太子堂八幡神社 / 東京都世田谷区

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神社情報

太子堂八幡神社(たいしどうはちまんじんじゃ)

御祭神:応神天皇(誉田別尊)
旧社格:村社
例大祭:10月第2土・日曜
所在地:東京都世田谷区太子堂5-23-5
最寄駅:西太子堂駅・三軒茶屋駅
公式サイト:─

御由緒

 当社の鎮座年暦不詳なれど、旧当社別当円泉寺開基の縁起によれば、文禄年間(1592-6年)創祀されたとあるが、平安時代後期源義家が父頼義と共に朝廷の命をうけ陸奥の安倍氏征討に向う途中この地を通過するに際し、八幡神社に武運を祈ったと伝えられている事から少なくともこれより(文禄年間)以前に里人により石清水八幡宮の御分霊を勧請し村の守護神として祀った事はあきらかである。
 太子堂の歴史の一頁を開いてきたものに鎌倉道がある。太子堂と若林の村境を通って八幡神社の西側から滝坂道を横切り下北沢と代田の境を通って鎌倉へ通ずる道で鎌倉道と呼ばれ古い時代には行きつく目的地の名を取って付けたようである。
 此の鎌倉道の附近に義家は諸将兵に命じ駒を止め同勢を憩わし酒宴をはった、太子堂上本村121-2番地の辺を(五丁目)土器塚と云い、酒宴後の土器など此の地に埋めたのでそう呼んだのである。その塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは、同勢を憩わした名残である。
 真言宗豊山派円泉寺境内に聖徳太子像を安置し、それより太子の号をとりて部落の村名とした。
 以上は、古老の伝承、武蔵風土記等を参照記したものである。(境内の掲示より)

参拝情報

参拝日:2016/11/22

御朱印

初穂料:300円
社務所にて。

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歴史考察

太子堂鎮守の八幡さま

東京都世田谷区太子堂に鎮座する神社。
旧社格は村社で、太子堂の鎮守。
太子堂の地名由来となった「円泉寺」が旧別当寺。
戦前に整備された境内のほとんどが戦火を免れ現存している。

源頼義・義家(八幡太郎)の伝承

創建年代は不詳であるが、当社には源頼義とその嫡男・源義家(八幡太郎)の伝承が残されている。

永承六年(1051)、源頼義・義家の父子は、陸奥国の豪族であった安倍氏の反乱を平定するため、奥州へ向かう事となる。
これがいわゆる「前九年の役」と呼ばれる奥州での戦である。

源頼義・義家の軍勢は、奥州へ向かう途中、鎌倉道に面した当社に戦勝祈願をし、酒宴を催し休憩したと伝えられている。

当社の西側には古くから鎌倉道と呼ばれた鎌倉へ通ずる道があり、この時の酒宴の土器を埋めたとされる土器塚と呼ばれていた塚があったりと、源頼義・義家の伝承は太子堂周辺に伝わっている。

こうした伝承から、永承六年(1051)以前には当地の氏神として鎮座していたと見られており、古くから土着の信仰の元、小さな祠があったのかもしれない。

都内近郊の八幡信仰の神社の御由緒には、源頼義・義家による伝承・伝説が多く残っており、似たような御由緒の八幡神社が数多く存在している。
特に世田谷区にはそのような八幡神社が数多い。
いずれも伝説的な面がかなり強いのだが、それだけ源氏とその氏神であった八幡信仰の結びつきの強さによるものなのだろう。

別当寺「円泉寺」の縁起・太子堂の地名由来

一方で当社の別当寺であった「円泉寺」の縁起によると、文禄年間(1592年-1596年)に「八幡神社」として創建と記されている。

南北朝時代末期(-1392年)には聖徳太子を祀っていた「太子堂」が開創されたと推察されている。
この事から当地は「太子堂村」と呼ばれるようになり、これが現在も地名に残る「太子堂」の地名由来で、文禄元年(1592)には、太子堂村の名を見る事ができる事から、古くからそう呼ばれていた事が分かる。

文禄五年(1596)、賢恵僧都が大和国「久米寺」から聖徳太子像と十一面観世音を背負って関東に下向し、当地で一泊した際に霊夢を見たため、本堂などを造営。
これが「円泉寺」の中興とされており、「太子堂」から「円泉寺」としての形になったのはこの頃であろう。

「円泉寺」が中興された文禄年間(1592年-1596年)に、当社も創建したと記されており、京都「石清水八幡宮」より勧請したものという。
太子堂村の鎮守として創建されたのであろう。

上述の源頼義・義家による伝承を踏まえるのであれば、当地にはそれよりも古くから土着の神として祀られて小さな祠などがあったように思う。
「円泉寺」の中興と共に、当社も社殿などが造られ、神社としての形を成したのが文禄年間(1592年-1596年)であったと見るのが自然であろう。

江戸時代の史料から見る当社

江戸時代に入ると、農村であった太子堂村は江戸への農産供給地として、天領(幕府直轄領)・大名領・旗本領に分けられる事となる。
そのため、同じ村内にあっても異なる領主の元で生活をしており、当社八幡様の祭礼を以って心を一つにしたと伝えられている。

