ 鳥居 ]

[ 参道 ]


[ 手水舎 ]

[ 拝殿 ]



[ 本殿 ]

[ 狛犬 ]


[ 南稲荷神社 ]

[ 厳島神社 ]




[ 神輿庫 ]

[ 社務所 ]

[ 石碑 ]

[ 案内板 ]

Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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