文化・文政期(1804年-1829年)に編纂された『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。

(太子堂村)
八幡社
八幡宮除地一町四方。村の南にあり。小祠。古木森鬱として幽邃の地なり。鎮座の年暦を傳へず。神体紙幣を建つ。村内円泉寺持。

太子堂村の「八幡社」として記されているのが当社。
幽邃の地とあるように、古い木に囲まれた奥深く静か小祠であった事が分かる。
江戸時代から見てもとても雰囲気のある地であったのだろう。
別当寺が「円泉寺」である事と、創建年代は不詳という事も記されている。

明治以降の歩み・戦前の境内整備

明治になり神仏分離。
当社は無格社であったが、後に村社に昇格している。

明治二十二年(1889)、市制町村制施行に際し、太子堂村・池尻村・三宿村・若林村・下北沢村・代田村・経堂在家村の全域と、世田ヶ谷村・弦巻村・赤堤村・松原村・瀬田村の各一部を合併して「世田ヶ谷村」が発足。
当地は世田ヶ谷村大字太子堂となり、これが現在の世田谷区太子堂となっていく。

昭和十二年(1937)、現在の社殿が造営。
img_2767鳥居・神楽殿・社務所が新築され、小さな社であった当社が現在の境内に近い形に整備された。
この頃に村社に昇格している。

戦時中は東京大空襲により東京の多くが焼け野原となる中、当社や当社周辺は空襲の戦火を免れており、戦前の境内が現存している。

戦後になると、児童遊園や石垣などが整備。
平成二十三年(2011)には社殿の耐震補強がされ現在に至っている。

現在はドラマ「すいか」のロケ地として使われたり、他にも様々な催しに利用される事があり、広く開放された親しみやすい神社となっている。

戦火を免れた昔ながらの境内

西太子堂駅から北へ数分歩いた住宅街に鎮座。
img_2748鳥居の先に石段がありやや小高い場所が境内となっている。
img_2750石段を上ると左手に手水舎があり、正面に社殿。

社殿は昭和十二年(1937)に造営されたもの。
img_2773中々に立派な造りで、戦時中の戦火を免れて現存している。
img_2759扁額には「八幡宮」の文字。

境内左手にある神楽殿も昭和十二年(1937)に建てられたもの。
img_2760太子堂商店街の「タマにあえるまち」といったフォトスポットも置かれており、太子堂の鎮守として地域と共に盛り上げようという気持ちが伝わる。

太子堂商店街は、小説「うちのタマ知りませんか?」の舞台となった街。
そのためこうした企画が行われている。
(株)ソニー・クリエイティブ プロダクツが運営する「うちのタマ知りませんか?」の公式サイトです!どこか癒される昭和のかおり。猫好き犬好きにもたまらない!ほのぼのした気分になってください★

多くの境内社・縁結びのひも・神社で飼育する動物たち

社殿右手には境内社の稲荷神社。
img_2764稲・穀物・食物の神でもあるお稲荷様は、当社の御食神として祀られている。

手水舎の奥には鹽竈神社・出羽三山神社の合祀殿。
img_2752奥州の神々であり、地域に講中でもあったのであろう。

鳥居よりも手前、当社の社頭左手には弁天社。
img_2749元は烏山川に架かる弁天橋の近くに鎮座していたそうだが、昭和二十七年(1952)に当地へ遷座した。

社殿の手前右手は御籤掛や絵馬掛として整備。
img_2768御神籤や「縁結びのひも」なども置かれている。
img_2762社殿の左手に良縁結び・夫婦和合の「相生の榊」があり、「縁結びのひも」の結び所もこちらに用意されている。

手水舎の奥、社務所の裏手には動物の飼育スペースが用意されている。
img_2756現在いるのはうさぎのピータンと、フクロモモンガのクーチャン。
img_2754どちらものんびりと寝ていてのどかな光景。
地域の子供達も喜びそうなスペースである。

境内左は児童遊園として整備。
img_2774こうした児童遊園のある神社は減ってきているが、地域に根付いた古き良き姿だと思う。

御朱印は鳥居を潜ってすぐ左手にある社務所にて。
スタンプも多く押されており賑やかな御朱印となっている。
とても丁寧に対応して下さった。

所感

太子堂の鎮守である当社。
江戸時代には領主が細分化された中、当社の祭礼で心を一つにしたと伝えられている通り、農村であった当地の氏神として崇敬を集めた事が分かる。
境内社は戦前に整備されたものが多く現存しており、それ以降も児童遊園や動物飼育など、地域に親しまれる昔ながらの鎮守の姿を留めている。
発展した三軒茶屋からもそう遠くない地域に、こうしたのどかな一角があるのが嬉しい。
太子堂商店街と共に地域を活性化したいという気持ちも伝わり、地域と一帯となった古き良き鎮守である。

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神社画像

[ 鳥居・社号碑 ]
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[ 参道 ]
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[ 手水舎 ]
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[ 狛犬 ]
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[ 拝殿 ]
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[ 本殿 ]
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[ 絵馬掛・御籤掛 ]
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[ 稲荷神社 ]
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[ 相生の榊 ]
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[ 神楽殿 ]
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[鹽竈神社・出羽三山神社]
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[ うさぎ・フクロモモンガ飼育場所 ]
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[ 弁天社 ]
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[ 児童遊園 ]
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[ 案内板 ]
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Google Maps

    脚注
  • 当ブログに掲載している情報は筆者が参拝時の情報です。最新のものではない可能性がありますのでご理解下さい。
  • 当ブログ内の古い資料画像は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「インターネット公開(保護期間満了)」から使用しています。
  • その他、筆者所有以外に使用した資料画像がある場合は別途引用元を明示しています。
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